第11話
「おはよーう、葉月」
角を曲がったところで、月見ちゃんと雪見ちゃんに出くわした。挨拶は見事にダブルステレオ。これにもだいぶ慣れて、あまり驚かなくなった。双子というこの世の本物に、慣れたらしい。
「おはよう」
昨日の放課後、長いこと一緒にいただけのことはある。とか言っても、見分けがつくようになったとかそんなわけはないんだけど。二人とも今日は長い髪が三つ編みだ。私がやるとまるで幼稚園だというのに、やっぱり顔立ちの差って大きい。
「隆一朗が、なんか派手なことやったんだって?」
「あいつも、今ひとつ反射神経狂ってるよね。肝心なところで判断ミスをするって言うか」
「ただのスリルマニアでしょ。日常にスリルを求めると、ろくなことにならないのに。バカだね」
バカ。うん、まぁ、そう言っちゃってもいいかもしれない。
だけど、そう言ってしまう場合、私だってバカに含まれそう。あのすごい坂道の存在は知っていたんだし、自転車のスピードだって予測できたはずなんだから。
いやだけど。結果を正しく予測していても、私は断れなかったんだから。今考えたって、どうやって辞退したらいいのかわからない。
「巻き込まれちゃダメよ、葉月。あいつほんと、質悪いんだから」
「心底悪いよね。ほーんと。むてっぽーって言うか」
「坊ちゃんって、あーいうタイプだよね。すっげ強気で二階から飛び降りるよ、あいつも」
「それで怪我しても笑うんだ。つくづくバカ」
あっぱれなくらいの言いたい放題だった。ひどい。
だけど、二人の言うことはごもっともで、私もうなずけてしまう。だって、松宮くんはほんとに怪我をしても笑ってたんだよね。なんか印象が傾いてきた。あの人、ほんとは、さては変な人? って気もする。いいとか悪いとかじゃなくて、とんだ困った奴なのでは。
「あいて」
「どうした、月見」
「足になんか。――画鋲」
「と言うよりも、釘じゃない。これ」
月見ちゃんが足の裏から取り外し、雪見ちゃんの手に渡ったそれは、画鋲な形に縮められた釘だった。なんだか不器用そうな切り口で、それが手作りだってわかる。電ノコとかだと切れる? 釘も。
「踏めと言わんばかりに、短くされてる。見事」
「褒めるなよ。こんな無差別、調子に乗られちゃたまんない」
「足、大丈夫なの?」
「へーき。仕返しはする。なに、こんな手段を選ぶような奴、つきとめるのなんて簡単だから」
月見ちゃんはにやりなんて、自身ありそうに笑ってそう言った。
きっと、確実に犯人を追い詰めるに決まってて、私はその人にちょっとだけ同情して、すぐに思い直した。はじめに悪かったのは、そっちなんだから。
でも、何でこんな事をやったんだろ。釘を廊下に置いて、誰か踏んだらおもしろい? 一センチくらいだから、踏んでも大きな怪我にはならないけど、でも痛い思いはする。それが、なんか嬉しいんだろうか。その人には。わかんないけど。
わかるのは、月見ちゃんって言うのは、いちばん引っかけてはいけない相手だったんじゃないかって事。ユカイ犯の常識に沿って、どっかで覗いたりしているんだったら、早く現れて謝った方がいいと思う。
だけど犯人は姿を見せないで、チャイムが鳴って授業は始まってしまった。そこでふと、私は松宮君の事を思い出した。大丈夫だったかな。あの怪我は。
隣の席の女の子の名前は、牧原さんだった。牧原沙里。フルネームな名札が、ほんとにありがたい。刻み込んで、ちゃんと今度は忘れないようにしよう。
授業は着々と進んでいくけど、私は内容なんて、ちっともどうでも良かった。
だけど、座っていて普通な時間はほっとする。また休み時間になったら、私はいろんなことを考えなくちゃいけない。でも、ほっとしてる時間なんてほんとに短く終わっちゃって、すぐに休み時間がやってくる。半永久的に授業ってわけにいくわけもないけど。
「はーづきちゃん、次の時間なんだけどー」
チャイムの音がまだ続いている中、副委員長さんは一生懸命私の席に近付こうとしながら言っていた。間を阻んでいる男子を、かなり乱暴に押し退ける。そして彼から発せられた文句を聞きもせず、
「家庭科で被服室なんだ。移動だから、一緒に行こ。あ、なんにも持たなくていい。先生、プリント配るから、筆記用具だけで」
そう言う副委員長・よーちゃんは、ベストのポケットにシャーペンを挿していて、それだけで手ぶらだった。
それでいいのか。
「どうせ今日は大したことしないから。まだ短縮授業だし、せんせーしゃべるの大好きだから」
すとん、と――。
すとんって――。
「葉月ちゃん、大丈夫?!」
だ……。
「怪我は?」
「びっくりしただけ。たぶん、大丈夫」
たぶんもたぶんだけど、なんて思いながら答えていたけど、ほんとに大丈夫だった。とんだのは水だけだから。
落ち着いて見てみると、大したことじゃないのに、すごく驚いてしまった。言葉もないくらいに。
上から『何かが』落ちてきて、水槽の中に入って水が跳ねただけ。だよね。水だけ。ちょっと量は多くて、床に水溜りができるくらいだけど。
それでまだ心臓がどきどきしてる。だっていきなりだったから、すごく驚いたから。
「これかなぁ。この変な、ネジ? これ?」
「テレビ支えてるやつじゃない? ホラ。いっこ欠けてる」
よーちゃんはどうやら水しか入っていない水槽に手を突っ込んで、ネジに見えるものを探り出した。それを近くにいた男子がつまみ取って、天井から吊られているテレビ台を指差した。
「そんな高いとこ見えないけど、危ないってばないよ。コバヤシ、直しといて。あと、ここ掃除」
「オレがなんで?!」
「だってあんた、見えるんだもん」
まさしく何を食べたらそんなに伸びるんだろってとこまで、コバヤシくんは伸びているのだった。そのおっきな彼を、よーちゃんは挑むように見上げたまま、ちょっとも動かない。そして、コバヤシくんは負けた。先に目をそらしたのだ。
「わかった」
「お任せお任せ」
勝ちを充分意識した調子で歌うみたいに言って、よーちゃんは私の腕をとった。
「行こ、葉月ちゃん。教室移動、私たち」
そのままずんずんと廊下に向かう後ろで、コバヤシくんがなんかぶつぶつ言ってる。文句みたいに聞こえるけど、それよりもどこか、当然な事みたいな感じで。一度くるっと振り返ったよーちゃんにつられて私もそっちを見ると、……コバヤシくんも同じ方に首を回した。
何、やってるんだろう、これは。
「よー」
「なにー?」
前を行くよーちゃんが振り向いて初めて、私はそれが呼びかけだったとわかった。
『よー』。『ちゃん』すらも省略しちゃうのか。
教室の入り口から、背の高い美人が体を半分はみ出させている。なんかその容貌には似合わないだらりとした格好だけど、きれいな人は何をしてもきれいだとでも言うのか、これは。
ほんとにきれいで、通り越して怪しかった。ここで制服を着て学校にいるのが、変な感じに思える。だけどその雑誌モデルみたいな美人は、現役の高校生らしい言葉を口にした。
当たり前だ。
「お昼どうする? 今、購買行くけど、買ってくる? 食堂行く?」
「カギ、取ってこなくちゃなんないんだよ。今日は学食で食べよ。葉月ちゃんにルールの紹介もしたいんだ」
「おっけ。じゃ、後で。葉月ちゃんも」
誰だかわからないまま、私はうなずいていた。後で、わかるのかも。いや、わからなくちゃダメだって。だって、同じクラスの人でしょ? あの人も。
二日目とか言っても、私、全然覚えてない。まだ二日目、って言っていいんだろうかって気がする。もともと人の顔とか覚えるのは苦手な方で、名前とか文字なら早いんだけど、それは実際に人付き合いな面ではほとんど以上役立たずだ。さっき確認したはずのコバヤシくんの顔も、教室の前から席に着いたみんなを見たとすると、紛れちゃってきっとわかんないと思う。レベル低いままだな、私。
城くんとか柴田さんのこととかは、覚えても仕方ないわけだし。
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