第9話 情報機関の狙い

 コーヒーの香り立つ半地下の部屋で、ダニーはアルバと向かい合っていた。


「北セルツランド紛争が終結してから、もう三十年経つ。俺にとってはもう終わったことだと思っていたが、情報機関はまだ何かつつきたいことがあるみたいだな」


 先に口を開いたのはダニーの方だった。どこかうんざりしたような口調だったが、それでもその視線は緊張感を孕んだままアルバに向けられていた。


「情報機関の狙いは既にあんたにも報告が行っていると思うが、同じ事実を共有しているか確かめるために、俺の聞いた話をしておく」


 ダニーの視線に応えるように、アルバが口を開いた。


「ターゲットであるダニエル・オルブライトは、CIの指導者だったヘイリー・オルブライトの一人息子だ。現在の職業は経営コンサルティングファームのCEO。この会社は北セルツランドのベルフォートを拠点に、ブリタニカ本島やオスターラント、マルス、ビタロス、それに新大陸にも支社を持つ世界的企業として知られている」


 アルバはここで一度言葉を切って、コーヒーに口をつけた。


「ようやく口を付けたな、何か入れられたと思ってたのか」


 張り詰めた空気の中でも軽口を叩くダニーを無視して、アルバは話を続けた。


「一方で、この男は北セルツランドのセルツランドへの統合を掲げる地域政党【セルツランド統一委員会(Celtsland Unification Committee: CUC)】の代表も努めている。この政党は先の総選挙でブリタニカ中央議会に二つの議席を得た。北セルツランド地域議会においても議席を増やし、無視し得ない勢力となりつつある」


 加えて、とアルバは椅子から背中を離し、やや前のめりになりながらダニーに顔を近づけた。


「オルブライトやその政治団体の躍進するほどに、ブリタニカの警察や情報機関が警戒する事態が現実となる可能性が高くなる。旧CIのメンバーによる、オルブライトを旗頭としたCIの復活だ」


 アルバのダニーに送る視線には、心の底を見抜こうとするような鋭さが加わった。


「かつてCIに潜入していた俺のところにも、CI復活の計画や、それに類する話が来てないかってことを知りたいのか?」


 カップを片手に、ダニーはやや大袈裟に肩をすくめて見せた。


「ダニーボーイとは、最近もたまに連絡は取るよ。あっちは今や北セルツランドを、いや、ブリタニカを代表するグローバル企業のCEOだが、俺がブリタニカのスパイだったことなんて知らずに、今でも俺の身体のことなんかを気遣ってくれるよ。だが俺は、CI再結成の話なんてダニーボーイからされたことなんてないな」


 あの子はいい子だ。昔を懐かしむような遠い目をしながら、ダニーはそう言った。だがアルバは、どこか感傷に浸るような様子のダニーに構うことなく、静かな口調で言葉を続けた。


「少なくとも、あんたのもとにはCI再結成への参加を呼びかけるオルブライトからの打診、ないしはそれに関連する情報は来ていない、ということだな」


「あぁ、そういうことだ」


 ダニーは数回うなずく仕草を見せながらそう答えた。


「わかった。それじゃあ、今まで俺が話した事で、あんたの聞いている話、もしくは掴んでいる情報との間で、不足や齟齬はあるか」


 アルバにそう尋ねられ、ダニーはコーヒーを口にしつつ、概ね無いねと言った。


「概ね無いね。だから、疑問に思うことが増えた」


 カップをテーブルにおいたダニーは、今度は自分のターンだとばかりに口を開いた。


「俺は今でもブリタニカの情報機関の人間だ。まぁ、嘱託というか、再雇用というか、曖昧な立場ではあるがな」


 椅子の背もたれに深く体を預けながら、ダニーは余裕を見せるように足を組んだ。


「ダニーボーイの監視は、旧い友人という立場での交流を通じて、再雇用された後もずっと続けている。それなりに精度の高い情報を送っていると自負しているが、その観点から言わせてもらえるなら、ダニーボーイはもはや監視の必要もない存在だ」


 静かに語りかけるような口調ではあったが、ダニーの目はどこか真剣に訴えかけるようにアルバを見ていた。


「あいつの今の立場を考えれば、わざわざ危ない橋を渡るリスクを侵す必要性が感じられない。それは情報機関も了解していると思っていたんだが、今回あんたを俺の応援に呼んだってことは、今もダニーボーイを警戒すべき何かがあると言うことなんだな」


 ダニーが組んでいた足を解いて、身を乗り出すように身体をアルバの方へ近づけた。


「『人の移動及び交流についての地域連合との協定案』。ニュースくらいは見ているだろう」


 それだけ言えば十分とばかりに、アルバは言葉を切った。ダニーは苦々しい顔を見せながら、腕を組んだ。


「CUCが北セルツランド議会に提出した法案だろ。地域連合に属する国家と北セルツランドとの間の人の移動や交流について、地域連合内に属するのと同水準まで自由化しようって奴だ」


 ニュースで得た程度の知識を披露しながら、ダニーは様子を探るようにアルバの顔を見た。


 アルバは、わかっているだろうとでも言いたげに、真っすぐダニーの方へ視線を返した。


「この法案は、地域連合内の国々と北セルツランドとの人々の交流を、ブリタニカの連合離脱以前の水準まで戻そうというのが主たる目的だ。だがわかる人間が見れば、それがカモフラージュであることくらいすぐに勘付く」


 アルバはダニーから視線を外すことなく再び背もたれに身体を預けると、氷よりも冷え切った口調で語り出した。


「北セルツランドに最も多くやって来る外国人は誰か、それは陸続きになっているセルツランドの人間だ。ブリタニカが地域連合を離脱した結果、連合に加盟するセルツランドの人間の北への移動も、他の外国同様に厳格な基準と煩雑な手続きを経なければならなくなった」


 アルバはダニーの後ろの壁に目をやった。そこにセルツランド島の地図が貼られていることを、ダニーは確認しなくともわかっていた。


「CUCはその状況を良く思っていない、セルツランドとの人の交流を離脱以前まで戻し」


「そうして、セルツランドにいる統合推進派との連携を、テロリズムに訴えるような危ない輩とのそれも含めて、より円滑に、より密に出来る環境を整える。それがダニーボーイ達の真の狙いだって、情報機関は考えてんだろ?」


 アルバの言葉に被せるように、ダニーは言った。


「考え過ぎるに越したことは無い。単に人の移動や交流の活発化を狙っただけの協定案じゃないと深読みするのは情報機関の人間の性質みたいなもんだ。地域連合離脱についちゃ、通商や貿易のことでただでさえ揉めてるんだ。人の移動なんて話なら、さらに敏感になるわな」


 けどな、と、ダニーはまだ何か腑に落ちないような表情でアルバを見ていた。


「それなら、今までどおり俺にダニーボーイを監視させておけばいい。何か不穏な動きがあればすぐに知らせるさ。何より、ダニーボーイが本気でCIを復活させる気なら、俺にだって連絡を寄越すはずだ。俺がブリタニカの情報機関の人間だったことは気付かれてない。だがさっきも言った通り、そんな話は来ちゃいない。なのにどうして、今さら応援なんて寄越すんだ。こんな爺さんの仕事なんて信用できなくなったのか?」


 苦笑いを浮かべながら、ダニーはまたコーヒーに口を付け、冷めきってしまったそれにさらに苦い顔をした。


「情報機関はあんたの仕事を信頼している。だが追加でやらなければならないことが増えた。だから俺を寄越したんだ」


「追加で?なんだそりゃ。監視して、怪しけりゃ通報して、捕まえて終わりだろ」


 首を傾げるダニーに向かって、アルバはこう言った。


「状況によっては、ダニエル・オルブライトを殺害するように。それが、俺が情報機関から受けた依頼だ」


 その言葉だけで人を殺せそうなほど鋭利な答えに、返す言葉も無くダニーはしばし沈黙した。だがようやく落ち着きを取り戻すと、動揺したことを悟られまいと静かな口調で問うた。


「なるほど、殺害か。情報機関も本気なのはわかるが、やりすぎじゃないか。ところで、そろそろあんたの身分を明かしてくれよ。まぁ見当はついているが、本格的に仕事に取り掛かる前にあんたの口から聞きたい」


「俺は殺し屋だ。確実に仕留めるならその道の人間に、それが情報機関の意向らしい」


 なんでもない事のように、アルバはそう言った。

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