第7話 幸せな日常のために

 こうして、ダニーはCI中枢への接触の機会を思わぬ形で得ることになった。もちろん、役割はあくまでダニーボーイの子守だ。テロ活動の作戦や計画に関わる場には参加させてもらえる機会など無かった。


 だが幸運なことに、ダニーボーイを目の届く所に置いておきたいヘイリーの意向もあって、大切な会議の行われているすぐ近くでダニーボーイの面倒を見ることを許された。


 会議のその場にいることは出来なかったが、会議を終えたCIの幹部連中に接触する機会は十分に得られた。ダニーは会議後の彼らに雑談を仕掛け、そこから得られる断片的な情報を彼の推察も交えて情報機関に送り続けた。


 もちろん、子守も重要な仕事だ。ヘイリーの信頼、そして幹部連中の油断を得るために、ダニーはまめまめしくダニーボーイの子守に精を出した。


 最初は遊び相手として側にいるだけのはずだったが、ヘイリーが夜遅くまで幹部連中と話し込んでいるような日には、ダニーボーイを家まで送り届ける役まで担うようになっていた。


 時には夕食を作ってやったり、ダニーボーイが眠りにつくまでベッドの隣で本を読み聞かせてやることさえあった。


 シングルでダニーボーイを育てていると言った割に、ヘイリーがダニーボーイと会える時間は少なかった。ダニーはダニーボーイに孤独を感じさせないため、まるで父親のように出来る限り二人の時間を作った。


 サッカーの好きなダニーボーイは、年頃になると地元のクラブチームに入り、同じ年頃の子どもたちとのびのびサッカーを楽しんだ。


 クラブチームにダニーボーイの家庭の事情を知る者などもちろん居ない。実の親に代わって、”ダニーおじさん” と呼ばれている男が練習や試合を見に来ている姿は、さぞ奇妙に写ったことだろう。


 ダニーはクラブチームの保護者相手にも愛想を振りまきながら、ダニーボーイの応援やチームの運営のお世話まで手を焼いて、すっかり信頼を得ていた。


 予期せぬタスクが次々課される忙しい日々だったが、はからずもダニーは、テロ組織の首班の息子の成長を、実の親以上に間近で見守り続ける機会を得たのだった。


 そんな生活が、出会った日から気づけば五年以上も続いていた。CIの人間から怪しまれることも無くこの年月を過ごし、情報機関にも逐一報告を入れて来た。


 五年にわたる長期の潜入捜査の間に、北セルツランドを取り巻く状況も変わった。セルツランドとブリタニカの間で、この問題に対する妥協点を見出そうとする動きが見え始めたのだ。


 その趨勢に従い、情報機関も積極的にCIを潰すよりも、CI内部の穏健な勢力との対話の可能性を探り始めていた。ダニーの役割も、CIの穏健派と情報機関との接点を創出することにシフトしていた。


 もちろん、楽な仕事ではない。CI内部で和解に動く穏健なグループは、テロの計画や実行からは遠ざけられた、冷や飯食いの連中が中心を占めていた。


 CIの華々しい活躍から干されているということは、逆に当局に逮捕されても、微罪での収監で済むような者たちばかりということになる。


 一方で、当然ながらCIのテロ実行に深く関わるグループは、当局との対立を先鋭化させる方向へ益々傾いていた。捕まれば長期間の懲役刑が待っているのだから、当然だろう。


 まだブリタニカには死刑制度が残っているから、極刑をもって裁かれる可能性も十分にある。そんな奴らばかりなのだから、半ば破れかぶれに当局との対立を深めるのも、無理からぬことだった。


 組織内の危うい均衡の上に立って、リーダーのヘイリー・オルブライトは難しい舵取りを強いられていた。


 ヘイリーの真意をつかみ、CIを穏便に解体する道筋をつけることが、このときのダニーに課された一番の使命だったのだ。


「ねぇ、聞いてる?」


 遠くの方でダニーボーイの声がした。ふと我に返ったダニーの足下で、サッカーボールを脇に抱えたダニーボーイが服の裾を引っ張っていた。


「え、あぁ、悪い。ちょっとぼぉっとしてた」


 ダニーは自分を見上げる少年の頭を撫でてやりながら、仕事に引っ張られていた自分の頭をリセットしようと努めた。


「もぉ、ウィンフォードのサッカースクールに通えるようにお母さんに頼んでって、さっきから何回も言ってるのに」


 不機嫌そうに口を尖らせながら、ダニーボーイは器用にリフティングを始めた。


「上手いもんだな」


「練習したもん。プロのサッカー選手になるには、小さい頃からリフティングが出来ないとダメだってコーチも言ってたし」


 感心するダニーに、ダニーボーイはこれくらい当然だよとでも言いたげにリフティングを続けながら、ちらりとこちらに視線を寄越した。


「でもなぁダニーボーイ。前にも言ったけど、ウィンフォードのサッカースクールってことは、ブリタニカ本島に行くんだろう?お母さん、寂しがるぞ」


「ダニーボーイって呼ばないでって、言ってるじゃん」


 リフティングを止めたダニーボーイは、ボールを両手で抱えたまま、不機嫌そうにダニーに向かって言った。


「俺もお前もダニーなんだから、紛らわしいだろう?いいじゃないか、ダニーボーイで」


「嫌だよ、ガキ扱いされてるみたいだし。僕はダニーで、ダニーおじさんがダニーおじさんって呼ばれたらいいんだよ」


 ダニーボーイは不貞腐れた顔のまま生意気な言葉遣いでそう言うと、ダニーに向かってボールを蹴った。


「僕は絶対ウィンフォードのサッカースクールに行きたい。レイ・キャラハンもサイモン・オルドリンも、ロナルド・ケリーだって十歳になる前にウィンフォードのサッカースクールに入ってたんだよ」


 ダニーボーイは視線を真っすぐにダニーに向け、懇願するような顔つきで言った。彼が名前を挙げたサッカー選手は、北セルツランド代表にも選ばれている世界的に有名なプレイヤーだ。


「サッカースクールはいいけど、さっきも言ったとおり、お母さん寂しがるぞ。いいのか?」


 足元に転がって来たボールを蹴り返しながら、ダニーは言った。


「だからさ、僕考えたんだ」


 自分のもとにやって来たボールを軽いタッチで受けたダニーボーイは、ほんの少しだけ目を輝かせた。


「お母さんも一緒に来ればいいんだ、ウィンフォードまで」


「おいおい、無茶苦茶な事言うなよ」


 ダニーボーイの提案にダニーは呆れた様子でそう言葉を返した。


「ヘイリーはお仕事があるから、ここを離れられないんだよ、知ってるだろ?」


 ダニーボーイと視線を合わせるように身体を屈めると、ダニーはくせ毛の髪を少し乱暴に撫でてやった。


 ダニーボーイはそれが気に入らないのか、両手でダニーの手を払いのけると、不満げに口を尖らせながらこう言った。


「お母さん、お仕事やめないの?だっていつも、きつい、きついって言ってるよ。きつかったらやめたらいいのに。ダニーおじさんはそう思わない?」


 思わぬことを聞かれ、ダニーは言葉に詰まった。子供の素朴な疑問は時として大人の心を揺さぶる。


「お母さんは俺たちのリーダーだからなぁ、いなくなったら俺たちも困っちゃうんだよなぁ」


 逃げを打つように、ダニーは曖昧な答え方をした。


「じゃあダニーおじさんがリーダーになればいいじゃん。そうしたら、お母さん仕事やめられるのに」


「いやいや、俺にはリーダーなんて無理だよ。ダニーボーイのお母さんだから出来てるんだって。お母さんはすごいんだぞ」


 ダニーはそう答えつつ、自分は無理でも他の幹部がリーダーとしてヘイリーに取って代わることが出来るのではないかとも思った。


 どうもCIの幹部連中には、難しい現状を全てヘイリーに背負い込ませようとする狡さが見え隠れして仕方がない。ただ、そんな話をダニーボーイにしてもどうしようもないだろう。


「それにお母さんが働くのをやめたら、ダニーボーイは生活できなくなるぞ」


 この場で一番無難な言葉を選んで、ダニーは退屈そうにボールを地面にぶつける少年を宥めようとした。


「大丈夫だよ、僕がサッカー選手になれば、お金なんてたくさん稼げる。バルトロは十三歳でサッカー選手になって、お金を稼いでたんだよ」


 ダニーボーイが上げたのは、サッカーのビタロス代表でアングルランドのプロチームに所属する選手の名だった。世界でも最も貧困とされる国から移民としてビタロスに渡り、サッカー選手として成功した男だ。


「じゃあ、あと五年はお母さんに働いてもらわないとな。まだダニーボーイは八歳だもんな」


 ダニーボーイが蹴って寄越したボールを足で受けたダニーは、その言葉と一緒にボールをダニーボーイに返した。


 彼は何か言いたげにダニーの方を見ていたが、何も言い返す言葉が見つからなかったのか、やがて一人でサッカーボールを蹴って遊び始めた。


 納得はしていないだろうけれど、落ち着いてはくれたようだ。


(CIが無くなれば、この紛争が終われば、ヘイリーとダニーボーイは二人で静かに暮らせるのか)


 ふとそんな考えがダニーの頭をよぎった。


 北セルツランドの紛争は、もはやピークを過ぎたと言っても良い。後はどう幕引きを図るのか、という所まで来ているのではないか。希望的な見方だか、ダニーはそんな感触を持っていた。


 ただ、この紛争が終結したとして、ヘイリーのようにテロリズムに深く関わっていた人間の扱いはどうなるのか。


 もし仮に、CIとブリタニカ当局との和解が達成された場合、ヘイリーを含めた組織中枢の人間に対する扱いは、多少なりとも寛大なものになるのだろうか。


 そうなるのなら、CI穏健派との接点を作る今のダニーの活動には、テロ組織の壊滅以上の意味がある。


 ダニーボーイに平穏な生活をプレゼントするための活動という大義が、ダニーの仕事に加わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る