第9話 クロエの魔力量は「上級」だそうで
クロエは出発の日までノトスの難題をこなしつつ忙しく過ごした。
そして水の国へ向かう日がやって来た。
難題のお陰だろう。短い期間だったとは言え、最近のクロエは体内や魔力量が増え、身体が軽くなっている事を実感していた。
クロエは上級治癒師…とはいかないまでも、多くの術が使えるようになったし、材料さえあれば瘴気を抑える一般封印隊の仕事も覚えた。
合わせて教会のシスターや神父の作る聖水(…といってもこれはシスターマリィのお陰で前々から作れたのだが)や、魔除け水、中級回復薬も作れるようになった。
真面目なクロエの頑張りが大きいのは当然だが、ノトスの鬼畜な指導が良いように作用したとも言える。
流石は兄弟子と言った所だろうか。
それでもクロエの中での一番大きな成果は、ザサの腕を再生させた不思議な治癒の力とは異なる系統の…いわゆる神官の扱う治癒術を身に着けた事だ。
つまりクロエは異なる系統の治癒術が使える治癒師と言っても過言では存在になったのだ。
*****
色づいた木の葉がハラハラと舞う、秋も深まる頃。
クロエ達は、あと数日で水の国に入るという場所までやって来た。
ゆっくりと進む馬車の中で、流れる風景を楽しんでいたクロエに「少し良いか?」とノトスは声をかけた。
「はい、何ですか?」
「うん。もうすぐ風の国の国境を超える」
「あっという間でしたね」
「そうだね。それでクロエ嬢は神殿で治癒術を学んで欲しい…とは、前に言った通りなんだが…」
「はい…」
何か言いにくい事があるようでノトスは言葉を切った。
クロエは怪訝そうな顔をしたが、彼が言葉を口にするのを待つ事にした。
暫しの沈黙の後、ノトスは意を決したようにグッとこぶしを握ると、まるで頼みごとをするように話を切り出した。
「再生の力の事は伏せて欲しい…と言う話なんだが…」
「…隠しておく?という事で?」
「…あぁ」
「わかりました」
特に理由も尋ねずにあっさりと了承するクロエ。
ノトスは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。クロエの返事が思ったのと違ったようだ。
「それで良いのか?」
「別に構いませんよ」
「力の本質を知りたいとか…そういったものは?」
「無いですね…と言えばウソになりますが」
ノトスは、「そうか」と口にすると、窓の方へと視線をかえ、流れる景色を見ている。
なるほど…とクロエはノトスの考えを推測する。
もしかするとノトスはクロエが自分の能力の事を知りたがっているのだと推測したのではなないか。もちろんクロエには知る権利もあるだろうし、知ってみたい欲のようなものもある。
クロエの能力はある意味で、風の国にすれば国家秘密に近いのかも知れない。
そもそもクロエに力が有ろうと無かろうと、聖女に祭り上げたいのはノトスなのだ。
おいそれとクロエの能力を見抜かれて、実は再生も平凡な能力の応用だと見抜かれたら困るのだろう。とは言え…クロエにも言い分はあるのだ。
「あのですね…」
切り出したのはクロエ。クロエの声に耳を傾けながらも、ノトスは顔をそむけたまま窓の外を見ている。
「同じです」
「…同じとは?」
クロエがノトスの方へと向き直るも、はす向かいに座るノトスはこちらを見ようともしない。一体何を拗ねているのやら、考えているのやらだ。
「ご神託…いえ、そもそも魔王の話を信じてないですよね、ノトス様は」
「…まぁそうだね」
そっけなく答えるノトス。
「私もそうですよ」
「…みたいだね」
ノトスの返事が来ることで、話の拒絶では無いと判断をし、会話を続ける。
「なら、こちらの手の内を見せる必要はないですよね。私も信用に値しない何者かに、良いように使われるのは不本意です」
「…それって嫌み?」
窓の外を見つめたまま、独り言のようにノトスは呟く。
クロエもノトスの視線の先にある窓の風景に目を向ける。
クロエが口を閉ざせば、静かな車内に変わる。
馬車のガタゴトと揺れる音だけが響いていく。
「はぁ…」
大きなため息を吐いて、先に沈黙を破ったのはクロエだ。
「何にイラついているのかは分かりませんが、やめませんか?」
「…何を?」
ノトスは窓の外を向いたまま返事をする。
「私は止めましたよ」
無言…と言う返事を受け、クロエはゆっくりと席を立った。
そしてはす向かいに座るノトスの膝の前へと歩み寄る。
「不敬かもしれませんが…」
クロエはノトスの頭上からそう言い放つと、彼の顔を両手で挟んでゆっくりと自分の方へ向けた。
その様子は拗ねた子供に言い聞かせる母のような行動だ。
「私はノトス様を疑うのを止めました。もちろんそんな事はノトス様にしたらご存じでしょうけど。ならノトス様も、もう止めたらどうですか?
どうせこれから2年…いえ、魔界へいけば何年も…もしかしたら10年くらい一緒に過ごすかも知れません。そんな相手に少しでも…何かしらの気を張っていたら疲れちゃいます。だったら、もうやめませんか?」
ノトスの真意は何か分からない。
急に態度が悪くなったのも、彼の事情が絡んでいるのだろう。
それでもこれから先は、嫌でもお互いに命を預け合う旅になるかも知れないのだ。
『ノトスを無事にこの国へ連れ帰るように命ずる』
確かに王命を拝した時は、そんな責任を負うつもりは無かったし、それは今でも変わらないかも知れない。
それでも短い期間でも人間はそれなりに情が湧く生き物だ。
だったら、湧いた情を信じて、嫌でも向き合う方が良いに決まってる。
旅が苛酷になるのなら、なおさらそうするべきだ。
と、これはクロエの勝手な事情で、言い分である。
クロエは「よし」と言って大きく頷き、ゆっくりとノトスから手を離した。
それは言いたい事は言えたと、自分に対しての「これで良い」の意味の言葉だった。
そしてクロエが元のはす向かいの席へ戻ろうと、手を伸ばしたその時、クロエの反対側の腕をノトスが掴んだ。
「なっ!何ですか!」
まさか言い過ぎたのかと、クロエが身構えると、ノトスはゆっくりとクロエを自身の方へ引き寄せた。
驚き固まるクロエを無視し、彼女を抱きしめるノトス。
「ちょ、ちょっと!」
顔を真っ赤にさせながら慌てて離れようとするクロエ。
彼女を逃がさないとばかりに、更にぎゅっと力を込めて抱きしめるノトス。
腕を伸ばしたり押したりして、何とかノトスの腕を自分から引きはがそうとするが、ちっともノトスは力を緩めない。一体これは何の嫌がらせだろうか。
「ちょ…ちょっとノトス様、怒ったのなら謝りますから、離して下さい!!」
「ちょっと黙って!」
ジタバタと暴れるクロエに対し、ノトスは大きな声を出してクロエを強く抱きしめた。鋭いノトスの声に身体を震わすクロエ。
観念したとばかりにクロエが力を抜くと、ノトスも同じようにゆっくりと力を抜き、優しい力でしっかりと抱きしめた。
一体これは何が起きたの言うのか。まさか立ちながら夢でも見ているのだろうか。
クロエはそのままゆっくりとノトスの腕に導かれ、彼の膝の上に座らされた。
そのまま優しく抱えられ…と、ここまで行くと、この体勢は男女の良い雰囲気とも言える。
だが相手はクロエ。
クロエは緊張が抜けたのか諦めたのか。はたまた単にノトスの膝の上の居心地の良さなのか。
そのままウトウトと船を漕ぐと、あっという間に眠りの国へと旅立った。
力の抜けた柔らかな塊が、自分の膝の上で、くぅくぅと小さな寝息を立てる。
その温かさを腕の中に抱きながら、ノトスは小さく息を吐いて窓の外へと視線を移した。
流れる景色の中、ノトスは自分の心にも凪が訪れるのだと、妙な満足感も抱いていた。
*****
水の国の大神殿の中にある水鏡の間。
クロエはここで自身の魔力量の鑑定を受けていた。
当然、能力の事も聞かれたが、摩訶不思議な能力で人の言葉では言い表せないとか何とか言いくるめ、最後は大きなほらを吹いて乗り切った。
「人には教えてはいけないものだと聞いております。聖なる力を人間が暴こうなど、烏滸がましいとは思いませんか?」
どうやら、ほらは盛大に吹けば吹くほど信じてもらえるようだ。
こうしてクロエの能力の鑑定は阻まれ、水の国の神官も納得したのだ。
それでも…と言われ、こうして魔力量の鑑定を受けいるのである。
「おぉ、流石は聖女様。かなりの魔力量をお持ちのようです」
「左様で…」
もちろんクロエの資質は有ると思うが、恐らくは鬼教官ノトスの特訓のお陰である。もちろんこちらも徒然黙っておくことにする。
わいわいと騒ぐ神官をよそにクロエは水の国へ訪れた3日前の事をぼんやりと思い出していた。
ふと気が付けばノトスの膝の上で眠り込んでいたなど、成人を迎えたとは言え、まだまだ少女の気分で過ごすクロエには別の意味で恥ずかしい思い出だ。
(小さな子供じゃあるまいし…大人の膝の上で寝るなんて…って。ん?そう言えばノトス様ってお幾つなのかしら?…もしかして実は思ったよりお若い?って…いやいや…不敬、不敬。まぁ、関係ないし、どうでも良いか)
「で、聖女様?」
「…」
「聖女…様?」
「って、はいはい!聖女~は、私ですね、何ですか?」
風の国の神官とは違って、水の国の神官は妙にクロエを持ち上げる。
彼らからすればいくら平民とは言え、国の来賓になるのだろう。
「おぉ、聖女様は旅の疲れが、まだ残っておられるやも」
「それに此度の事で心を痛めておられるのでは?」
「まぁいけません。聖女様が無理をなさるなど!」
「ささ、聖女様はこちらで少しお休みください」
「聖女様…」
「聖女様!」
「聖女様~!」
神殿内のどこへ行っても聞こえる聖女様コールに少々…いや、多大にうんざりとするクロエであった。
*****
神殿に続く聖堂の中。
その客間の一室にクロエはあてがわれた。
そして隣の部屋にはノトスが寝泊まりをしている。
客間とは言え、風の国の王宮の客間と比べてはいけない。質素な作りではあるが、これでもかなり良い方の部屋なのだろう。
一方のノトスの部屋もクロエの部屋と作りは同じようだ。
ノトスの部屋の質素なテーブルに二人。もちろんノトスの相手はクロエだ。
「聖女様~聖女様~って、何をやっても、いや何もしなくても、息をするだけで呼び止められるんですよ!なんだかずっと監視されているみたいで窮屈です!」
ボフっとソファーのクッションに八つ当たりをしながら、ノトスへ一日の報告をするクロエ。そんなクロエの様子を微笑ましく見ながら優雅にお茶を飲むノトスは、猫かぶりモード全開のようだ。
「はぁ、そのノトス様の『煌びやかな王子様スマイル』も止めたらどうですか?疲れませんか?それに自分の部屋の中くらい、楽にしても罰は当たりませんよ」
「いやね、暫く自由にしてたものだから。しっかりと自分の役どころを思い出さないとダメだなぁなんて思ってね」
「左様で…」
いつものように呆れながらお茶を飲むクロエは気付いていない。
ノトスの微笑みの中に本物が混じっている事を。
「それで、魔力量が上級のそれだとか」
「何でも、水晶の輝く度合いによって低級、中級、上級と分かれているそうです」
「へぇ」
「度合だなんて、実際は権力のさじ加減じゃないですかね」
「クロエ嬢らしい言い分だ」
クククっと喉を鳴らすノトス。声を出さないこの笑い方は、やはり貴族やら身分の良い者の作法なのかも知れない。
きっとこれがいわゆる煌びやか王子スタイルの正しい笑い方なのだろう。
そんなノトスの猫かぶりを無視し、クロエは会話を続ける。
「結局ですね…、日常的に癒しの力を自分に使う事で魔力量の増加に繋がったし、魔力操作の訓練にもなったんですよね」
「…」
「まぁ、ノトス様からすれば、妹弟子の可愛さ?が全く無かったという事でもないでしょうけど、自分の身を護る駒を増やす為だったとはいえ、魔界で生きぬく私の為でもあったと思うんです。今では感謝していますよ」
感謝していると言いつつ、全く見向きもせずお茶を楽しむクロエにノトスは笑みが零れる。
そんなクロエの物言いに、ノトスはドサリとソファに深く座り、だらけた姿勢で大きく息を吐いて天井を見上げた。
「クロエ嬢って、よく見てるよね」
「そうですか?」
「うん。それで自分の言い分は通す割に、自分の事は最優先ではないみたいだ」
「はぁ…そう訳でも無いですけど…」
煌びやか王子は、ここに来て緊張の糸を切ったらしい。
猫かぶりはやめて、だらけ猫になったようだ。
「まぁ私の事は別にどうでも良いでしょう。とにかく煌びやかスマイルが解かれたのなら、今日はもう休みましょう。明日はご神託の確認ですよ?」
クロエは言いたい事を言い切ると夜の挨拶を告げてノトスの部屋から出て行った。
ドアの向こうでパタパタとクロエの足音が聞こえる。
質素な作りの客間は壁も薄いようだ。
先ほどのクロエとの会話を思い出せば、内緒話は小声が良さそうだ。
ノトスは小さく笑み零す。
そして低い天井を見上げれば、急に寒々しい部屋だった事に気が付いた。
クロエの居なくなった部屋は静かで広い。
「はぁ…ズレていくなぁ…」
ノトスは静かに目を伏せ、小さな声でつぶやいた。
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