第8話 急転

 ヘイリー・オルブライトが死んだ。そのニュースをダニーが知ったのは、サッカークラブの練習が終わり、ダニーボーイと一緒に帰宅したときだった。


 ジェフが玄関前でダニーたちを待ち構えるように立っているのに気づくと、彼のことが苦手なダニーボーイは、さっとダニーの影に隠れた。


「ようジェフ、今日はヘイリーの家で会議か?」


 ダニーボーイの肩を撫でてやりながら、ダニーは冗談めかした口調でジェフに声を掛けた。だがジェフはニコリともせず、二人に交互に目をやりながら低い声で言った。


「ダニー、部屋にも戻ってろ、この子守と話がある」


 ジェフはダニーボーイにそう促すと、今度はダニーの方へ視線を向け、来いと一言だけ言った。ジェフはダニーのことをいつも”子守”と言い、決して名前で呼ぶことはなかった。


 ダニーボーイは硬い表情のままジェフの横を通り過ぎ、玄関の扉をくぐるとそのまま二階の子供部屋に向かって階段を駆け上がっていった。


「大切な話だ。ここじゃ出来ないから、中で話す」


 ジェフはそう言うと、あたりを見回しながら家の中へと入っていった。ダニーも彼に続いたが、部屋に入るとそこには数人の幹部たちがダイニングにいた。


 みな一様に沈痛な面持ちで、重苦しい空気がその場を支配していた。彼らはダニーの存在を確認すると、意外そうな顔でジェフの方を見た。


「こいつにも知っておいて貰う必要がある。ダニーのこともあるからな」


 ジェフがそう言うと、幹部たちは納得したような顔をして、また沈黙の中へ戻っていった。


「座れ」


 ジェフはそう言って、壁際に置かれた粗末な椅子を指さした。ダニーが言われるままにそこへ腰掛けたのを確認し、ジェフはその場にいた全員に聞こえるよう声を張って話し始めた。


「子守!お前以外にはすでに話しているが、改めて話しておく。昨夜、リーダーが死んだ」


 ジェフの口から出てきた言葉は、あまりに唐突で、信じがたいものだった。


「ちょっと待て、死んだって・・・」

 ダニーは反射的に椅子から立ち上がり声を上げたが、それ以上の言葉が出てこなかった。荒い息のまま立ち尽くすダニーを尻目に、ジェフは淡々と話を続けた。


「恐らく殺されたと思われる。リーダーは昨日、夜遅くまでアジトに一人でいた。そこを襲われて殺害されたようだ」


 あまりにも簡潔に、そして淡々と説明を続けるジェフに、ダニーは引っかかるものを覚えた。


「アジトに一人でって・・・。遺体は?アジトに置き去りなんてことは」


「遺体はすでに火葬済みだ」


 ダニーの言葉を封じるように、ジェフがそう言った。


「火葬済みだって?ちょっと待てよ、ダニーボーイに会わせてやろうとは考えなかったのか」


 ダニーは思わずジェフに詰め寄った。


「このこと、ダニーボーイになんて説明するんだ。お母さんが死んで、もう骨になったって、そう言えってのか」


 近づこうとするダニーに対して、ジェフは腰に装備していた拳銃を抜き、まっすぐに向けた。


「どう伝えるかは子守であるお前が考えろ。だからわざわざここに呼んでやったんだ」


 冷たくそう言い放つと、ジェフは呆然とするダニーから再び視線を幹部たちの方へ向けた。


「殺害したのは、おそらく情報機関の人間だ。奴らは本気でCIを潰しにかかってきている。俺たちは今まで以上に強く団結しなければならない」


 まるで自分が新しいリーダーになったかのように、ジェフは力強く演説をぶった。だがダニーは、ジェフのその言葉ですべてを悟った。


 CIとの関係をソフトランディングさせようという方向に向かっているときに、情報機関がヘイリーを殺害するなどありえない。それは情報機関の人間であるダニーが何よりわかっていた。


 ヘイリー自身が和解の方向を模索しつつあったのだから、尚更だ。だとするなら、ヘイリーが誰に殺されたのか、考えられる可能性は一つしかなかった。


 ダニーは、紅潮した顔で今後のCIの活動方針を語る、組織内でも最強硬派だったジェフを、冷え切った目で見つめた。


 そして、彼の演説を蒼ざめた顔で聞く穏健派の幹部たちにも目をやった。彼らも感づいているはずだ。本当は誰がヘイリーを殺したのか。


 ひととおり喋り終えたジェフは、まだ部屋に残っていたダニーに向かって吐き捨てるように言った。


「子守はもういい。早くダニーのところに行って、教えてやれ。それと、今後のダニーの扱いだが、一応元リーダーの息子だから、悪いようにはしない。ただし、お前も含めてもう特別扱いはしないから、そのつもりでいろ」


 ダニーはその言葉をすべて聞き終えるか終えないかといううちに、黙って部屋を出た。その足で階段を上がると、上がりきったところにダニーボーイが立っていた。


 彼は黙ってこちらを見ていたが、見るからに顔色が悪かった。唇を強く結んで、何かを必死にこらえるようにしながら、ただじっとダニーの方へ視線を送っていたのだ。


「聞こえてたか?」


 ダニーは静かに尋ねた。ダニーボーイは静かにうなずくと、とうとうこらえきれなくなったのか、飛びつくようにダニーを抱きしめ、そして声を上げて泣いた。


 ダニーはただただ、すがりつくダニーボーイを抱きしめ、そしてやさしく背中を撫でた。それ以外に、その時のダニーに出来ることはなかった。


 

 ヘイリー・オルブライトの死を、ダニーは速やかに情報機関に報告した。これ以上、CIとの和解や妥協の道を探ることは不可能であるとの意見を付して。


 ジェフや他の強硬派たちがいかに組織を引き締めようとも、この頃には最早、CIはブリタニカ当局にとって怖れるに足る組織では無くなっていた。


 ダニーたち情報機関の働きで、CIの行動パターンは全て把握されており、次のテロを実行させずに潰すのは容易だった。


 すでに特定済みだった潜伏先を急襲し、ジェフを始めとしたCIの幹部たちを一網打尽にしたのは、ヘイリーの死から一ヶ月と経たない頃だった。


 逮捕されたジェフたち強硬派は、死刑こそ免れたものの、その一生を冷たい監獄の中で過ごすことを余儀なくされた。


 ダニーボーイはまだ幼く、またダニーの働きかけもあり、信頼できる相手との養子縁組が成立した。ダニーはそれを見届けてから、ダニーボーイのもとを去った。


 その時はまだ、ダニーボーイはダニーがスパイであることを知らなかった。恐らくダニーもまた逮捕されたのだろうと、それぐらいの認識だったに違いない。それで構わないとダニーは思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る