4-4 乗り込め、東京開発不動産!!
激動の土日を終えて、再び月曜日が始まった。ただでさえあっという間の休日なのに、今週は特に一瞬で過ぎ去ったように思う。
月曜日の朝の憂鬱は、社会人生活が5年目に突入した今でも変わらない。
ただ今日の朝だけは、少しだけ事情が違っていた。
「なんだか、今日は少し顔色がいい?」
テーブルを挟んで向かいに座る円香が、智章の顔を覗くようにして不意に訊いてきた。
顔が近くなって、思わずドキリとした。
「え、そんなに変わってる?」
「うん。先週とか、すごく疲れてそうだったし」
円香とは、仕事の打ち合わせのためにとあるチェーンのカフェに来ていた。
この日は夕方から、円香と2人で営業をかけている、東京開発不動産との商談があった。訪問での商談のため、本社がある飯田橋駅の近くのカフェで円香とは合流していた。
円香の指摘した顔色の変化には理由がある。
「実は昨日、久しぶりにぐっすり眠れたんだ」
昨日の夜、初めて転生することなくひと晩が過ぎた。夢を見ることもないほどの深い眠りに落ちたおかげか、朝から久しぶりに脳がすっきりとした感覚だった。
大事な商談に臨む前のコンディションとしては悪くない。
「そうなんだ。心配してたからよかった」
「ご心配おかけしました」
これで心配がなくなったわけではないが、少しは気持ちも軽くなった。
詩月と会えなかったこと、そして、ゲームの世界に行かないで一晩が過ぎたこと。この2つの出来事が、ここ最近の仕事に身が入らない気持ちに変化を与えていた。
「時間もないし、仕事の話しようか」
そう言って円香は、テーブルの2つのブレンドコーヒーをどかして、カバンから取り出した資料を置いた。
今日の商談相手は担当者レベルだが、上役まで報告をしてもらえるように話はついている。気の抜けない商談になることは間違いない。
「うん。そうしよう」
円香がテーブルに置いたのは、先週末に見た営業資料の改良版だ。事前にデータで受け取っているが、ますます隙のない完璧な資料に進化していた。
「これ、見てくれた? 今日の昼に送ったやつだけど」
「大丈夫、確認してる」
「良かった。一つ相談したいことがあるんだけど……」
言いながら、円香は資料をめくっていく。おそらくこの後来るだろう相談の答えは、すでに用意してあった。
「このカスタマイズ案、プロダクトチームに確認してるんだけどまだ返答がなくて。甲斐くんはいけると思う?」
「大丈夫。前に担当した案件で似た事例を見たことあるし」
「本当?」
どこか嬉しそうな声で円香は言った。意外な反応の良さに智章は少し驚いた。
「うん、まあ……。一応、業界と導入目的別の事例はすぐに出せるようにまとめてるから、どんな展開になっても、たぶんフォローできると思う」
「じゃあ、そこは任せちゃってもいい? 私は達成できることを話していくから、細かい裏付け的なところはお願いしたいかな」
「もちろん」
セールスエンジニアが営業に同行する目的は、営業が広げた風呂敷を技術的視点も含めて綺麗に畳むためだ。
役割分担が曖昧な分、しっかりと連携することが重要になってくる。これまでも何人かの営業と商談に臨んできたが、円香との打ち合わせはとりわけスムーズに進んでいくのを感じていた。
「でもちょっと驚いた。こんなに資料を読み込んできてくれると思わなかったから」
円香は言葉の通り、どこか驚いた様子で言った。
「俺がちゃんと準備してるのが、そんなに意外だった?」
「あ、ごめん。そういうわけじゃないんだけど……。だけど、うん。ちょっと意外だったかも」
「いいよ、自覚はしてるから」
別にこれまでも怠慢な仕事をしていたわけではない。ただ、昨日と今日で、自分の中で大きく意識が変わっているのを感じていた。
(きっと、やるしかないんだ)
誰もが前に進んでいる。昨日、そんな事実を痛感してしまった。
だとしたら、自分も前に進むしかない。幸い、この東京開発不動産という案件は、前に進むためにはうってつけだ。
「心境の変化って言うのかな。俺も頑張るしかないのかなって」
事情がつかめない円香は、小さく首をかしげる。
話がおかしくなるのを感じて、智章は強引に話の軌道を修正する。
「だから、うん。きっと上手くいくよ」
きっと、前に進むしかないんだろう。
昔に戻れないと言うなら、せめて今を頑張るしかない。一見前向きなこの感覚は、少しだけ諦めに似ている気がした。
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