第13話 水の国水聖教 神官長の思惑

この世界には4つの国と2つの地域がある。

人が住むのは四つの国。

火の国、水の国、土の国、風の国である。


そして2つの地域。

一つは魔王が治める魔界領ともう一つは霊界領。ここは世界を作った神が降りた地で、精霊や妖精の国であり、その深い森に人が入る余地は無い。


霊界領は世界の真ん中に広がり、魔界領は大陸の東にある風の国より先の、東の果てにある。そして魔界領はそこから先の、世界の果てを超えて、どこまでも続くのだと言われている。

つまり魔界の領域に近しいのは、風の国のみとなっている。


一方の神の降りた霊界領に一番縁があるのは、水の国である。

四つの国の中でもこの水の国だけが、霊界領の神を祀る事が許された宗教国家であり、国の中心は国王でも民でも無く、水聖教の教皇である。




*****




水の国には宗教国家として相応しい、荘厳な神殿がある。

神殿には四つの国を建てた女神が祀られており、それはクロエが神託を受けた際に見る事が出来た、あの可愛らしい女神像の事である。


クロエ達が宿泊しているのは、神殿の傍にある宿泊施設も備えた聖堂で、こちらもそれなりに大きな施設である。

それとは別に石造りの大きな城のような建物がある。

こちらが水聖教の教団本部であり、神官達の住まう施設も担っているし、国の政を担う場でもある。


その石造りの城のような建物の最上階。

この階層には教皇の執務室と教団の蔵書などが置いてある。

つまり最上階は限られた人間しか入れない上に、蔵書のある図書庫は、現在では教皇のみが入れる禁地(立ち入る事が出来ない場所)となっている。


教皇の執務室の隣は円卓の間と呼ばれていて、文字通り円卓が備えられ、ここでは定期的に教団の神官達が集まって会議のようなものが行われていた。


円卓に参加が出来るのは、教皇とクロエに神託を告げた神官長。それに副神官と、幹部神官のごくわずかな人間だけとなっている。




*****




クロエが神殿で治癒の指導を受けているその頃。

教団本部の円卓の間で行われていたのは、聖女についての話し合いだった。

教皇は苛立ちを隠さずに神官長に詰め寄った。


「水の国の威信にかけても、聖女は我が国から出したかったのだが」

「っ…」


神官長の耳には、教皇の言葉の裏にある苦言が聞こえていた。


『どうして風の国から聖女が現れたのだ?あの女は偽物ではないのか?』


神官長は教皇の真意をくみ取りながら、自身の言い分を恐る恐る伝えた。


「風の国の第二王子自ら申し出されましたゆえ…(余計は事は出来ませんでした)」


神官長の言葉に「フン」と鼻を鳴らし教皇は続ける。


「魔王が復活になったのだ。我らも策を考えねばならぬ…(今からでも差し替えは出来ぬか?)」

「クロエ殿でしたら聖女の資質に問題はないかと…(差し替えは難しいです)」

「ならばこちらも協力してやらんとな(暫く止め置いて様子を探れ)」


教皇の言葉の後、神官長が円卓の周囲に視線をチラリと向ければ、真意の分かるものは、何やら嫌な笑みを浮かべているように見える。

神官長は心の中でため息を吐いた。


この場でおいそれと本当の事は言えないが、それなりに嗅ぎ分ける嗅覚が必要なのだ。そしてこのような真意に気が付くものだけが、神殿に残り続ける…。

教団内の信仰は随分前から腐っていたのだ。


「まぁ、良い。どうせ二年は各国を周遊するのであろう?」

「そのように聞いております」

「その間に不幸が有っては目も当てられんて」

「っ…」

「魔界領へ出るまでだ。それまでにしっかり(代わりの)聖女様をお育てするのだぞ」


神官長は教皇の言葉に息を飲んだ。

彼の中では聖女クロエは既に用済みなのだ…と。

ぎゅっと拳を握り締めたのは、苛立ちでは無く悔しさであった。

悔しさの原因は教皇の無慈悲な判断にあった。


(そもそもこの方は、このような人物では無かったはず…)


神官長は自分と教皇の出会いを思い出していた。


それは今から20年ほど前。

彼がまだ若い…といっても36歳を過ぎた頃だ。

当時の神官長は、水の国の国境近くの僻地にある教会におり、彼は司祭として勤めていた。


この地は土の国にも近いため、それなりに人の行き来の多い大きな町でもあった。

そもそも土の国と水の国は他のどの国より交易が多い。そして教団への寄付も他の国よりも多かった。

つまりこの教会は、僻地の教会でありながら、土の国からのお布施やお供え品などを預かる、ある意味で土の国の信者が窓口として使う教会でもあったのだ。


そんな華やかとも言える場所であるからこそ、時々荒くれ者のような巡礼に相応しくないものも訪れる。

それでも彼は崇高な意志を持って、どのような人間も受け入れた。


そんなある日の事。

定例になっている教皇様一行の視察の日が訪れた。


そう言えばと司祭は思い出す。

教皇様は自分よりも10歳ほど年の若い青年であるが、前教皇様の推薦で有った上に、教団の本部内でも評判の良い人物だったと。

一度もご尊顔を拝した事は無いが失礼のないように持て成さないといけない。


そして実際に相まみえた教皇は噂通りの聡明な人物で、とても造形の美しい顔をしていた。瞳は鋭いが逆にそれが清廉な印象を与えた。


そして当時教会で保護していた女性の話を聞きつけると、わざわざ彼女に会い、話を聞いてくれた。


彼女は土の国から追い出されるように嫁ぎ先から出された未亡人の女性だった。

行く宛も無いとのことで、保護し、教会の手伝いさせていた女性である。

教皇は同情からだろう、親身になって彼女の様子を気にかけてくれた。


ある日の事、教皇様は女性に小さな小瓶を渡しているのを見かけた。

聞けば彼女の亡くした夫の姉が身ごもったが体調がすぐれず、このままでは母子ともに危ないと言う。世話になった人物なのでどうにか恩を返したいのだと言ったそうだ。


「それで教皇様自らが回復薬を…でしょうか?」

「私程度の力で、慰めになるのでしたら容易い事です」


教皇様の少しはにかむような笑みに、司祭は教皇へ畏敬の念にも近い思いを覚えた。


「あの方は、お噂通りの聡明な方のようだ」


司祭が教会で共に過ごす修道士たちにそう零せば、誰も意を唱える者はおらず、ますます教皇への畏敬の念が募った。


そんな教皇との思いでも今は昔の話。

自分が本部へ神官長としてやって来る頃には、教皇はまるで人が変わったようになってしまった。


(教皇様は、まるで人の命の重さをお忘れになられたようだ…)


そんな不敬な思いも、自身の事を思い返せば、ほんの少し前の自分もそうであったと彼は恥じた。


彼が自分を正す道を思い出せたのだ、実はクロエの存在である。

ならば変わり果てた教皇の姿勢も、聖女クロエなら戻せるのではないか?

正しい道を歩き始めていた彼は、そこまで考える余地が生まれていた。


『クロエ殿でしたら聖女の資質に問題はない』


先ほど告げた言葉に裏は無い。

確かに今の所突出するものは無いが、聞けば治癒の力を本格的に学んで間もないと言う。つまり彼女は間違いなく資質が有り、その上、聡い女性でもある。

だから言葉通りの意味で含みも無く答える事が出来た。


仮に彼女が偽物の聖女だったとしても、風の国がわざわざ嘘をついて聖女を祭り上げる理由が分からない。

教団内にある古の物語によれば、魔王復活の際には勇者は現れるが、聖女が現れたとの記載は無かったのだ。


それにだ。

そもそも魔界領にほど近い風の国が、魔王復活の神託に異を唱えなかったのも事実だ。

だとすると、風の国の中では、神託よりも先に兆しが有ったのではないか。

その上で聖女が現れたとしたら…。


(もし彼女が本当の聖女だとしたら、魔王の復活が本当になったという事だ…)


そうなると古の伝承の通り、いずれ勇者も現れるかも知れない。


神官長は自分の口から出まかせで言った神託の『勇者はいません』が最善だったとここに来て気が付いた。

あの時の神託は後付けで『、勇者はいません』の意味だったと何とでも言える。


偽りの傷は浅い方が良い。今なら間に合うのではないか。

神官長は自分が罪を認め姿勢を改めたように、教皇にもそれを望み、諫めようと試みた。


「…お言葉ですが…」

「うむ。…まぁ、お主も気を付けるようにな(何か事を起こさせぬように)」

「っ…。…かしこまりました」


どうやら時期がまだ早いのかも知れない。


(聖女クロエ殿が出発されるまで、まだ時間はあるはず…)


神官長は教皇の目を覚まさせる為には、もう少し時間が必要だと考えを改めた。








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