第19話
「えぇぇっ?! だって私たち、今すごく大切なとこなんだよ?」
「まったくなにを言い出すんだか。状況見てからもの言いなよね」
っていったいなんて言い方をしちゃうんだ、先生相手に、よーちゃんもさえこちゃんもっ。例えめっちゃ童顔で、たぶん一年目なんだとしたって、先生はやっぱり先生なわけなんだと思うんだけど。
「先生も悪いとは思ってるよ。思ってはいるんだけど、そこをなんとかどうにかならないものかなー、と」
「私たち、図書室に向かってるんだな。高木君の行きたい方向とは逆でしょーが」
「図書室?」
「葉月ちゃんの教科書取りに行くところ」
「あぁ」
意味のわかりにくい感嘆を口にして、高木『先生』は私に目を向けた。そしてごあいさつ。ていねいな。
「現国の高木です。二組の授業も僕なんで、よろしく、桜田さん」
「よろしくお願いします」
ほかにどうにも応えようがなくて、私はそんな風に応えてた。現国とは、また地味なものを。だったらなにが派手なのかなんて、聞かれても困るけど。だけど地味に堅実に、マジメそうな先生。
「はいはい、あいさつはそれでいーから。行こ、葉月。昼休み終わっちゃう」
「図書室はなにかと手続きに手間取るしね。はなちゃん、オリジナルなテンションの上げ方してるから、今」
「そんなこと言わないで、手伝って下さいよ。次の時間なんだけど、プリント間に合わないんだよー」
泣き言と言ってしまって間違いはない様子になってきた。まさに哀れを誘うその声に、私が負けた。誰よりも。
「あの、よーちゃん、私一人で大丈夫だよ」
「あぁ、ほらもう、葉月ちゃんに気をつかわせてー」
「だって、なんか先生、大変そうだし」
「そうそう。大変なんだよ」
「もー、夏休みなにやってたんだろね、この人は」
「それを言わないで下さいよー。ありがとう、桜田さん。恩に着ます」
「たかさんのソレはちっともあてになんないからね、葉月。一筆書いといてもらった方がいーよ」
「私たちも手伝った証明もらっとかなきゃ。一緒に書かせとくからだいじょーぶ」
「また書くのー? あれをー?」
「覚悟の上でしょ。私たちに声かけたんだからさ」
高木先生は心の底からつらそうな顔をして、深くて長いため息をついた。『たかさん』、生徒に完全になめられている様子。
「図書室は階段上がって右行って突き当たりだからね」
「音楽室は一階だからね。たどり着くんだよ、ちゃんと」
「ありがとう」
階段上がって右。音楽室は一階。たぶん、大丈夫だとは思うけど。
あんなこと言われちゃってるけど、きっと高木先生って人気あるんだろうな、なんてことを考える。さえこちゃんもよーちゃんも、ホントに嫌いなら断っちゃう子たちだよね。だから、あんなこと言ってても、
――「葉月ちゃんっ」
きっと私の名前だったんだと思うけど、私が呼ばれたんだと思うけど、そこのところは確かじゃない。ちゃんとわかったのは、なんか一瞬、宙に浮いたみたいな感じがしたこと、と、今壁に押しつけられてるってことだけだ。
押しつけ、って、なんで?! 誰?!
……あれ。
「びっくりしたねーっ。焦げるとこだったよ。危ないのなんの」
「焦げる?」
ってそりゃ、なんの話をしてるんだか、ちっともわかんなくて、私はぼんやり繰り返した。危ないって、いったい?
私の腕から手を放すと、松宮くんは床にかがみこんだ。そうだ。松宮くんだ。
床の上に、白いモノ。それをまず人差し指でつついて、それからつまんで拾い上げた。そして、私の目の前に差し出す。これって、――マシュマロ。マシュマロだ。
間違いなくマシュマロは、廊下のあちこちに散らばっていた。一つだけじゃなくて、たくさん。白い点々が、廊下の模様みたいにたくさんあった。なんだかぺっちゃりしてて、おいしそうじゃなくなっちゃってるけど。って、床に落ちてるんだから、食べられるわけないんだけど、なんでこんなことになっちゃってるんだ。どうして?
「こりゃやりすぎだろ」
小さい声でそう言うと、松宮くんはマシュマロたちを避けて、教室に寄って行った。
廊下側の窓が開いている。そこから身を乗り出して、
「中、だいじょーぶー?」
教室表示板には『調理室』って書いてある。私も同じ道をたどって隣にたどり着いた。広い調理室の中では、すごい強力な換気扇が活躍を開始していて、グレーの煙がぐんぐん吸い込まれて行ってる。その下で、ばたばたと走り回って、窓を開けたりモップを掴んだりしてる割烹着を着た女の子たちの中の一人が、松宮くんに気付いてこっちに来た。
「だいじょーぶに見える? りゅーいっちゃん」
「この前よりはマシじゃない」
「あれを基準にしてたら、近い将来ハルマゲドンだね」
この前にいったい何があったのか。きっと聞かない方がいいようなすさまじい何かなんだってことはわかりそうだった。だけどなんで、何をどうしたら、調理室からマシュマロがはみ出したりしてしまうんだろう。
「ま。怪我人はナシ。こんなはずじゃなかったんよ。だいじょうぶ? お嬢ちゃん」
「あ。はい。だいじょうぶ、です」
「気をつけてー。たぶんすべると思うから」
松宮くんの話し方から考えると、たぶん同学年の女の子は、やけに割烹着姿がはまっていた。廊下に散らばるマシュマロを指差して、目をますます細くして笑う。お嬢ちゃんとか呼ばれたけど、ちっとも嫌に思わなかった。短い短い髪が似合ってる、感じのいい子だ。
「りゅーいっちゃん、あたし次の時間出れないわ。ここなんとかしないと」
「現国だね。ま、高木君なら楽勝でしょ。そん次もなんとか」
「うまいことやっといて」
「ん。被害届出すなら早いうちって、ナカハラに言っといて」
「おう。りゅーいっちゃん宛て?」
「や、会長宛てかな。みやこのサインもちゃんと添えてね」
「わーった」
みやこちゃん、と言う名前らしい。松宮くんが指を差しながらそう言ったのでわかった。そのみやこちゃんは、勇敢にも再び煙の中へと進んで行くのだった。もっとも、さっきよりはだいぶ解消されてたけれど。
「驚いたよねぇ、そりゃ」
いつのまにかのっかってた桟から飛び降りて、松宮くんは床のマシュマロを一つ蹴っぽった。ぷよん、と浮かんですぐ落ちる。重たいらしい。
「あれ、って、今いったいなにが? どうしたの? なんでマシュマロがこんなに?」
「マシュマロ人形を作りたいんだよ、調理部は。それで化学部を巻き込んで、鋭意研究中ってとこ」
「マシュマロ人形……?」
「うん。調理部の一年生、変わってるんだ。かなり」
その一言で片付けるのって、……どうかな、松宮くん。そう思ったけど、思うだけにしておいた。こんなこと反論したって、だいたいのとこでは意味はない。
それに、私の方にもそんな簡単に片付かないわけがあった。今の調理部の事故は、――私に責任はないのかってことだ。ふつうに考えたらないって言い切れるんだけど。だって調理部は前にもこんなことをしてるわけなんだから、特に私には関係のないことにしちゃっていいと思う。
ここを通りかかっていなければ、良かったのに。そうしたら、こんなこと気にしなくてすんだ。
あれ、だけど。……マシュマロが私に飛んできたのは、あれはやっぱり私の災難、なんじゃない? 焦げるところだった、って言った。あの後、熱くないか確かめてから触ってた。焼いたマシュマロだったんだ。
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