第39話 始末の依頼
今にも大量の雨粒を降らせそうな、不安と恐怖の入り交じった視線を、トレンタはロンディーネの方へ向けていた。
手に握られたナイフに、今しがた付着したばかりの鮮血が纏わりつき、そして鋭利な切っ先にそのいくらかが溜まると、やがてぽたりと地面に落ちた。
ロンディーネはトレンタのもとへ駆け寄ると、爪が食い込むほどに強くその両腕を掴み、声を上げた。
「なんて事したの!」
心のそこから、怒りとも哀しみともつかない言葉を吐いたのは、久しぶりだった。
酔っ払い相手に声を荒げることは何度もあるけれど、そんなときは大抵、心は冷めたままでいる。だが、今は違う。
上手く名付けることは出来ないが、敢えて表現するなら後悔に近いかもしれない。怒りも、混じっていないとは言えない。
自分も人殺しを生業にしているくせに、いや、だからこそ、その業の深さは理解している。そしてそんな世界から、トレンタを出来る限り引き離しておきたかった。
そう思い、願い、努めていたロンディーネは、目の前の光景に全てを打ち砕かれたような気がして、ただ、声を上げることしか出来なかった。
ボトリ、と、トレンタの握っていたナイフが地面に落ちた。その音に我に返ったロンディーネは、子犬のように震えるトレンタに気付いた。
「…、とりあえず、中に入ってなさい」
乱れる心を無理やり抑え込むと、ロンディーネは何とかその言葉だけをトレンタに伝えた。トレンタは小さく頷くと、蒼い顔のまま逃げ込むように店の中へ戻っていった。
トレンタが店の中へ消えていったのを見届けると、ロンディーネは改めて医者の死体と向き合った。
よく見れば、心臓を一突きにされた死体は、刺されたあともしばらく息があったようで、骨張った両手で胸辺りを押さえていた。
そんな無惨なモノを前にして、ロンディーネはただじっとしていた。いつもなら順序よく次の行動を計画し、動き出せる筈なのに、今日ばかりは頭の中が一向に整理されず、その場に意味もなく佇むばかりだった。
(これじゃダメ、あいつに頼むしかないか)
ロンディーネはエプロンのポケットに入れていた携帯電話を取り出すと、なぜか電話帳の一番先頭に登録していた番号に電話をかけた。
ズィオがロンディーネのもとへ到着したのは、それから十数分ほど経った頃だった。ズィオが偶々マリオットに居たのは僥倖だったが、彼を待つたった十数分がロンディーネには無限の時間に感じられた。
店の前に車を停めてきたであろうズィオが、建物を回り込んで店の裏までやって来た。そして目の前の状況をざっと見渡し、少し首を傾げるようにしながら、ロンディーネのもとへやって来た。
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