第6話 ヘイリーとダニーボーイ
ダニーがCIに所属してからも、その中枢に食い込むには相応の時間を要した。
CI内部は想像していたよりもシンプルな構造になっていて、個々の構成員は中核メンバーの指示を受け行動するというものだった。
構成員が一方的に命令に従うこの体制では、細かな意思統一が出来ない弱みがあるものの、末端が作戦をしくじってもCIの中枢まで捜査が及びづらいという強みもあった。
末端の構成員たちはそれこそ消耗品のような扱いを受けていたが、それでも決まった給金が支給されるのだから、職にあぶれた若者には魅力があるのだろう。自分から辞めるものはダニーの知る限りいなかった。
もちろん、安易にCIを裏切ろうものなら、容赦のない報復が待ち受けているのも、構成員が組織を抜けない大きな理由ではあった。
ダニーも潜入当初は、そんな命令を受けて動くばかりの末端の仕事を宛がわれていた。中心メンバーの名前はおろか、顔すらもわからない状況が続くなかで、CIはさらに3件のテロを成功させていた。
ダニーはもどかしい思いでそれを見ながら、CI中枢部の信頼を勝ち得るため与えられた仕事をこなしていた。
ところが、思わぬところからダニーにCI中枢に接触する機会がもたらされた。それはある曇り空の下の公園での出来事だった。
今にも泣きだしそうなほど暗く淀んだ空模様の公園で、ダニーは時間を持て余すようにベンチに座っていた。
思うようにCI中枢に近づけず、活動の詳細や次のテロ候補地の推測に役立つような情報を情報機関に挙げられずにいる現状を、どうやって打破するか。
そんなことを考えながらベンチで足を組んで座っていると、その足の先に小さな男の子がじっとこちらを見ているのが目に入った。
年の頃は三歳、もしかすると二歳くらいかもしれない。片手に小さなボールを握ったまま、泣きもせず、笑いもせず、その子供はただじっとダニーの方を見ていた。
「どうした、こんなところで。お母さんはいないのか」
出来るだけ優しい口調で尋ねるダニーに向かって、その子は手に持っていたボールを投げつけた。
「うぉ!」
驚いてボールを身体で受け止めたダニーを見ながら、男の子は何が面白いのかキャッキャと声を上げて笑った。
「やったな、こいつ」
ダニーが男の子に向かってボールを放ってやると、彼はまた声を上げて笑いながらそれを追いかけて行った。
ダニーは男の子をベンチ裏の芝生まで上手く誘導すると、そこでひとしきりボール投げをして遊んでやった。男の子は飽きもせずボールを追いかけ、そして投げた。そんなことをしながら、段々とダニーの方が疲れてきた時だった。
「ダニー!どこ行ってたの」
どこからか若い女の声が飛んだ。一瞬、自分のことを呼ばれたのかと思い、ダニーは辺りを見回した。
すると、ボールと戯れる男の子の数メートル先に、蒼い顔をした女が立っていた。背が低く幼い顔立ちのせいで、年齢を推測するのは難しかったが、まだ三十代にはなっていないだろう。
女は男の子の先にダニーがいることに気付くと、驚いたような、気まずいような顔で自分の周りに視線をやった。
その時、彼女の後ろから大柄な目付きの悪い男が現れ、ダニーの存在を認めるや顔を紅潮させながら、怒気を孕んだ目で近づいてきた。それはダンがダニーに引き合わせたあの男だと、すぐにわかった。
「おい、お前。ダニーになにちょっかいだしてんだ。うちから放り出されてぇのか」
男はダニーの胸倉を掴むと、額が触れ合いそうなほど身体を近づけて大声で叫んだ。
「ジェフ、静かにして」
ふいに、女がジェフと呼ばれたその男の肩に手を置いて、静かな口調で言った。見た目からは想像出来ない、腹の底から響くような、低く落ち着いた声だった。女のもう片方の手には、男の子の手がしっかりと握られていた。
ジェフはギョッとした目で女の方を見たが、女がダニーに聞こえるか聞こえないかの小さな声で、ジェフに耳打ちした。
「人の目があるでしょ」
そう言われ、ジェフは苦々しい表情のままダニーから手を離した。
「ねぇジェフ。さっきあんた、うちから放り出されたいのかって言ってたけど、この人、身内?」
「半年前に入った奴だ。ヘイリーに会わせるような価値はないさ」
ジェフは吐き捨てるように言ったが、ダニーはヘイリーという言葉を聞き逃さなかった。
「そういうこと。ならよかった、赤の他人よりは警戒しなくてすむのね」
少し柔らかくなった表情でヘイリーはそう答えると、男の子の方を向いて言った。
「ほら、お兄さんに遊んでもらったお礼を言いなさい」
そう促された男の子は、言われた意味が分かっていないのか、もう一方の手に持ったボールを楽しそうな顔でダニーに差し出していた。
「もう、この子は。ごめんなさい、あなたのことが気に入ったみたい」
ヘイリーはそう言って優しく微笑んだ。
「あ、いや。自分は大丈夫です。えっと、ヘイリー」
ダニーがヘイリーのファーストネームを口にすると、それに反応したのか、ジェフがヘイリーの背後から声を荒げて言った。
「こんな場所でお前ごときが名前を呼ぶな!」
「あんたの方が落ち着いて、ジェフ」
ヘイリーはそう言ってジェフを制すると、ダニーに向き直った。
「あなた、名前教えてもらえる?一応、同志の名前は出来る限り知っておきたいの。ちなみにこの子はダニー、ダニエル・オルブライト」
ヘイリーは息子の方へ目をやり、そう言った。小さなダニーは飽きて来たのか、手に持ったボールを口に入れようとして、それをヘイリーに怒られていた。
「俺も、俺もダニーです。ダニエル・フランクリン」
ダニーがそう答えると、ヘイリーは少し驚いたように目を見開き、それから嬉しそうな顔をして言った。
「偶然だね。そっか、ほらダニー、ダニーおじさんだよ」
ヘイリーに背中をぽんぽんと叩かれた小さなダニーは、なんだか少し眠そうにしながらダニーへ目をやった。
「おじさん、か。じゃあその子はダニーボーイかな」
ダニーがそう言うと、ジェフが気に食わなさそうな視線を寄越してきた。でもヘイリーはそんなことは気にせず、ダニーボーイだって、と小さなダニーの肩を揺らして笑った。それからふと何かを思いついたように口を開いた。
「ねぇ、これからこの子の子守をしてくれない?末端の人間だとすることもないでしょ?」
その言葉に、ダニーはもちろん、ジェフも驚きを隠せなかった。
「待てよ、こんな弱っちい奴に息子の世話なんて任せられるか」
「あなたの息子じゃないでしょ。それにあくまで、私がこの子を見てあげられない間の遊び相手をお願いするだけ。目の届くところでこの子と遊んでてくれたらいいの」
ヘイリーはそう言うと、それ以上の異論は認めないとでも言うかのように、ぷいとジェフから視線を外した。ジェフは諦めたように天を仰ぐと、今度は無言でダニーを睨んだ。
「そういうことだから、よろしくね。もう雨が降ってきそうだし、わたし達は帰るから」
ヘイリーはそう言うと、まだ遊びたそうにしている息子の手を引いて公園を出て行ってしまった。ジェフも慌ててその後を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます