第11話 動き出すアルバ

 アルバがダニーのもとを訪れてから一週間がたった。あれ以来、アルバの方から何かコンタクトがあるでもなく、ダニーはそれまで通りオルブライトの情報を粛々と情報機関に渡すことに終始していた。


 もちろん、情報機関側の動静をオルブライトに伝えることも忘れなかった。ただこれもいつも通りのことだった。


 殺し屋という変数の登場に対して多少緊張感が増したことを除けば、通常の仕事をこなすだけの日々だった。


 なんだか肩透かしを食らった時間を過ごしていたある時、ダニーのスマートフォンに見慣れない番号からの着信があった。


 数秒ほど、番号の表示された画面を見ていたダニーは、その番号があの殺し屋から渡されたものであることを思い出した。


 身体の中から言葉にならない嫌な感覚が湧き上がってきた。理屈では説明出来ない、良くないことが起こりそうな予兆とでも言おうか、そんな感覚だった。


 それでも、電話に出ないわけにもいかないので、ダニーは相手からのコールに応じた。


『ようやく出たか』


 電話の向こう側から、愛想のない冷め切った声が耳に届いた。


「悪かった。一瞬、誰だって思ったもんでな。久しぶりじゃないか」


 余裕のある態度を崩さないようにしながら、ダニーはアルバにそう返事をした。


『俺からの電話だとわかって、出るのを躊躇ったわけじゃないのか』


 図星を突く言葉を返されたが、ダニーは隙を見せまいと冗談めかしてこう言った。


「当たりだよ、あんたと話すとどうも緊張するんでね、つい電話に出るのを躊躇った。悪い悪い」


 少しでも慌てたり、狼狽える素振りを見せれば、この男はそれを取っ掛かりに自分を突き崩してくるような気がしてならなかった。


「あんたから連絡してくるってことは、情報機関の方針が決まったのか」


 こういうときは自分から話題を振って、相手に会話の主導権を握らせないようにしなければならない。ダニーは続けざまにアルバにそう問うた。


『情報機関はダニエル・オルブライトを殺害することにしたようだ。つい今しがた、俺に実行するよう指示があった。ついては今後一週間のオルブライトの予定を探ってくれ、実行する日時の判断材料にする。一週間が難しければ二、三日で構わない。それと、もし予定に変更が発生しそうであればそれも逐一教えてほしい。以上だ』


 アルバは捲し立てるように一気にそう話すと、電話を切ろうとした。


「おい、ちょっと待ってくれ」


 ダニーは一方的に言いたいことだけを言い、通話からフェイドアウトしようとするアルバを、慌てて呼び止めた。


「情報機関が殺害するよう指示を出したのは確かなのか」


『確かだ、でなければ俺は動かない』


 電話の向こうから、色の無い声が返って来た。


「何が殺害すべき”状況”にあたるのか、それを決めるのは情報機関の考え次第ってことだよな。それは良くわかってる。だがそれにしても解せない。俺はあんたと会ってから一週間、逐一オルブライトの情報を上げてきた。それなりに正確なものをな。俺の見る限り、オルブライトにきな臭い動きは一切ない。これは断言していい」


 それでも殺せと指示があったのかと、ダニーは詰め寄るようにアルバに問い掛けた。心の中に生まれた焦りの感情を悟られないように注意を払いながら。


『あぁ、殺せと指示があった。なぜそんな指示を出したのかは知る由もないし、俺が知る必要はない。むしろ情報機関はあんたの古巣なんだから、自分で確かめればいい』


 アルバの言葉は、どこまでも冷たくダニーを突き放すものだった。


『”疑わしきは罰せよ、それが国益に適うのであれば”。それが情報機関の行動原理なんだろ?』


 アルバはその言葉を最後に、一方的に通話を切った。ダニーにはそれを止めることも、言い返す余力も残っていなかった。


 それよりも、動き出した歯車を如何に押し止めるか、放たれた銃弾を如何に躱すか、そのことに思考を集中させることの方が、今は重要だ。


 ダニーは急いで、今日のオルブライトの予定を確認した。彼は今日、仕事の予定もなく終日自宅にいることになっている。


 ダニーはオルブライトへ連絡を取った。


「おぅ、休みの日に悪いな。少しまずいことになった。とうとう動き出したようだ」


 さすがに、いつも通りの軽やかな口調で喋るわけにもいかなかったが、それでもダニーは相手を慌てさせないよう、出来る限り穏やかに話そうと努めた。


「あぁそうだ、この間話した殺し屋だ。情報機関からお前を殺すように指示を受けたそうだ。あぁ、わかってる。お前にやましいところなんて何もない。でもなぁ、そんなもんなんだよ、あいつらの考え方は。国益を損ねるとか、将来的に国家の障害になると認定したやつは、未然に対処されるんだ。・・・そうだな、納得できないだろうが、そんなもんなんだ」


 電話のむこうで、オルブライトが狼狽と憤りの混じり合った声で不満をぶちまける。


 ダニーはそれを落ち着かせながら、とりあえず今日は家にいるのはやめて、すぐに適当な場所に避難するように言った。


「俺から殺し屋に、お前はずっと自宅にいると嘘の情報を伝える。だからすぐに家を出ろ、今すぐにだ。行き先はどこでもいい。あぁ、大丈夫だ。俺がなんとかする」


 粘り強いダニーの説得に、オルブライトも落ち着いたようで、二言、三言交わしてから、通話は切られた。


 オルブライトとの電話を終えた後、ダニーは休む間もなくアルバへ連絡を入れた。電話がつながると、電話口から”なんだ?”と愛想のない言葉が聞こえた。


「もうちょっと愛想よくしてくれてもいいじゃないか。まぁ、それはいいとして、とりあえず今日のダニーボーイの予定だけでも教えておこうかと思ってな。あいつ、今日は休みで自宅に一人でいる」


 敢えて当初の予定を正直に伝えた。恐らくオルブライトは今頃どこかに避難しているだろう。アルバが彼の自宅に向かう頃には、もう居なくなっているはずだ。


『そうか』


 アルバは表情のない声でそれだけ言った。


「それとだな、あんたさっき、俺にダニーボーイの予定を一週間分くらい寄越せなんて言ってたが、いくら交流があったって、俺はあいつの秘書じゃない。そんなに細かく長い期間の予定を把握出来てるわけじゃないんだ」


 やれやれといった口調でダニーは言った。実際には、オルブライトの身の安全を保障するために、彼の了解を得て二、三週間程度のスパンでスケジュールを共有している。


 情報機関との偶然の接触を限りなくゼロにするために必要な措置だが、情報機関にはもちろん秘密にしている。まして、オルブライトを狙う殺し屋に言う訳がない。


『そうか、悪かったな。だがターゲットの動向は可能な限り把握して、俺に伝達するようにしてほしい。そうしないと仕事にならない』


「わかってる、だがあまりしつこかったり、あからさまに聞き出そうとすると勘付かれるから、それほど期待しないでくれよ」


 ダニーは言い訳するようにそんな言葉を口にしたが、アルバは何も言わず電話を切った。


 通話が切れたのを確認すると、今度はオルブライトでもアルバでもない、別の場所へ電話を入れた。もう一つ計画を進めなければならない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る