第3話 ビアンカの過去
海岸沿いにあるレストランのデッキで、潮風に乗って飛来したウミネコたちが羽根を休めている。
「とりあえずよかったな、依頼を受けてくれて・・・。どうした、イライラした顔して」
ロビーノ・カントーニはペスカトーレに入ったエビの殻剥きに苦戦しながら、ビアンカに話しかけた。
だが、彼女の不機嫌そうな表情に気付き、殻剥きの手を止めると、顔を覗き込むようにビアンカへ視線を向けた。
「アルバに会ったんだろ。どうだった、おっかない顔してたろ」
どこかおどけた様子でそう尋ねるロビーノに、ビアンカはフォークの先端をアラビアータの乗った皿の上に何度か突き立ててから、気持ちを静めようと大きく息を吐いた。
「顔は怖かった。でもそんなのはあまり気にならなかったかな。とにかく、バッグに入れてた拳銃で、頭を打ち抜いてやりたい衝動を抑えるのに必死だったって記憶しかない」
そう言うと、ビアンカはフォークの先に引っ掛かていたペンネを口に運び、味わうことなくワインで喉の奥に流し込んだ。
「まぁ、無理もないさ。両親を殺した相手を目の前にして、冷静でいられる奴なんていないよ」
ようやく殻を剥き終えたエビを皿の上に置いて、ロビーノは汚れた手を拭きながら小さく頷いていた。
「だがアルバにしてみりゃ、まさか昔自分が殺した相手の娘から、親殺しの犯人を探し出して殺してくれなんて依頼を受けるとは思ってもみなかったろうな」
そう言いながら、彼もワインを口に運んだ。
ビアンカの両親はともに弁護士をしていて、業界ではやり手として通っていた。
夫婦で事務所を経営しつつ、ビタロス国内でも屈指の大企業であるカプラングループの顧問弁護団にも名を連ねるほどで、ビアンカにとっては自慢の両親だった。
両親に憧れていたビアンカもまた、弁護士を志し幼い頃から勉学に励んでいた。両親の方もビアンカに期待をかけ、彼女の教育に惜しみなく愛情と金を注ぎ込んでいた。
何不自由ない充実した生活を送っていたビアンカの人生はしかし、ある日唐突に暗転した。
カプラン内部で、経営陣に反旗を翻した一部のグループが、カプランからの独立を画策するという事態が発生した。
先端技術部門の責任者が有能な社員を引き連れ、新たに会社を興そうとしたというのが、この事件の概要だった。
だがその際、先端技術部門以外の部署の社員にもこれに同調する者が現れた。
さらに顧問弁護団を構成する一部の弁護士にも引き抜きの手が及んだことから、カプラン経営陣による独立勢力への苛烈な粛清が行われることとなった。
経営陣は新会社に移ろうとする社員への圧力や、独立派を裏切り情報をリーク した者への報償など、露骨なアメとムチの使い分けで独立派を切り崩していった。
顧問弁護団も例外ではなかった。何より、彼らはカプランのこれまで行ってきた違法紛いの行為や、対立する団体や個人へのスラップ訴訟などに関する情報に直に触れる立場にあった。
あまつさえ、それに関わる記録を個人的に保管する者さえいたという。
そういった人間に対しては、よりあからさまで非道な制裁、即ち死による制裁が課された。ビアンカの両親もそのターゲットになったのだ。
もともとビアンカの両親は、自社の利益のためなら金に物を言わせた脅迫まがいの裁判も厭わず、時に裁判官のような司法関係者、そして陪審員すら買収しようとするカプランの振舞いに嫌気がさしていたらしい。
そこへ独立派からの引き抜きの話があり、両親が渡りに船とばかりに応じたことが原因であると、ビアンカはロビーノから聞かされていた。
両親の身に起こった悲劇が、自分達の正義を貫こうとしたが故の出来事であると知るにつけ、ビアンカの中での復讐心はより大きく、強くなった。
両親の死によって経済的な苦境に陥ったビアンカだったが、それでも両親の自分に掛けてくれた期待を裏切るわけにはいかないと、たゆまず勉学に励み続けた。
そしてようやく、奨学金を得て大学に進学した年、彼女の復讐心を揺さぶる転機が訪れた。復讐の対象が消滅したのだ。
カプランが崩壊したというニュースを知り、ビアンカは自分の人生を釣り支えていた糸が切れたような感覚に襲われた。
これまで、自分が弁護士になりカプランの闇を暴き立てることが、両親の弔いであり人生の意味であると信じていたビアンカにとって、復讐すべき対象の消滅は生きる意味そのものの喪失に等しいことだった。
それでも弁護士になる目標を変えることは無かったが、実際にはどこか惰性のように勉強をつづけていたビアンカは、結局司法試験に合格し、とうとう今は司法修習生になってしまった。
そんな彼女に、両親の弁護士仲間だったロビーノが連絡をしてきたのは、1ヶ月前のことだった。
ビアンカが彼に初めて会ったのは、まだ彼女の両親が生きていた頃だったから、かれこれ十年以上は経っていた。
連絡を受けて久しぶりに出会ったロビーノは、ビアンカの記憶の中に残る姿とはかなり変わっていて、本当にロビーノだろうかとさえ思ってしまった。
かつては栗色に輝いていた巻き髪は、往時の勢いもなくぺたりと頭に貼りつき、所々に白いものが混じっていた。辛うじて均衡を保っていた体型も、腹回りがすっかり太くなり、ベルトの上から肉が垂れていた。
彼は自分の行きつけだと言うバーにビアンカを招待したが、約束の日にはそこに彼女よりも30分遅れて到着した。
年相応に衰えた身体で現れたロビーノは、以前と変わらぬ明るい調子でビアンカの近況などを尋ねてきた。
「アルフォンソとナタリアは残念だったが、あきらめずに頑張ってくれていてうれしいよ」
一通り話を終えたロビーノは、そう言って微笑みながらビアンカの方を見ていた。そんなロビーノに、今度はビアンカの方が話を始めた。
お酒が入っていたせいもあって、また相手が両親の友人だったことも手伝って、ビアンカは自分の復讐が果たせなかった無念を、周りの目も気にせず語っていた。
復讐のターゲットは消滅してしまったけれど、まだ往生際悪く両親の過去やカプランについての情報を、自分なりに調べたり集めたりしていることも、何もかも全て吐き出すように喋ってしまった。
ロビーノはそんなビアンカの話を黙って聞いていたが、話し終えたビアンカがワインをあおって一息ついているのを見ながら、口を開いた。
「君が長い事、両親を殺したカプランに復讐したいと考えてるのはわかった。だがもうカプランはこの世には存在しない。無念だろうね。それならどうだろう、こういうのは・・・」
ロビーノがそう言って提案してきたのが、殺害の実行犯に対する復讐だった。
無理はしなくていい、ただそれでビアンカの気持ちの整理がつくなら、手伝ってやる。そう言ってロビーノが出した提案に、ビアンカは乗ることにした。
ビアンカの意思を確認したロビーノは、その数日後には再びビアンカに連絡を寄越してきた。復讐のプランとアルバの居場所、その二つの情報を手土産にして。
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