第10話 クロエのご神託は「何もない」だそうで
水の国の神殿にある神託の間。
ピンと張りつめた空気の中、その空気をぶった切ったのはクロエの質問だった。
「魔王もそうですが、私は勇者の事が気になります」
クロエはきっぱりとそう告げた。
この国に来てから、クロエの身支度は神殿の女官が整えている。
だがこれはクロエの希望とは異なる。
「出来れば今まで通り朝は一人にして欲しい…」
そんなお願いも、聖女様は冗談が上手だと言って、神殿の人たちはクロエの言い分を上手く躱すのだ。結局断れず、良いように女官に飾られる毎日だ。
なら、言いたいは言ってやるとばかりにクロエは勇者の事を訪ねたのだ。
神託の間には、太陽と月と果実のモチーフの鮮やかなステンドグラスがはめられている。
それを背中にして、正面に立つのが石の女神像。
この女神像はやや丸みのおびた、ずんぐりとしたシルエットで、少し可愛らしい印象だ。
女神像で祈りをささげていた神官長が、女神像からクロへ達の方へと向き直り、恭しく杖を頭上に掲げると、はっきりと告げた。
「勇者はいません」
勇者はいません…いません…いません…と、聞こえないリフレインが途絶えた後、あまりの衝撃にクロエは心の声が漏れた。
「…はぁ?」
神官長の告げた内容は、クロエだけでなく隣で神託を聞くノトスにも驚きのの内容だった。
「…なら聖女クロエの事は何と?」
勇者が居ないなら、魔王も居ないはず。
ならば…とノトスは次の質問を告げる。
もし聖女とやらが本当に居て、クロエの再生の能力が聖女のような御力なら、彼女が能力を持つ意味は何なのだ…と考えたのだ。
ノトスの問いを聞いた神官長はまた恭しく杖を頭上へ掲げ、一礼をするとまた女神像へと向き直る。
膝をつき頭を地につけ、拝礼の型を取り、祈りをささげる神官長。
暫くすると、神官長は立ち上がりクロエの神託を告げる時と同じようにノトスへと向き直る。
「何もありません」
「はぁ?」
今度はリフレインの時間も取らず、ノトスは素っ頓狂な声で問いを返す。
隣のクロエは「あちゃー」とばかりに頭を抱えている。
微妙な空気に包まれる中、ノトスは瞬時に我に返り、咳払いをし空気を変えようと試みる。
「以上でございます」
まるで何事もなかったかのように、表情の崩さない神官長はそのまま信託の間を退出する。
そんな彼の様子に、クロエは水の国では豪胆さが信仰心を上回るのだなと、信仰の認識を改めるのであった。
*****
今夜もノトスの部屋で話し合う二人。
やや呆れた表情でお茶を楽しむクロエは、今日の神託の内容にご立腹なのだろう。
珍しくクッキーも頬張っている。
「気付かれなかったのか、気付かなかったのか。はたまた、それすら分からないのか」
「…何れすか…もぐもぐ、その問答は…もぐもぐもぐ」
呆れたクロエがハムスターのようにクッキーを頬張りながら突っ込むと、ノトスが喉を鳴らして、緩む頬を押さえている。
どうやらノトスは、クロエの能力を見抜かれなかった事に安堵しているようだ。
カップに半分になったお茶をクイっと飲み干して、クロエは話題を変える。
「もう良いんじゃないですか?」
「ん?」
「さっさと次の国の…土の国でしたっけ?の王子様と合流しましょう」
「その心は?」
「神託が嘘っぽい」
「あはは、はっきり言うね」
今日もノトスはソファに深く座り、頭を背もたれに乗せて天井を仰いでいる。
一方のクロエはと言うと、オットマンにちょこんと座りお菓子を楽しんでいる。
小回りが利いて座りやすいとは、クロエの弁だ。
「あんまり大きな声では、言いにくい話なんですが…」
クロエは少し声を落として話を続ける。
「うん」と答えるノトスの返事も少し小さめだ。
「聖女って言えば、お金が集めやすいんじゃないですか?」
「ゴフッ、ゴフッ、ゴフッ」
「ちょっと、大丈夫ですか??」
慌てて席を立つクロエはノトスの傍へ寄ると、埋もれた背をソファーから引き揚げる。
「変な座り方してるからですよ、お茶、飲みますか?」
ノトスの背中を撫でて問いかけると、ゴフゴフと咳ばらいをしながら、お茶は不要と手で合図をするノトス。
彼が落ち着くのを見て、クロエは小さく息を吐いて元の席へ戻る。
「ちょっとびっくりする事を言わないでくれる?」
「別に金集めの算段なんて、驚くような話でも無いでしょうに」
少しうるんだ瞳で、へらっと緩んだ顔のノトス。
見た事もないノトスの顔に、そんな顔もするのですねと、心の中で突っ込み、思考を切り替え話の続きを口にする。
「まぁ、ちょっと話を戻しますけど。私の衣装って結構高そうなんですよ。
ドレスにしろ、アクセサリーにしろ。これって、神殿側で用意した…と言うよりどこぞの貴族の贈り物じゃないかと思いますよね、普通は」
ここまで口にして、チラッとノトスの様子を伺うクロエ。
「続けて」
クロエ大きく頷いて話を続ける。
「私へのご神託…あれも、そもそもご神託自体が本当は無くて、いつも適当な事を言ってるんじゃないですかね」
「そもそもクロエ嬢はご神託を疑っているもんね」
そう。クロエもノトスも魔王復活の神託は嘘だと考えている。
「今回はたまたま聖女…と呼ばれる私がいるので、ご神託自体が嘘だとバレるのが嫌で『何もない』って事にしたんじゃないですか?」
なるほど。
神託自体が偽りの可能性がある。
ノトスはクロエの突拍子もない話に、逆になぜ神託が本物だとして来たのかの根拠を疑い始めた。
それに…とクロエは思い出したのは女神像の事だ。
私が女神ならアレはない。もう少し…いやもっと美しく作って欲しい。
あんな適当な像で崇められてもあんまり嬉しくない…。
いや、女神様くらい懐が広ければ気にはならないかも知れないが…。
「…これ、ずっと考えていたんですが…」
クロエは落ち着いた声で切り出す。
「魔王が復活した事にしたい…って線はありませんか?」
*****
そもそも、クロエは魔王復活のご神託を信じていない。
それは全く実感が無いからである。
瘴気の沼はクロエが生まれるずっと昔からあると言うし、瘴気にあてられた動物が魔物化するのも普通の事だ。
クロエの育った小さな村でも教会があるのは、魔物を人の地へ入らないようにする結界のポイントになっているからである。つまり、人と魔物の境界線である。
教会は神殿の簡易版とも言えるが、本質的には結界そのものの要素が強いのだ。
王都より遠い田舎の貧乏教会の神父様が、第二王子の教師だった…。
この事実はクロエの中で魔王復活を疑う根拠となった。
風の国の南端であるクロエの暮らす村は、魔界に最も近い人の住む地の一つである。その地の神父が王族の中でも信頼の高い人物になっている。
つまり、重要な僻地の結界を護る為に、適切な人物があてがわれている…そう捉える事が出来る。
そして村事態に大きな異変は無かった…。
確かにザサの件は心を痛めたが、その瘴気の沼は適切に封印されたと聞いている。
僻地の瘴気沼を国がいち早く認めたのも、常に警戒しているから…と言える。
話を戻す。
つまりクロエの知る限り、魔族被害の影響が一番強く表れるクロエの村は今まで通りだった。
だとすると、魔王復活は嘘…ではないだろうか?と
眉唾モノだった話は誰かのでっち上げではないだろうか?
「…とまぁ、私の推測ですけどね」
司祭の推理マニアの影響がクロエにまで及んでいるようだ。
とんでもない推測だが、筋は通っている。
そしてそれは大筋で正しい事もノトスには分かっている。
「クロエ嬢の柔軟な発想はどこから生まれるんだろうね?」
ため息を吐いたノトスはクロエの推測に呆れたような声を出す。
「それに…」
ノトスは続ける。
「こんな物騒な話、よくこの場で出来るね」
何とも言えない表情を浮かべているノトスに、クロエは事なく答える。
「人の世に魔王が居る限り、聖女である私は人の世が一番安全ですよ」と。
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