第13話

 圧倒されたような気が抜けたような、どっちでもない気持ち悪い気持ちで私がぼんやり突っ立ってると、職員室はよーちゃんを吐き出した。とかって、なんか化け物みたいに言ってるけど、そんなことはないはずなんだけど、マシマって名前は怪獣みたい。日本史だっけ?


「ひゃー、助かった。ごめんね、待たせて。鍵の棚の位置が悪いよ。私の成績も悪いんだけどさ」


 どーだっていいみたいな笑い方をして、副委員長は戦利品の鍵を振って見せる。いかにも業務用なラベルがついているソレを手に入れるために、違う科目の先生に捕まってしまうのか。そんなの、私だったら、絶対にやだ。


「だけど、また隆一朗に借りを作っちゃったな。ちくしょー。もう返せないって」


 そのよーちゃんの口調は、たぶん怒っているんだと思う感じだった。被服室の鍵を投げては取り、投げては取り。松宮くんは、いったい何をどうして助けてくれだろう。


 あ。思い出した。あの人のこと、小林少年とか思ってたんだっけ。さっきの運動神経とか、ますます条件を満たしてきたような感じ? どうやら機転が利くとこも。


「あ、被服室、こっち」


 とか言いながら、よーちゃんは突然私の腕を引っ張った。


 なんでこんなところにこんな出口が? と思ってしまうしかないドアを抜けて、古い校舎にとってつけたような新しいコンクリートの階段を降りる。


 中庭、だ。木の向こうに、新館の建物が見えている。


「変な学校で覚えづらいでしょ。ごめんね、ほんと」


 いえそんな、謝ってもらうようなことじゃ。例えそうだとしても、よーちゃんに責任はないのでは。まさか学校造ったわけじゃないんだから。


 それに造りとしては、そんなに難しくはない。ただ後から便利なように付け加えられたドアとか廊下とかを使おうとするから、ややこしくなるんだ。基本的には新館と旧校舎の二つの建物なんだから、それさえ見失わなければ迷ったりはしないはず。確かに広い、大きな建物なんだけど。


 これが私の学校。どう目を反らそうとしてみたって、私の学校なんだよね、とか。

大きくて立派な桜とけやき。前の学校は、巨大な樅の木が立ってた。だからどうだとか、比べてどうだとかって言うんじゃなくて、ただ。ただ、もう戻れないんだなって、実感したような。今突然ここではっきりと。そんなのずっとわかってたことなのに。


「葉月ちゃーん?」


 あ。


「はい」


 等間隔の桜の一本先で、よーちゃんは待っていた。私は走って、すぐに隣に並ぶ。


「さくらんぼがなるよ、この木」


「え。食べれるの? それ」


「それが結構おいしいの。早い者勝ちだけどね」


 頭一つとはいかなくても、ほとんどそれくらいは小さなよーちゃんは、とってもとってもいい人だ。気配り名人って言うか。こうじゃなきゃ副委員長なんて立場にはならないか。そうか。


「今使ってる特別教室って、えー、被服室と音楽室、美術室、くらいかな。あー、視聴覚室も地理で使うか。体育の講堂も入れて、五つ覚えれば暮らしていける。私、案内するけど――」


 私たちの目の前に出現したものに、私たちは、――どうしたらいいかわからなくなった。目を疑うって言うのは、こんな時に使ってこそ。派手に土煙が立ったりはしない。そんな効果はなくたって、この事実だけで、立派に見事に衝撃だ。


 距離は同じくらいだったから、ショックは均等だったと思うんだけど、私より先に、よーちゃんが我に返った。びっくりした大きな声ではなくて、静かにつぶやく声。


「……何してんの。隆一朗」


「何って程のこともないんだけど」


 降ってきた松宮くんは、こっちも静かな調子で答えを返してた。包帯を巻いた手。きっちり直してるネクタイ。まるで何も変わったことはしていないみたいな、ちゃんとした高校生のように見えてる。だけどこの人、今絶対変だった。体育会系とかそんなモンダイじゃない。普通の一般の善良な一市民として、どう? 今の。すごくすごく変だよね?!


「なんでもなく二階の窓から飛び降りんのか、あんたは」


「そういうこともある」


 なに……、……それ。


「ここ、地面柔らかいから、結構、へーきだわ。覚えとき、よーちゃんも」


「いらない、そんな知識。ばかじゃないの、あんた」


 そうかもねぇ、と松宮くんは妙にしみじみとうなずいた。私としては、……あきれて物も言えないんだと思う。この人、なんなんだろう、とか思っていいと思う、私。だって変じゃん、きっぱりと。どこを取っても。


 足元の何かをぽーんっと蹴っ飛ばして、松宮くんはにっこりと笑って走っていった。


「じゃっ」


 なに、そのにっこりって。それってどんな意味が。


「大変だ、隆一朗も」


 しみじみといった感じで、よーちゃんは腕を組んでつぶやいた。後ろ姿を見送りながらだ。


 私は『二階の窓』を見上げてみた。いくら地面が柔らかくても、私だったら飛び降りたりしない。ううん、私に限らず、普通だったらやらない、そんなこと。


 月見ちゃんたちが言ってた。松宮くんは坊ちゃんだから、簡単に二階から飛び降りるって。でもなんか、誰もそそのかした人とかいなさそうだったし、あれ見たの、私たちだけだったと思うんだけど。


 何してるんだろう。あの人。なんだかすごくヘンな印象の人になってきた。松宮くんって、もしかしたら、チャレンジャー? とか? そういう人? やってみないではいられないって気持ちで、つい、体を動かしちゃったりしちゃうとか。


 よーちゃんの『大変』って、哀れんでるみたいにも聞こえたんだけど、それって私の解釈違い? 例えば。頭がおかしくて大変、だとか。だとしたら病気……、ってことになっちゃう。そんな風には、見えたりしてないのに。


 いったいナニモノなんだろう。松宮くんって。私の初めの印象なんて、もうどっか遠くに消し去った方がいい、こんなんなら。


 初めの印象、は、とっても良かったのに、どんどんそこから転げ落ちていくような感じになってて、最悪の場合は病人だなんて。私の人を見る目が腐ってくみたいじゃない、これじゃあ。


 もうわけわかんない、松宮隆一朗って。

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