07.いつも通り



ユーディットは困っていた。

警戒するようにランプレヒトに忠告を受けてからというもの、これまでどうやって彼に接していたかを忘れてしまったのだ。

更衣室での身体を包む腕や、忠告の際に絡まった長い指、囁かれた際の吐息の感触までさまざまに思い出され、頬が熱をもつ。眠る前などについ思い出してしまうものだから、落ち着かなくなり、動揺し疲れて眠る日々が続いた。

その間も、ランプレヒトは変わらずユーディットに接する。いや、ふとした瞬間に彼女の心臓に悪いことをするようになった。

たとえば、話し込んで遅くなったときに、女子寮に送るために差し出された手に自身の手を重ねると、指が絡まる繋ぎ方をされたり、繋いでいる間に親指で肌をなぞられることがある。男子生徒たちの観察に夢中になっている自分に声をかけるときも、あえて耳元に囁きかけられたりして、心臓に悪い。ランプレヒトを前にして、顔を赤くすることが増えた。しかし、友人を拒絶するのも変な話なので、ユーディットは彼のいう警戒がうまくできないでいた。

自身を異性として意識されることなど初めてだ。そして、相手を警戒すべき異性としてみるのも、初めてだった。そんな異性ひとなどいないと思っていた。

けれど、彼から与えられる感触は、無視できないほどに確かだ。ランプレヒトと別れたあとも、就寝前のようにふとした瞬間、視線や吐息、触れられた感触をありありと思い出されてしまう。

これでは変態ではないか。いや、普段の妄想は変態のそれではあるが。ユーディットは羞恥で赤面するも、己をかえりみて、変態さに関してはこれまでと変わりはないことに気付いた。

しかし、これまでは物語のなかの登場人物が対象であり、現実の人物であってもかなり脚色を加えた解釈で妄想をしていた。そもそも、薔薇妄想で自身は観測者であり、その妄想のなかにいない。睦み合うのは自分以外の誰かが常だった。

なのに、彼を想起するときの対象はかならず自分で、ユーディットはひたらすらに恥ずかしい。薔薇妄想であれば、もっと過激な妄想を繰り広げるというのに、いざ自身の立場になるとささいな触れ合いでさえとんでもないことのように感じる。

逃げたいような気持ちもあるが、ランプレヒトは大事な友人であるので、逃げるという選択肢を選べずにいた。かといって、ユーディットが向き合うにはハードルが高くあるのだが。

一人では解決の糸口が見つけられなかったため、ユーディットはリーゼルたちに相談することにした。


「先輩ぃ~」


「どうしたの!?」


「何か、あった……?」


お茶会の開始早々、半泣きに近い様子でユーディットにすがられ、リーゼルとエルメントラウトは驚く。

ユーディットは男子更衣室に忍んだ点は伏せて、それ以外は正直にランプレヒトへの対応に戸惑っていることを打ち明けた。リーゼルは、紹介された時点でランプレヒトが彼女を気に入っていることは判っていたので、不思議には思わなかった。エルメントラウトも、幼い頃から彼を知っているがゆえに自身から関わろうとする女性がいる時点で特異なことだと気付いていた。二人にとって意外なことといえば、想定以上に彼に行動力があったことだろうか。

困っている後輩に、二人は思案する。二人とも婚約者も、付き合っている恋人もいないため、ユーディットに対して有効な助言が浮かばないでいた。力になりたい気持ちだけでは、どうしようもない。

打ち明ける内容が内容だったため、熱をもった頬を冷ますようにユーディットはお茶を飲む。一番紅茶の消費の早い彼女を見遣りつつ、リーゼルは紅茶を一口飲んで、ティーカップをソーサーに置いた。


「私もハルにどきどきすることがあるけど、普通のことだし……」


今しがた耳にした情報に、ユーディットは一瞬自分のことを忘れて、純粋に驚く。ハルトヴィヒとの距離感が近すぎるリーゼルは、彼とそうあるのが当然であるような様子のため、すでに熟年夫婦の域に達しているのだとばかり思っていた。


「え。どきどきするんですか?」


「するよ? ハル、カッコいいもん」


逆にしない方が奇怪おかしいだろうと、リーゼルに返される。当然であるがごとき返答に、ユーディットは釈然としないものを感じる。確かに、ハルトヴィヒに対して、格好いいという評価は正しい。ただ、彼の場合、眉目秀麗すぎて美しいという表現の方がさらに当て嵌まる男性だ。彼女は一般女性と同様に感じ方だと思っているようだが、リーゼルの感想からして他の女性のそれよりも特別だ。

リーゼルは、ハルトヴィヒを思慕する他の令嬢との違いに気付いていない。


「エル先輩、ものすごく合っているようで違うと言いたいんですが……」


「わかるわ。けれど……、いつか気付くことなら、リゼちゃんはしばらくこのままの方がいいと思うの」


「どうしてですか?」


「だって、彼に知れたらリゼちゃんが危ないもの……」


現在の均衡は、リーゼルの自覚がないことで保たれている。ハルトヴィヒが辛うじて我慢できているのは、彼女に嫌われる恐れからだ。思春期のこの時期にその憂慮がなくなってしまえば、リーゼルの身が持たないのではないか。そう、エルメントラウトは危惧きぐしていた。

エルメントラウトの意見をきき、むしろみてみたいとユーディットは思ったが、野次馬根性な発言をつぐむことにした。友人の身を案じているエルメントラウトに対して、失礼だ。それに、ユーディット自身が現在身が持たない状態にあるため、若干共感もできた。


「警戒心持つようにってハルに言われるんだけど、ハルにされて嫌なことってないから、ハルにはできなくて……私じゃ参考にならないね」


「いえっ、素晴らしい供給をありがとうございます!!」


ユーディットが、いかに警戒するかを相談したというのに、リーゼルも警戒の仕方が解らないため不甲斐なさを謝る。しかし、彼女から返ったのは礼だった。しかも、何に対する感謝か解らず、リーゼルは首を傾げる。

ユーディットは、自分が聞いていいのかとさえ思う爆弾発言に興奮していた。リーゼルは公爵令嬢で、人柄もよい。彼女の身分にすり寄ろうとする男性は少なからずいることだろう。ハルトヴィヒがしっかりと眼を光らせているだろうが、リーゼル自身もそういった手合いには警戒しているはずだ。つまり、リーゼルに警戒心がないのではなく、唯一ハルトヴィヒに対してのみそれが不要だということだ。ユーディットは今の彼女の科白を、ハルトヴィヒに伝えたい衝動と、是非本人の口から聞いてもらいたいという切望に苛まれた。すでに彼女の脳内では、リーゼルを男性化したうえでの妄想がくり広げられている。どんなに自身のことで悩んでいても、推しの一挙手一投足には反応してしまう。己のさがに逆らえないユーディットであった。


「ユディちゃんは、怖く、ないの……?」


「へ?」


エルメントラウトに問われ、戸惑いこそすれ彼に怯えていないことにユーディットは気付いた。もちろん本能的に逃げたくなることはある。しかし、本当に逃げようとしたことはない。むしろ、どう立ち向かうかをずっと悩んでいる。どうしてだろうかと、ユーディットも首を傾げた。


「あたしは、そういう目で見られるの、怖いわ……」


想像しただけで怯えて自身を抱き締めるエルメントラウト。その腕からは、豊満な胸元が収まりきらずにいた。そのさまだけで、彼女が異性からどういう眼差しを受けているのか、ユーディットは容易く想像できた。

気が強そうだと誤解されるつった目元にある泣き黒子や、肉感ある姿態したいは、男性の期待と妄想を膨らませるに充分だ。エルメントラウトが、平気な男性は自分を意識しない相手に限られる。仮に二人きりになったとしても安全な、ランプレヒトやハルトヴィヒはまだ話せる。幼い頃から知っているがランプレヒトは女性を眺めることは好きだが自身が干渉するのを極端に嫌がるし、言葉遣いが荒いところは得意ではないがハルトヴィヒはリーゼル以外の女性に興味がない。アルトゥルも幼い頃から知っているものの、自分と対局にいてエルメントラウトは苦手だった。彼に関しては、異性として意識される懸念以前に不得意な相手である。

親しい者ですら、男性となると得意不得意のある彼女なので、ユーディットのことが心配だった。

エルメントラウトの心配を受け、ユーディットは自身を省みる。ランプレヒトに動揺させられたとき、その動揺のなかに恐怖はあっただろうか。思い出すだけでも心臓が騒ぐが、胸元に手を当てぐっと堪える。

最近の出来事を振り返り、ユーディットはひとつの解を出した。


「……私、もっと怖いことがあります」


ランプレヒトと過ごしてきて、一番恐怖を覚えたときのことを思い出す。それは、彼に動揺させられたときではなかった。


「レヒト君に嫌われることの方が、ずっと怖いです」


今は彼の耳に誓約の証がある。けれど、その証を渡すときほどユーディットは恐怖を覚えたことがない。だから、彼にされることに動揺こそすれ、恐怖はなかった。本能的に逃げ出したくなる瞬間もあったが、それすらあのときの恐怖の比ではない。


「ユディちゃんが怖くないなら、いいわ……」


でも、気を付けて、とエルメントラウトは言葉を添える。彼女の気遣いに、ユーディットは礼をいった。

彼はあのとき自分を嫌うのは難しいといった。ランプレヒトの言葉があったからこそ、彼に嫌われるのではないかという憂慮はユーディットにはもうない。そして、気付く。自分も彼を嫌うのは難しいと。


「お二人に話したおかげで分かりました。やっぱり、レヒト君を嫌がるのはできなさそうです」


できないことを要求されたのだと、ユーディットはようやく納得した。

少し眉を下げた彼女の笑みに、二人はいい助言ができずに申し訳ないと謝罪する。そんな二人に、ユーディットは感謝を返した。確かに具体策は定まらなかったが、二人が話を聞いてくれたからこそ、自分の優先順位に気付けた。そして、一人ではどうしようもない感情を吐露できて、落ち着いたことで、思考をめぐらせることができたのだ。一人ではまともに思考することも叶わなかっただろう。

とりあえず、いつも通りのことをしてみることにする。ランプレヒトに調子を乱されていたので、自分らしいことを意識してすることにした。事態の解決にはならないが、心を落ち着ける時間を設けることはできる。

ちょうどエルメントラウトに、脈石みゃくせきの騎士の最新巻が図書館に入荷していると教えてもらったので、ユーディットはそれを借りた。就寝前にでも推しカプに癒されようと決めたのだった。



翌日は、授業の空き時間に東屋で落ち合う日だった。

学期ごとに受ける科目を選び、自身で時間割を作る形式のため、二学期は事前に合わせやすかった。人気ひとけのない校庭の端にある東屋のため、花より木々の方が多い閑散とした場所だ。学園の庭師が手入れしているので寂れた様子はなく、いつでも使えるようになっている東屋だが、これから訪れる季節には向かないように思う。気候が穏やかなうちに、その辺りを相談する必要があると考えながら、ランプレヒトは目的の東屋を目指す。

更衣室での一件以降、ユーディットに異性としての関心をもっていることをあまり隠さなくなった。そもそも隠してはおらず、行動に表すようになったといった方が正しい。警戒するように警告したうえで、触れる機会を逃さないようにした。そうでないとユーディットが自分が異性であることを忘れそうだからだ。

ユーディットの反応からして、意識はしてもらえているのだろう。だが、彼女の抵抗が弱いのは自分が友人枠にいるがゆえに許容範囲が広いだけにも思えてくる。それでも、触れることを許されれば、自惚うぬぼれる気持ちも湧く。どこまで許してくれるのか、さらに踏み込みそうになるのを堪えるのが、だんだん難しくなっている。

これも彼女が嫌の一言もいわないことが原因なのだが、その自意識と警戒心の低さにつけ入っている自分が責めるのはお門違いというものだ。

それに、決定打をうたない自分も悪い。異性としてみてほしいと思いながら、想いを彼女に解るように伝えずにいる。

想いを告げれば、彼女は確実に自分が異性と理解するだろう。しかしながら、それにより彼女が自分から逃げる可能性がある。彼女のことだから真剣に考えたうえで答えを返してくれるだろうが、その結果が友人でいてほしいというものでは困るのだ。彼女を逃がしたくないランプレヒトは、賭けにでることができずにいた。

臆病風でしかない自身の足踏みに、ランプレヒトは、ふっと可笑しくなる。

これまで何かに躊躇ためらいを覚えたことがない。ユーディットと出逢ったことで得た葛藤や躊躇が、とても愛しいものに思える。

東屋がみえてくると、すでに先客がいた。お団子が二つの灰色の髪は、ランプレヒトの見慣れた後ろ姿だ。


「ユディ殿、待たせましたかな」


湧く愛しさに自然と笑みを刷き、ランプレヒトが声をかける。しかし、その後ろ姿は微動だにしない。

どうしたのだろうと、彼は近付き、東屋に踏み入れるとユーディットがその気配に振り向いた。


「ユディ殿……?」


振り向いた彼女の目元が赤いのが眼に入り、ランプレヒトが事情を問い質すため、もう一度名を呼ぶ。


「……レヒト、君」


しかし、彼の姿を認めた瞬間、ユーディットの瞳から涙がにじむどころか決壊し、ランプレヒトは問い質すどころではなくなった。驚いている間にも、彼女の瞳からはぼろぼろと大粒の涙が溢れ出てゆく。


「うぇぇ……っ、エ、エン……、エンディミオン様がぁ……!!」


ランプレヒトにすがって、泣き喚くユーディット。その彼女の口から拾えたのは某物語の登場人物の名だった。エンディミオンは、脈石の騎士に登場する公爵令息であり、主人公レアルの主人だ。そして、エンディミオンとレアルは、ユーディットの推しカプである。その名を聞き、物語に要因があることにランプレヒトは勘付く。

自分をみるなり泣き出すものだから、それほどに怖がらせるようなことをしたのかと一瞬焦った。自分が要因でないことに安心はしたが、彼女が心を痛めるだけのことがあったのだろう。楽しそうに推しカプについて語る彼女を見慣れているだけに、その涙はランプレヒトの心を揺らした。

すでに目元が赤かったことからして、すでに一度泣きはらしていたのだろう。なのに、薔薇妄想含めて打ち明けられる唯一の友人である自分をみて、また心が緩んで涙するとは、それだけ悲しい出来事があったということだ。ランプレヒトは、それを理解できても、これ以上泣いてはれががひどくなってしまうことが気がかりで仕方なかった。

泣き止ませるために理由を訊くにしても、彼女が泣き止まないことには答えられない状態だ。状態が正確に確認できないので、適切なかける言葉が判らない。指でぬぐうことも考えたが、それで涙を止めれはしないし、気を付けてもこすってしまい腫れを悪化させないか心配だ。

ユーディットにすがられている体勢で、彼は悩む。とりあえず、頭を撫でているが落ち着く様子がない。仕方がないので、ランプレヒトは駄目元であることを試すことにした。

ユーディットの肩を少し押し、自分と向き合えるだけの距離を作る。そして、顔の輪郭を覆うように、彼女の頬を手で包み、少し下にたどってあごを持ち上げる。えぐえぐと泣く彼女は、されるがままだ。

ランプレヒトは、そっと涙の源に唇を添え、溢れるそれを吸い取った。

自身に起こったことに驚きすぎて、ユーディットは固まる。それに伴い、涙もぴたりと止まった。

効果があったことに安堵し、ランプレヒトは表情を綻ばせる。


「イケメンのみに許された秘技でしたが、某でも効果がありましたな」


ぽかんとした表情で、ユーディットは彼の顔を見上げる。今、自分に何があったのだろう。

理解するために起こった出来事を反芻はんすうし、ユーディットは火が出そうな勢いで顔を朱に染めた。吸われた箇所を思わず庇うように、手で隠す。


「なっ、なななな……!?」


疑問符しか浮かばない混乱に見舞われ、ユーディットはなんと彼に問えばいいか判らない。口から出るのは無意味な音だけだった。


「ユディ殿が泣き止んでくれて安心いたしました」


ユーディットの意味をなさない音でも、その疑問をくみ取ったのか、ランプレヒトは行動の理由を明かした。それで、ようやくユーディットも理解する。彼が一向に泣き止まない自分のために、恋物語にあるような手段をとったことを。

それでも、他に方法はなかったのかと思ってしまう。抗議をしたいが、自分を気遣っての行動なのでユーディットは責めれずに弱る。


「あの、イケメンとは……?」


代わりに耳慣れない単語を聞いたことを思い出し、訊くとランプレヒトはあっさりと母に教わった言葉のひとつだと答えた。


「見目がよく、何をしてもさまになる男を指す言葉だそうですぞ。ユディ殿にとってのエンディミオンなどがそうです」


「あっ、そうなんです! エンディミオン様が!!」


ランプレヒトの説明に納得して即座に、例にあがった男性の名前にユーディットは飛びつく。彼女にとっての一大事が最新巻で起こったのだ。


「して、どうされたので?」


「エンディミオン様のご尊顔に傷が……っ!! しかも、レアルをかばってできた傷で!!」


悲痛な面持ちで、ユーディットは泣き出した原因について語った。

昨夜、本調子を戻すつもりで読んだ脈石の騎士の最新巻は、ユーディットを薔薇妄想に戻しはしたが、戻しすぎた。ちょうど前の巻で勅命で戦線に派遣され、勝利を誓い出立したところで終わっていた。最新巻は、戦線の様子が主に描かれており、騎士を目指す者には戦術や指揮において参考になる構成となっている。しかし、ユーディットが着目したのはそこではない。悪天候で混戦となり、レアルに向かって放たれた矢から庇いエンディミオンが片目を失明してしまう。その瞬間の描写に、ユーディットは深夜であることも忘れて悲鳴をあげてしまった。

完璧な美貌の持ち主のエンディミオンに傷ができてしまったこともショックだが、守るべき主人に守られてしまったレアルの絶望は計り知れない。レアルに同情し、泣く資格がないと涙を堪える主人公の代わりに滂沱の涙を流したのはユーディットだ。

主人に怪我をさせてしまった。主人に守られた。その事実に茫然自失となるレアルを叱咤したのは、負傷したエンディミオンであった。自身の傷に気をとられている場合ではない、と眼玉ごと矢を抜き、指揮をとるエンディミオン。彼の恫喝で我に返ったレアルは、奮闘し、見事勝利をもたらす一因となった。

勝利を土産にエンディミオンの部隊は凱旋がいせんしたが、レアルは沈痛の表情であった。主人を守り切れなかった彼に、今回の勝利はとても誇れるものではない。負傷の原因が彼だと知って、エンディミオンの婚約者のセレナが激昂げっこうし、彼を責め立てた。エンディミオンの容姿に惚れているセレナには、婚約者に傷ができるなど最も残酷な事態であったからだ。それをレアルは享受する。自身を責めるでは足りないレアルには、彼女の叱責が救いに思えた。


「今回ばかりはセレナの気持ちにも共感しました。いえっ、私はレアルを責めたりはしませんよ!? けど、あのエンディミオン様の美貌に傷がつくなんて……!! 耐えられな……、あ、でも、眼帯のエンディミオン様も想像するだけで格好いいっ!! それに、レアルだから無条件に庇ってしまったのだとしたら、大変尊みある……、そのあとの恫喝も格好いいうえレアルへの愛が溢れていて、とても素晴らしかったです!」


自分は一体悲しめばいいのか、それとも興奮に打ち震えればいいのか、とユーディットは葛藤する。巨大感情が到来して処理ができず、彼女は涙していたらしい。

とりあえず、悲哀も歓喜も興奮も全部したいのだろうと、ランプレヒトは理解した。


「そのあと、レアルも失意に暮れるのですが、自暴自棄なその姿が大変痛ましく……!! けれど、それだけ悲嘆に暮れるのはエンディミオン様だからで、彼への想いの深さだと思うと、これまた素晴らしく! 主人公の宿命とはいえ、毎巻レアルを突き落とすのひどいとは思います。ですが、彼の心を救い上げ奮起させるのはかならずエンディミオン様で、彼が立ち上がるのはエンディミオン様のためなんです……! 素晴らしく尊い!!」


騎士に憧れる男性なら忠義に胸を熱くする箇所で、ユーディットは別の意味で胸を熱くしている。感動しているのは確かだが、薔薇解釈したうえでの感動である。

せわしなく表情が浮き沈みするユーディットを、ランプレヒトは話に耳を貸しながら見つめる。ころころ変わる表情はみていて飽きないし、瞳を輝かせる様はいつまでもみていたくなる。彼女が楽しそうで何よりだ。熱弁しているうちに、彼女の表情が明るいものへと変わり、ランプレヒトの笑みは深まる。


「それ、で……」


興奮のままに最新巻の感想を吐き出していたユーディットは、はたと我に返る。正確には、焦茶こげちゃの前髪ごしの視線に気付いて、言葉が途切れた。

目の前に笑みを刷くランプレヒトの顔がある。かかった前髪で視線が合いにくいとはいえ、自分はなぜ正視できていたのかと疑問が湧く。気付いてしまうと、途端に彼と眼を合わせていられなくなり、ユーディットは視線を落とした。そうして、自分がずっと彼にしがみついた体勢のままだったことを、ようやく把握する。


「ぁわ! ごごごめんなさい……っ」


「なんの。某も驚かせてしまいましたから、お相子あいこです」


慌ててランプレヒトから離れるユーディットに、彼は朗らかに笑みを返す。迷惑などではまったくなく、彼女の顔を近くで眺められたので、ランプレヒトにはむしろ得であった。

驚かせた、の意味を理解し、ユーディットは思わず彼の唇が触れた場所に手を当てた。


「嫌、でしたかな」


正気に戻った今の彼女からなら、殴るなり何なりされても構わないと、ランプレヒトは確認する。彼女が嫌がることは避けておきたいので、知っておきたかった。

ユーディットは視線を逸らしながらも、きちんと答えを返した。


「……レヒト君だと、嫌なことがないので嫌がれません」


頬を染め、そんなことをいうものだから、ランプレヒトの動悸が増す。どうして彼女は自分が危険な発言をしていると解らないのだろう。これまでずっと彼女から拒絶の言葉を聞いたことがない。だから、自分のような男が図に乗るのだ。


「ユディ殿は、一体某をどうしたいのか……」


「えと……、嫌わないでほしい、です」


自惚れが深刻化しそうで、思わずランプレヒトが呟くと、ユーディットは至極真面目な様子で以前にも聞いた望みを口にした。いくら彼が理解があるとはいえ、情緒が狂っている状態で薔薇妄想全開で吐露してしまったのだ。裏切らない証が彼の耳にあれど、引かれていないか心配になる。


「他の方にはいくら嫌われようと平気です。仕方ないことだと思えます……、けど、レヒト君だけは」


ユーディットが、ぎゅっと両手を組む様子は、まるで祈るようだった。自身の本性が好意的にみられないものだという自覚があるため、他人に嫌厭けんえんされる覚悟はできている。しかし、その覚悟の対象にランプレヒトはいない。リーゼルたちに相談して、彼の望む警戒ができないと悟ったユーディットは、それを正直に明かすことにした。

素の様々な表情をみせるたび、ランプレヒトに、引かれるどころか、惹かれていると彼女は知らない。


「ユディ殿」


組んだ両手を、指の長い手に包まれる。そのぬくもりにユーディットが顔をあげると、かかった前髪越しに空色の瞳とかち合った。


「以前、嫌うのは難しいと言ったこと訂正しますぞ」


訂正されるという事実に、びくりとユーディットは怯える。やはり先ほどの醜態しゅうたいで引かれてしまったのかと。


「ユディ殿を嫌うなど、到底無理な相談です。なんせ、泣き顔をみても、その涙を食べたくなるほどなのですから」


他に誰もいないというのに、顔を近付け、自分だけに届く声量で囁かれる。確かに届いた言葉に、ユーディットの心臓は大きな音をたてた。

自身の心音にびっくりしすぎて、ユーディットは硬直する。彼がこれ以上何かをいう前に、どうにかしなければと思うのに、どう答えるのが正解か判らない。これ以上きいたら、自分の心臓は壊れるのではないだろうか。そんな危機感だけが空回りする。

自分を安心させるためにいわれた言葉だというのに。そう自身にいい聞かせるも、ユーディットに押し寄せるのは安堵ではなく動揺だけだった。

次の授業をしらせる予鈴が、遠くからこの東屋にも届く。ユーディットにはその鐘の音が救いに思えた。


「ここからだと、急がないと授業に間に合いません……!」


「そうですな。急ぎましょうぞ」


同意を得たことに、ユーディットは胸を撫で下ろす。二人は校舎へ戻ることにする。

彼に手をひかれながら、ランプレヒトに出逢う前のいつも通りを忘れつつあることを、ユーディットは悟ったのだった。


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