03.倒錯



「”四葩よひらに導かれて”を読み返してリーガクに沼ったとき……、純粋に心躍らせていた頃をけがすような凄まじい罪悪感に苛まれながらも、素晴らしい新たな視点を得て歓喜と高揚感に包まれました」


「幼少期に手を付けたものは、背徳感を伴うものですな」


ユーディットの告解に、同じ経験をしたランプレヒトは深く頷く。今となってはその視点でしか見れなくなったが、確かに幼い頃は純粋に主人公たちの冒険を応援していたのだ。主人公たちの関係性よりも、主人公と仲間たちがどう苦難を乗り越えていくのか、その行く末をはらはらしながら見守っていた。


「リーアイが紋無しであることに負い目を感じてパーティを抜けたときなんて、泣きました」


「『自分も紋無しだ』とラグランジアが引き留めるところは、女性ながら高潔で格好良かったですな」


四葩に導かれては、題名の通り四葩の紋を持つ者が世界を救う勇士だという伝承のある世界で、初めに紋が浮き上がったガクが同じ紋をもった仲間を集め、魔王を倒す冒険譚だ。冒険に出発した頃は、親友のリーアイしかおらず、道中で助けた少女アナベルが紋持ちと判明して、徐々に仲間が集まってゆく。

王命でお目付け役として同行することになる聖騎士ラグランジアも、リーアイ同様紋無しなのだが、彼女に引き留められてもガクたちとともにいる目的が違うと突っぱねられてしまう。

仲間の役に立ちたいからこそ、四葩の紋の恩恵のないリーアイは自分がお荷物になると断ずるのだ。

この古くからの仲間との別離は、幼い読者たちもかなり心を痛めた。


「なのに、今となってはその別離すら、ガクを愛しすぎるがゆえに、彼を守れない自身に価値がないと思ってしまう愛の証明で、ガクが身近すぎて気付かなかったリーアイへの想いを自覚するのに必要だったのだと!!」


巨大感情の吐露により、ユーディットは思わず目の前のテーブルに両拳を打ち付ける。テーブルを打つ音も、彼女の声量もなかなかに大きいものであったが、ここは校庭の端にある人が寄り付かない東屋。ランプレヒト以外に人はいない。通りがかる者がいるとすれば老齢の庭師ぐらいなものだ。きっと彼女が何をいっているのか解らないことだろう。

現実の人間観察の時間をあまり削れない二人は、趣味談義をする時間を月に一度、お互いが授業のない一限の枠でとることにした。アーベントロート国の王立魔導学園は、卒業に必要な単位数は決まっているが、最低限の共通授業以外は選択式なので、自身の好きに時間割を決めることができる。ゆえに、空いている枠ができることもあるのだ。

ユーディットとランプレヒトの時間割を比べると、週に一度空き枠が被っていた。その空き時間を毎回話す時間としなかったのは、お互いがもともとの使い道があったはずとの配慮によるものだ。実際ユーディットは、放課後を観察に使うため、勉強の時間にあてていた。ランプレヒトも似たような使い道らしい。


「では、その後の闇ちも好印象に変わったのですかな?」


「ええ! 闇堕ちリーアイ攻めはいくらでも妄想できますわ!」


本来なら悲しむべき展開に、ユーディットは表情を輝かせる。一応、彼女も無垢な少女のときは、再会した親友が禁忌の力を得ていたシーンには多大なるショックを受けていた。それが今や神展開と諸手もろてを挙げて喜んでいる。


「リーアイと再会を果たすまで、一時はマリガクに浮気しそうになりましたが、あの闇堕ち展開でリーガクこそ至高と立ち返りました」


四葩の紋を持つ勇士は、その花びらの数と同様四人おり、勇者のガク、シスターのアナベル、闇魔導士のマリテ、盗賊のハイドラである。名をあげた順に仲間になってゆくのだが、闇魔導士のマリテは世界を救うことに関心がない皮肉屋で仲間に引き込むのにかなり苦戦する。

仲間になる条件に、といいながら自身の魔術に必要な材料をとってくるように要求するのだ。しかも、何度も。

要求する材料は危険な場所にあるものばかりで、その無理難題を飲む必要はないとリーアイたちが止めるなか、ガクだけは材料を取りに行く。ボロボロになりながらも材料をもってくるガクの根気に、マリテが折れるのだ。

そういった経緯があるため、リーアイと別離したあと意気消沈するガクを、マリテは何かと気にかける。そして、彼の皮肉にガクも慰められ、旅を続行するのだ。

その辺りの経緯が、ユーディットにはおいしいものだったらしい。


「推しを総受けにしやすいのは女性も同じなのですな。某も、ラグドラもアリだと思っております」


盗賊の少女ハイドラは、登場当初仲間だとは判らなかった。勇者のガクたちの旅の方向と、彼女の属する盗賊団の進行方向が被りやすく、ときに対立し、ときに同じ目的のために共闘する。そうして心通わせるうちに、ガクたちの力になりたいという気持ちが強くなり、刺青いれずみに隠れた紋が輝きを放つのだ。

盗賊に堕ちた自分が世界を救うことなどできないと卑屈になるハイドラを信じるアナベル。そして、紋を持つ以上、相応しい人物になれと事あるごとに指導するラグランジア。仲間の女性二人が見事にあめむちの役割を果たし、ハイドラは次第に仲間が誇れる自分になろうと奮起するようになる。

どうやらその過程のやり取りが、ランプレヒトにはどちらの可能性も感じるものであったらしい。


「自然と口にしてしまいましたが、百合にも攻め受けの概念が……!?」


その定義なしには語れないと、ユーディットは当然のように口にしていたが、これは特殊な表現だ。同性同士の男役を攻め、女役を受けという。ユーディットはてっきり薔薇の専門用語だとばかり思っていたが、ごく普通にランプレヒトにも通じてしまっていることに気付き、驚愕した。


「もちろんありますぞ」


「ということは……? 聖騎士のラグランジアが攻めなのは、私でもなんとなく分かります。けど、アナベルも攻めなのですか??」


アナベルは主人公の正ヒロインだけあって、守ってあげたくなる健気な少女だ。戦闘時の役割も、補助と治癒という後方支援になる。回避と瞬発力に優れたハイドラは、逆に先陣をきって不意打ちなどをする要員だ。ユーディットからすれば、戦闘力がある方が攻めになる方が理解がしやすい。

首を傾げるユーディットに、ちっちっちっ、と立てた人差し指を振って、ランプレヒトは講釈を垂れる。


「ハイドラは盗賊出身ゆえ、普通の女の子として扱われることに慣れてござらん。しかし、心優しいアナベルの前だと、次第に年相応な少女の面を垣間見せるのです。アナベルの包容力の大きさを前に、脆いところのあるハイドラは受けになるしかござらん!」


「な、なるほど……、そういう解釈が」


ランプレヒトの力説に、ユーディットは思わず頷いてしまった。

よくよく考えれば、精神的に強い方が攻めになる解釈は解らなくもない。脈石の騎士で、ユーディットはディミレア推しだが、レアルの成長後はエンディミオンより身長が大きくなる。それでもユーディットの上下の認識は変わっていない。身分を基準にしているのではなく、攻めより体格も力も勝っているのに受けにまわるというのが、またよいのだ。

組み合わせる対象は違えど、組み合わせに対する解釈については共感できるところが多い。お互いの話を楽しめることが、ユーディットは嬉しかった。


「……といいましても、精神的攻めと受けであり、実際に肉体関係をもってほしいとは思いませぬが」


「え!?」


共感できると思ったばかりで、爆弾を落とされた。自分が打ち明けられる範囲が狭まるような発言を、今しがた聞いた気がする。


「えっと、あの……、男役と女役に見立てる以上、その、実際の触れ合いを妄想したり、とかは……」


ユーディットは、恐る恐る訊ねる。彼の回答の如何によっては、自分は一部を封印して話さなければならない。


接吻せっぷんまでなら妄想いたしますが、それ以上は。某が下半身と直結した生物ゆえ、百合にはあえて精神のみでの強固な繋がりを求めやすいようですな」


プラトニックゆえに尊いのだと、ランプレヒトは主張した。その回答に、ユーディットは愕然とする。


「そんなぁ……」


では、自分の妄想の一部しか話せないではないか。いや、異性相手にそういった話題をすることに恥じらいを覚えるべきなのだろうが、同好の士以外の一体誰にそんな妄想を明かせばいいのだ。

絶望的な胸中のユーディットに、ランプレヒトはなにげなしに訊く。


「して、ユディ殿は肉体関係アリ派とナシ派、どちらですかな?」


「そ、それは、もちろんナシ、派で……」


いかがわしい妄想をしていると知れれば、せっかく出会えた同好の士に軽蔑されるのではと、ユーディットは怯える。ぎこちなくも、彼の意見に同意を示そうと試みた。

しかし、見えないのに、前髪越しに強い眼差しを感じる。


「正直なところは?」


「アリでお願いします!!」


自分の心は偽れないと観念し、ユーディットは拳を握りながら、全力で叫んでしまった。


「ふむ。この辺りは性別の違いでしょうな。女性は生理現象で興奮などいたしませぬし」


ランプレヒトはそう感想を零して、納得する。自身の性別で当たり前のことなど面白みがない。自身の性別では困難なことだからこそ価値を感じるのだ。隣の芝が青く見える現象なのだろう。


「某は清い関係のままでいるなど、到底できませぬからなぁ」


「わっ、私だって、その、そういう妄想するぐらいにはか、関心がありますよ……!?」


「それでも、ユディ殿は自身から迫るほど抑えられないたかぶりは覚えないことでしょう」


「う……っ、好きな方ができたことがないので、決めつけないでください」


自分の性格上、ランプレヒトの指摘はあながち間違っていないように感じる。けれど、恋愛未経験で未知数のことだ。断定されると、少しばかり反抗心がもたげる。


「そう申されるが、現に……」


ユーディットの反抗に、ランプレヒトはさらなる返しをしようとして、言葉を止める。途切れた言葉に、ユーディットはこてりと小首を傾げた。


「現に?」


「……いや、現に、そういった妄想を自身の場合でしたことはないでござろう」


その通りだったので、ユーディットは閉口することで肯定した。壁なり柱になり、男性同士の営みを観察する妄想はいくらでもできる。しかし、自身に置き換えての妄想はしたことがない。そういう意味では、限りなく関心が薄い。

沈黙するユーディットに、それみたことかとランプレヒトが笑うものだから、彼女は悔しくなる。そして、はた、と気付く。


「レヒト君は、私がアリ派でも引かないんですか?」


「女性にそういったことに関心があって、嫌がる男はそういないでしょうな」


そういうものなのだろうか、とユーディットは首を傾げながらも、一応の納得をする。どんなに本を読んだとて、男性側の価値観をすべて推し量れるものでもない。男のランプレヒトがいうのだから、そうなのだろう。

ユーディットは納得したが、さすがに自分と同性とで妄想される可能性を知って平然とできる者は少ないことだろう。対象が自分でなくとも、理解できない性的嗜好は聞いていて楽しいものではない。類似の趣味をもつランプレヒトだから、嫌悪感なく受け入れることができたのだ。


「して、ユディ殿はどういったむつみ合いを想像されるので?」


「あぅ……、いざ話せと言われると、恥ずかしいです……っ、その、思わず言っても引かないでくれると……」


全面的に許容され話していいといわれても、意図して妄想を吐き出すのはユーディットでもさすがに羞恥を覚えた。うっかり口にしても許してもらえるよう願い出ると、承知した、と彼は了承した。

彼の了承を得て、ユーディットは安堵する。趣味を知られている彼相手に自身を偽ることは困難だが、その分彼に嫌われるのは恐い。せっかく出会えた同好の士なのだ。こういった話をできなくなるのは、辛い。

チャリ、とかすかに鳴った手首をみる。そこには、自分が彼を裏切らない証明の蔓薔薇があった。

彼にも同じ証明があればいいのに、とユーディットは思う。

ランプレヒトが自分を嫌わない確約がほしくなった。自分はその証明があるのに、彼にはない。いささか不公平に感じた。

ブレスレットのお礼がてら、彼に何か贈ればいいのだろうか。しかし、ユーディットは男性の装飾品などはよく解らない。そもそも、目の前のランプレヒトは装飾品のたぐいを身に着けるタイプにはみえない。制服は規制の状態のままで、タイも学年を示す紺だ。この学園は、緑・赤・紺と学年ごとに制服の差し色が違う。そして、学年が判るようにしていれば、タイをスカーフに変えたり、カフスを付けたり、上着の丈を変えたりなど自由が利く。

ユーディットもランプレヒトも、観察のために目立つような服装は避ける。そのため、必然的に制服をそのまま着ている。ユーディットが、もらったブレスレットを付けてもいいと思えたのは、細くて控え目なデザインで目立たないからだ。

となると、自分も目立たない装飾品を贈るべきか。はたまた、日用品などの方がいいのだろうか。


「ユディ殿、そろそろ校舎に戻りましょうか」


「あっ、そうですね」


ユーディットが贈り物に悩んでいると、戻る頃合いだと知らされる。人気ひとけのなさで校庭の端の東屋を選んだため、校舎に戻るには猶予をもって東屋を発たねばならなかった。明るいので、ランプレヒトから手を差し出されることはない。


「あ、レヒトくん。校舎に戻るところ?」


思案のなかにいたユーディットは反応に遅れたが、声をかけられたランプレヒトは是と頷き、声をかけた相手と対峙した。


「左様。リゼ先輩は、これから空き時間ですかな?」


「うん。紫君子蘭むらさきくんしらんが綺麗だから、エルちゃんとその近くの東屋で待ち合わせてるの」


ほのぼのとした調子でランプレヒトに答える令嬢に、ユーディットは見覚えがある気がした。

制服の差し色は赤、二年生だ。鳶色とびいろの髪と銅色あかがねいろの瞳でよくある色味だから、そんな気がするだけだろうか。ユーディットも他人ひとのことはいえないが、彼女も十人並みの顔立ちで、仕草が洗練されていることから上位貴族だろうと判る以外はごく普通の少女だ。

どこでみたか気になり、ユーディットは記憶を探る。そうして、思い出した。彼女は、ランプレヒトがよく観察している令嬢の一人だ。


(推しカプの片方……!)


組み合わせのことをランプレヒトがよくカプというので、ユーディットもその単語が定着していた。短くて呼びやすいせいだろう。

ユーディットは謎の驚きをもって、彼女を凝視した。まさか観察対象とランプレヒトが知人だとは思わなかったのだ。たしか、よくあかい髪の令嬢と二人でいる。彼女一人だと、ごく普通の容姿のため、すぐに思い至らなかった。

まじまじと見つめていたせいだろう、彼女がユーディットの方に顔を向けた。


「そちらは?」


「はっ、初めまして! 一年のユーディット・フォン・アイヒロートと申します」


ユーディットが慌ててカーテシーを執ると、優雅なカーテシーが返った。


「リーゼル・フォン・エルンストです。二年だから、一応先輩になるのかな」


指先からつま先までを意識した完璧なカーテシーに見惚れていたユーディットは、彼女のはにかみで我に返る。気取らない態度は親しみを覚えるが、エルンスト家はユーディットでも知っている最上位の公爵家だ。道理で所作に品がある。


「レヒトくんとは、エルちゃん、彼の幼馴染おさななじみつながりで知り合ったの」


どういう知り合いなのかという疑問が顔にでていたのか、リーゼルはランプレヒトとの関係を説明した。ユーディットは、そうなんですか、と頷くしかできない。


「エル姉と一緒なら、某も脇で眺めたいですぞ!」


「授業はサボっちゃダメだよ」


推しカプの観察をしたいと主張するランプレヒトに、リーゼルは穏やかに微笑みながら断りを入れる。語気が強い訳でもないのに、その響きは勉学をおろそかにすることを許さない響きをもっていた。ランプレヒトも食い下がることなく、素直に頷いた。


「それで、レヒトくんとユーディットさんはどういう知り合いなの?」


リーゼルの純粋な疑問に、ユーディットは硬直する。


(人目ひとめをはばかって他人ひとに聞かれては不味い話をする仲です、なんて言えないし……)


正直に明かすと、なんともいかがわしい。いや、いかがわしい話題も含むので、そう解釈されても正しくはある。銅色の無垢な瞳を前に、どう説明すべきかユーディットは困窮した。


「ユディ殿は、某の友人です」


(あ。そう言えばいいのか)


ランプレヒトの最適解を聞いて、ユーディットは自分たちが一般的には友人と定義すべきだと気付く。内容はともかく、趣味の話で盛り上がる仲なのだから、それが一番適切だろう。


「わぁ、レヒトくんにも仲良い子ができてよかった」


リーゼルは、ランプレヒトに友人と呼べる相手ができたことを喜んだ。周囲から浮きやすい、実際浮いていた彼を知っている者ならば、交友関係は心配になることだろう。それでも、自分のことのように喜ぶ様子をみると、ユーディットには彼女があたたかな心根の人物に感ぜられた。

彼女の日向ひなたのような笑みに、ユーディットが和んでいると、急にリーゼルが後方から伸びた腕に引かれた。


「コイツに取り合うなって言っただろ」


「ハル」


リーゼルの首元に腕を回し、自身に引き寄せたのは、言葉を失うほどの美丈夫だった。眩い金糸の髪はゆるやかに波打ち、後ろで一つに結わえられている。藤色ふじいろの瞳の覆う睫毛まつげは、この場にいる誰よりも長い。眉をひそめていても、彼の美貌は損なわれていなかった。

そんなうるわしい青年に動揺した様子もなく、捕らわれたリーゼルは振り向き、彼の名を呼んだ。


「お前、またリゼにつけ入ろうとしやがっただろ」


「ただエル姉との逢瀬おうせの場の置物になりたいと願い出ただけですぞ」


「ちゃんと断ったよ」


自身の欲望を包み隠さないランプレヒトの回答に、リーゼルが解決済であることを補足した。ハルと呼ばれた美青年は、疲れた溜め息を長く吐き出す。

そして、ユーディットの存在に気付き、彼は片眉をあげた。


「このお団子は?」


「レヒトくんのお友達だって」


「友達ぃ?」


髪型で認識されたユーディットを、リーゼルが紹介すると、彼は奇妙なものをみるような眼差しを向けた。


「よくこんなのと一緒にいれるな」


彼の感想は、感心よりも呆れの方が大きかった。

美形に呆れられるも、ユーディットはそれどころではなかった。この二人をユーディットは知っていた。正確には、ユーディットでも知っていた。学園で噂になっている二人だ。自主的ぼっちをしているユーディットは、誰もが知っているような噂ぐらいしか逆に知らない。

平凡な容姿の公爵令嬢リーゼルと美貌の伯爵令息のハルトヴィヒ。アンバランスな外見ゆえに目立つというのもあるのだが、よく一緒にいるのを目撃されるこの二人、婚約していない。恐ろしく親しいのに婚約関係にないことで、謎を呼んでいる。

今も、ランプレヒトを警戒してハルトヴィヒは彼女を抱えこんでいるし、リーゼルはその腕を当たり前のように受け入れ彼の腕のなかにいる。この距離が二人にはいつも通りなのだ。親しい理由を第三者が訊ねても、幼馴染だから、で済まされてしまうという。

リーゼルの方は解っていないようだが、ハルトヴィヒにいたっては解っていて公でも態度を変えていない様子だ。受けた教養に相応しい所作からして、リーゼルが誰にでもこの距離を許している訳ではないと判る。本当に彼が傍にいるのが自然なことなのだろう。

二人に届かない声量で、ユーディットはぼそりと呟く。


「どうしてこれで、婚約していないのか……」


「学園七不思議のひとつです」


学園七不思議があるかなど、ランプレヒトも知らない。ただ、そうたとえても周囲が納得するほどに不可思議な事態だということだ。

男性同士の方に興味がかたよっているユーディットは、これまで男女の噂にそこまで興味はなかった。しかし、実際に噂の二人を眼にすると、確かに不思議でしかない。

仲睦まじすぎる二人をみていて、ユーディットはあることに気付き、はっとする。今しがた気付いた事実に戦慄わななき、すぐにでも同志に情報共有しなければ、という使命感にあおられた。

ユーディットは声をひそめ、隣のランプレヒトにだけ届くようにささやく。


「……倒錯的とうさくてきなことを言ってもいいですか」


「聞きましょうぞ」


「リーゼル先輩が男性だったら、素晴らしいと思いませんか!?」


「某など、これまで何度、ハル先輩が女体化すれば最高だと思ったことか」


本人たちはいたって真剣に、真逆の倒錯的願望を吐露した。

以前から二人と知り合いであるランプレヒトは、すでに経験済の倒錯的思考と判明し、自身の嗜好ではあり得る倒錯なのだとユーディットは知る。これまで男女関係に興味はなかったが、関係性によっては一方を性別置換して解釈すればかなりおいしい。

この二人の場合、リーゼルを男性と見立てれば、無自覚受けとそれに乗じて囲い込む独占欲強めの攻めだ。しかも、幼馴染で距離感が奇怪おかしいほどに近い。なんて素晴らしいのか。

新しい見地を得て、ユーディットは歓喜に打ち震える。これならば、現実をより楽しく観察できるではないか。彼女の心中が解るランプレヒトは、うんうんとしきりに頷いた。


「ほんとに仲良しだね」


「なんだって、ずっとこっち見てんだ?」


意気投合している様子の二人に、リーゼルは微笑む。ハルトヴィヒは、二人だけで会話しながらも視線だけはずっとこちらにあることを不審がった。

相変わらず方向性が真逆ながら意見の一致を確認して、ランプレヒトは栓無いことと理解していながら、嘆息を零した。


「ハル先輩、何故なにゆえそんなにゴツくなってしまわれたのか……」


「あ? なんでんなコト、お前に文句言われなきゃなんねぇんだ」


勝手に残念がられて、ハルトヴィヒの声に険が増す。


「だって、女装が似合わないではござらぬか! 性別が変えられないなら、せめて視界だけでも幻想を抱かせるというご慈悲じひを!!」


「こちとら似合いたくんねぇんだよ!」


一体何の慈悲だと、ランプレヒトの要望を美貌の彼は一蹴する。ハルトヴィヒの逆鱗に触れたのは、ランプレヒトに非があるのでリーゼルは静観する。ユーディットは、逆に彼女が男装してはどうだろうかと想定してみて、自分同様にきっと男性には錯覚できないだろうと一人で落胆していた。


「でも、ハルよく鍛えてたよね。なんで?」


ふとした疑問を、リーゼルは後ろを見上げ、投げかける。

ハルトヴィヒは騎士を目指すでもないのに、身体を鍛えていた。遺伝的要因があるかもしれないが、彼は鍛えた分だけしっかりした体躯へと成長を遂げた。筋肉があることが少年的美意識とも考えられるが、鍛えている様子を知るリーゼルからするとそれだけではないように感じる。

ランプレヒトを一喝していた彼は、リーゼルの問いに一度沈黙した。そして、腕の中の彼女をじっと見つめる。


「……リゼ、お前にはオレがどう見える?」


「ハルは、すごく綺麗でカッコいい男の子だよ」


リーゼルは即答をした。偽りのない笑顔だった。


「ならよし」


リーゼルの満面の笑みの回答に、ハルトヴィヒは頷き、彼女の頭に手を置く。なぜ頭を撫でられているのか解らないが、彼が満足そうなのでリーゼルはその手を享受した。

ふと耳を傾けると、ぱちぱちと音がする。何の音かと、リーゼルが音のする方に眼を遣ると、ユーディットたちがひたすら拍手をし続けている。


「供給をありがとうございます」


「げに見事な二人の世界であった」


ユーディットとランプレヒトは、萌えの供給を与えられ、その感謝を込めて彼らに拍手を送った。しかし、一体何の感謝か解らないリーゼルたちは首を傾げる。

ユーディットの脳内では、リーゼルが男性化しており、現在のやりとりにいたる幼少期が捏造されていた。幼少の頃は、少女と見紛うばかりの美少年だったハルトヴィヒを唯一揶揄からかうことなく接してくれたリーゼル。それゆえにハルトヴィヒが彼に惹かれ、彼に頼られるような存在になって意識してもらおうと身体を鍛えるのだ。そうして、男らしくなったことを認める現在の返し。素晴らしき無自覚天然受けだ。

ランプレヒトはランプレヒトで、脳内でハルトヴィヒを女性化し、その辺の男を押しのけてリーゼルにとって一番格好いい存在であろうとする健気攻めが展開されていた。美しさも格好よさも一級品で最強攻めである。

この瞬間、倒錯的解釈は要するものの、リーゼルとハルトヴィヒは二人の推しカプ認定された。


「え、と……、仲良しだね?」


「そーだな」


送られる拍手をどう受け取ったらいいのか解らないリーゼルは、とりあえず二人の息が合っていることを再確認した。謎の行動を追求する気もないハルトヴィヒは、ただ相槌を返す。一見するとありふれた令嬢のようだが、ランプレヒトと意見が合う時点で関わると面倒な性質をもっていること必至だ。彼は、そんな億劫な相手に関わる気はない。

だが、彼とリーゼルは意見が違ったようだ。


「ユーディットさん、よかったら今度お茶に誘っていい?」


「へぇ!?」


「私だとレヒトくんの言ってること分からないことがあるから、凄いなぁって。だから、お話聞いてみたくて」


解る必要はないと、ハルトヴィヒは感じる。だが、まずは歩み寄ろうとするのがリーゼルだ。

自分に興味をもって声をかけられたのは初めてで、ユーディットはあわあわと挙動不審になる。これまで、一人では不憫だからという親切で誘われたことはあるが、ユーディットの人間性を知りたいと願い出られたことはない。

リーゼルの誘いは強制的なものではない。断る余地があり、あくまでユーディットの意見で決まる。断るかどうか、彼女は悩む。少し話しただけだかリーゼルは、推し確定するほど印象がよい。推しの口からもう一方の推しへの発言が聞ける可能性がある以上、お茶の誘いは魅惑的に感じる。けれど、腐女子の自分が一般の女性と話を合わせられるのだろうか、と不安ももたげる。

言葉を泳がせるユーディットを見かねて、ランプレヒトが補足情報を寄越した。


「そういえば、リゼ先輩とハル先輩はどちらも父親似なんですぞ。父親同士が親友でして、その親しさは、リゼ先輩の母君が嫉妬するほどで……」


「それ、今話す必要あるか?」


「ぜひ仲良くしたいです! リーゼル先輩!」


リーゼルの手を握り込み、ユーディットは食い気味に誘いを受けた。彼女と親しくなれば、彼女の家に訪問できる機会もあるかもしれない。そうしたら、あわよくば二人の父親の親しい様子を眼にできるのではないか。

躊躇していたはずの彼女の反応が急変したことで、ハルトヴィヒはランプレヒトの発言に触発されたのだと気付く。彼女の人間性をよく把握しているものだ。前髪で隠れて目元がみえないが、嬉々とする彼女の様子を楽しそうに眺めている。

リーゼルと後日日取りを決める約束して、ユーディットは最高潮の気分で噂の二人と別れた。


「よかったですな」


「ええ」


新規の萌えの開拓および供給を得て、ユーディットは幸せだった。さらに今後、リーゼルと親しくなることで追加で萌えの供給を得られるかもしれない。

そして、はた、と気付く。この縁は、ランプレヒトの紹介あってのものだ。彼が自分を紹介した理由を、察する。

ユーディットは勢いよく、隣を歩くランプレヒトに振り向いた。


「レヒト君、分かっていますから!」


「何がでしょう?」


「私、ちゃんとリーゼル先輩とエルちゃんという先輩さんがどういうお話をされたか、お教えしますっ」


恐らく会話のなかに頻出していたエルちゃんとは、リーゼルとよく一緒にいる赤髪の令嬢のことだろう。つまり、ユーディットが誘われたお茶会に参加すれば、ランプレヒトの推しカプの会話が聞ける。普段は遠目で会話を傍受できないから、きっとそういう要員として紹介してくれたに違いない。

彼の期待に応えるべく、ユーディットは力強く頷いてみせた。しかし、ランプレヒトはきょとりと首を傾げる。


「はて?」


「え??」


何のことだ、という反応に、ユーディットの方が驚く。


「某は、特にユディ殿に斥候せっこうを頼んではおりませぬが」


「なら、どうしてリーゼル先輩と仲良くなるのを後押ししてくれたんですか……?」


紹介だけなら、偶然出会ったためなので他意はないことだろう。けれど、尻込みするユーディットへ意図的に燃料を投下したのは、ランプレヒトだ。てっきり何か目的があってのことで、それはきっとお互いが知る趣味のことばかりと彼女は思っていた。


「その方が、ユディ殿が笑ってくれそうでしたからな」


ただ喜んでほしかったのだと、ランプレヒトは微笑む。

彼からみてユーディットは、趣味の関係で一人でいるものの、人と話すことは好きなようだ。特殊な趣味をもっているから、と最初から線を引き、一歩さがっていただけで。理解されないと思うのは、当然のことだろう。ランプレヒトとて、自身の嗜好をこれまで母以外に理解されたことはない。けれど、彼の知る限り、リーゼルは相手に理解できない部分があるからと距離をとる人間ではない。だから、彼女はいまだに見かけると自分にも声をかけてくるのだ。

少し言葉を交わしただけだが、ユーディットも彼女に好感をもっているようだった。ならば、まずは知り合ってみてもいいだろう。

自分が思っているような他意がなかったと知り、ユーディットは呆けてしまう。それから、聞いた理由と向けられた笑みを反芻はんすうして、じわじわと頬に熱がのぼるのを感じた。

これは嬉しさだ。

趣味の話をするためだけの、趣味のための関係だった。一般の友人の枠に当て嵌まらないとばかり、思っていた。趣味以外のことにはお互い関心がないものだと、ユーディットは決めつけていた。けれど、ランプレヒトは違ったらしい。

趣味以外のことも思いやってよいのだと、嬉しさがあとからじわりじわりと滲んでゆく。

ありがとうというべきか、よかったというべきか。どう言葉を返せばいいのか。面映ゆさでユーディットは言葉がうまくでてこない。

言葉の代わりに、嬉しさを込めて笑ってみせる。

それは、面映ゆさでへにゃりと不出来な笑顔だった。それでも、伝わったようで、ランプレヒトは微笑み返す。

これからは、趣味以外でもランプレヒトのことを知ってゆけたらいいと思った、ユーディットだった。


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