第41話 でも、ありがとう

「あいつが、ロンディーネをどこかに連れて行ってしまうって、そう思ったから。ロンディーネ、すごく困ってたよね?だから、あの人にもうロンディーネを困らせないようにお願いしに行ったんだ」

 トレンタが言うには、あの医者は店を出てからしばらく、建物の裏で煙草をふかしていたらしい。目的はわからないが、トレンタは医者がまだいることに気付き、相手を説得するためにこっそりと外へ出たそうだ。

(わざわざ、厨房からナイフを持ち出して?)

 ロンディーネはそう尋ねかけて、やめた。何かあった時に身を守る為だったのだと、そう自分に言い聞かせて。

「私に言ってくれたら良かったのに、まだあいつが店のそばにいるよって」

 ロンディーネの問いかけに、トレンタは俯きながら、小さな声で "ごめんなさい" と言った。

「謝るほどのことじゃないわ」

 ロンディーネはそう言って、トレンタの頭を優しく撫でた。

「それとね、私が言えた事じゃ無いかもしれないけど…、殺しちゃだめ。相手がどんなにクズでも。相手のためじゃなくて、あなた自身のために。言ってる意味、わかる?」

 ロンディーネはそう問いかけながら、トレンタの顔を覗き込んだ。トレンタは少し考え込むように下を向いたが、すぐに首を横に振った。

「そう、それならそれでもいいわ。それじゃあ、今はどんな気持ち?」

 出来る限り穏やかに、包み込むような口調でロンディーネはトレンタに問い掛けた。

「今は…、まだ怖い。あいつを刺してすぐ、刺したのは自分なのに、すごく痛くて、すごく怖かった。今は痛くないけど、怖い気持ちは消えてない」

 言葉がこぼれ落ちる様にぽつぽつと、トレンタは言った。

「そう言うこと。人を殺すってね、殺す方にとってもとても怖い事なの。今日のことは、あなたの心にずっと残り続けるかも知れない。だから、もう二度としてはだめよ」

 ロンディーネの言葉に、トレンタは小さく頷いた。

「分かってくれたならいいわ。でも、ありがとう」

 ロンディーネはトレンタの背中にそっと手をまわし、彼の身体にこびりついた忌まわしい何かを削ぎ落とすように、ゆっくりと撫でた。

 ありがとう、その言葉は、ロンディーネの素直な気持ちだった。ただ、彼女のその素直な感情がトレンタの心にどんな形で染み入っていったのか、このときのロンディーネには分からなかった。

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