第12話 風の国 第一王子エウロスの思惑

風の国の第二王子ノトスには、16歳上の兄がいる。

それが第一王子のエウロスだ。


彼は現王であるボレアスにはあまり似ず、母親に似た女性らしい顔立ちであり、学問にも明るい聡明な人物である。

そしてノトスが生まれた時、一回り以上年の離れた弟の誕生を一番に喜んだのは兄のエウロスだとも言われている。




*****




「エウロス殿下、王子のご誕生です!」


エウロスが16歳になり、夏の日差しも柔らかになったと感じる頃、弟が生まれたとの知らせが入った。

エウロスは面会の許可が下りると、すぐに弟へ会いに行った。


案内された部屋の中央に、父と同じ柔らかな金色を見たエウロスは静かに安堵した。

良かった…これで違わずに済む…と。


「ノトス」とは、風の神の古い名である。

秋の訪れを意味する神の名。

いつの日かこの国に実りをもたらしてくれるであろう小さな寝息に、例えようのない温かな気持ちが、エウロスの中に生まれた。


気が付けば、彼は毎日弟に会いに行っていた。

ノトスの乳母であるハイデマリー夫人に盛大に揶揄われたが、何だかくすぐったくて、悪い気はしなかった。


毎日会いに行ったのは自身の体験からだろう。

弟を愛してやまない人物が側にいると言う事を、弟にどうしても知って欲しかった。




*****




エウロスがまだ4~5歳の頃だった。

確かにまだその頃は母に愛されていた。それは大人になればわかるが、執着に近い粘着するような性質のものだった。

実母にとってのエウロスは、何かを証明するための「モノ」だったのかも知れない。


反対にエウロスの父である王は、複雑な感情を持ってエウロスを見ているようだった。

彼は妻であるオレイア妃殿下をとても愛していた。

その愛は狂っている愛と言って良かったかも知れない。


そんな狂った愛を周囲の者たちは揶揄する。


「愛する妃殿下とそっくりの殿下に、嫉妬のような思いがあるのかも知れませんね」


息子エウロスに対する父の眼差しの中の違和感を、そんな陳腐な言葉で表した。


それでも息子は周囲の言葉を素直に信じていたが、それも幼い間だけ。

年を重ねるごとにエウロスを見る父の眼差しに疑いを持ち始めた。


まるで自分の敵を見るような疑う視線。

エウロスは視線に含まれる異物の意味を探していた。


そんなエウロスも15歳になり、政治の場へ入る事を認められた。

初めて入った貴族院の議場で真っ先にエウロスの目に入ったのは、赤髪の男達だった。


その鮮やかな赤い髪は、自身の母を思い起こさせるものだった。

そして多数の赤い髪の男達は、母上の実家であるアナイ家一族の者であろうと、エウロスは容易く想像が出来た。


案内されたまま席に付くと、エウロスは、真向いに座る赤い髪の男の顔が目に入った。

その赤い髪の男の姿に、エウロスは何故だか妙な違和感を覚えた。


その妙な違和感は、翌日の朝にいとも容易く解けた。

エウロスは洗面所の鏡に映る自分の顔が、全く似ていないその男と重なったのだ。


真っ赤な髪である自分の姿を認めると、空腹である胃の底から何かがせり上がり、エウロスは嘔吐した。

その後エウロス気を失った。


「昨日は初めての議会でしたので、お疲れが出たのでしょう」


ベッドの上で目の覚めたエウロスは、そんな医師の声を遠くに聞きながら、グルグルと腹の底が回る感覚を覚えていた。




*****




その後のエウロスは、内情の激動を隠したまま、穏やかな毎日を装っていた。

そんな彼を癒してくれたのは、年の離れた弟ノトスだった。


始めは、「自分を愛してやまない人物が側にいる事を知って欲しい」との思いから弟に会いに行っていたが、いつからかそれは逆転していたのかも知れない。


柔らかで温かい生命力の塊は、エウロスに生きると力と、意味を教えてくれているようだった。


そんな穏やかな日常の中、ノトスが4歳の時にありえないことが起こった。

彼の食事に毒が盛られたのである。毒殺である。


デザートのお菓子を頬張ったノトスの顔に一瞬のゆがみを感じると、エウロスはすぐに席を立ち、弟の口からお菓子をかき出した。

彼を吐かせながら、自身の護衛長にこの場にいる全ての人間の確保と、信頼のおける兵の増援を頼んだ。


エウロスが側にいた事が幸いし、ノトスは一命を取り留め、毒殺は失敗に終わった。


エウロスはノトスの身の安全を確保すると、すぐに動いた。

幼いノトスを殺めようとした犯人は誰であっても許せない。

それに解決が長引けば政権にも関わる。

ノトスが王に着くまでに盤石の体制を整えなくてはならない。


エウロスは、王子の権限を最大限に活かし、真相を突き止めた。

そして明らかになった事実に対し、内密に処理する事を赦さなかった。




*****




エウロスは弟の毒殺未遂を裁判の形を持って公にし、事件の首謀者は実母である「オレイア」だと告げた。

そして実母であるオレイアの従兄にあたる宰相と結託し、簒奪を企てていた事も明らかにした。


国を揺るがしかねないエウロスの告発に、国民の多くは固唾を飲んで裁判の行方を見守った。


裁判の中、オレイアの夫であり王でもあるボレアスは、妻の命までは求めないと言い切ったが、エウロスは国民感情を誘導し、それを認めさないようにさせた。

そしてエウロス自らの手で、母に毒杯を渡し自害を求めたのだ。


エウロスは母の実家であるアナイ家の一族と、その一派の全員の処刑を求めた。

これも国民感情を上手く誘導し、議会に認めさせる事が出来た。


全ての憂いを除けたエウロスは、最期の仕上げとばかりに、実母を自害へと追いやった人道的責任を自分に過すとし、王位の継承権を放棄し、議会に認めさせた。


この時のエウロスは、自分の最期までの道を見出した、充実感のようなものに包まれていた。




*****




しかし、この満ちた気持ちは魔王復活の神託に覆ってしまった。


当初、風の国の討伐隊のメンバーは、瘴気沼の封印隊の精鋭や自国の冒険者の中から有力な者を選ぶ予定だった。

当たり前だが、王位継承権を持つ者を、他国…魔界へ放り出す事はあり得ない。


戻る予定もわからず、生死の確認も取れぬ地に、自国の王子を送るなど、国の存続に関わるからだ。


なのに、だ。


早々に討伐のメンバーを公表した土の国は、自国の第一王子である「アルス」殿下を送り出すと言う。

次に公にしたのは、火の国で、こちらも第一皇女である「リスティアーゼ」殿下を討伐隊として選んだのだ。


ならば…とエウロスは自ら討伐隊へ加わる旨を宣言したのだが、王位の継承を放棄した者を出すのは難しいと、国の体裁を取った貴族院が、ノトスを討伐のメンバーとして推したのである。


エウロスは王位継承権を放棄した事を初めて悔いた。


要望に対しエウロスはゴネた。

その上で、早々にノトスへの譲位を、実父である王に迫ったのだが、王は首を縦に振らなかった。

それは愛する妻を追いやった積年の恨みかも知れない。


エウロスは父は随分と老けたものだと、哀れにも思い、一切の情を切り捨てた。

そして次の手を打つ事にした。


本格的な魔王討伐までに2年の準備期限を設ける事。

その間に王位継承権を取り戻し、自身を王に据える事。

老けた王と、弟の不在…。

自身が王位につく事を、うまく行かないはずは無いと、エウロスは確信した。


そしてノトス一行が魔界へ向かっておよそ半年後に、自分を病にみせかけ、貴族院にノトス帰国の命を決定させる。


こうして弟ノトスの帰国を持って、彼に王位を譲る…というものだ。




*****




風の国の王宮。

第一王子エウロスは、自室の窓に向かい、旅に出た弟の無事を願っていた。


ふと、ガラスに映る自身の顔が目に入る。

赤髪のあの男の顔が重なる。

ふっ…と自虐的な小さな笑みが零れた。


「お前ら簒奪はさせない」


まるで自身の敵に対する決意のようの告げるエウロス。


笑う男の向こうに見える穢れた血は、私が終わらせる…。

それが彼の信じる彼の生きる道であった。

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