第4話 セルティック・インディペンデント

 ダニーの北セルツランドでの主な任務は、地域内にいるセルツランド派のテロ組織の監視だった。


 任務を仰せつかった時には運命的なものを感じていたダニーだったが、日を追うごとにこれが情報機関による合理的な判断であったことを、身に染みて理解するようになった。


 北セルツランドは基本的にブリタニカ語を公用語とする地域だが、その言葉にはセルツランド語の訛りが根深く入り込んでいた。


 ダニーは幼い頃に移住したとはいえ、移住先でも北セルツランド出身者のコミュニティに属していたため、北セルツランド訛りのブリタニカ語をものにするのは簡単だった。


 また生来人付き合いの上手かったダニーは、堂に入った現地訛りの言葉で、逮捕拘留したテロ組織の構成員たちともすぐに打ち解けてしまう、得難い特技を持っていた。


 ダニーは業務上必要な情報を彼らから引き出すだけでなく、彼らの思い出や身の上話を、雑談の中で積極的に聞き出した。


 こうすることで、テロリストたちの心を自分に開かせるのはもちろん、彼らの幼少期や十代の頃の経験を吸収することが、いずれ命令が下るであろうテロ組織への潜入に際に大いに役立つことをダニーはよく心得ていた。


 幼少期に移民となったダニーにとって、例え借り物とは言え、北セルツランドの若者が持つと思われる人生の思い出や経験は、敵地潜入のための欠くべからざる要素なのだ。



 着任時には監視対象となるテロ組織の数も多く、複数の組織を同時に監視することを余儀なくされていたダニーだったが、情報機関の粘り強い活動とテロ組織同士の内部抗争などもあり、その数は徐々に減っていった。


 着任から三年を数える頃になると、監視対象とすべき組織の数も限られてくるようになった。そこでダニーの任務は、ある一つのテロ組織への潜入に切り替わった。


 その組織の名は〈セルティック・インディペンデント〉と言った。情報機関内ではCIの通称で呼ばれるこの組織は、リーダーを務めるヘイリー・オルブライトのもとで、ダニーの着任以降、少なくとも五件のテロ事件に関与していた。


 うち二件はCI単独の犯行であり、尚且つ警察や情報機関を出し抜く形で成功を収めていた。


 当局にこれ以上ない屈辱を味わわせたCIは、それ以来ブリタニカの軍、警察、情報機関すべてにとって、北セルツランドにおける不倶戴天の敵となった。


 そんな組織への潜入という任務が如何に重要な仕事であるか、そして任務の成功、即ちCIの消滅が北セルツランド紛争解決にどれほど寄与するものであるか、ダニーはわかり過ぎるほどわかっていた。


 CI潜入の命令を受けた日から、ダニーは生まれも育ちも北セルツランドのダニエル・フランクリンという青年になった。


 これまで尋問してきた北セルツランドのテロリスト達の経歴を借りながら、地元しか知らない素朴で愛郷心に富んだ青年を作り上げたのだ。


 人物を作り上げたら、次は街に出てCIとの接触を図らなければならない。何年にも渡る監視活動の結果、CIの人間が良く利用するパブの場所も割り出していた。


 ダニーは早速、そのパブに向かった。CIの関係者に接触し、信頼を得て、あわよくば組織の一員となれるようにと願いながら。


 ベルフォートの古いパブ『ケットシー』は、昼間から酒に酔った客たちでにぎわっていた。ダニーは、さも仕事にあぶれた貧しい労働者階級の若者といった格好でパブを訪れた。


 見慣れない若者の登場に、恐らく常連ばかりと思われる客たちは、一瞬不審の目を向けた。


 だがここの客たちは、居心地悪そうに肩を縮めて歩く金回りの悪そうな若者の姿を見て、同情せずにはいられない気の良い連中だった。


「どうしたよ、そんな具合悪そうな顔して、こっち来いって」


 大柄な中年男が、隅の席に着こうとしていたダニーを呼び留めた。


「あぁ、ありがとう」


「元気ねぇな、兄ちゃん。腹でも壊したか?」


 腹壊した奴が飲みには来ねぇだろ。そう、近くで誰かが声を上げる。それに合わせて、一斉に店中の客が笑いだす。中年男も一緒になって笑っていた。


「そりゃそうだな、悪い悪い。俺はグレアムだ」


 男は厳つい手を差し出し、ダニーに握手を求めて来た。


「ダニーだよ。よろしく」


 差し出された手をしっかり握ると、ダニーは完璧な北セルツランド訛りの英語で答えた。


「しかしまぁ、なんだ、こう言っちゃ失礼だが、ほんとに元気のねぇ顔してるな」


「まぁ、ちょっとね。昨日仕事クビになっちゃって」


 ダニーはそう言って、わざとらしく肩をすくめて見せた。


「そうか。まぁここんとこ、兄ちゃんみたいな若い奴は多いな。でも気ぃ落とすなよ、まだ人生は長い」


 そう言いながら、男はいつの間にか注文していた1パイントのスタウトを、ダニーに進めた。


「奢りだ。遠慮すんな」


 そう言って背中を叩く男に、ダニーは礼を言った。そしてスタウトをグラス半分くらいまで一気にあおった。


 それからすぐに酔いが回ってきた風を装って、男を相手に、店中に聞こえるくらいの大声で、自分を首にした架空のブリタニカ派の工務店の社長の悪口をぶちまけた。


 自分がセルツランド派であるために仕事を解雇されたのだと、被害妄想気味に大声で管を巻く様子を、中年男はうんうんと聞いてくれていた。


 だが、その後ろにいる自分と同じ年恰好の男が、話にじっと聞き耳を立てているのを、ダニーは見逃さなかった。


 ひとしきり喋った後、ダニーは中年男に、今度は自分が奢るからと形式的な礼を言って店を後にした。


 店を出たところで、後ろからダニーの話に聞き耳を立てていたあの男が声を掛けて来た。


「なぁ、ちょっといいか」


 ダニー同じ労働者然とした身なりの若者が、周りを気にする素振りを見せながら囁くような声で言った。


「仕事無くなったんなら、紹介するよ。ここじゃなんだから、どっか別の店で」


 もう糸口を掴めたかもしれないと、ダニーは喜んだ。けれど、まだ浮かれるわけにはいかない。


 この男がCIの関係者かどうかはまだわからないし、そうであったとしても、このまま無事に組織に入り込める保障もない。


 こんな時こそ、より慎重に。ダニーは自分にそう言い聞かせながら、男の後に着いて行った。

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