04.百合



一学期の期末試験後の週末、ユーディットは夏花の鮮やかな花壇の近くにある東屋に訪れた。東屋からみえる位置に池もあり、視覚的に涼やかだ。


「先輩、お待たせしました」


「ううん、私たちも今きたところだよ」


緊張した面持ちでユーディットが挨拶をすると、相手はその緊張をほぐすようにやんわりと微笑み返した。一学年上のリーゼルは、約束通り彼女をお茶会に誘った。二人が会ったのが期末試験前だったため、それが終わってからの慰労も兼ねてと相成った。

リーゼルはきたところだというが、メイドが紅茶やお菓子の支度を整え終わっている。事前に指示していただろうが、すでに座っていることから少しは待たせたことだろう。ユーディットは申し訳なく思うが、リーゼルにそう返されてしまい謝罪を封殺されてしまった。


「紹介するね。このがエルちゃん」


「……エルメントラウト・フォン・レッケブッシュ、です」


ランプレヒトの幼馴染だと聞いていた令嬢を紹介される。エルメントラウトは、紅く燃えるような髪をしていて、目元は鋭利で眼光が強く感じる。胸元が強調されずともたわわで、右目にある泣き黒子ぼくろも相まって色香もある。容姿としては、女性的戦闘力が強い外見をしていた。

しかしながら、リーゼルよりも背があるのに彼女の背後に隠れ、おどおどと囁くような声音、常に下がり気味の眉が外見とアンバランスだった。

肉食獣のような容姿で中身は小動物並みとはこれ如何に。遠目にみる印象とはずいぶん違うことに、ユーディットは驚いていた。外見だけしか知らなかった頃は、ランプレヒトは赤髪の彼女を攻めとみているのだと思っていたが、これはリーゼルを攻めと解釈していても奇怪おかしくない。今度、彼に会ったときに確認するとしよう。


「ユーディット・フォン・アイヒロートです。よろしくお願いいたします。エルメントラウト先輩」


「あ、その……」


名乗り返すと、エルメントラウトは躊躇ためらいがちにだが、何かをいおうとした。ユーディットが小首を傾げると、彼女はリーゼルに耳打ちする。耳打ちされたリーゼルは、心得たとばかりに頷いた。


「あのね、名前が長くて呼びづらいだろうから、エルでいいって。私もリゼって呼んでくれると嬉しいな」


知り合ったばかりの自分を急に略称で、と提案するのが彼女にはハードルが高かったのだろう。彼女一人では気負うだろうと、リーゼルは自身も略称で呼ぶように勧めた。

気遣いはありがたいが、先輩相手にそのようなことが許されるのだろうか。ユーディットが、躊躇いを口にのせようとした瞬間、リーゼルが交換条件を提示した。


「それで、私たちもユディちゃんって呼んでいい?」


「は、はい」


思わずユーディットが頷くと、リーゼルは嬉しそうに笑い、エルメントラウトはほっと安堵の色をみせる。外見で気がキツそうにみえるが、エルメントラウトは気弱で心優しい令嬢のようだ。この三人のなかで一番身長が高いというのに、ユーディットには彼女が愛らしくみえた。

声音が弱々しいエルメントラウトの声が届きやすいよう、席は彼女が間になるように座った。気温を考慮して、硝子ガラスのティーポットに果物と一緒に氷が入ったフルーツアイスティーが用意されていた。それで喉を潤すと、清涼感が喉を過ぎてゆく。


「レヒトと仲がいいって、本当……?」


おずおずとだが、エルメントラウトは怪訝に訊ねた。彼女は、幼い頃より彼を知っているため若干信じられずにいる。彼は我が道をゆき、他人に合わせるということが得意ではないのだ。

ユーディットは、気弱な彼女からランプレヒトが呼び捨てされていることに、まず驚いた。それだけ気安い関係なのだろう。幼馴染というのは本当らしい。ランプレヒトと彼女の関係性を実感してから、ユーディットは頷く。


「はい、レヒト君とは趣味が少々似通っていまして……」


「あの百合だなんだっていう……?」


「レヒトくん、咲いていなくてもよく百合って言うよね」


「あっ、いえ、私が愛でているのは百合ではないのですが……!」


そういえば、先日もランプレヒトは推しカプを前に正面きって主張していた。意味が解らずとも、彼女らは単語だけはよく耳にしているようだ。いくら通じないとはいえ直接申告するあたり、ランプレヒトは心が強いとユーディットは思う。

自分が観賞しているのは別の花だと言葉を濁しつつユーディットは弁解する。嗜好の方向性については、知らない相手に誤解されたくないのだ。偏見をもたれるのが一緒なら、せめて自身の嗜好でされたい。話が通じないからとあらぬ誤解を受け入れれるほど、ユーディットは自棄やけになれなかった。

薔薇だといっても、花の方だと思われるだろう。そのための隠語だ。彼女らに真実を説明してよいものか、ユーディットは考えあぐねる。

そんなユーディットをみて、リーゼルは席を立った。そして、東屋をでてすぐの花壇の前で屈む。


「私はね、この花が好き」


リーゼルの指す花が、ユーディットの席からはみえず、席を立ち彼女の隣で屈む。彼女の指した花は、花壇に咲く花の脇で、小さく咲いていた。螺旋らせん状に咲いた花が連なっている。

それは割とどこでも眼にする花だった。茎も細く小さな花は、意図的に植えずとも咲いている印象が強い。


「雑草ですか?」


ユーディットの言葉を耳にして、リーゼルは可笑しそうに微笑む。


「ふふ、そう思われるぐらい強い花なの。こんなに小さくて可愛らしいのにね」


捩花ねじばなの先を、リーゼルは人差し指でそっと突く。突かれた捩花は、風を受けたようにゆらりと揺れた。


「ユディちゃんみたいでしょ」


「え……」


「だって、レヒトくんと同じでユディちゃんは、好きなものを好きでいられる強さをもってる。それが、他の人には理解されなくても」


それは、好きなものを否定する方がユーディットには辛いことだからだ。多くの人と共感することより、自分だけの好きを大切にすることをユーディットは選んだ。その選択を後悔はしていないし、今とても人生が楽しい。

大したことではないように、ユーディットは思うが、リーゼルはそれを強さだという。

リーゼルは、ごめんね、と一言詫びて、捩花の一輪を手折った。

手折った一輪を、ユーディットの髪に差す。


「うん、可愛い」


思った通り似合う、とリーゼルは微笑んだ。


「わ、私なんか……」


自分が着飾る必要はない。だって、壁や空気になりたい自分だ。聞く人によっては気分を害する妄想をする人間だ。


「ユディちゃんには、君影草きみかげそうって可愛い?」


初夏に咲く鈴の形をした白い花をあげられ、不思議に思いながらもユーディットは首肯した。


「君影草には毒があるの。けど、毒があるって知っても、花を可愛いと感じるのは変わらないでしょ」


ユーディットには初耳のことだったが、確かに知ったあとでも印象は変わらなかった。だから、また頷いた。


「なら、ユディちゃんも花が似合うぐらい可愛い女の子なんだよ」


ユーディットは眼を丸くする。

男性同士のいかがわしい妄想をする場合もある自分を、彼女は同等に扱ってくれた。ユーディットが日頃から感じる自虐要素を、それを含んだままでも自身のもつ魅力を否定するするには値しないと断言した。ユーディットにとって、自身の女性的価値など蚊帳の外だった。

リーゼルはそれを思い出させてくれた。だから、もう一度、ユーディットは頷いた。


「お茶、ぬるくなっちゃう……」


冷たいうちに飲み切った方がいいと、エルメントラウトが二人に呼びかける。それに応じて、リーゼルとユーディットは東屋に戻った。

ユーディットは席に着くなり、自身のお茶を飲み干す。空になった硝子のティーカップをソーサーに戻すと、二対の純粋な瞳がそこにあった。


「レヒト君と仲良くなったのは趣味が似ていたからです。けど、お二人にはそのままでいてほしいので、趣味の話は明かせません!」


ランプレヒトは通じないからと百合嗜好を隠していないようだが、ユーディットはこの二人に薔薇の知識を与えることを禁じた。染まらずにいてほしいと願ってしまった。

そんな相手でも親しくしたいと思うとは。これまで趣味第一で生きてきたユーディットは、趣味を介さず他人と交流をとるという考えがなかったので、自身でも驚いていた。

ユーディットの宣言に、残念そうにするでもなく、リーゼルたちはそっかとただ頷いた。話すも話さないも彼女の自由だと、初めから思っていたのだ。

真実を打ち明けられない相手なのに、目の前の二人といるのはなんだか心地よかった。


「……あの、代わりに相談をしても、いいでしょうか?」


「なぁに?」


「どんな、こと……?」


二人が耳を貸してくれるので、ユーディットはそれに甘えることにする。ずっと一人で考えていたが、答えがでなかった問題だ。利き手で、もう一方の手首をぎゅっと握る。


「レヒト君にもらったものがありまして……、その、できれば私もお返しを贈りたいなぁ、と。お二人は、レヒト君に何を贈ればいいと思いますか?」


ユーディットの手首を握る隙間から、金属の蔓薔薇つるばらがわずかに零れ出る。彼女がいわずとも、それが贈り物だとリーゼルたちには判った。二人は顔を見合わせて、少し考える。


「本なら、なんでも読むわ」


「できれば、日頃持てるようなものが……」


読書家だと聞いているので、エルメントラウトの提案と同じことを一度は考えた。しかし、ユーディットの推し本となると妄想しやすい主要人物に男性が多い作品になる。かといって、彼の好みに合わせようにも、百合的魅力のある作品がユーディットには判別がつかない。女学院が舞台の作品を適当に選んで渡すのも、失礼に思えた。

それに、できるなら、自分のように日常的に身に着ける、ないし持てるものがいい。


「日用品とかなら、文房具とか?」


「レヒト君、書くより読むことの方が多そう」


ユーディットが彼に会うときに、文具を携帯していたことはない。渡しても、所持しているのが見れないのは少しばかり寂しい。


「目立たない装飾品アクセサリーなんて、ないですよね……」


しかも、男性向けで、とは無茶な注文だろう。

自分がもらったものと同等で身に着けることができるもの、となると、装飾品しか浮かばないが、彼がそういった類を身に着けるタイプにはみえない。自分同様、人目を忍ぶことが多いのだから、光り物や鳴り物などは避けたいことだろう。

それでも身に着けているところをみたいと思うのは、ユーディットの我儘わがままだ。


「タイピンとかなら、宝石を嵌めていないのもあるよ」


「カフスボタンも、そうね」


男性向けでも、自由度のある装飾品があることを二人が教えてくれた。なるほど、とユーディットは頷く。男性に装飾品など、家族や親戚でも贈ったことがなく、そちら方面の知識が乏しかった。しかし、学園の敷地内の店で購入できる品を、提案され、ユーディットは助かった。

店の場所も教えてもらい、彼女は買いにいこうと意気込んだ。しかし、すぐに尻込みしてしまう。男性向けの商品を取り扱う店に、女の自分一人でいくのは気が引けた。そんなユーディットに、リーゼルたちは放課後一緒にいこうと誘いをかける。彼女は、頼もしい想いでぶんぶんと首を縦に振ったのだった。

持つべきものは先輩である。



その日の放課後、ユーディットは渡り廊下にはおらず、男性向けの装飾品店にいた。

学園は寮制のため、広い敷地内の一角に衣食住を補う店が立ち並ぶ区画がある。なので、客層は生徒か教師だ。客層に応じた商品が揃っているため、驚くほど高価なものはない。生徒の財布で手が出る範囲で価格が抑えられている。といっても、生徒には貴族も平民もいるため、価格の幅はそれなりに広い。

店の近くまでは、リーゼルが馬車を手配してくれたので、疲れることなくかつ早く訪れることができた。おかげで、品定めに悩む時間に猶予がある。


「ユディちゃん、この辺りのタイピンはシンプルなものが多いよ」


「うぅ~ん」


タイピンの並ぶなかでも、控え目なデザインの辺りをリーゼルは指す。ユーディットは、それをひとつひとつ手に取り、角度を変えて眺める。金属なので、反射を抑える加工をされていても角度によっては光った。これでは、ランプレヒトが物陰に隠れづらいのではないか、と思い至り、踏ん切りがつかなくなる。


「ボタンも、こういう黒曜石こくようせきとかなら地味じゃない……?」


宝石が嵌っていても、それが黒ければ控えめといえる。エルメントラウトから差し出されたカフスボタンを受け取り、眺める。研磨されているが黒曜石は、金属より光の反射が抑えられているように感じる。しかし、袖に挟んだときに留め金具との間に、多少のゆとりがある。生地の厚みで使用の幅が狭まらないように配慮されたそれは、場合によっては音がする要因にならないか。音がすれば、隠れていても気付かれかねない。

地味なのがよい、というユーディットの変わった希望を、二人はきちんと考慮して品を薦めてくれる。着飾るための装飾品だというのに、忍べるようにという基準で審美しているため、ユーディットの基準を満たすのは厳しかった。

不意に視線を逸らすと、小粒の宝石がきらきらと輝くのが眼に入る。それはかならず二対になって並んでいた。ピアスだ。ものによっては目立たないが、そもそもランプレヒトの耳たぶには穴が空いていない。わざわざ痛い思いをさせてまで穴を開けさせたくないな、と感想をもちながら眺めていると、隣に対になっていないものがあった。


「これは?」


「イヤーカフね……」


「男性向けの方が多いもんね。これは、耳の横につけるから、穴を開けなくてもいいんだよ」


女性向けのイヤーカフが少ないため、ユーディットはこれまで見たことがなかった。こんな装飾品があるのか、とデザインを確認する。厚みのある輪が多く、あえて彫刻もないシンプルなものまである。


「レヒトのあの髪じゃ、つけても見えなさそう……」


これを贈っても意味がないのでは、というエルメントラウトの意見に、ユーディットは表情を輝かせる。むしろ、それは好都合だ。このような密着型なら音がする心配もないし、髪で隠れやすい場所に付けられるのもよい。

ユーディットは瞳を輝かせて、イヤーカフを厳選しだす。

艶消し加工をして、彫刻したり、くり抜いたりして紋様を描いているものの品揃えが豊富だった。そのなかから選ぶことにして、どんなモチーフがよいかと順番にみてゆく。すると、ひとつだけ百合の彫刻がされたものがあった。


「これにします」


視線が引き寄せられると、もう他の装飾品が眼に入らなくなった。百合のイヤーカフ以外、彼に似合いそうなものはないとさえ思える。自分が薔薇をもつのなら、彼には百合がいいだろう。

一番いいと思えるものを購入でき、ユーディットは嬉しそうだ。そんな彼女をみて、リーゼルたちも微笑む。


「見つかってよかったね」


「はいっ、つれてきてくださり、ありがとうございます!」


ユーディットは満面の笑みで答えた。

その帰り道、実は二人とも男性向けの装飾品店が初めてだったことを知り、ユーディットは驚くことになる。二人とも父親や兄弟に装飾品を贈ったことがないため、縁がなかったらしい。てっきり訪問経験があるから付き添いを申し出てくれたのかと思っていた。リーゼルはいけばどうにかなるだろうという思いきりのよさ、エルメントラウトは一人でいくには難易度の高い場所だろうという優しさにより、付き添ってくれていた。

自分のために初めての場所にも付き合ってくれる先輩二人に感謝し、ユーディットは重ねて礼を伝えるのだった。



期末試験が終わったら、あとは気晴らしの競技大会を残すのみだ。

王立魔導学園の敷地内には、騎士訓練校が併設されている。十五~十七の者が在籍するのは同一だが、内容は訓練に重きをおき、魔導学園に通う生徒の中に主がいる場合はそちらの警護を優先できる制度が設けられている。また、魔力量の多さで魔導学園に入学した者のなかにも騎士を目指す者がいるため、訓練校での訓練を授業の単位に充てることもできるようになっている。

そうした同敷地内の二校は、切磋琢磨の名目で競技大会を一学期の終わりに開催している。

それぞれ立候補者を募り、男子生徒たちで武芸の腕を競うのだ。武芸といっても、魔導学園側の生徒は魔法の披露を目的にしている者もいるため、体術に関しては不得手なこともある。あくまで希望制なのだが、毎年どちらからもそれなりに人数が集まる。

観戦する側も、この競技大会を楽しみにしている者もいるぐらいだ。ユーディットも楽しみにしている生徒の一人だった。

もともと訓練校の訓練を見学にいくこともある彼女だ。この類いのもよおしを嫌いであるはずがない。

好敵手と相まみえ、互いに切磋琢磨する。それは、ユーディットの眼には、運命の出会いであり、言葉なき睦み合いである。魔術に長けた者と武芸に長けた者という相反する者同士が対戦した場合など、どちらが勝っても相手の実力を認める機会となり、その後の交流が生まれることもある。その経過観察すら、ユーディットには楽しいものだった。

そんな楽しい競技大会の席を探しながら、ユーディットは心なしかそわそわとしていた。

ランプレヒトはきていないだろうか、と観客席を見回す。本人に興味があるか訊いていないので、きているかが判らない。競技に参加することはないのは確かだが、観戦に女子生徒が大勢くる以上、別の目的できていても奇怪おかしくない。

リーゼルたちは観戦もしないそうだ。エルメントラウトは臆病な性格ゆえに、荒事をみるのが苦手らしい。大きな声にもびっくりするから、とのことだった。リーゼルは、ハルトヴィヒが参加にも観戦にも興味がないからだと答えた。彼が基準となっている回答に、ユーディットは内心でご馳走様と零した。きっと今頃二人一緒にいるのだろう。素晴らしい限りだ。

推しカプの妄想はかどるなか、背の高い影を優先して探すも、ランプレヒトらしき生徒は見当たらない。

会ったときにいつでも渡せるよう、イヤーカフを入れた小箱をスカートのポケットに忍ばせていたのだが、今日は無理なようだ。次に会えるのは、夏期休暇が終わってからだろう。

気負っていた分だけ残念に感じ、ユーディットは嘆息した。


「このような場で、ユディ殿がそのような顔をされるとは珍しいですな」


背後によく知る声がかかり、ユーディットは慌てて振り返る。


「レヒト君!?」


「推しカプが見つかりませんでしたかな」


「いえっ、むしろ推しが確立されすぎて困るぐらいです……!」


彼女の嘆息の理由を、ランプレヒトは趣味起因とみた。しかし、ユーディットは全力でそれを否定した。彼の見立て通り、競技大会はユーディットにとって最高の目の保養だ。

ならば、困るがゆえの悩ましさが零れたのかとランプレヒトは納得する。それも違うのだが、探していた理由を詮索されたくないユーディットは、彼の解釈を否定せず曖昧に頷いた。


「レヒト君もきていたんですね」


「こういう催しには、基本令嬢たちが連れ立ってきますからな」


目的が観戦ではなく、観客であることに、ユーディットはやっぱりと思った。観戦に令嬢一人でくる者は少ない。基本的に友人などに付き合ってもらうことがほとんどだ。荒事が苦手な令嬢などは、応援したい者がいても付き添いなしではこれない行事だ。

ユーディットとて、競技参加者だけでなく、友人や仲間と観戦にきている男子生徒たちも観察する気でこの場にいる。ランプレヒトも同じ穴のむじなだと思っていたのだ。


「レヒト君が安心して観察できる席は……」


観る対象が違うことを怪しまれずに座れる場所を、ユーディットは探す。ユーディット自身は、観戦自体も目的だからいいが、ランプレヒトは完全に観戦客目的だ。令嬢たちの後ろは露骨すぎるし、遠くであっても視線の方向で怪しまれてしまうかもしれない。不審がられない一番よい場所とはどこだろう。


「心配には及びませぬぞ」


「え」


あっけらかんとするランプレヒトに、ユーディットが首を傾げると、彼はある場所に案内した。

案内されば場所に、ユーディットは眼を丸くする。


「ここって……!」


観戦席の一番高い位置に、いくつかの小部屋が設けられている。屋根はあるものの、試合台が見下ろせるよう正面は吹き抜けになっていて、オペラ観賞用ボックス席の簡易版といったところだ。生徒に王族がいる場合、国王陛下ないし他の王族が観戦にくるので、その場合にも使われるボックス席だ。


「有力候補の方の招待がないと入れないんじゃ!?」


王族でなくともこのボックス席を利用できる場合がある。それは、優勝候補ないし、それに近しい実力者が招待した者だ。数に限りのある特別な席なので、使用権利を金銭で売買しないように競技大会の過去上位者か、一年生であっても突出した実力が確認されている参加者に招待権利が委ねられる。通常は、招待権利を持った生徒の家族や婚約者がこの席に招待される。


「兄が優勝候補ですから」


「な、なるほど……っ」


そういえば、彼は騎士団長の息子の一人だった。彼の兄は、二年連続で優勝した猛者もさだともっぱらの噂だ。騎士の多いシュターデン侯爵家で、武芸に関心をもたないランプレヒトだけが異色な存在といえる。

兄の許可をもらっているとはいえ、ユーディットはボックス席を利用することに気が引ける。ランプレヒトは家族だからいいが、自分はえんもゆかりもない人間だ。


「お兄さんが誘った方も来られるんじゃ……」


「兄は、誰も招待しておりませんぞ。応援などなくとも全力で臨むのみという性格です」


「そう、なんですか」


ランプレヒトがいうには、婚約者や恋人すらおらず、ひたすら武芸に励んでいるそうだ。なんともストイックな精神の持ち主だ。


「レ、レヒト君は、お兄さんを応援しないんですか?」


少しぐらいは出場する家族を応援したりしないのか、とユーディットが問いかけると、ランプレヒトは何故、と首を傾げた。


「放っておいても、兄は勝ちますぞ?」


よほどのことがなければ、兄が負けることはない、とランプレヒトは断定する。シュターデン侯爵家でも最強と謳われる騎士団長の父から、直接しごかれているのだ。兄ほど、魔力量の多い者との戦闘に長けている者はいないだろう。兄自身の魔力量は中の上といった程度だが、魔力量だけが武力ではないと証明するほどに身体を鍛えている。

去年の戦闘で一例をあげると、落雷を落とせるほどの雷属性の魔力が強い者が相手だった際、兄は試合台をこぶしで一部粉砕し、それによりできた石礫いしつぶてを頭に投げつけ昏倒こんとうさせた。こちらが感電するまえに、通電しない武器で勝てばよいという安直な考えによる行動だ。


「ま……魔法は……?」


「使っておりませぬ。筋力です」


「筋力……」


歴代の優勝者のなかには、回避能力が高く相手を場外にすることで優勝した者もいたというが、それも闇属性の認識阻害能力を活用してのものだった。魔法をまったく使わず優勝した者は、今のところランプレヒトの兄だけらしい。

魔法を使わずしてそれならば、魔法を使わせるほどの相手はかなりの手練れだろう。一介の学生でそこまでの戦闘熟練者はなかなかお目にかかれない。ランプレヒトが、兄の勝利を疑わない理由にユーディットは納得したうえで、絶句した。

武のシュターデンと名高いと耳にしていたが、ランプレヒトの兄は学生の時分ですでに武勇伝ができあがっている。一方で、シュターデン家最弱とも噂されるランプレヒトが、今目の前にいる。この兄弟は極端すぎないだろうか。

ともかく、このボックス席の使用者はランプレヒトしかいないため、ユーディットがいても問題ないと判った。ユーディットは、お言葉に甘えて同席させてもらうことにする。試合を観るにも、観客席を観るにも、このボックス席は適していた。むしろ、隔離されている分、心置きなく観賞できる。

二人が席に落ち着いた頃には、他の生徒たちも席に落ち着き、開会式が始まる。といっても、校長から健闘を祈る言葉が多少あるだけで、すぐに試合が始まる。

校長の口述の間、ユーディットは落ち着きなく何度も隣を見遣った。せっかく彼に会えたのだから、ポケットの中身の渡しどきではないかと気付いたのだ。

なんと言って渡せばよいのだろう。ランプレヒトは自分が持っていても仕方のないものだから、と渡してくれたが、自分の場合、彼に贈るために買ったものだ。偶然を装うような適当な理由が浮かばない。

ならば、彼のようにさりげなく付ければいいのか。いや、手はともかく、耳はさりげなく触れれる場所ではない。

お返しだといって、彼は受け取ってくれるのだろうか。彼の好みではなかったらどうしようと、今さら不安がもたげる。自分が似合いそうだと思っただけで、彼の好みは考慮していない。やはり、彼のように断る余地のある理由が必要ではないだろうか。

断られることを想定してみると、それはそれで寂しく感じた。考え込むほどに、渡すことに躊躇ちゅうちょしてしまう。

これまで、自身の嗜好から、多くの人間に嫌われる覚悟はできていた。けれど、親しくなった彼から嫌われる覚悟は全然できない。贈り物が迷惑だったら、嫌われる要因を作りそうで、渡すことが恐くなってゆく。

さりげなく、など自分には無理だと、ユーディットは悟った。

渡そうと意識すればするほど、緊張で表情が強張こわばってゆく。そんな彼女の様子に、ランプレヒトが気付いた。みれば、彼女の指先がカタカタとかすかに震えているではないか。


「ユディ殿、いかがなされた?」


「な……んでもないです」


ユーディットは笑おうとしたが、表情が硬くなっていて成功しているかが判らなかった。ランプレヒトは、上体を倒し、彼女の視点より下から表情を覗き込む。


「なんでもない表情カオではござらんな」


そう苦笑するランプレヒトに、ユーディットは返す言葉もない。前髪で目元は伺えないが、彼の笑みが優しいものだと判る。だから、余計に自分の心の弱さが露呈した。

ぐにゅと表情が歪む。ユーディットは堪えかねて、弱音を零した。


「……レヒト君に、嫌われたくない、です」


「ユディ殿を嫌うのはなかなかに難しいと思いますぞ」


「でも、好みじゃなかったら……」


「何がですか?」


ユーディットは、おずおずとスカートのポケットからずっと握りしめていた小箱を取り出した。箱を開けて、中の百合の彫刻が施されたイヤーカフをみせる。


「この蔓薔薇みたいに、私もレヒト君が裏切らない証明があったらいいなって……、これなら痛くないし……」


言葉を足すと言い訳じみてしまい、言葉が尻すぼみになる。

初めてできた素で接することができる友達だ。その分、失うのがとても恐い。

蔓薔薇の園で、ロティエが火傷の痕だけでなく、契りでもグリスィーヌを縛ろうとした気持ちが少しだけ解った。ロティエは、きっと彼女が自分から離れてゆくことが恐ろしかったのだ。それがどういった情であっても、縛り付けたいほどグリスィーヌが彼女のなかで大きな存在だったことは確かだ。

共感できてしまったということは、自分の行動は相手に負担になりかねないのではないか。ユーディットは、また不安が増す。


「あの、重いですか……?」


「なんの、可愛らしいものですぞ」


ユーディットの不安を、ランプレヒトはあっけらかんと笑うことで払拭した。彼に大丈夫だといわれて初めて、ユーディットはほっと安堵できた。

裏切らない確約ならば儀式めいた方がいいだろうと、ランプレヒトは彼女が付けるように提案する。それで、彼女が安心するならば、と。ユーディットはこくり、と頷き、小箱からイヤーカフを取り出す。

上体を横に向けて、お互い向き合う。ユーディットは、彼の左側の髪を分けて、露出した左耳の側面にイヤーカフをカチリ、と嵌める。付けるまでは緊張していたが、存外簡単に終わった。

彼の耳にささやかに咲く百合の花をみて、やはり思った通り似合うとユーディットは感じた。

付け終わったので、手を離そうとしたら、その右手を掴まれる。そのまま、少し下の耳たぶまで誘われ、ユーディットの親指がその弾力に触れた。


「痛みごと刻みつけても構わなかったのに」


揺れた前髪の隙間から、空色が射貫き、ユーディットは思わず掴まれた手から自身の手を引き抜いた。


「いっ、痛いことはしません!」


「ユディ殿は優しいですな」


動揺のままに否を唱えると、そのときにはランプレヒトはいつも通りだった。

一瞬身の竦む想いがしたのが気のせいかと思うほどだ。しかし、ユーディットの顔は動揺したまま、いまだ赤い。とんでもないことをいわれた気がして、とてもびっくりした。何故、自分がこんなにも動揺しているのか、ユーディットは解らなかった。

ともかく、友情を固く結べたことでよしとする。

ボックス席の向こうから、わぁと歓声があがる。どうやら、最初の試合の選手が登場したようだ。


「さて、ユディ殿準備はよろしいですかな」


ランプレヒトの手には双眼鏡が。


「もちろんですわ!」


ユーディットの手にはオペラグラスが。

趣味に生きる二人は、本能に忠実であった。試合開始の合図とともに、お互い趣味の観察に没頭する。二人の観る方向はまったく異なるが、行動原理は完全に一致していた。

時折、試合の歓声とは別の歓声が、このボックス席にだけ響くのだった。

試合が始まってしまうと観察に夢中になってしまい、ユーディットは結局、リーゼルたちのどちらが攻めなのかランプレヒトに訊き損ねた。今度会ったときに、と思っていたのに。

ユーディットは、確認しそびれた理由を競技大会のせいにした。


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