第12話
「学食ねぇ、おいしいよ。購買のパンも種類あっていいし。この学校で食事に不満言ったらバチが当たる。学食、朝からやってるとこなんてないでしょ、普通」
「え。朝から」
「うん。モーニングセット。これもおいしいし」
「すごいね」
「すごいんだよねぇ」
それでも、さすがによーちゃんの事は覚えたんだった。平坂さんは覚えやすい。
こんな事、本人に言ったら二度と口をきいてもらえそうもないけど、背が低いから。きっと学年で一番くらい、ちっちゃいんだと思う。だから、さっきのコバヤシくんの態度が、ぐっとおかしかったって言うか。
だけどって言うのも変だけど、よーちゃんはいい感じの人だ。副委員長って言葉のイメージほどしっかりしてるみたいには見えないけど、着々としてる雰囲気がある。仕事はゆっくりでも確実そうだし、間違わなさそう。なんかきっぱりしてるし。
よーちゃんという女の子は、なんか、スゴイ。全然そんな風には見えないのに、立派な副委員長さんなんだ。そう言えば私、委員長さんに会っていない。誰なんだろう。まぁそんな、気になることでもないけど、私についてのこういう仕事、全部よーちゃんがやってていいんだろうか、よーちゃんは。
すったかすったかと早いペースで、人の間を断固として抜けながら、よーちゃんは各階の解説をしゃべり続けていた。おとといの松宮くんの説明と重なるけど、実はあまり記憶していないような気がするから、ちょうどいいかも。こうやってたたみかけてくれれば、いいかげん私も覚えると思うし。
ほんとは教室移動とか、できたらあんまりしたくなかったけど、どうしたって避けられないことなんだから、私は観念しなくちゃいけない。制服が違ったら、それは当然、みんな見るんだ。
慣れろって言うの、私は無理だと思うけど、だけど気にしないでいなくちゃ。だって、悪いことをしてるわけじゃない。そうだ。だいたい、みんなが見てるかなんて、そんなの本当に見られているかなんて、私は振り向いて確かめたわけじゃないんだから、考え過ぎかもしれないじゃない。そう思っちゃうのって、どう? きっと、見てなんかいないって、そう思っちゃうの、なんかいいんじゃない? それって。
やっぱり基本的なところで、私は逃避しがちだよね、とそう考えたところで、よーちゃんは階段を下りるのをやめて、廊下に進んだ。二階の表示が目に入る。
見たことがある風景だと思ったら、初日の前の日にお世話になった職員室だった。ドアのフレームとか、さすがに一般の教室とは違って造られている。
それに、さわやかな冷風。そうだ、クーラー。どこの学校でも、先生たちは特別扱いなんだな。って、それは当然か。
「ここで待っててね」
失礼しまーす、と誰にも聞こえないような声で言って、よーちゃんは中に入って見えなくなった。
ドアの前。いろんな人が出たり入ったりしてるけど、私はそこで一人になってほっとしてる。これって問題ある気持ちだよね。だけど私は、よーちゃんがいい子だって、案内してくれてありがとうって思ってるけど、そうじゃなくて、来たばっかりでそんなのまだ無理だってわかってるけど、副委員長と私じゃなくて、私は友達が欲しい。もっと、いろんなこと考えないで口に出せるような、気持ちが楽になるみたいな友達。
そんな希望が通るには日が浅すぎるって、私にだってちゃんとわかってるけど、やっぱりそう考えちゃうよ。だから転校なんてしたくないって、そう言うだけは言ってみたのに。
「葉月ちゃん」
声がしたのは窓の外。の方向。
窓にもたれて立っているのに、どうして後ろから声をかけられたりするんだ? 少々とはいえ、オカルティックなことを考えながら、私はびくびく振り向いた。
「驚かせた? ごめん」
なんて言葉だけ謝る松宮くんは、ベランダの鉄の柵に座ってる。驚くのはこっちだ。松宮くんの、現在の位置の方。なんで? なんでそんな危ない場所にわざわざ座ったりするの?
雪見ちゃんの言うとおり、スリルマニアだ、ホンモノの。突風でも吹いて、ちょっとあおられでもしたら、校庭に墜落だよ。だって。そんなことが楽しいらしい松宮くんは、楽しそうに笑いながら、自分の後ろを指差して、
「あそこ、放送室。裏の扉とベランダ抜けると、西階段に出れて、教室がめっちゃ近いよ。この校舎、基本的にカタカナのヨの形だからさ。何してんの。職員室前で」
「松宮くん、それ……」
私が気にしたのは、左手にぐるぐると巻かれた包帯だ。だってすごい迫力がある、真っ白さが眩しいってこのことだ、きっと。それじゃあ、まるでアナタ、
「自殺未遂のような巻かれ方をされちまいました。夏休み明けだし、なんか信憑性があるって言うの? 勉強行き詰まりの時期だし。もしも三年だったらの話だけど」
私が抱いた感想どおりのことを、松宮くんは言葉にしていた。ちょうどそんな場所
で、そんな巻かれ方をされているのだ。黙っていれば、松宮くんもほんとの優等生に見えるから、そんな繊細そうな人に見えて、周りを怯えさせることができるかも。
例えばバスとか電車の中で、善良な一般市民に恐怖を与えたり。
黙っていれば、だなんて、つくづく変な人になってしまった松宮くんは、私にはいったい何を軸にしたのかわかんない間に、妙な反動のつき方で窓を飛び越え、私の横に着地した。もうあんまり、さすがに心臓をどきどきさせたりはしなくなった。あきれる方が先って言うか、大きいって言うのか。
この人、文系みたいなのに、運動神経もいいのかも。朝の失敗は、……失敗なんだとして。
「葉月ちゃんは見たから知ってるだろうけど、ほんとはただのすり傷なんだよね。これはせんせーの嫌がらせ。傷口触るといけないからって。犬猫じゃないっつの」
嫌がらせ。
先生と生徒の間にしては、悪いイメージに寄っていない言い方をした。松宮くんは基本的に、先生たちといい関係らしい。初めの日の、――まだおとといのことだけど、職員室のことを思った。
一年生担当の先生は、なんて言ってた? 座敷わらし。悪魔くん。
そうだ。毒されんなよ、とも。なんだか、わからなくもなってきたような気がする。毒なんて悪すぎる言葉みたいに聞こえるけど、確かに。
でも、ほんとのとこ、大した怪我じゃなかったみたいでほっとした。さっきもあんな手を使う動き、なんでもなくしてたんだから、本当に大丈夫なんだ。痛かったら、少しはかばったりするはずだし。痛覚あるって言葉を、本物だとすればだけど。
「誰か待ってるとこ?」
「副委員長の、」
「よーちゃん。ああ、分割教室の鍵かー」
言いながら職員室に頭を突っ込み、その途端に、顔をしかめる。なに?
「げ。あの人、マシマに捕まっちゃってるよ」
マシマ?
「マシマの担当は日本史で、専門は奈良ね。好きなら選択取ると楽しいかも。すっげ偏った授業するから。葉月ちゃん、歴史好き?」
「まぁ、……うん」
「よーちゃんは嫌いなんだよ。めっちゃ嫌いなんだよなー。大丈夫かね」
私からは松宮くんの顔しか見えないから、よーちゃんに何が起きているのかはちっともわかんないんだけど、その彼の表情は、見ればなんかわかってしまいそうなほどだった。何か確実にまずいことになっているらしい。
すると、
「そいじゃ、葉月ちゃん。またいずれ」
すちゃっと軍隊みたいな敬礼をして、松宮くんは職員室に入っていった。
なにその……、マジメくさった顔は。
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