6-6 1枚の名刺

「悪いな、急に押しかけたりして」


 蒼汰はそう言いながら智章の家に上がる。蒼汰からの電話は、今から家に行ってもいいか、という用件のものだった。

 家に来る理由について訊いても、電話の中でははぐらかされてしまっていた。

 蒼汰がこの家に来るのは、バグを直してもらって日の夜以来だった。


「ううん、俺もちょうど蒼汰とは話したかったし」

「だよな。連絡もなかなか返せなくて悪かった」


 蒼汰には、昨日偶然彩人に会ったことも報告していた。ただ、返事もまばらだったため、蒼汰はそれに対して謝ったのだろう。


「しょうがないよ。蒼汰もいろいろ忙しいだろうし」

「まあな。今任されてるプロジェクトの山があったりで、ちょっとドタバタでさ」

「そっか」


 蒼汰が今のシステムの会社で、チームをまとめるポジションにいる話は聞いていた。それがどれほど大変な立場なのかは、それなりに分かっているつもりだった。

 ふと、蒼汰の手元を見て気づく。


「今日はお酒の持ち込みはなし?」

「まあ、今日は明日もあるしな」


 その言葉にどことなく歯切れの悪さを感じる。突然家に来たいと言い出した理由は、あまり楽しい理由ではないのかもしれない。いつになく、蒼汰の表情は堅かった。


「ゲーム作り、結構順調にいってんだろ?」


 その訊き方に、少し違和感を覚えた。


「もしかして、彩人から何か聞いてる?」

「まあな。実はさっきオレの方から連絡してさ、そしたら、あいつも手伝ってくれることになったんだな」

「なんだ。もう知ってたんだ」


 蒼汰に会ったら伝えたいと思っていた。

 あの頃のメンバーが、こうして4人まで揃ったのだ。

 あの頃を、もう一度やり直せる。そんな妄想のような話も、いよいよ夢物語でなくなってきた感覚があった。


「すげえな。彩人だけは絶対に無理かと思ってたわ」


 蒼汰はクッションを床に敷いて、それに座りながら言った。

 智章の興奮した気持ちとは反対に、蒼汰からの返事はどこかあっさりとしたものだった。それどころか、彩人が仲間に加わったことを残念に思っているかのようだ。

 蒼汰の態度に少しの違和感を覚えた、その時だった。


「なあ、なんでそんなゲーム作りにこだわるわけ?」


 不意に、真剣な声だった。

 どうして今蒼汰がそれほど真面目な態度でこんな質問をするのか、智章には理解できなかった。

 ただ、智章を見上げるその目は、はぐらかすことを許してはくれない。

 少し考えて、頭の中の言葉を素直に口にした。


「たぶん俺は、まだ夢を見ているんだと思う」

「夢?」


 俺が今もあのゲームを作りたいと思うのは――。

 智章の頭には、いくつもの理由が同時に浮かんだ。

 たとえば、ゲーム世界の存在と命の危機。

 たとえば、梨英や彩人と再会をして、忘れかけていた創る楽しさを思い出したこと。

 たとえば、大学の頃みたいに、もう一度5人で楽しく過ごしたいという願い。


「創るのが楽しくてしょうがなかったあの頃に、もしかしたら戻れるのかなって」


 それが、今の素直な気持ちだった。

 だが――。


「本気で、そう思ってんのか?」


 返ってきたのは、思いがけず冷たい声だった。


「え?」

「なんで急に家に来たいって言い出したか、気になってるよな」


 蒼汰に訊かれて、智章はゆっくりうなずいた。蒼汰が急に家に来ると言い出した、その理由はまだ分からない。


「そろそろ、詩月のことを訊かれると思ったんだ」


 それが蒼汰の明かした理由だった。

 驚いた。あまりにも完璧なタイミングだったから。


「時々、蒼汰には全部見透かされてるんじゃないかって思う時があるよ」

「そんなことないだろ。いまだに、智章のことは分からないことだらけだよ」


 蒼汰は冗談めかして肩をすくめる。智章はズレた話題を本題に戻した。


「詩月のこと、やっぱりなにか知ってるの?」


 わざわざこうして家まで来たのだ。やっぱりなにも知らないというわけがない。

 メンバーの中で、一番詩月と親しくしていたのが蒼汰だ。2人だけで話をしている場面を見ることも多く、付き合っているんじゃないかと噂をしたくなるほどの間柄だった。


「逆に訊くけどさ、智章はどれくらい詩月のことを知ってる?」


 逆質問。とっさに、頭の中に詩月の姿を思い浮かべる。


「えっと……。小説を読むのが好きで、時々自分でも書いたりする。少し身体が弱くて根っからのインドア。あと、俺たち5人全員でゲームを作ることに誰よりこだわってた」

「ま、部分点ってところだな」

「部分点って……。詩月は今どうしてるの?」


 まどろっこしい言い方に、思わず強い語気になった。だが、蒼汰の顔色は変わらない。


「オレからは言えない」

「なんで?」

「それは、そういう約束だから」


 いったい誰との約束だろう。それを訊こうかと躊躇っていると、蒼汰はスーツの中から名刺入れを取り出した。なんだろうと思った。このタイミングで蒼汰の名刺なんてもらったって。

 ただ、蒼汰がそこから取り出した名刺は、自身のものではなかった。


「これはお前が持っておけ」


 差し出された名刺を見る。

 その名刺は、とある大手出版社の男のものだった。


「えっと、これって……」

「詩月のことが知りたいなら、この人に連絡を取ったらいい。まあ、まだ会社を辞めてなければだけど」

「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでこんな出版社の人が……?」


 なんで詩月のことを知っているんだ?

 そんなの、まるで――。


「昔、詩月の担当編集だった人。詩月は元プロ作家だよ」


 なにも言葉が出なかった。

 詩月は誰よりも5人でゲームを作ることにこだわっていて、なにか意見を聞かれても、自分のことはいいからと、まるで主張をしない性格だった。

 これまで見てきた詩月の姿が、一気に崩れていく感覚があった。


「ずっと隠してたの?」

「悪い。だけどオレも本当に偶然知っただけなんだ。で、このことは誰にも言うなって」

「そう、なんだ……」


 もう、詩月のことが分からなかった。物語のプロだったはずの彼女が、いったいどんなことを思いながらゲーム作りに協力してくれていたのだろう。


(俺たちのやってたことなんて、プロからしたら子どもの遊びだよな)


「俺、プロを相手にすごい偉そうなことをしてたんだな」


 思わず苦笑が口から漏れた。


(プロ相手に話作りを語るとか、バカにもほどがあるだろ……)


 ゲーム制作における詩月はサブライターという立場で、ストーリーや世界観を考えてるのは智章が中心だった。時々、詩月相手に話作りのうんちくを垂れていたことも思い出して、途端に強い羞恥心に襲われた。


「しょうがないだろ。智章は知らなかったんだから」

「知らなかったからって、恥ずかしいのは変わらないよ」

「まあ気持ちは分かるけどさ。とりあえず、詩月はそんなこと気にしてなかったぜ」


 蒼汰の言葉はなんの慰めにもならなかった。詩月が気にしていなかったというのが仮に本当だったとして、身の程知らずな態度を取っていた事実は変わらない。

 智章は一度、はあ、と息を吐いて気持ちを切り替えた。


「この人に訊けば、詩月のことが分かるの?」


 改めて、渡された名刺に目を落とす。ずっと欲しくても手が届かなかった、出版社の人間の名刺がいま、手元にある。少しだけおかしな気分だった。


「ああ。あとのことはその人から聞いてくれ」


 蒼汰は立ち上がって荷物を整え始める。どうやら、もう話は終わりのようだ。


「ありがとう。教えてくれて」

「いや。ずっと隠してて悪かったな」


 それから少し言葉を交わすと、蒼汰は家を去っていった。バタン、と扉の閉まる音がして、それから家には静寂が広がる。2人だと狭く感じていたワンルームが、不意に広く感じられた。

 蒼汰がいなくなると、途端に頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 明らかになった事実の意味は、あまりにも重かった。


(ねえ、詩月。俺たちのこと、本当はどう思ってたの?)


 なんで俺たちのゲーム作りに協力してくれたんだろう。サブライターという立場に何も言わなかったのは、プロとしての余裕からだったのかな? まるで、子どもの遊びを見守る保護者みたいな気持ちだったのかな。

 そんな疑問が次から次へ浮かんで、智章の頭の中を埋め尽くしていく。


「俺だって、プロになりたかったよ」


 この一枚の名刺は、やっと手に入れた詩月へとつながる情報だ。だが、出版社の名前が記されたその名刺は、智章にとって単なる手がかり以上の意味を持った。

 この出版社が主催する賞に応募したこともあった。だが、まるでかすりもしなかったことは覚えている。

 ははは、と乾いた笑いが溢れ出た。それからしばらくの間、壁に額を当てて思考を整理する。

 そうだ、今はじっとしているわけにはいかない。


「小田倉、隆文……」


 名刺に記されたその名前をつぶやく。

 それから恐る恐る、名前の下にある携帯番号へと電話をかけた。数コールほど待って、ついに「はい」と穏やかな男性の声が応えた。


「あの、突然すみません……」


 智章はそれから丁寧に名乗り、詩月について話をした。小田倉は少しの驚いたが、それからすぐに智章の話に耳を傾けた。そして、しばらくの会話の末、翌日のアポイントを取り付けることに成功すると、そこで電話を切った。


(明日、詩月の本当を知れるんだ……)


 不安と期待が入り混じったような不思議な感覚。そんな気分だった。

 ふとその時、電話を終えて手に持ったままのスマートフォンが震えた。

 見ると、それは彩人からのLINEだった。届いた通知は2つ。1つ目はなにか画像データで、2つ目はメッセージだった。


『描けた。まだラフだけど、もうこれでいくから』


 慌てて中のトーク画面を開くと、まさに思い描いたままのアインスの素顔があった。

 今夜の転生に向けて、ついに準備が整いつつあった。



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小説の続き(ゲーム世界の物語)は、こちらをプレイしてご確認ください。

7日目の物語は、再びゲーム世界から目を覚ました後にご覧ただくことを推奨します。

https://amano-holiday.com/novelproject/index.html

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