第21話
「教科書あるわよ。運びやすいように袋に入れたの。ほら、あれ、カウンターの右。ちゃんとワンセット、納品確認ズミ」
「あ。ありがとうございます」
「ふたごから聞いてるわよ。がんばって慣れて、早く図書室に遊びに来るくらいの余裕を持ってよね、葉月ちゃん」
びっくりしてしまうくらい華やかに微笑んで見せた花見さんは、その次の瞬間には表情を強張らせていた。そして形相を変えて、図書室にあるまじき大声をあげる。
「こらそこっ! カツヤ! それは持ち出し禁止の図鑑だって、シールの主張が見えないのか、あんたにはっ」
自分よりもかなり大きい男子生徒の首根っこにくらいついているその姿を、いったいなんて表現しよう。雪見ちゃんたちよりも年上な分、グレードが上がっているみたいな気もする。
「結婚でもして、少しは丸くなっていただけたらと、切に願ってやまないとこなんだよね……。ホント」
しみじみとつぶやいて、松宮くんは本の山から、一番上の一冊を拾い上げた。回りがぐるっと、茶色く変色した変なサイズのハードカバー。タイトル文字の印字すら薄くなってる。これ絶対、ポピュラーな棚じゃない。
さっき花見さんが松宮くんに、『あんたしか読まない』って、そう言ったよね。
……松宮くん。もしかして、うちのオヤジと同じ人種なのかもしれない。いわゆる、ヘンなくらいの、本好き、とか。
「教科書運ぶの手伝うよ。どーせ教室には戻るわけだし。隣だし」
私の胸に広がるダークな雲は、その笑顔に吹き飛ばされた。これを、父上と並べたことを、とっとと後悔する。同じ本を読んでいたとしたとこで、松宮くんはあんなじゃない。
花見さんが指を差したカウンターの右に、中くらいのサイズの紙袋がふたっつ並んでいた。それを一つずつ持ち上げたところで、
「運んどいて、隆一朗。机の上に載せときゃいいから」
「葉月、そんなのもおろしなさい。置いてきゃいいの。どーせ運ばせるなら全部持たせてしかるべきよ」
カウンターの向こう側から、跳び出すみたいに雪見ちゃんたちが現れた。び。びっくり箱みたいだった、今。びっくりした。びっくり――、え?
「次、音楽室で私たち急ぐのよ。じゃあねん」
「あー、忙しい忙しいっ。ほら、急ぐ急ぐ」
がっしりと両側から腕を押さえられて、まるで刑事に連行される犯人のような状態で、私はドアに向かって歩かされていた。月見ちゃん、に雪見ちゃん。えと。たぶん右が雪見ちゃん? 違う?
「雪見ちゃーん」
「なに」
「音楽の教科書」
「あ、そか」
袋の中から一冊取り出して、松宮くんは、私の左腕を放して戻っていった雪見ちゃんにそれを手渡した。
……間違ってた、私。左だったんだ。
図書室を出るところで振り向くと、松宮くんと目が合った。あきらめたみたいに笑うとこを見るのは初めてじゃない。月見ちゃんたちには、本当に逆らえないんだななんて確認して、ちょっと気の毒に思ったりした。
こんなに短い付き合いの私にも、敵に回さない方がいい人たちだって判断はできる。いったいどんな仕打ちが待っていることか。
両横のその二人からは、絵の具の匂いがしている。さっきのさえこちゃんの話を思い出した。確か、花札とか。いったいなにをしていたんだろう、この人たち。
黒板におっきく『自習』って書いてあって、音楽室は無法地帯になっていた。
「今日の課題はメンデルスゾーンか。しけてるわねー」
とは、月見ちゃんの言葉。
「イシちゃんは気分屋さんだから、自習の多いこと多いこと。ハイ、これ適当に書けばいーから。座るでしょ。机開けて、ヘッドフォンをつなぐ。そうそ、それで聞こえてくる課題曲と」
雪見ちゃんの丁寧な解説にしたがって動くと、確かにヘッドフォンからは音楽が聞こえてきた。別に大したこだわりを持ってるわけでもないけど、だけどできたら始めから聴きたい、なんて思うんだけど。いいのかな、途中からで。先生としても。
短い曲なんだろうか。
自習だからか知らないけど、席は自由みたいで、みんな好きな風に座っていた。
いや、座っていない人もいる。楽器室の札のドアの向こうにも行ってるし、その人数を足しても、どう無理しても、絶対的に人が足りなかった。
柿の木の見える窓側に座った私のすぐ後ろには、さえこちゃんとよーちゃん。二人とも、音楽とは関係ないところに夢中なところだ。
「高木君のプリント、一枚くすねてきたんだ。実篤の詩のハナシ、けっこ良くできてる。真面目なせんせーだぁね」
頬杖をついてそんなことを言うさえこちゃんの横で、よーちゃんはマンガ読書中。自習課題なんて見向きもされていない。月見ちゃんは私の横に座って、ヘッドフォン装着。そして、お休み時間姿勢に。雪見ちゃんはセットはしたものの、すぐに立ち上がって、ステージに下りて行ってしまった。
音楽室は、大学の講義室みたいなところなんだ。そんなとこ入ったことないから、テレビなんかで見たんだけど、階段教室。そして行き着くところには、グランドピアノの載っているステージがある。黒く輝く大きなピアノの後ろには、壁一面にすごい数のレコード盤が並べられていて、絶対スゴイ。天井近くの、音楽室にはお約束の偉大な作曲家たちの肖像画と音楽史年表も、額縁まで立派ですごかったけれど、私が一番驚いたのは、それではなかった。
すごい。ピアノを弾く男の子だ。
だいたい、クラスに一人くらいはピアノってわりと弾ける子が存在してる。子供の頃からやっていて、今もやっているーって子。だけどそれって決まって女の子で、男子の中には、ちょっとでも弾けるってやつはいなかったんだ。少なくとも、こんな腕前を披露しちゃったりするような子は。すごい。すごいじょうずかも。
「葉月、楽器やる?」
しっかり寝入ったと思っていた月見ちゃんが起き上がった。シャーペンを握るところを見ると、課題曲をちゃんと聴くための姿勢だったらしい。
「ピアノとか習ってたでしょ。そんな感じする」
「習ったけど、すぐやめちゃったから、全然弾けないの。すごいね、あの人」
「ヨシトは本気だからねぇ」
「月見ちゃんは?」
「ハープを少々」
「ハープ?」
「なんでもいいから楽器はできた方が渡りやすいんよ、イシちゃんの音楽って。葉月も始める? けっこ楽しい。フランス貴族のおじょーさまみたいで」
くすくすと笑いながらまたヘッドフォンをつけて、月見ちゃんはプリントに向かい合った。お嬢様。ハープを弾く月見ちゃんは、大した細工も必要ないままちゃんとお嬢様に見えそうだ。だけど、私の場合は。
なにか楽器、とか言われたって、どうにもならないなぁ。なんでもいいったって、カスタネットってわけにはいかないんだろうし。だいたいカスタネットならできるのかって言われると、楽器としてはあれはもっと技術が必要そう。きっとあんなんじゃない役立て方があるに決まってる。
姿を現さない音楽教師・イシちゃんなる先生の方針は、だいぶ私向きじゃないらしく、考えているうちに自分が能無しみたいに思えて切なくなってきた。だめだ、こんなんじゃ。どんどん後ろ向きになっちゃう。とにかくっ、……課題は提出しておこう。
ヘッドフォン装着。ヴァイオリン(かもしれない)音が聴こえる。メンデルスゾーンって良く聞く名前だけど、曲名とかあげられないな、私は。それでこれを聴いて、なにを書けばいいんだろう。んー……。
――え。
――「ぎゃああぁっっ」
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