第2話 カプランの殺し屋

 No.209の部屋のドアの側から、ビアンカは動けずにいた。奥のイスに腰掛ける男の只ならぬ雰囲気に圧されたせいなのか、それとも、本物の殺し屋と対峙した緊張感のせいなのか。


 どちらなのかはわからないけれど、ビアンカはアタッシュケースの取っ手を両手で握ったままその場に立ち尽くした。


「そこに掛けたらいい」


 低く落ち着いた声で、男が目の前にある空のイスを手で指し示し、ビアンカに座るよう促した。はたと我に返ったビアンカは、無言でうなずくと、言われるがままイスに座った。


 男は背もたれから身体を起こすと、背筋を伸ばしてビアンカと相対した。


「あんたに俺のことを紹介した人間から概要は聞いているが、直接あんたからも依頼内容について聞いておきたい。それとあんたの名前も」


 くすんだ灰色の髪と沈んだ色の肌、そして髪色よりもさらに濃い灰色の瞳。仮に殺し屋でなかったとしても、とても心を許せそうにない鋭い目付きで、男はそう尋ねた。


 ビアンカは心臓を直接つかまれたような恐怖感を抱きながら、それでもどうにか自分を奮い立たせて口を開いた。


「ビアンカ・ロンバルディです。さっきあなたが仰ったとおり、ここには知り合いの紹介で来ました。依頼の内容は、十年前に両親を殺した人間を見つけ出して、殺してもらうことです」


 ビアンカはそこまで言うと、言葉を切って息を吸った。すぐにでも身体に酸素を取り込まないと、その場に倒れてしまいそうだった。


「聞いていた話と齟齬は無いようだ。だがもう少し詳しく知っておきたい。二つ、三つ質問をさせてもらう。俺はアルバだ、ロビーノ・カントーニから名前くらいは聞いているだろう」


 アルバは無表情のままそう言った。彼は真っすぐにビアンカを見据えると、再び口を開いた。


「緊張するなとは言わない。だが質問には正確に答えてくれ。あんたはさっき、両親を殺した人間を見つけ出して、殺して欲しいと言った。ということは、具体的に誰が両親を殺したのかまではわかっていないということか。それとも、相手はわかっているが、そいつが雲隠れしているから探し出してほしいという意味か?」


 抑揚が無く、氷のように冷たい声音でアルバはビアンカに尋ねた。


「両親を殺した相手は・・・、詳しくはわかりません。でも、昔両親が顧問弁護団に加わっていた企業と関係のある人間だというところまでは、知っています」


 恐怖なのか、緊張なのか、震えと熱さが身体の芯から同時にビアンカを揺さぶった。そんなビアンカの心の内側を覗き見るような視線を向けながら、アルバは静かに言った。


「その企業は、カプランだな」


 アルバの口から出たその単語に、ビアンカは抑えきれずに肩を震わせた。カプラン、その名を聞くだけでも忌々しさに肌が粟立ってしまう。


 カプランはビアンカの住む国、ビタロスを代表する大企業だ。金融業に不動産開発、小売業からテクノロジー関連企業、果ては学校経営に至るまで、この国で幅広く事業を展開している。


 その一方で、裏では非合法な手段を用いて敵対する相手や競合他社を追い落としてきた罪深い組織だ。


 だか数年前、その裏の顔が突如として暴露されたカプランは、一夜にして崩壊した。文字通り、跡形もなく。


 カプランが経営していた事業は国内外の企業に切り売りされ、裏稼業に従事していた者達は、一部を除きそのほとんどが逮捕されたと聞いている。


 顔を強張らせながらも頷くビアンカに、アルバはさらに問うた。


「カプランが絡んでいたのなら、殺害の実行犯は十中八九この組織の暗殺チームの誰かにちがいない」


 アルバはそこで一度言葉を切り、睨むようにビアンカを見た。


「俺もカプランの暗殺チームに所属していた。あんたはそれをわかったうえで、俺に依頼しようと決めたのか。それとも、カントーニはそこまで話していなかったのか?」


 アルバはビアンカの方へ軽く身体を突き出し、そう尋ねて来た。


「ロビーノ・・・、カントーニからはあなたの来歴も多少は聞いています。でも凄腕の殺し屋なのは間違いないし、内側に居た人間なら、ターゲットの手の内も知り尽くしてるはずだからと言われて、あなたに依頼することにしました」


 出来るだけ恐怖心を悟られないようにしながら、ビアンカは答えた。


「そうか、だが俺が相手のやり方を知り尽くしているように、相手も俺のやり方を知り尽くしているかもしれない。それも理解した上で、俺に依頼をするということでいいな」


 アルバの問い掛けに、ビアンカは黙って頷いた。


「良いだろう。依頼は受けよう。ただし、カプランは既に消滅した組織だ。会社の社員も、裏の組織の構成員も、今は方々に離散している。昔の伝手を使って可能な限り早く見つけ出し、始末をつけるようにはするが、概ね二週間程度は見ていてくれ」


 言い終えると、アルバはどうだ?と確認を取るような視線をビアンカに寄越してきた。


「それで問題ありません。進捗については、この番号に電話で頂けると助かります。メッセージでもいいです」


 そう言うと、ビアンカは自分の電話番号を書いた紙を差し出した。それから、張り詰めた空気のせいで一瞬忘れそうになっていた足元のアタッシュケースを、机の上に置いた。


「報酬の前払い分です。カントーニから金額の相場は聞いていますが、不足なら後でまた追加分をお支払いします。出来れば振込だと助かるんですが」


 ビアンカはそう言ってアタッシュケースを開いた。中には札束がぎっしりと詰め込まれていた。ハンドバッグ程度の大きさとはいえ、かなりの金額になるのは間違いない。


「いや、この金額で問題ない。それと、今は事情があって口座が使えない。悪いが成功報酬も現金で持ってきてくれ」


 アルバはアタッシュケースの中身を一瞥すると、すぐにそれを閉じ、自分の方へ引き寄せた。


「よろしくお願いします」


 ビアンカはそう言った。そして、口の中の皮膚同士が張り付きそうなほど咥内が乾ききっていることに気付いた。


 彼女はそのことを悟られないようにしながら、無言で立ち上がり部屋を後にした。

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