6-5 ラフとオタク

 仕事を終えて会社を出ると、智章はそのままの足で再び彩人の家へ訪れていた。

 彩人から届いた連絡の中に、細かい特に用件は書かれていなかった。智章は、彩人の家まで来て、初めて呼び出された理由を知った。


「おお、マジか……! 仕事早すぎるよ!」


 彩人の家に上がるとすぐに、少しの雑談もなくパソコンのモニターを見せられた。そこに映し出されていたのは、いくつかのアインスの顔のラフだった。


「とりあえず、ざっと描いただけだけどな。いろいろと忘れてたから、ちょっとまだ微妙だし」

「いやいや! 最高だよ、本当に」


 アインスのラフは着色こそされていないが、パターンごとの雰囲気は伝わってくる。気が強そうな表情や女性らしい雰囲気、それに騎士風のショートカットや本当に様々なタイプが描かれている。そのどれもが、魅力的だった。


「まあ、まだただのラフだけどな」

「いやいや、十分だよ!」


 当然、このラフの中にはアインスというキャラのイメージから乖離しているイラストもある。だが、アインスの素顔について想像を膨らませるには十分すぎる資料だった。


「やめろよ。全然イメージと違うのは俺でも分かってる」

「それでもだよ。彩人がまた描こうとしてくれただけで嬉しいし」


 昼間には、彩人にもう一度アインスの絵を描いてもらうための説得を試みた。だが、その説得が上手くいくなんて、別に期待をしていたわけではない。


「けど、なんでまた描いてくれようと思ったの?」

「それは……。ただムカついたんだよ、クライアントにも、お前にも。それと、今の自分にも」


 彩人らしい理由だと思った。

 それから、彩人は少し照れたように目をそらして続ける。


「それと、やっぱりこのままにしておきたくなかったっていうか……」

「うん?」

「やっぱり、アインスとクラウスが好きだ!」


 突然、彩人が大きな声を出した。

 大きさというより、そもそもテンションが違った。


「お、おう」

「久しぶりに設定見返したけど、マジで性癖過ぎるんだけど。なんだよ、あれ。クラウスはいつまでも昔の女引きずってるし、アインスの方もそれを受け入れてるし、ヤキモキしてしょうがない。アインスの報われない感じとか、クラウスの頭は良いのにどうしょうもない不器用さとか、もう全部最高なんだよ」


 彩人は早口でしゃべり続ける。昨日、ファミレスで久しぶりに話をした彩人とはもはや別人だった。


(キャラの話になるとスイッチ入るの、やっぱオタクだよなぁ)


「嬉しいよ。そう言ってくれると」

「言っとくけど、アインスの設定は俺だって絡んでるんだからな? あの2人の関係性には、俺の趣味のすべてを詰め込んだんだから」


 実際、あの牧場での物語を考える時、彩人の協力は不可欠だった。そもそもアインスは彩人が考案したキャラで、クラウスの設定こそ智章が作ったが、2人の関係性には彩人の意見が色濃く反映されている。

 牧場の物語はプロットが固まる前に解散になってしまったが、それでも物語の方向性が見えているのは、あの2人のキャラがしっかりと固まっているからだ。


「やっぱり、彩人はそれでこそだね」

「うるせえ。俺はただ、ずっと放置してた自分が赦せなかっただけだ」


 それでも嬉しかった。

 ゲーム作りのことや、彩人がプロの道に進んだこと。それらのことを置いておいても、変わってしまったと思った友人の知っている姿を見られたことが、たまらなく嬉しかった。


「散々楽しくもない絵を描いてきたんだし、たまには趣味全開で描いたっていいよな?」


 彩人は、モニターに映ったアインスのラフたちを、少し細めた目で見つめていた。

 その目の奥にどんな感情が込められているのか、智章には想像することしかできなかった。


「うん。絶対彩人はそれがいい」


 心から、智章はそう思った。

 自分の言葉がたとえお節介や押し付けだとしても、彩人にはその情熱のままにペンを動かして欲しかった。


「悪かったな」


 突然、彩人が謝罪を口にした。


「え?」

「昨日、言ったよな? 金にもならない。それどころか、誰もプレイしてくれない。そんなものを作ってなにになるんだって」


 その言葉なら覚えている。

 最後に絵を描いてくれるように頼んだ時、彩人はそんな言葉で断ったのだった。それは、ただ断られた以上に、智章の胸を抉っていた。

 果たして、そんな自己満足の創作に意味はあるのか、と。

 だけど――。


「だけどさ、それでも作りたいものがあるって、俺は最高に幸せなことだと思う」


 なんだろう。

 単純な言葉以上に、なにか大きな意味で赦されたような感覚がした。こんな何者でもない自分が、これからも何かを創っていいんだろうか。

 なにか言葉を彩人に伝えたかった。

 けれど、それが感謝なのか謝罪なのか分からずに、なにも言葉が浮かんでこない。


「なんだよ、なんか言えよ」

「ごめん。なんかちょっと頭がまとまらなくて」

「まあいいけどさ」


 言いながら、彩人は椅子を立った。


「絵はできたらデータ送るから、いったん帰っとけ。明日も普通に仕事だろ?」

「ありがとう。俺、彩人のことすごくカッコいいって思うよ」


 智章が言うと、彩人は「うげえ」と言うような顔を作った。


「なんだよ急に、嘘くさい」

「そう言わないでよ、本当に思ってるんだから。俺は最初から諦めた人間だしさ」


 彩人は小さく、ふっと笑った。


「まあ慰めくらいに受け取っとく。いいからさっさと帰れよ」


 彩人から追い立てられて家の玄関まで向かう。家を追い出されるのは昼間と似たような状況だが、その時とはまるで気持ちが違っていた。

 ふと、確認しておきたいことを思い出して足を止めた。


「そういえばさ、詩月について何か知ってたりする?」

「俺が知るわけないだろ。山口のことなら蒼汰にでも訊いてみろよ」

「だよね。そうする」


 彩人が力を貸してくれた今、残りの気がかかりは詩月ひとりだけだ。ただ、そのあと一人が鬼門だった。

 智章は、「あと」と言葉を続ける。


「依頼料は今度会う時に渡すから」

「やめろよ、別にいらねえ」

「俺が払いたいんだよ。そういうところはキッチリしたいし」


 絵師への依頼料というのは、しばしばSNSで炎上するネタになる。特に、知り合いだからという理由で厚かましい依頼をする人間にはなりたくなかった。

 だが、彩人の態度は変わらない。


「まあ、新規の受注ならもらうけどさ。本来なら俺がもっと昔に描いておくべき案件だったんだし」

「けど……」

「昨日は飲めなかったから次は酒な。で、その時奢ってくれたらそれでいい」


 智章は「うん」とうなずいて、それから彩人の家を去った。


(これで、本当に詩月だけだな……)


 誰よりも5人全員でゲームを作ることにこだわった同期のことを思い出す。それから、ゲームの世界で出会ったアノマリアというキャラクターのことを。

 本物の彼女は、今どこにいるのか。


(あるいは、詩月はもう――)


 そんなことを考えた瞬断だった。

 ポケットの中でスマートフォンが震えるのを感じて、急いでそれを取り出す。そこに表示された名前を見た。

 まるで見計らったかのように、着信の相手は蒼汰だった。

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