神速の剣聖
フェアドとエルリカがリアナルドの街に訪れる暫し前。
「うーいぃ……」
「あの爺さんまた酔っぱらってるよ」
「ああ。俺の親父が生まれる前からアレらしい」
路地裏でワインの空瓶を片手に寝っ転がる老人、サザキを一瞥した男達がひそひそと話している。
実はこの老人、リアナルドのある意味名物爺で、街にいる多くの者達が生まれる前から、酒瓶を片手に寝っ転がっている浮浪者なのだ。
酒との付き合いが上手いリアナルドの住人は身持ちを崩すことはそうないので、ここまで酒にだらしなく家すらない生活をしている者はかなり珍しい。
「いったいどこから酒代が出てるんだ?」
「本当だよな」
ただ一点、浮浪者サザキがどうやって酒代を捻出しているかは長年の謎で、住民は不思議がっていた。
「まあいい。行こう」
「そうだな」
サザキをちらりと見た男達がその場を去る。
酒にだらしのない浮浪者なんて、場所によっては悪漢などに殺される可能性もある。だが幸いなことにサザキが酒瓶片手に寝転がっているのは、街の者達にとって日常の風景の一つであり殆ど気にも留められていなかった。
とはいえ例外もある。
「うわ酒くせ!?」
腰に木剣を差した赤毛が目立つ、いかにもやんちゃ坊主といった十二歳ほどの少年が、はっきりと顔を顰めてサザキを睨む。
「ひぃっく。この声、カールの坊主かあ?」
眠たげなサザキが少年カールの声に反応して瞼を面倒くさそうに持ち上げると、黒い瞳が光を反射した。
「前から思ってたんだけど剣と酒どっちが大事なんだ?」
「ひっく。そりゃ当然酒だ」
「爺さん腰に剣を差してんなら剣士だろ!?」
「俺くらいになったら枝でもいいんだよ。うーい」
このカールは珍しいことに、サザキに話しかける数少ない人間なのだが、常識的な感性を持つ少年と酒を手放せない浮浪者の組み合わせはなんともアンバランスだ。
「枝でいいならその剣売ったらマシな生活できるんじゃねえの? なまくらなのか?」
「んがはははは! 気に食わねえ持ち主の首にすっ飛んでくような、呪われてる刃物なんざ誰も買わねえよ!」
「魔剣じゃねえか!」
「げえっふ。坊主覚えとけ。これは東方の武器で刀って言うんだ。だから魔剣じゃなくて妖刀ってカテゴリー」
「結局あぶねえのに変わりねえだろ!」
「中々賢いな」
「さては馬鹿にしてるな!?」
「だはははははは!」
カールはサザキの腰にある剣とは違う変わった武器、刀を見てそれを売れば少しはマシな生活ができるのではないかと提案した。それに対してサザキが語った危険性については、怒鳴っているものの全く信じていない。そういった呪われた武器の所持者の末路は狂気の死であると決まっており、浮浪者が酒瓶片手に寝っ転がっている姿とは全く結びつかないのだ。
「だいたいなんでそんなの持ってるんだ?」
「強敵やら宿敵と書いて友と呼べるような奴の形見みたいなもんだ。酒が大事と言ったが、なんだかんだこれは捨てられねえ。いや、やっぱり酒が一番大事だ」
「いい話になりかけてたのに酒を付け足すんじゃねえよ爺!」
「言っておくが人生嫌になって酒に逃げてるわけじゃねえぞ。若い頃から酒が大好きでこうだった」
「聞いてねえし酷すぎんだろ!」
それでも心優しいカールは一応サザキの話に乗ってやったが、絶対に酒から離れようとしないため血圧が上がっていた。
「もう酒はいいから、とりあえず俺の剣を見てくれよ! ふん! ふん!」
「凄い」
「ちゃんと見ろやクソ爺いいいいい!」
埒が明かないと判断したカールは木剣を手にして集中すると、それを何度も振り下ろしては上げ、振り下ろしては上げを繰り返した。
それに対するサザキの反応は一言で素っ気なく、カールの血圧は益々上がっていった。
実はこの少年、街のある意味での名物爺になにを思ったか、暇しているんなら相手をしてくれと言わんばかりに突っかかり、いつの間にか剣士なら剣を教えてくれよと言いだしていたのだ。
「まあ待て。なんで俺から横を向いて剣先に集中してたのに、俺が見てないって分かったんだ?」
「え? そりゃあ……なんとなく?」
「お前さんの歳でそれだけ剣が振れて周りが見えてたら十分すぎるわ」
「そう、なのか?」
「そうそう」
酒瓶の底の酒を飲むため四苦八苦しているサザキの言葉だが、カールはどうも褒められているんじゃないかと思い誤魔化された。
「どうしてちゃんと剣を振りたいかもっぺん言ってみろ」
「なんだよまたかよ」
「いいから言ってみろ」
「分かったよ。弟と妹がいるから頼りになる兄貴になりたい。これでいいだろ? もう何回も言ったじゃん」
「その目的忘れるなよ」
「当たり前じゃん。そのためにはクローヴィス流に入門しねえと!」
「まあ気張れや」
カールはサザキと出会ってから毎回毎回、剣を振る目的を言わされており、弟と妹の顔を思い出しながら今回も口にする。
そして世界で最も著名な剣術流派の一つで、この街でも権威あるクローヴィス流派の門を叩くのだと意気込む。
「それはそうと基礎と走りこみは怠ってないみたいだな」
「サボったら強くなれねえじゃん」
「ふん。世の若造がお前くらい聞き訳が良かったならな」
「……ひょっとして褒めてんのか?」
「お前の中ではそうなってるのか?」
「この爺!」
「ガハハ!」
サザキはカールへ課した走り込みや素振り、構えの取り方などを怠ってないと判断したのに憎まれ口を叩く。
「まあ今日はもうちっと付き合ってやる」
「本当か!? じゃあ必殺技とか教えてくれ!」
「馬鹿言ってんじゃねえ。剣は振り下ろしたら全部が必殺だろうが」
「な、なるほど!」
騒がしい妙な師弟の声は暫く路地裏で響くのであった。
◆
「じゃあな爺! くたばんなよ!」
「酒がないと死ぬかもしれん」
「言ってろ!」
それから暫く。騒がしいままカールはこの場を去っていった。
「いやはや。凄いと口にされましたか」
カールが去った途端、路地裏の影から六十代ほどの翁が出てくる。しかし六十代と言っても筋骨隆々で、腰にある剣と合わせて見ると古強者と言うべき様相だ。
「俺のガキの頃に比べたら蟻んこだ」
「はは。それは前提からして酷でしょうに」
そんな立派な老人が、完全に酒を飲みほしたサザキに近寄りながら苦笑した。
「お前のところの未来も明るいな。適当な誰かをやって、中々見どころがあると道場に連れてけ」
「ご自分では?」
「俺の残った時間が後二十年あったらそれでもよかったがな。十年ちょいじゃ中途半端になる」
「分かりました。それはそうと兄弟子達から文句が出そうですなあ」
「お前のところがいいっつってんだからいいんだよ。ま、基礎はサザキ流だがな」
「なるほど。では最後の弟弟子、お預かりしましょう」
「おう」
「ところで別件なのですが、どうも薬を求めている者がいるようでして……近々街に来るかもしれません。ミヒャエルという名の男で、特殊な暗殺剣の使い手のようです」
「はん? 今更薬だあ? 二十年ぶりくらいか?」
「恐らく」
「ご苦労なこった。まあどこかに隠されていると思うのは分かるし俺も断言はできんが、当時の錬金術師達は念入りに記録を抹消してたみたいだし、あれから実物も出てきてないってのに」
「全くですな。一応お気をつけてください」
「おーう。あ、そうだ。さ」
「ではこれにて失礼しますぞ師匠」
「け。ってまだ最後まで言ってねえだろうが」
奇妙な会合は誰にも知られなかった。
◆
◆
◆
「爺聞いてくれえええええ!」
「うっせええええ!」
ある日、相変わらず路地裏で寝っ転がっていたサザキは、血相を変えたカールの叫びに飛び起きた。
「昨日クローヴィス流派の人に、道場の見学に来ないかって誘われちゃったんだよ!」
「よかったじゃねえか。もう教えることが無くなってたから助かった」
「え? 本当?」
最も著名な流派の一つの道場へ見学へ行けることに興奮していたカールは、地味なこととは言え教えてくれたサザキから全てを教わり切ったのかと感動しかけた。
「間違えた。正直教えるのが面倒だったから助かった」
「俺のちょっとした感動を返せえええええ!」
そしてサザキが態々露悪的に言い直してくれたので顔を真っ赤にした。
「まあよかったじゃねえか」
「だ、だよな!」
「それでもう見学はしたのか?」
「した! その時によかったら入門もどうかって言われたから、明日もう一回行って入門してくる!」
「なら気張れや。あそこは人が多いから埋もれるんじゃねえぞ。おっと、人と協調はしろよ」
「おう!」
なんだかんだと祝いながら発破をかけるサザキに、カールは頷いた。
クローヴィス流派は著名なだけあり入門者が多く、門戸も広く開放されている。だがやはり、上澄みは一握りであるため、上を目指すなら相応の努力が必要だった。
「そんでまあ、その、あれだよ。道場で素振りした時に筋がいいって褒められてさ。ありがと」
「ふん。まあ、あれだ。基礎的なことに関してだけは免許皆伝をくれてやる」
「基礎の免許皆伝とか聞いたことねえけどありがとよ! またな!」
「おーう」
奇妙な師に礼を言ったカールは気恥ずかしくなり、捨て台詞のような言葉を残して去っていった。
◆
夜のリアナルドは酒の街らしくあちこちに酒場が存在しており、賑やかさが衰えることはない。
だが賑やか街にも負の噂が存在する。
かつての大戦中に一時使用され、結局は抹消された強化薬が今も現存しており、そこから改良された物がどこかに隠されているのではないかという噂だ。
所詮噂なのだが、困ったことにこういった類の噂は消えることなく、誰かが否定してなら余計に怪しむのが人の性だ。
そして強さを求める者は時として道を踏み外し、外法を求めてしまいやすい。
(薬があるとすればやはり領主の城か?)
闇に紛れ街に忍び込んだ痩身の男も道を踏み外した一人だ。
ただがむしゃらに強さを求めている男は紛れもなく強者の分類で、特に剣を振るわせたなら並の兵士が十人いても歯が立たないだろう。
しかし、そうであるが故に強さの限界を迎えた自分に我慢ならず、それを打開する方法、つまりリアナルドにあると噂されている薬を求めていた。
(クローヴィスの連中には気を付ける必要がある)
この男がリアナルドに薬が実在すると思う根拠の一つに、クローヴィス流派の一大道場が存在していることも挙げられる。ただこれは順序が逆で、クローヴィス流派が薬とリアナルドを守っているのではなく、この男のような類がいるから、街を守るためクローヴィス流派が流行っているのだ。
(そこらの高弟共に後れを取るとは思わん。だが万が一にも最上位の連中やクローヴィス本人がいれば……)
男は自分で限界を自覚しているだけあり、力を客観的に評価できている。
クローヴィス流派の最上位は誰も彼もが怪物揃いで、クローヴィス本人に至っては武の世界で知らない者がいない頂点の一人なのだ。
それは彼が切り捨てた頂点種である筈のドラゴンの骸が証明しており、男では逆立ちしても勝てないだろう。
(浮浪者か。酒の街らしいと言えばらしいのか)
歩を進める男が路地裏に入ると、そこには酒瓶を片手に倒れている年老いた浮浪者がいた。尤も男からすればどうでもいい存在であり、無視して通り過ぎようとした。
「明日は、まあ、弟子の門出でな。あんまり騒ぎが起こってほしくねえんだ」
男は浮浪者の呟きも気にしなかった。
「果し合いでもないのに二十人は斬ってるな?」
これは無視できず一瞬足音が変わる。男は確かに強さを求める過程で罪のない者達を殺めている。
だが結局無視して足早にこの場を去ろうとしたが。
「そういや薬を求めてる奴がいるって聞いたな。名前はそう、ミヒャエル」
完全に偶然なのだが、目的も名前もいい当てられた男、ミヒャエルは最早逃げることなどできない。
闇色の魔剣を鞘から解き放ち、浮浪者を一太刀で切り殺そうと
未遂である。
「抜いたな?」
ミヒャエルの意識の隙間に入り込むように、ゆらりとしているのに一瞬で立ち上がった浮浪者、サザキ。
抜刀。
赤光。
納刀。
酒瓶に口を付ける。
飲む。
静寂。
ミヒャエルが鞘から剣を抜き放った直後、瞬きの間のことであった。
浮浪者サザキ、またの名を神速の剣聖サザキ。
その太刀の煌めき。
未だ衰えず。
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