01.発端



事の発端はなんてことのないものだった。

伯爵令嬢のユーディットは、王立魔導学園に入学してから一ヵ月経過した頃には、すみにいるのが当たり前になっていた。物陰から極力気配を消して、男子生徒らの親しいやり取りに耳を傾ける。

他人の視界に入らないようにするその様子は、人見知りで控えめに映る。しかし、大人しい令嬢という周囲の印象とユーディットの実態は異なっていた。

今日も彼女は、廊下の角に潜み、通り過ぎる男子生徒たちの会話に耳を傾ける。


「今日の食堂の日替わりなんだろうな」


「俺、パス」


「は?」


「婚約者と昼とるから」


「はぁぁ!? ふざけんなよ、婚約できたからって調子乗りやがって」


「悪いな」


「俺らの友情も儚かったな」


「そういうなって」


拗ねる友人の肩に腕をまわし、一方が宥めるように笑いかける。


(嫉妬!? これはやきもちでしかないでしょう!! 可愛いっ! そんな肩を抱き込んで、気持ちを引き留めようとしているのね……! まさか、婚約も彼にやきもちを妬かせるためじゃ!? それなら、なかなかの腹黒ですわ)


男子生徒の背中がみえなくなるまでの間に、怒涛の妄想を繰り広げユーディットは興奮していた。自身の萌えるシチュエーションに誇張解釈し、その解釈に悶える。頭の片隅では、一応先ほどのやり取りが単なる友情であり、一方が本気で僻んでいる可能性を理解していた。しかし、それはそれ、これはこれとして、妄想の糧を与えてくれた彼らをユーディットは拝んだ。彼らは、まさか背後で拝まれているとは露とも思わないだろう。


(やっぱり廊下の角は死角になりやすくていいわね)


萌えを摂取したユーディットは、自身も昼食をとるために食堂へ向かう。食堂でも男子生徒らの近くに席をとれば、聞き耳を立てられるのだが、いかんせん令嬢が何気なく異性に近い席に座るのは外聞が悪い。なので、彼女は少し遅れて食堂の席がほとんど埋まった頃にいく。そうすれば、空いている席が他になかった体を装えるのだ。遅れて席に着く分、食事をする時間は減るが、ユーディットは小食なので残りの時間で完食できる量で問題なかった。

男女混合の和気あいあいとしたグループよりは、男子生徒だけのグループの近くが望ましい。空いている席がなくて困っているかのように、きょろきょろとちょうどよい席を探す。時折、親切な人が空いている席を教えてくれたりする。そういうときは親切を断れないのでそこに座るしかない。

その日は、運よく男子生徒数人のグループを背に昼食をとることができた。ただ背後の会話にいちいち萌えを拾いすぎてしまい、食事が遅々として進まず、休憩時間ギリギリに食べ終わった。

ユーディットは自主的にぼっちだった。

入学当初は、親しくなろうと声をかけてくれる女子生徒もいたのだ。しかし、令嬢とお茶会している間があるなら見学と称して騎士訓練校の訓練を愛でにいきたいし、昼食に誘われても先の通りの理由で単独行動の方が都合がよい。男子生徒の観察をしたいので、と正直に申告して断ることもできないため、結局毎回言葉を濁していた。そうして、次第に彼女に声をかける者はいなくなっていった。

最近は男性同士の恋愛関係を隠喩するブロマンス小説もいくらかあるため、同好の士はいなくはないのだろう。同志がいるならぜひとも語り合いたいが、表立てない趣味のため遭遇することは困難だ。ブロマンス小説も、そう受け取りようがある、というだけで該当の本を読んでいるからといって必ずしも同じ嗜好とは限らない。純粋に複雑な友情物語だと思って読んでいる者もいる。

同じ本を読んでいるからといって、同志かを訊いて自爆するなど、ユーディットだって避けたい。

そんな訳で、彼女は、一人でいることに落ち着いた。

授業が終わったあと、ユーディットはよく校舎本館と別館の間にある渡り廊下に向かう。その途中には東屋がいくつか点在しており、放課後に生徒が親しい者同士で歓談していることが多いからだ。

渡り廊下の入口に張り付いて、男子生徒だけで集まっている東屋を眺める。廊下と違って、距離が遠く笑い声などは届いても話している内容までは判らない。死角がないため、近付くことができないのが口惜しいが、これはこれで仕草から会話を妄想する楽しみがある。

冗談をいって小突きあったり、肩を抱いたりと、男性同士はどうしてこうも触れ合いが多いのだろう。令嬢同士のやり取りよりずっと親密にみえる。ぜひともこれからもその無防備なやり取りを続けてほしいと、ユーディットは悦に浸る。


「……はぁ、東屋の柱になれたらどんなにいいか」


「同感ですな」


思わず漏れた心の声に、同意が返った。ユーディットが驚いて、声のした隣に向くと長身の男子生徒が自分と同じように渡り廊下の入口の反対側に張り付いていた。彼の身体の向きからして、彼が見ていたのは令嬢たちがお茶会をしている東屋だ。

クセの強い髪は縦横無尽にうねっていて、そんな前髪を伸ばしているものだから目元がみえない。視線が合っているのか判りづらいが、そのときは確かに眼が合ったと感じた。

お互いが眺めていたであろうものを確認し、しばらくの沈黙が落ちる。どうみても、同じ行動をとっていたようだ。


「つかぬことを伺いますが、”四葩よひらに導かれて”をご存じで?」


「愛読書です」


不意の問いに対して、ユーディットはしかと頷いた。彼女の世代なら誰しもが子供時代に読んでいる男女ともに人気の冒険譚だ。


「して、何推しですかな? それがしはアナドラ推しです!」


「それはもちろん、リーガク推しですわ!」


先方に推している組み合わせを宣言されたため、ユーディットは反射で正直に申告してしまった。答えてから、はっとなるも後の祭りである。ユーディットの好みの組み合わせは、主人公の勇者であるガクと親友のリーアイである。もちろんどちらも男性だ。

しかし、彼の組み合わせはシスターのアナベルと盗賊の少女のハイドラだった。どちらも女性である。物語上では主人公のガクとシスターのアナベルが結ばれる。最終巻で二人が結ばれるまでは、主人公がどの女性キャラと結ばれるのか一般では論議されていた。つまり、一般で論議する組み合わせと彼の好む組み合わせが異なるということだ。

彼は直感で気付いたのだ、自分が同種の人間だと。

ユーディットは、無言で彼と固い握手を交わし頷き合う。方向性は違うものの、初めての同志との遭遇だ。


「ユーディット・フォン・アイヒロートですわ」


「某は、ランプレヒト・フォン・シュターデンと申す」


妙に古典的な口調の男子生徒の名前に、ユーディットは聞き覚えがあった。観察対象の生徒たちが帰寮したのを見届けてから、空いている東屋で顔を合わせる。


「噂の……変わり者のシュターデン弟?」


魔導学園において学ぶ属性が自由とはいえ、基本的に自身の適性属性科目は履修する。だが、噂通りなら彼、ランプレヒトは幼少からずっと適性属性の火属性ではなく真逆の水属性ばかり鍛えているという変わり者だ。学園でも火属性の授業を履修する様子がないため、入学当初から騒がれていた人物だった。通り名に弟とつくのは、上級生に彼の兄がいるためである。


「世間ではそのような呼称をされることもありますな」


なぜかは判らないが、とランプレヒトは小首を傾げる。口調からして独特であるのに自覚がないようだ。自身が普通だと思っている、というよりは、周囲から逸脱することに関心がないとみえる。


「某は、ただ百合を愛でることに生涯を捧げているだけだというのに」


「その百合、というは、薔薇と対になる単語ですか?」


耳にしたのは初めてだが、本能的に自身の対義語と感じた。ユーディットが確認すると、ランプレヒトは首を縦に頷いた。


「左様。母が薔薇を嗜んでおりましてな、某の場合は百合と呼称するのだと教わったのです」


「お母様が……、よいご趣味をされていらっしゃいますね」


ユーディットの場合は、領地の邸のご近所にいるお姉さんからこの道を教わった。歳上の彼女から令嬢である以上、密やかに行動すべきだと厳重注意も受けている。異性にバレるのは想定外であったが、今回においては相手も同族なので問題ないだろう。

しかしながら、男性側の特殊嗜好にも知識が及んでいるとは、彼の母君はその分野に造詣の深い人物のようだ。機会があれば、ぜひ会って話を聞いてみたい。


「母は読み物のなかだけから供給を得るタイプであったので、現実世界にも供給源を得るのは特殊かと思っておりましたが、よもや同志がいるとは感激です」


「ええ、物語のなかの関係性もよいですが、現実のやり取り、関係性からこそ得られるものもあると思うのです……!」


お互いフィルターを通した観点でうつつを映しており、そのよさに共感し合う。彼は感激したというが、ユーディットもここまで話が解る相手と巡り合えて感激していた。行動パターンが似通っているので、二人はいつかは出逢う運命だったのかもしれない。


「さて、ユーディット殿、大分暗くなってまいりましたので、そろそろ帰りましょうぞ」


「あっ、そうですね」


意気投合してしまったために、話していて時間を忘れてしまっていた。ランプレヒトが立ったのに合わせて、ユーディットも立ち上がる。

すると、ランプレヒトは彼女に手を差し出した。

ユーディットが首を傾げると、夕闇のなかでかすかに笑みを刷く。


「暗くて足元が危ないので、女子寮まで送ります」


「あ……、ありがとうございます」


思いがけず紳士的な申し出をされてしまい、ユーディットは虚を突かれる。なので、素直に自身の手を、差し出されたてのひらにのせた。

観察のためずっと一人だったので、令嬢女の子扱いされることに内心戸惑いを覚えた。しかし、厚意を無下にはできない。

結局、女子寮に着くまでその手は繋がれたままであった。

こうして、人知れず、二人は運命の出会いを果たしたのだった。


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