第9話
「おはよー、葉月ちゃーん。いい天気だねー、今日もー」
やけに間延びした挨拶に振り向くと、やっぱり松宮くんだった。自転車を私の徒歩スピードに合わせてこいでいるために、話す方もそんなになってしまうらしい。
ハンドルに両肘を乗せて、かなりだれた姿勢でコントロールしている自転車は、もちろんふらふら揺れている。私は話しかけられて考えごとを中断したんだけど、なにを考えていたのか思い出せない。なにか頭が痛いような、だけどぼんやりかすんでるみたいな。とにかく全体的に変なことは確か。
まだ続いてる、こんな状態が。まだ、二日目だから仕方ないけど。いつ終わるって保証もないのがすごくイヤ。
「かばん入れる? 楽になるよ」
「そんなに、重くないから。まだ教科書もらってないし」
「あー、そうなんだ。不便だねー」
不便? そうでもないけど。かばんもその方が軽いし、これなら隣の席の女の子と話すきっかけになる。えぇと。髪の長い子で、確か名前は。
忘れてる……、としても。
「バスじゃないの? 松宮くんは」
「九月はまだ走れるからねー。ちょっとでも寒くなったら、すぐバスに換えてる。寒いのダメなんだよねー」
まるで冬がにくいと言わんばかりに、松宮くんは眉をしかめた。この分だと、ちょっとの度合いは、かなり小さそう。こういうところを見せられると、優等生ってイメージが負けちゃいそうになる。松宮くんは確固たる優等生だというのに。
「乗ってかない? 最後の坂道。マッハで降りるの気持ちいいぞう」
「えぇっ、いいよ」
「ほんとに気持ちいいんだよー」
と。
なんだか、私が乗らないのが悪いような気分になってきた。と言うよりも、後ろに乗らない限り、松宮くんは動くつもりがないみたいなのだ。
なんで私たち、どんどんみんなが横をすり抜けていく道で、こんな風に止まってるんだろう。変じゃない? これって。変だよね?
「じゃあ……、お願いします」
「ハイ」
そこに座ったその時に目が合った中学生の女の子の顔を見て、バカな私はやっと、これも引き続いて変だとわかった。あぁ。変だ、私は。
「行っきまーすっ」
松宮くんはそんな事考えたりしないわけ?! だって、これって、こんなのへ――、ちょっとーっ、それっくらい最後まで言わせてよっ。何、なにやってんのーっ?!
――「隆一朗?! 無事か? おいっ?」
そんな言葉を認識したけど、私は絶対正常じゃなかった。だってなんか、クルシイし、キモチワルイ。足が痛いような気もするけど、腰みたいな気もする。ほんとはどこが痛いのか、誰か私に教えてくれって気分。頼むから、本気で。
それでも、だんだんといろんなものが見えてきた。見えてるものが見えてきたと言うのか……、視界がクリアになっていく。
昨日と同じ高い空、れんがの校舎と、高級マンションみたいな窓枠。それから、女の子の制服のスカート。私とは違う、グレーの。集まってくる人達の足とか、その音とか。まだ車輪の回っている、転がった自転車、と、
「いっやー、物理をなめたらいかんよなーっ。怪我してないよね、葉月ちゃん」
――そうおっきな声を出しながら、松宮くんは起き上がった。その自転車の向こうで。きちんとしていたネクタイは捩れて曲がってるし、ズボンは砂をかぶって真っ白だし、靴もどっかにとばしたみたいで、片方がない。
ってことは、私も、かなり……、ひどい? ひょっとして。
「立てる? 痛いとこない? すりむいたとか」
靴なんてどうだっていいみたいで、松宮くんはその足のまま、自転車を跳び越えて、私の側に立った。こんな状況でまだ元気にそんなことを言うか、立ち直りが早いって言うか。
「葉月ちゃん?」
あ、はい。
私はやっとそこで自分に戻って、ほんとに急いで立ち上がった。見えるところしか点検できないけど、スカートは白くなってるけど、松宮くんには敵わないと思う。怪我、も特にはしていないみたいだし、後からあざとかに気付くかもしれないけど、とりあえず今のところは捻挫とかはないらしい。
ただちょっと、ぼんやりしているとこがあって、把握しきれてないとこがありそうだけど、呼吸もちゃんとできてるみたい。
私を見ている松宮くんを思い出して、それからさっきのが質問だったことも思い出した。え、と、とりあえず、無事なんだから、
「私は、だいじょうぶ。心臓、どきどきしてるけど」
「それは生きてる証拠だね。オレも。生きてて良かったー。マジでマッハだった、今。空飛ぶとこだったって、ほんと」
「瞬間、おまえは飛んでたぞ。女の子乗せて、何やってんだ? いったい。責任取れない事はするなよ、隆一朗」
「責任。はいはい、先輩」
その先輩はその返事にいやぁな顔をして、やれやれこいつはまったくもう、とかつぶやき続けながらも、自転車を起こしてくれた。その間に松宮くんは、きょろきょろと靴を探す。スカートをはたいていた私は、それに気がついて一緒に探そうと――
「たーかはし先輩っ、オレの靴とか知らない?」
「チャリ起こしてやっただけで大サービスなんだぞ、靴なんて自分で探し当てろ」
「冷たいなぁぁ。あれ誰かに拾われちゃって、僕がその方のシンデレラとかになっちゃったら一番悲しんじゃうくせに」
「なっっ、何を言い出すんだこのバカクソガキがっ。おまえだろ? おまえだな?! ゴカイ招く話題作ってんの」
「あ、聞いた? 先輩も聞いちゃった? 怖いでしょー。僕たちっ、お似合いなんだってー」
私はその会話にどうしても割って入れず、そんな場合じゃないのにそんなことしてる自分にいらいらして、アタマに血が上りそうだった。
上りそうって言うか、すでに大量にのぼってる。だけどしかし、問題は私の血ではなく、松宮くんのであって。そうだよ、血なんだよ? だって。
「ど。どしたの? 葉月ちゃん」
私の手は正しく対象物に届いて掴んでいた。振り向いた松宮くんの顔が、あんまり近すぎて驚いたけど、そんなことひるんでちゃいけない。
「怪我してるの、松宮くんはっ。ここ、腕っ」
「おぉ」
本気で気付いていなかったことに、まず私はあきれさせてもらっていいと思う。自覚していただけてほっとした私は、そんなことを思いながら、その派手に傷のついた腕から手を引いた。
患部は心臓よりも上に、なんてキホン的な教えを松宮くんも守る人みたいで、私が無理に設定した位置から下ろすようなことはしないまま傷を観察している。
タカハシ先輩は、さっきよりもずっと嫌そうな表情で、わざとらしいため息を、深く深ぁくつき、……校舎に向かって歩き出した。
なんだその態度は。
私は怒りはしないけど、なんか不可解な感じで、ちょっとだけだけど背中を追ってしまってた。怪我をした(重傷っぽい)後輩に対する先輩の態度って、それでいい? だって。
とは言え、私の態度も正しくはない。だけどハンカチとか思い付いたときには、松宮君の回りには、ざっと十枚はそんなものが差し出されていた。騒ぎに集まってきた人たちでできた輪の中からだ。女の子ばかり、見事だ。
「どうもー、お気持ちだけいただきますー。すでに拭くとかいうじょーたいじゃないんで、このままで保健室に行きますから。はい」
愛想の良い笑顔のご挨拶をみなさんに。だけどっ、そんな場合じゃないでしょう?!
私は叫んで首根っこ掴んで保健室を目指したかったけれど、そう動くよりも先に頭は考えてしまっていて、体は動かなかった。
血は赤い。そしてどんどこ出てくる。そして筋を作り流れる。保健室保健室。早く。助けを求める気持ちで周りを見回す。月見ちゃんも雪見ちゃんもいない。見たことのあるような顔の人もいない。誰か、誰でもいいけど、誰かに私がそう思っていることを話さないと、このままパニックに踏み込みそうだ。なのに誰も知っている人がいないなんて。
「そのままってわけにはいかないでしょ。ほらっ、ちゃんと腕上げて」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます