第31話

 そんなお願いは口に出して伝えなくちゃ、誰にだって届かない。私はそのまま箱に突っ伏して寝てしまい、体が痛くて目を覚ましたのは午前一時のことだった。なにをやってるんだか、私は。


 それから制服をハンガーにかけて、ベッドに倒れ込んで眠って、現在に至る。昨日のあれは、いったいなんだったんだろう、なんていう疑問にたどり着くには、ずいぶんと時間がかかり過ぎている。


 えぇと、今日はまず、坂本さんに昨日のことを謝って、それから松宮くんに会ったら、――会ったらなにをするんだっけ。なにかあったんだっけ?んー。頭、しっかりしないなぁ。接続悪すぎる。あんなところで寝てただけのことはあるかも。体あちこち痛いし。九月なんだから、やっぱりふとんはかけた方がいい。


「おハヨぉ、葉月」


 名指しの挨拶に顔を上げると、さえこちゃんが目の前の壁にもたれて立っていた。なんで? ってくらいにひっそりと。私に重そうに手を上げて見せると、ゆらりと壁から離れる。ふと、さえこちゃんこそ実は幽霊なのでは、なんて思いついてしまい、あわてて打ち消す。現実として、その考えは否定できる、だいじょうぶ。


「あー、良かった。制服できたね。まったく仕事のろいよねぇ、んなのちょいちょいじゃん。別に新作デザインを提出しろってんじゃないんだからさ」


 その言葉に、自分がもうセーラー服を着ていないことを教えられて、ほっとした。そうだ。こっちから考えても、もうおばけには会わないんだった。あっちにももう、私を欲しがる理由がなくなってる。私はもう、さえこちゃんと同じ服を着ているんだから。


「考えてみたら、私のを貸しても良かったんだな」


 さえこちゃんはそう言うけど、さえこちゃんの服が着れるわけはない。だからその考えにたどり着いたのが今で良かった。だって断るのに、サイズが違い過ぎて着れません、なんって言うの、やじゃない。やってみたら、きっと変な長さのスカートになれる。制服とは考えようもないような。あ。想像しちゃった。


 校舎に入ろうとしたところで、さえこちゃんは大きなあくびをして立ち止まった。だいたい足も重そうにしか動いてないんだ。全体として非常に動きがニブい。


「眠そう」


「んん、朝キライ」


 結構シャープな印象だったさえこちゃんなのに、ぐらぐらしてきた。なんだかこう、ふにゃふにゃしてて不思議。眠そうな目はこすってみたってどうにもならない。だけどそんな動作を続けて、思い詰めたみたいな言い方で、


「だけど、この時間じゃないと……」


 だなんて言う。なにか特別な用事があって、こんなに早くに登校したのかな。部活とか。あまり体育会系には見えないけど、あれ? だったらどうして壁にもたれて立っていたりしたんだろ。


 私を待っていたみたいに一緒に歩き出さなかった? だって。えと。なんだ?

なんか、ヘン。


 だけどその時私の視界をかすったもので、さえこちゃんのヘンなんてどっか飛んでって消えた。ほんの一瞬視界に入っただけだけど、幻じゃない。現実はかなり破壊されているけど、私の目はちゃんとしてる。見えるものを見てる。だからっ。


「ごめんね、さえこちゃんっ。私、確かめなくちゃ。どうしてもっ」


「えっ。待ってちょっと、葉月ってばっ」


 そう言われても待つわけにはいかなくて、私は心の中でごめんねを繰り返しながら、校舎に飛び込み階段にかじりついた。昨日の放課後、自分になにがあったのかを今になってはっきりと思い出した。あのめちゃくちゃ変なヤツだ。私を追いかけて驚かした『あいつ』。窓のとこにちらっと姿が見えただけだけど、あれだけ変なモノ、見間違えるわけない。


「あっれ、葉月さん。おはよーございます」


 すかっと気持ち全部が空振るような笑顔に迎えられて、私は一番手前のキャンバスに体当たりしてしまいそうになった。危ないのなんの。


「城、くん」


「はい。おはようございます」


「おはよう……」


 ここ、美術室だったんだ。あれ、美術室の窓だったのか。下から見上げて、えーと、……やっぱり間違えてない。合ってる。だったら?


「城くん、ひとり? なんで?」


「なんでって。あ、葉月さん、制服できたんですね。似合いますね、予想通り」


「それどころじゃなくて、だって、この窓だったの」


「窓? どうかしたんですか?」


「黒ずくめなの、こんな背の高い帽子被ってマントみたいな布切れひらひらさせて、いかにも怪しげな格好した人」


「……なんですか、それ?」


 なんでしょう、か。


 自分の見たものだけど、自信がぐらりと傾いてきた。でも、やっぱ信じちゃうから、納得できない。でもこの美術室のどこにもそんな怪しいヤツどころか、城くん以外の人なんていなくて、キャンバスの影だって隠れきれるもんじゃないし。


 あ! 準備室?


「月見たちだよね。出てきなさいよぉ、観念して」


 後ろから声がして、私は立ち止まった。一歩進んだところで。さえこちゃんがまたドアにもたれて、だるそうに立ってる。目は眠そうなままだけど、準備室の方に向かって。


 月見ちゃん? たちってことは雪見ちゃんも。

 

 どういうこと? 私の見たあのヘンなヤツが、雪見ちゃんたちだってことになる?

そりゃ、……美術室なんだから、二人いるのが一番当然だけど、だからって。


 準備室のドアはやけにゆっくりと開かれる。きぎぃ、なんて音、前もしていたか覚えていない。そうだった? 古そうだとは思ったけれど。

 

 それで充分開いたところで、二人はつかつかと登場した。私の前に。二人のうちの一人は、私が二人だと思っている姿じゃなかったけど。


 どっち、だ?

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