第18話 或る夫婦の日々

 ダニーボーイとの日々は、ヘイリーからダニーへの、親子の時間というプレゼントだった。


 もちろん、父親としてダニーボーイと接することは出来ないけれど、父親代わりとしてダニーボーイの面倒を見てやることは出来る。


 サッカーの練習への送り迎えも、試合の観戦も、時には食事や寝る前の本の読み聞かせまでやった。周りにいるCIの連中は呆れた目でダニーを見ていたし、バカにする奴もいたが、何も気にならなかった。


 そんな日々の傍らで、ダニーはCIの人間も気づかないところでヘイリーと会っていた。だがそれは、仲睦まじい夫婦の時間などという甘ったるいものではなかった。


 ヘイリーは既に、CIという組織の限界を感じ取っていた。他のセルツランド派組織が次々解散し、ブリタニカとセルツランドの関係も落ち着きを見せる中で、テロ活動頼みで組織を維持していくのは無理筋であるとわかっていたのだ。


 とはいえ、CIの中にはテロ活動の継続の継続を叫ぶ強硬派も依然として存在していた。彼らを満足させつつ、ブリタニカ当局との和解の道筋をつける道を、ヘイリーは探っていた。


 そんな彼女にとって、ダニーはこれ以上ないパートナーだった。


「ねぇ、次の標的だけど、この工場で問題ない?周りの人にも出来るだけ被害が無いようにしたいんだけど」


「あぁ、大丈夫。問題無いよ。隣接してる家屋は道路で四メートル程度隔てられてる、工場の建屋は分厚いコンクリートの壁だから、爆発物の威力を調整すれば被害は出ない。この工場は軍事転用できる製品を制作してるから、休業日に建屋内部の機械装置を破壊するだけでもそれなりのメッセージにはなるし、人的被害も無いはずだ」


 人を傷つけず、一方でテロ組織としての体面を保つことで、リーダーの求心力を維持する。これが、この頃の二人のもっぱらの活動だった。


 そして、いずれ来る当局との和解と組織の解散を目標に、二人は手を取り合って動いていた。


 ダニーは必要に応じて、ヘイリーに情報機関側の動向を流し、ヘイリーはそれをもとに当局の裏をかいて爆弾テロを成功させる。もちろん、人的被害は極力出さず、物的被害も最小限に抑えた。


 この頃、CIの中にはヘイリーを通さずに独自にテロ活動に走ろうとする構成員もいたが、ダニーはそういう連中の情報は速やかに情報機関に流したし、遠慮なく警察に逮捕させた。


 尚且つ、CI内部で当局との和解に興味を示す穏健なグループの情報も積極的に提供し、和解と解散というソフトランディングへ向けての地ならしを行った。


「もしCIが解散して、色々片付いても、多分私や何人かのメンバーは逮捕されるんでしょうね」


 ぽつりと、ヘイリーがそんなことを呟いた。ダニーは何も返す言葉が見つからなかった。


 ヘイリーの言う通り、如何に当局に協力的な姿勢を取り、平和裏にCIを解散させたとしても、リーダーであるヘイリーがなんの罪にも問われないというわけにはいかないだろう。


「俺も精一杯掛け合ってみる。仮に収監されたとしても、少しでも早く出てこられるように動いてみるよ」


 ダニーが自信を持って言えるのは、そこまでだった。


「ありがとう。でも大丈夫、それは仕方のないことだって、覚悟は出来てるから」


 ウイスキーの入ったグラスを傾けながら、ヘイリーはダニーの方へ寄り添うように身体を傾けた。


「私ね、目の前で人が殺し合うのを見たことがあるの。一方は警官で、一方はCIの人間。顔なじみの近所のおじいちゃんもいたなぁ」


 昔を思い出すような遠い目をしながら、ヘイリーはグラスを口につけた。


「警察が人の家に踏み込んできて、子供の目の前で銃を向けながらおじいちゃんや他の男たちを連れて行こうとするから、怒ったCIの若い奴が発砲して、それで大混乱。私は怖くて机の中に隠れてたけど、いつの間にか応援の警官が何人も加わって、結局みんな捕まったり、殺されたりした」


 おじいちゃんは殺された方に入ってた、と、ヘイリーは悲し気に言った。


「あんなのをもう一度見るくらいなら、ダニー坊やに見せるくらいなら、私は捕まって牢屋に入れられた方がまだマシ」


 感傷を振り払うように、ヘイリーは視線を真っすぐにダニーへ向けた。


「だからお願い、最後までやり抜こう。そしてもし全て終わって、私が牢屋に入ることになった時には、ダニー坊やのことをお願い」


 決意に溢れた力強い視線とは裏腹に、ヘイリーの言葉は震え、目にはうっすらと涙が光っていた。


「大丈夫、いつまでも待つよ。ダニーボーイと二人で」


 ダニーはグラスを持つヘイリーの手を自分の両手で包み込むように握った。ヘイリーは少し安心した顔をして、グラスをテーブルに置くと、ダニーの手を握り返した。


 ヘイリーの言うとおり、もうすぐで全てが決着するところまで来ていた。あと一ヶ月、いや、二週間もあれば、ヘイリーの望む決着への道筋をつけることが出来る。


 情報機関をはじめとした当局の関係者と、ヘイリーを含むCIの穏健派グループとの秘密裡の会談の準備は着々と進んでいた。


「俺はダニーボーイが待ってるから、そろそろ戻るけど、まだ帰れないのか?」


 ダニーは時計に目をやりながらヘイリーに尋ねた。


「うん、まだ確認しておきたいことがあるから、明日はサッカーの練習よね?」


「そうだな、試合が今週末だし。見に来れそうか?」


「どうかな、努力はするけど・・・」


 気まずそうに笑うヘイリーの肩を擦りながら、来れたらで良いよとダニーは言った。


「私だって、坊やの頑張ってる姿は見たいんだからね」


「わかってるよ、ダニーボーイだって分かってる」


 だから何も心配いらない。ダニーはそう言って、ヘイリーの額にキスをし、そしてさよならと手を振った。寂しそうに手を振り返すヘイリーの姿が、ダニーが最後に見た彼女の姿だった。


 もう少し長くあの場にいれば。その後悔が、ダニーをどこまでも苦しめ続ける事になるとは、この時のダニーには知る由もなかった。

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