08.自意識



一進一退。ランプレヒトとの関係を説明するなら、それが最適といえた。

ユーディットの薔薇趣味も、ランプレヒトの百合趣味も、相変わらずで物語を読めばどう組み合わせたのか話し、観察対象のどういったやり取りに萌えたのかは熱く語り合う。それでも、ふとした瞬間に意識せざるをえないことをランプレヒトにされて、ユーディットが弱る。そうして、自ら距離をとることができず困るユーディットを見かねて、ランプレヒトの方が一時的に矛を収める。そのくりかえしで、季節をまたぎ、気付けば冬になっていた。

寒くなれば東屋の点在する渡り廊下付近も、放課後の人気ひとけは減る。貴族の令嬢令息が食堂で代用することはあまりなく、サロンなどを借りるか、寮の部屋へ集まる場所を変えてしまう。つまり、二人の観察対象が観察しづらくなるのだ。

校庭のすみにある東屋で定期的に会っていたのも、場所を変えざるをえなくなった。ユーディットとしては防寒着をしっかり着込んで、語り合いに臨む所存であったのだが、ランプレヒトの方が断固として却下した。本人がなる気がなくとも騎士の家系で育ったため、女性を寒空におくというのは、彼には論外のことであった。

萌え対象の観察については、二人でつれだっていくことで、他の生徒同様、使用者だと周囲に印象付けることはできる。しかし、そうなるとユーディットが落ち着いて観察ができなかった。テーブルに向かい合うにしろ、隣に座るにしても、男女二人ではあらぬ疑いがかかってしまう。ランプレヒトは誤解されても構わないというものだから、余計に意識してしまう。

冬は場所の問題で、傍観者に徹することができず困るのだと、ユーディットは気付いた。屋内だと、自分たちも少なからず周囲の目につく状況になる。隠れる場所がないというのは実に不便であった。

ユーディットには、観察できるように周囲に紛れる手段がランプレヒトに同伴してもらうことしかないから、余計に観察の難易度があがった。

彼といて緊張して疲弊した分は、リーゼルやエルメントラウトとのお茶会で癒してもらっていた。かならずあった出来事を報告して愚痴ぐちる訳ではないが、二人と話していると心が穏やかになった。何かあれば話を聞いてくれる存在がいるだけで、随分救われるものだ。

その日は、休憩時間に借りていた本を返そうと図書館に向かっていた。ユーディットは子世代の物語を読んでいたのだが、実は親世代の話があってこその作品だと知り、そちらのシリーズを読み始めたところだった。長く人気のある作品なので、一度に何冊も借りるようなことはせず、一冊読んでは返して次の巻を借りるようにしている。


「あ」


目を止められ、声に反応し、ユーディットも眩い金髪を前に足を止めた。無視できようのない美貌の主なので、ユーディットが気付くのは当然のことだが、相手が自分に気付くとは思っていなかった。


「お団子、レヒトの」


「ハルトヴィヒ先輩、ごきげんよう」


どうやら名前でなく髪型で覚えられていたらしい。目立つ彼に記憶される必要もないユーディットは、名乗り直すことはせず、挨拶だけで済ませた。


「……リゼと仲良くしてるみてぇだな」


彼女から聞く話題にのぼる、とハルトヴィヒはユーディットに教えてくれた。話に聞いているにもかかわらず名前をおぼえていないのは、本気でリーゼル以外の女性に関心がないのか、それとも憶えてはいるがリーゼル以外の女性を愛称で呼ぶのを避けているのか。どちらにせよ、ユーディットには妄想の糧として栄養価が高い情報である。

ただ一言声をかけただけで、ユーディットが満足そうな笑みを浮かべたので、ハルトヴィヒは怪訝になる。目の前の後輩が笑顔になる要素が一体どこにあったのか。


「私といるとリゼ先輩がけがれるから近付くなという牽制でしょうか!? その点ならご心配なく、リゼ先輩を染める予定はありませんので!」


「汚す可能性があるとか、逆に不安になるわ。そうじゃねぇよ。オマエが懐いたのは、むしろいい」


「いいんですか?」


「今の発言で不安にはなったけどな。お団子はぱっと見、普通な方だろ。そういうヤツがリゼの傍にいた方がいい。オレといい、アイツの周りは派手なのが多いから……」


確かに、リーゼルは美貌の令息のハルトヴィヒと幼馴染で、溺愛してくる美形の兄がおり、友人のエルメントラウトも色気といい容姿といい派手だ。彼女が公爵家という高い身分にあることも要因ではあるが、それ以上に周囲が遠巻きにする人物と親しいために同世代の友人が少ない。本人は一向に気にしていないが、彼女のおだやかな人柄であればもっと親しい相手を多くもてたはずだとハルトヴィヒは常々思っている。親しくなった相手をないがしろにしない彼女と先に知り合ったのが自分たちのような人目を惹く容姿の者ばかりでなければ、きっとごく普通の人々に囲まれていたことだろう。

リーゼルは容姿で特別視をしないため、ハルトヴィヒは傍にいて心地よい。おそらく、エルメントラウトも同様で、だからこそ彼女をいたく気に入っているのだろう。母親似で容姿の整った兄がいて、美形を見慣れているだけかもしれないが、見惚れられずにまっすぐに視線が合って話せる相手はハルトヴィヒのような人間には貴重な存在だ。今だって、目の前の後輩は少なからず自身の容姿に見惚れている。視線が恋慕でなく観賞目的なだけマシではある。

存在を受け入れてくれるからついそれに甘えてしまう。一度陽だまりの温かさを知ると抜け出せなくなるように、ハルトヴィヒはリーゼルから離れる気はない。だから、せめて彼女が本来得るはずだったものを少しでも得てほしいと思う。それがたくさんになったら嫌なくせに矛盾した考えだと、ハルトヴィヒは自覚していた。どちらも自分のエゴなのだ。

普通の令嬢とも、いや身分に関係なく彼女は親しくなることができる人間だ。それを知ってほしい。自分のせいで、彼女が自身を卑下する要因を減らしたい。だから、多少風変りであるもののユーディットが彼女に懐いたのは、ハルトヴィヒには歓迎すべきことだった。

ハルトヴィヒが、ユーディットの方へ視線をあらためると、彼女は嗚咽を堪えるように口元を押さえていた。この後輩は、外見はありふれているのに行動が奇怪だ。


「尊みをありがとうございます……っ!!」


何かを堪えるように礼をされ、彼女はやはりランプレヒトと同類なのだと察する。ハルトヴィヒが理解できない感性の持ち主のようだ。

ユーディットは、リーゼルに近付くことを許されたことより、彼が許した理由に歓喜した。リーゼルに近付く者を警戒するのも、相手を見定めて近付くのを許すのも、彼女への想いあってこそだ。ハルトヴィヒが零した言葉は少ないものだったが、そのすべてがリーゼルを想っての言葉だった。でなかったら、彼は自分になど声をかけはしない。さすが推しカプである。連れ立っていなくとも相手第一なことに萌えしかない。


「式はいつですか!?」


「全部すっ飛んでんぞ、お団子」


そもそも自分とリーゼルは婚約すらしていない。この後輩は、思考の飛び具合が本当にランプレヒトによく似ている。結論まで飛躍しすぎて、順序も何もない。彼と会話しても、ハルトヴィヒはついていけなくなるので、極力相手にしないようにしているのだ。


「お二人の式にはぜひとも参列したいのですが、どうしてハルトヴィヒ先輩は想いをお伝えにならないのでしょう?」


学園の七不思議といわれるほどに親しすぎる間柄で、周囲からすれば明らかに想い合っているいる二人だ。ハルトヴィヒにいたっては、他人の機微に疎い訳でもない。幼馴染以上になりたいはずなのに、どうして彼は行動にでないのだろう。彼が一言いえば、ユーディットは花弁をくほどにめでたい結果を迎えること必至だ。

直接訊いてくる者が珍しく、ハルトヴィヒはわずかに眼をみはる。律儀に答える義理もないが、かといって、はぐらかす必要もなかった。この後輩に聞かれても支障はない。


「オレがリゼに告ったらどうなると思う」


「リゼ先輩が断るはずがありません!」


「それだよ」


二人の幸せを全力で願うユーディットが力いっぱい答えると、ハルトヴィヒにその通りであることが懸念点だと返された。ユーディットには、どう問題なのかは解らず首を傾げる。


「アイツ、オレのすること全部許すんだよ。告っても、男としてみてなくても許されそうで……、それじゃ意味ねぇ」


触れることすら彼女は受け入れて、嫌がらない。ハルトヴィヒは、異性として意識されたいし、求められたい。ただ嫌じゃないからで許容されてしまうのは、違う。彼女が自分に向ける親しみが恋情である確証がもてない。自分ばかりが彼女を求めている気がするのだ。

ハルトヴィヒの現状への不満を聞き、ユーディットは自分の口からいえないことがもどかしかった。知っているのだ。リーゼルがちゃんと彼を異性として意識していると。それをお茶会のときに聞いた。けれど、今自分がいっても励ましと受け取られてきっと信じてもらえない。こういったことは、リーゼル本人から直接聞かないとだめなのだ。

彼女の言葉を伝えられない代わりに、何かないかとユーディットは言葉を探す。


「お、女の子にとって、男性が嫌じゃないってすごいことなんです……!」


一生懸命考えてでたのは、そんな言葉だった。


「年頃になればなるほど、男性って身体が大きくなって、力も強くて、色眼鏡でみてきたりもして、恐いんです。だから、触られて嫌じゃないって、そういうこと許せるのって、とってもすごいんです!」


リーゼルは確かに度量の大きい人柄だ。何でも受け入れてくれそうな雰囲気をもっていると、ユーディットも感じる。けれど、彼女も自分と同じ女の子だ。歳だってひとつ違うだけで、同世代の男性を警戒しないなんてことはない。むしろ、公爵令嬢の立場をもつ彼女は、自分以上にそういった点で気を緩めることはないだろう。どんなに彼女がおおらかでも、幼馴染だからだけでハルトヴィヒに触れられるのを、あの距離を許容するはずがなかった。

彼女がハルトヴィヒをただの友人としてみているなら、彼のためにちゃんと適切な距離感を保ったはずだ。そこに思い至って、ふとユーディットは自身にも身に覚えがあることに気付く。自分こそ、友人であるランプレヒトに対して適切な距離をおくべきではないか。真に友人と思うなら、彼のために誤解を与えない態度をとるよう努めるべきで、それができるはずだ。どうして自分はそれができないのか。

放った言葉が自身に返ってきて、核心に触れそうになる。

まさか彼女と知り合って間もないユーディットからリーゼルについて気付かされるとは、ハルトヴィヒは思わなかった。幼い頃からの付き合いゆえに、彼女の公爵令嬢としての自覚を見落としていた。自惚れないよう自重していたが、自分が思うより都合のいい解釈でいいのかもしれない。


「だっ、だから、あの……っ」


「おう、あんがとな」


自身の言葉に動揺しそうになったユーディットは、今は推しカプが優先だとどうにかハルトヴィヒを説得しようと試みる。しかし、ユーディットがそれ以上言葉を紡がずとも、意図が伝わったようでハルトヴィヒは嬉しげに少年のような笑みを浮かべた。

存在するだけで目の保養になる美貌の主の笑みに、ユーディットは衝撃を受ける。耽美な容姿で、年相応な男の子とわかる笑顔とか脅威すぎる。しかも、彼がリーゼル以外に笑みをみせるなど、稀少中の稀少だ。レアすぎる体験は、ユーディットの許容容量を軽々と超えた。


「神……、神供給に感謝を……」


ユーディットは両手を合わせて、ハルトヴィヒをおがんだ。感極まりすぎて、涙まで浮かべている。

いきなり拝まれ、ハルトヴィヒはなんとも言えない表情を浮かべる。もう後輩の行動に言及する気もおきない。感謝は伝えるべきものだが、彼女には言わない方がよかったとハルトヴィヒは後悔する。こんな奇妙な対応が返るとは思わなかった。この日、彼のユーディットに対する珍獣認識がより深まったのだった。

後輩の反応につっこむ気がないハルトヴィヒの目に、不意に彼女の抱える本が止まった。


「それ……、メーアか?」


「あ、はい。コラレに前作があると知って」


コラレの碇という物語が、ユーディットたちの世代では幼少期によく読まれる。少年向けの冒険譚で、海沿いにある小さな国の王子のコラレが主人公だ。彼の父親の代で興った国のため、国王は実力主義で血統だけで王位継承が確定していない。見識を広げるため、他の王位継承候補の子供たちと旅にでて、コラレが未来の王へと成長してゆく姿が描かれている。対して、前作にあたるメーアの海は、コラレの父親であるメーアが国を興すに至るまでを描いたものだ。

父親のメーアがもともと海賊であることがユーディットには衝撃だったが、荒々しい言動に納得がいった。コラレの碇では、あくまでコラレが主人公だったため親の背景は詳しく描写されていなかった。メーアの海の方は、海賊時代の内容がほとんどでメーアが拠点にしていた海辺の街を国として興すのは最終章の結末らしい。血なまぐさい描写は前作の方が多く、ユーディットは読み比べることでようやくコラレの碇が読者層を低く設定して書かれたものだと気付いた。


「親父が全巻もってて、オレも読んだ。面白いよな、ソレ」


「なんと羨ましい! ですよね! 私は特にメーアが首領ドンのリフからナイフ使いの指南を受けるところが……あ、この巻の先は言わないでくださいね。これから借りるんですから!」


「わぁったよ」


もとからネタバレするつもりがないハルトヴィヒは、ユーディットの懇願を容易くのむ。同世代に前作まで読んでいる人は珍しいので、ユーディットは感想を交わしたい衝動に駆られたが、自分の方が感想を語り合うには不十分な状態だった。

そわそわと落ち着きがなくなった後輩に、読み終わったら教えるようにいうとぱっと表情が輝いたのでハルトヴィヒは可笑しくなった。自分の知っている作品に興味のある人物が珍しかっただけだが、この後輩は本当に物語が好きなのだろう。

ユーディットは全巻読了後、感想を話せる相手をみつけて歓喜した。そして、ハルトヴィヒ相手に作中で萌えている組み合わせを伏せねばならないと固く決心したのだった。



ハルトヴィヒとの偶然の会話をきっかけに、自分は思ったよりもランプレヒトを異性として意識しているのでないかと、ユーディットは思い至った。

友人たろうと努めていたつもりであったが、本当に友人のままがいいなら距離をつめられても断れたはずだ。嫌われるのが恐いだけで、自分もなんでも受け入れられはしない。ランプレヒトに嫌われることがどうしてこんなに恐いのか。その理由を自分は思い違いしていたのではないか。

たとえば、メーアの海を読み始めたときも最初に感想を伝えたくなったのはランプレヒトだった。純粋に読み物としても面白いので、彼に薦めたくなったが、ユーディットは迷ってしまった。海賊もののため、でてくるのはほとんどが男性で、ランプレヒトの萌える要素が少なく彼が楽しめないのではないかと危惧したのだ。一緒に作品を楽しみたい半面、彼の好みに合わない作品を強要したくないとも思った。メーアの所属する海賊は義賊であるが、他の敵対する海賊たちのなかには女性に暴力的な者もいる。女性だけの世界を愛する一種の女性至上主義のランプレヒトが気分を害する恐れも充分にあった。

そういった杞憂がハルトヴィヒにはないので、彼がメーアの海を既読で救われた思いだ。薔薇解釈部分は伏せねばならないが、メーアの海とコラレの碇については純粋に面白いと感じる面が大きい。

確かに海賊ならではの絆や因縁による関係性は素晴らしいと思うし、メーアに至っては美形でなくても組み合わせができるのだと新境地を開拓しはしたが。無骨な男性が強さや心意気に惹かれて首領リフの下につくのも、卑屈を絵にかいたようなかたきが一人に執着する様も、もはやリフが大好きすぎないかと。メーアの海は、全方位に愛される男リフが主人公すら魅了する物語に思えてきた。

こういった解釈をハルトヴィヒどころか、ランプレヒトに話すのも及び腰になる。これまでユーディットが嵌った組み合わせは比較的見目のよい者同士の組み合わせだ。雄々しさが全面にでた登場人物は、脈石の騎士にもいたがそのときは組み合わせる対象外だった。メーアの海は海賊もので見目のよい者の方が少なく、場合によっては戦闘により腕や足が欠損していたり痛ましい古傷や火傷の痕が勲章のような世界。気付けば解釈の対象が拡張されていた。傷あばたもえくぼとは、よくいったものだ。しかし、いくら理解があっても異性のランプレヒトが、この境地に付き合いきれないことだろう。

彼は自分を嫌うことはないといってくれているが、これはさすがに引かれる。こういった懸念が生まれていることに気付き、ユーディットは一人で居たたまれなくなる。すべてをさらけ出しているといっても過言ではない相手に、今さらよく思われたいという欲が根強いとは始末に負えない。きっとこの及び腰が、嫌われたくないどころか好かれたいという自分の欲なのだろう。

恐い以外の部分に目を向けると、気恥ずかしくなり、じわじわと頬が熱をもつ。

異性に好感をもってもらいたいと感じること自体初めてで、ユーディットは戸惑う。一般的には容姿などを磨くものなのだろうが、ランプレヒトに対して素をさらしてしまっている以上、好感をあげるにはどう努力をすればよいのか判らないでいた。彼の推しカプと好みの異性が似通っているのであれば、容姿が平凡な自分は初手で詰んでいる。彼の推しカプになる女性は、基本的に見目麗しいか、中身が清廉だ。薔薇趣味根性が沁みついた凡庸なユーディットではどちらにもなりえない。

ただでさえ彼を前にすると平静でいられないときがあるのだ。無様しかさらしていない。己をかえりみると、逆に嫌われていないことが不思議に思えてくる。

ランプレヒトの度量の広さをありがたく感じるユーディットだが、その実、彼が兄と狭量なやり取りをするぐらいに真逆の人間性の持ち主だとはまだ気付いていない。

昼食の時間となり、いつも通り薔薇観察のためユーディットは食堂に向かう。この時間は薔薇観察、というより傍聴にあてているため、ランプレヒトとともに食事をとったことはない。食堂への道中、そういえば彼が普段どこで昼食をとっているか知らないことに気付いた。ささいなことだが、気付くと気になってしまう。今度会ったときに訊こうと、ユーディットは決める。

食堂の入り口がみえたあたりで、見覚えのある男性二人組がいた。あれはいつぞやの一方に婚約者ができてしまい男同士の友情に亀裂が入りそうになったと思いきや、ユーディットには仲が良いとしかみえなかった男子生徒たちだ。ちょうど廊下の角があったので、ユーディットは即座にそこに引っ込み、傍聴の体勢を整える。


「あーあ、せっかく彼女の友達と会わせてやったのに」


「うるせー」


からかうように笑う一方に対して、もう一方の男子生徒は不貞腐れている。不貞腐れている方は婚約者がいない方の男子生徒だ。会話からすると、どうやら婚約者がいる方の男子生徒が、その婚約者を通じて女性を紹介してくれたらしい。しかし、友人はその機会をふいにしてしまったようだ。


(急に二人きりで会わせたりはしないわよね。ということは、彼と婚約者も一緒だったんじゃ……、つまり、彼と婚約者の仲睦まじい様子が気になって女の子どころではなかったことでは!? やきもちどころじゃなく、胸を痛めたのかもしれないわ……!)


「付き合えるなら誰でもいいって言ってたのは、どこのどいつだよ」


「お前、ヒトの気も知らねぇで」


ユーディットの誇張にとんだ拡大解釈は、男子生徒たちのやり取りで確定事項と断定される。彼らは、単に女性との会話に慣れているかの素養の差の話しているだけである。婚約者がいない方の男子生徒は、どうやら願望ばかりが強く実践にはとんと弱い様子だ。


「ほら、よく俺らを見てるあのコとかどうだ? お前に気があるかもしれないぜ」


そういって、婚約者がいる方の男子生徒が指し示したのは、ユーディットであった。存在に気付かれていた事実に、ユーディットはどきりと心臓が跳ねる。確かに彼らは、昼食の時間に観察ないし傍聴する際の推しカプの一組である。ユーディットが隠密してたつもりでも、ただ死角になりやすい位置にいただけで気配を消している訳ではない。薔薇妄想の観察対象側に気付かれていても不思議はなかった。

廊下の角で固まっているユーディットに、薦められた男子生徒が一瞥をくれる。ユーディットは余計に身動きができなくなった。


「俺にも選ぶ権利あるっての」


そう嘆息して、名も知らぬ彼は両手を後頭部へやり、食堂の入り口へと向き直った。もうユーディットの方を確認する様子もない。

それもそうだ。男子生徒の言葉に、すとん、と納得した。平凡な容姿で、ただ髪をお団子にまとめただけで着飾ってすらいない。存在を認識されていたからといって、緊張する必要などなかったのだ。

ユーディットが自身の身の程を再認識したところで、視界が陰った。どうしてかと思い、後ろに振り返ると、陰る原因が立っていた。


「レヒト君」


いつの間にいたのか。そもそも彼も昼食は食堂派だったのかとユーディットが考えていると、ランプレヒトは彼女の向こうを見定めて、ぼそりと呟いた。


「聞き捨てなりませんな」


一体何が、とユーディットが問うより先に、ランプレヒトは彼女の肩にぽんと手を置き、抜いていった。迷いのない足取りがどこに向かうのか、ユーディットが見守っていると彼は、食堂の入り口手前でさきほどの男子生徒二人を止めた。


「思い上がりもはなはだしい」


挨拶も何もなく、上から降った言葉に、男子生徒たちが振り仰ぐと長い前髪ごしに自分たちを見下ろす背の高い男がいた。視線どころか、言葉から見下されていることが伝わり、男子生徒の態度にも険が増す。


「なんだよ、お前」


「妄想のネタにしかならない分際で、よく自分が選ぶ側だとよく思えますな」


「なんだと!?」


見知らずの相手にいきなり呆れられ、男子生徒はランプレヒトにつかみかかる。身長こそ高いが、筋肉質な訳でもなく前髪で顔は隠れ、男子生徒が恐れる要素はなかった。しかし、ランプレヒトは制服を掴まれても怯えた様子なく、平然としていた。


「ユディ殿のよさをわざわざ教えたりなど御免ごめんですが、女性に選んでももらえないのに、選ぶ立場の気でいる自意識過剰さに彼女を巻き込まないでいただきたい」


「な……!?」


風評被害はなはだしいと、ランプレヒトは苦情を申し入れた。他人を勝手に自分より下に扱っていると、自身の浅ましさを的確に突かれ、男子生徒は二の句が継げなくなる。湧くのは第三者が多く通る廊下で指摘された羞恥と、なぜ知らぬ相手に自身の欠点をさらされなければならないのかという憤怒だった。

怒りのままに男子生徒が腕を振り上げたところを、彼を思い上がらせるきっかけを振ってしまった友人が止める。


「おい、やめろって」


「なんでだよ!?」


「こいつ、シュターデンだ」


「髪が青くないってことは三年の方じゃねぇだろ。シュターデン最弱って言われてる一年じゃん」


シュターデン家最弱と噂される同学年の男子など、脅威には思えない。友人がなぜ止めるのか、男子生徒は理解ができなかった。それとも、競技大会にも優勝し学園最強の座をもつ兄に彼が泣きつきでもするのだろうか。兄弟にいいつけるのか、確認すると、ランプレヒトは静かに首を横に振った。


「その必要はありませぬ。某が魔力量はあれど適性属性の鍛錬をおろそかにしていることは、噂で聞き及んでいるでしょう」


「お……おう」


噂にのぼる奇人だと自覚のあるランプレヒトが問うと、男子生徒は肯定した。彼の情報認識具合を確認し、笑みを刷いた。


「では、ここで某が適性の火魔法を使うとどうなりますかな?」


魔力だけが多く、制御の術をもたない者がその火力を最大限活かせる適性魔法を発動させたらどうなるか。暴発は必至。軽く火傷で済むような可愛い結果で済まない。想像してみて、男子生徒はぞっとした。最悪、死ぬ。


「試してみましょうか」


そういって、ランプレヒトが人差し指を立てたので、魔法の発動を止めようと男子生徒は殴って彼の昏倒こんとうを狙う。

だが、その拳はわずかな動きだけで避けられ、突き出した拳をそのまま引かれ、体勢を崩したところに足払いをかけられ、男子生徒は簡単にひっくり返された。自分に起こったことが理解できず、男子生徒は呆然と廊下の天井を見上げる。


「武力馬鹿なシュターデン家最弱なだけで、一般人程度なら某でもあしらえるのですぞ」


ランプレヒトは事もなげに告げ、彼らに関心を失い、ユーディットに振り返った。一連の出来事に、ユーディットは驚きすぎて言葉もでない。そんな彼女に、通り過ぎたはずの彼は微笑みかける。


「奇遇ですな、ユディ殿。よろしければ、昼食をご一緒いたしませぬか?」


「あ。えっと、……はい」


おそらくほんの数分の出来事だった。しかし、ユーディットには情報過多だ。ランプレヒトがここまで自分のことで怒るとは思わなかったし、彼が思った以上に強かった。彼が怪我をしないか心配していたので、予想外すぎた。

自分が傷付くかどうかすら微妙な、ささいなことを彼はとても大事に拾い上げてくれた。罵倒といってもよいか怪しいほどの感想だったのに。誰かに、ここまで大事に扱われたことなどない。だから、とても驚いた。

そして、彼は当たり前のように自分に笑いかけるのだ。ユーディットには、彼のくれるいつも通りが特別なもののように感ぜられた。

驚きのままに、ユーディットは是と頷いてしまい、気付けばランプレヒトと食堂で一緒に昼食をとることになっていた。意外と一口が大きかったり、食べ終わるのもユーディットより早かったり、食事中そんなところを目にして男の子だな、と感想をもった。

昼食を食べすすめていると、先ほどの出来事が思い返され、初めてみた彼の怒った表情カオが自分のためであることが嬉しく、なんだか格好良かった気がして、ぽっと灯るように頬が熱を帯びた。噛みしめているのが食事なのか、嬉しさなのか、ユーディットには判断がつきかねた。

食後、席で向かい合ったままお茶をして落ち着く。あたたかい紅茶を口にする前から、ユーディットはぽかぽかとした心地だった。脇には図書館から借りた本が一冊。本来なら一人で食事をする予定だったので、残りの時間を過ごすためにもってきていた。その本にランプレヒトを視線を投げる。


「最近はそちらを読まれているのですかな?」


「あっ、これは……っ」


続きが気になり、思わず持ってきていたメーアの海を見つけられ、ユーディットは言葉をにごす。好きなことを否定したくはないが、今ここで肯定してしまうと、ランプレヒトに薦めるような形になってしまう。苦手な分野の作品を彼に強要したくないユーディットは、悩みながら言葉を選ぶ。


「そうですが、大丈夫です。こちらの感想を無理に聞かせたりはしませんから。ちょうどハルトヴィヒ先輩が既読でいらして……」


「ハル先輩が?」


無理強いはしないから、と安心させようとユーディットがあげた名前に、ランプレヒトは反応を示す。妙なところを拾われ、ユーディットは首を傾げる。血なまぐさい描写のある作品を、リーゼルやエルメントラウトに紹介する訳にもいかない。ユーディットが嬉々として語った日には、エルメントラウトなど涙を浮かべそうだ。それが容易く想像がつくので、同性を話題にあげても支障のない相手にするのは難しい。ユーディットの選択はごく自然なものだった。


「……某も読みます」


思案の沈黙のあと、発せられた言葉に、ユーディットは目を見開く。


「あの、でも、これ……むさくるしいですよ!? 筋肉隆々な男性がほとんどで、女性も少なく、でても……」


コラレの碇の方なら、ユーディットも薦めた。あちらは王位継承を競う相手には少女がいたり、主人公が王位につくのを応援しつつ玉の輿こしを狙う少女などもいる。だが、海賊時代の物語であるメーアの海は、殺傷表現だけでなく凌辱りょうじょく表現も少なからずある。男性比率が高いこともそうだが、女性の尊厳を踏みにじる描写を百合を愛でるランプレヒトが許容できるとは思えなかった。

筋肉隆々な男たちの図を想像してしまったのか、ランプレヒトはぐっと堪えるように口を真一文字に引き結んだ。やはり苦手な分野の物語らしい。


「読みます。なので、感想はハル先輩でなく某に聞かせてください」


「どう、して?」


わざわざ覚悟をしてまで臨む必要のないことだ。疑問がそのままユーディットの口から零れる。


「某が読んでいれば、薔薇妄想も語れるでしょうし、そうすればユディ殿はハル先輩のところに行かないでしょう?」


「それは、そうですが……」


「独り占めしたい某の我儘です。ユディ殿の感想はなしは、すべて某に聞かせてくだされ」


読まなくても感想を聞くだけならできる。けれど、同じ作品を読んでいる方が、説明が省け、ユーディットが存分に妄想を含めた感情を吐き出せることだろう。ランプレヒトは、彼女が好きなものを語るときの嬉々とした表情がとても好きだ。それはもう、他の人間に見せたくないほどに。

ランプレヒトからの懇願に、ユーディットはこくりと縦に頷くのだった。苦手なことなのに自分のために頑張ってくれる事実が、不覚にも嬉しかった。ユーディットの自意識よりずっと過剰なことを彼はしてくる。彼からもらう嬉しさを認めるたび、ユーディットは自分が女の子なのだと思えてくるのだ。

きっと実際に読了後の感想をいう段になったらそれどころではなくなるだろうから、今のうちに頬に熱をもつほどの嬉しさをか噛みしめておこう。

このときのユーディットは、首領リフの戦死を受け、またランプレヒトに泣きつく未来を知る由もなかった。


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