百合男子に食べられそうです!?
玉露
00.プロローグ
どうしてこんなことになったのか。ユーディットは混乱していた。
伯爵令嬢であるユーディットは、一見するとごくありふれた少女だ。灰色の髪は地味で、眼を引くような顔立ちでもなく平凡といえる。身長だって、平均より少しばかり低いかというぐらいだ。
目立つ要素はどこにもなく、それをユーディットは喜んでいた。
なぜなら彼女は、風景や建造物に溶け込みたい願望の持ち主であったからだ。理由は彼女の特殊な嗜好による。ユーディットは、薔薇と隠語で呼ばれる趣味があった。
薔薇とは、男性同士の恋愛に想いを馳せる嗜好を指す。元来そういった主旨の物語を好むだけに留まらず、一般の物語にもその視点を持ち込む。場合によっては、現実の人間にも投影する者もいる。そのような、他人からの理解を得づらい趣味のため、隠語が自然と生まれていた。
ユーディットのような令嬢は、自らを婦女子ではなく腐女子と自称する。それは相手を不快にする場合があることを忘れないための自戒のようであった。
そんな腐女子のユーディットは、男性同士の交流を眺めたいという目的のため、親から勧められていた女学院ではなく共学の王立魔導学園に通っている。貴族令息のみが通う寄宿学校も視野に入れていたが、残念ながら男装しても彼女は男に見えなかったため断念した。
条件が揃っていれば、男装してでも男の園に乗り込む気概のある彼女は、学園でも可能な限り男性同士のやり取りを観察することに精力を注いだ。
「あー、疲れた」
「あのじいさんの長話聞いてらんないよな」
その念願叶って、彼女は今、男子更衣室の壁になっている。
実技を終えた男子生徒たちは、実技服から制服へと着替える。ユーディットの存在など気付かずに。
彼らは全裸になる訳ではなく、上下を着替えるだけだが、令嬢によっては刺激的に映るやもしれない。ユーディットの場合は、恥じらうより前にしっかりと観察することだろう。しかし、ユーディットは会話は拾えても、視界が塞がれていて着替える様子までは確認できなかった。いざ見つかったときのために、視界を塞いでいるものが配慮してのことだ。
令嬢が男子の着替えを覗いていたとなれば問題だ。見つかる可能性が低いとはいえ、念には念を押しておくに越したことはない。
ユーディットとしては、異性の眼がないところで交わされる会話を聴けるだけで充分堪能できる。
のだが……、耳に届く会話を堪能したい願望とは裏腹に、ユーディットは自身の騒ぐ心臓と闘っていた。
背には更衣室の壁、ユーディットの眼前には別の壁があった。頬を押し付ける状態になっているそれはあたたかい。同じ熱が腰にもまわっており、身動きができないように押さえられている。
腰にまわる熱が動き、わずかにユーディットの腰を撫でる。思わずびくり、と反応し、彼女は声をあげそうになる。
「……っ!?」
慌てて自身の両手で口を塞ぎ、どうにか堪える。それから、抗議するために見上げた。
すると、彼は空いている方の人差し指を口元にあてて、静かにするようにユーディットに示した。至極真面目なその様子に、誰のせいで声をあげそうになったと思っているのだ、と抗議の気持ちを眼差しに込めた。
ユーディットの抗議が伝わっているのかいないのか、彼は意に介した様子がない。むしろ、もう一方の腕も肩にまわされ、余計に身動きをとれなくされた。
「しぃー」
ほぼ吐息だけで注意される。
吐息と変わらない囁きであっても、耳元でされれば、鼓膜に響く。存在がバレてはならない状況のため、ユーディットは胸中で絶叫した。声なき叫びが漏れ出ては恐いので、口元を押さえる手に自然と力が籠る。
ユーディットを拘束するように抱きすくめるのは、目元までかかる前髪で視線の合いにくい男。百合と隠語で呼称される女性同士の恋愛を好む少年、ランプレヒト。十五の少年にしては長身で、ユーディットの頭のうえに頭がくる。
分野は異なれど、彼女と同じく偏った嗜好の持ち主だ。
だから、広義的には同好の士と仲間意識をもっていた。仲間である以上、無害な相手だとばかり思っていたのだ。
それなのに、現状は本能的に逃れたいと思うほどに身の危険を感じている。胸中を占めるのは恐怖ではなく、動揺だ。よもやこんな状況で、相手が異性だと思い知らされるとは。
一番安全圏なはずだった相手に、驚くほど心臓が騒いでいる。
あまりにも鼓動が騒がしいものだから、堪能したい男子生徒たちの会話が遠退いてゆく。念願叶ったはずのユーディットは、初手を誤った自身を恨めしく思った。
あのとき、彼の手をとるのは誤りだったのだ――
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