第30話
え?
校舎に半分入りかけたところで、そんな声が聞こえて、私は足を止めた。振り向くと、手を振ってる松宮くんと、走ってくマントの後ろ姿。
走っていく。逃げていく?
ホントに?
「松宮くんっ」
「はい」
「大丈夫?! 怪我してない? 手は平気? ごめんね、全然助けてあげられなくて。今ほうき取りに行くこと思いついたんだけど」
「空でも飛ぶの? 葉月ちゃん」
そら? あ。ほうき? って、そうじゃない。そうじゃなくて。
「怪我はしてないくらいに戦ったから大丈夫。こっちの手も全然へーき。なんで負けるとか思うかなぁ。あいつ、強そうに見えた?」
「え、うん。すごい強くて怖いと思ってた。強くなかった、の?」
「ほかに障害があったから余計な汗はかいたけど、強いとは言い難い。あんなかっこだから、動きも鈍いしね」
まるで動き足りないと言いたそうに腕を振りながら、松宮くんはそんな言葉を重ねて笑うのだった。強くないって言うけど、それは松宮くんがあれよりも強かったから
で、気がつけば、私は間抜けな質問を飛ばしてしまっていた。
「何者? 松宮くんて」
「ナニモノ?」
「いったい。なにやってる人? どうして、そんなに強いの?」
「どうしてもなにも」
と、そこで息を吐いて、
「強くなきゃ困ったじゃない」
そう続ける松宮くんの顔を、私は見つめたまま固まっていた。
困らないからって強くなれるんだったら、私だって困ったりしないで強くなってる。そんなことができるんだったら、できてるはず、私だって。松宮くんの言うことは、時々じゃなくて、やっぱり無茶だと思う。なんて言うか、想像を絶する、って言うか。
「裏から出よう。今度はこっち。校門までは最短距離で抜けるからね」
……「なんでも知ってるよね。松宮くんは」
「誰でも知ってるよ。葉月ちゃんも、もう覚えたし」
抜け道のことなんか、わたしは言ってなかった。松宮くんが知ってるのは、いつだって、私の気持ちだ。お見通し、全部。だから、そんな答え方をする。
私の気持ちを知ってる。私が早くこの学校を当たり前にしたいのを知ってる。だけどどうして、そんな、――オソロシイことを……。
命を助けてもらったくせに(命……?)いい態度な私は、気がつけばバス停に立っていた。下校時刻は外してしまった変な時間だから、ほかには誰もいない。気がつけば、って困ったことなんじゃ。なんか催眠状態みたいだもん、それって。でも結構、それに近いかもしれない。今の私なんて。
「えーと、バス、十二分だね。家までおくれなくて悪いけど」
「学校、戻るの? 松宮くん」
「机にいろいろ広げたままだし。このまま消えたら失踪人扱いで届け出されるんで」
「まさか、だって」
「やるって、ほんと。まさかを聞くためならなんでもするんだ、あの人達は」
「あの人達って」
「生徒会執行部」
秘密組織の秘密の名前を語るみたいに声を潜める。生徒会って、学校中で一番マジメな人の集まりだと思ってたのに、そんなこともここでひっくり返された。
そうだ。だいたい松宮くんが混じっているんだから、そんなはずない。
机にいろいろ広げたまま、どうしてあんなとこをうろついてたんだろう、と思いついた私は、自分のことを思い出した。あぁ、まずいことしちゃった。
「どうしたの?」
「私、待ってるって言ったのに、置いてきちゃった。一緒に掃除してたの、坂本さん」
「三恵ちゃん。わかった、捕まえて説明しとく」
松宮くんはなんでこうわかっちゃうんだろう。いったい私はどんなすごい顔をしたんだか。だけどこの人が察しが良すぎるから。
ちらりと見上げたつもりが、まともに目が合った。すると、松宮くんはまたにっこり笑って、
「葉月ちゃん、体育系は苦手だって言ったけど、全然そんなことないじゃん。走るの速いし、反射神経もなかなかでした。こりゃ体育祭、がんばらないと」
「私、自分がこんなに走れるなんて知らなかった」
「大発見だったね」
その顔を見ていて、私、一つ思い出した。昨日のことを謝らなくちゃならなかったことを今さら。朝考えた時よりも、ずっと強く私の方が悪いやつになってる。あんな態度とるなんて、さいてー。
りゅ。……いやえと、やっぱあの、
「……松宮くん」
「ハイ」
「ごめんなさい」
「なに言ってんの」
私はなにを謝っているのかうまく言えないままだったんだけど、松宮くんにはわかっているような気がした。ずいぶん自分勝手な解釈だとは思うけど、でもそんな気がして安心してしまった。
「またあしたっ」
バスの窓の向こう、また元気に手を振ってる。また。初めてじゃない、この光景。またあした。うん……。また明日、だよね。
家に帰ると制服が届いていて、私はその箱と長い時間向かい合ってしまった。これ……、待ってたんだ、ずっと……。だけどもう、なんかどうでもいいものみたいに見えるのは、なんで?
明日からそりゃ着ていくけど、そう言えば、セーラー服の七人の幽霊には会わなかった。よーちゃんの期待には添えなかったと、そういうこと、これは。……七人、だった? 八人? のような気もする……。あれ?
疲れた。めっちゃめちゃ疲れた。ハンガー、誰か取って、お願い……。
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