第34話 ここに置いてやろう
ロンディーネは、目の前で震えながらこちらを見上げる少年を、こちらも呆気にとられたまま見つめていた。
大声で威嚇されたせいか、それとも寒さのせいなのか、少年はただただ小さく震えながら、怯えた目でロンディーネの事を探るように見ていた。
意外すぎる浮浪者の正体に、ロンディーネは何故だか毒気を抜かれたような気持ちになり、気が付けばその濡れそぼった幼いどぶねずみに、自分の細い手を差し出していた。
「おいで」
そう言って手を伸ばすロンディーネに、少年の痩せこけた掌が重ねられた。ロンディーネがぐいと少年を引っ張ると、相手はそれに合わせるように立ち上がった。
それほど力の強いわけではないロンディーネですら軽々と持ち上げられるほど、少年の身体は軽かった。まるで綿か空気の入った紙袋のように。
「とりあえず、なかには入りなさい。温かい飲み物でも用意するから」
ロンディーネは少年の手を引いて、店の中へ戻った。
「ちょっとここで待ってて」
ロンディーネは少年を厨房の脇にある椅子に座らせると、ホールで酔いつぶれている若者達を店の外に叩き出してから、戻って来た。
そして厨房の壁に打ち付けられた棚に置かれたココアの缶を手に取ったが、明らかに空っぽとわかるその軽さに苦い顔をした。
「ココア切らしてるみたい。悪いけどコーヒーでいい?ミルクと砂糖たっぷり入れてあげる」
ロンディーネの言葉に、少年は弱々しく頷いた。ロンディーネはケトルでお湯を沸かす傍ら、両足を椅子に乗せて丸く縮こまるような姿勢を取る少年を観察した。
(どこから見てもストリートチルドレンてところね。服だって着のみ着のまま、いつ洗濯したのかもわからない感じだし)
その服すら、今は雨が滴り落ちるほど濡れている。今すぐシャワーを浴びさせて、服だって着替えさせてやりたいところだが、生憎子どもが着られるようなものはこの家にはない。
今は温かい飲み物で、少しでも身体を温めてやるくらいしか、してやれることは無さそうだ。
ロンディーネがお湯の沸くのを待ちわびていると、古びた木製の階段をギシギシとたわませながら、2階からロンディーネの夫である店の主人が姿を表した。
パジャマ姿のまま、見るからに体調の悪そうな土気色の顔を付き出すようにして、彼はロンディーネに視線を向けた。
「何かあったのか?色々と、声やら物音が聞こえて来たんだが…」
「酔いつぶれてた客を追い返したから、それじゃない?」
そう答えたロンディーネに、主人も、あぁ、と納得したように小さく頷いた。首を動かす姿に力がなく、主人の体調が思わしくないことがその動作だけでありありと看て取れた。
ふと、主人の視線が隅の方で小さくなっている少年に向けられた。
「その子は?」
弱々しく、最低限の言葉でそう尋ねた主人に、ロンディーネはさっきその少年が店の裏でゴミを漁っていたことと、それを見かねて店に入れ、今はコーヒーの準備をしていることを伝えた。
主人の用心深い性格からして、正直、子どもとはいえ浮浪者を家に招き入れるなんてロクなことにならないと言われるのではないかと、ロンディーネは内心不安に思っていた。
ところが、主人から出てきた言葉は意外なものだった。
「しばらく置いといてやればいい。いつまでかは、後で考えよう」
思いもよらない主人の言葉に、ロンディーネは思わず、いいの?と問い返していた。
「放り出すのも気が咎めるだろ。とりあえず、今は置いてやろう。着替えは、俺ので良ければ使わせてやれ」
そう言うと、主人はよろよろした足取りで再び階段を昇って、自分の部屋へと戻って行った。
意外な答えに困惑しながらも、ロンディーネはケトルが沸騰を知らせる音に我に返ると、ガスを止めた。
それから、あの濡れそぼった少年の方へ目を向けると、彼は今までの会話が聞こえていたようで、相変わらず蒼白い顔を見せてはいたけれど、その表情は微かな安堵の色合いを帯びていた。
「あの人が良いって言ったし、しばらくはここに居ていいわ。いつまでかはわからないけど」
ロンディーネがそう言うと、少年は出会って初めての笑顔を見せた。やつれた顔を補って余りあるような魅力的な笑顔が、妙にロンディーネの心に焼き付いた。
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