第8話 クロエの兄弟子は「王子様」だそうで

王宮内に用意されたクロエの客間。

その一角にある応接用テーブルの席で、クロエと拾い親の司祭はお茶を飲みながら言葉を交わしていた。


「シスターマリィの育て方が良かったんじゃなぁ」


ここに来てすっかりおじいちゃん味が増した司祭は、ほっほっほっと目を細めて笑っていた。


水の国で上級治癒神官の能力を学ぶ…とは言え、少しでも出来る事はやっておきたい。そこでクロエがお願いしたのは司祭様に教えを乞うだった。


いくら育ての親代わりとは言え、いくら貧乏教会だとは言え、彼は立派な司祭様である。

おいそれと話し込んだり、直接何かを教えてもらうだなんて…ましてや平民で孤児のクロエにはありえない話だが、何と言っても今は緊急事態。


魔王討伐の為だし、司祭様も「ノトス王子の為に~」と懇願する事態になっている。だから、ここぞとばかりに神智学や魔法について学ぶ事にした。




*****




魔王や魔族の住む領域…この場所を人は魔界と呼ぶ。

瘴気沼の封鎖の際にクロエも耳にしたが、魔界はクロエの住む村の東に続く樹海のはるかずっと先の東の果てに本当にあるらしい。


クロエが住むこの国は風の国と呼ばれている。

北側は氷の山に覆われ、東側の樹海の北側…つまり風の国の東側の北半分は砂に覆われている。

なんでも砂漠という広大な砂の海のようなものらしい。

氷や砂漠の大地に瘴気の沼は現れないそうだが、そこを人が行き来するのは到底無理らしい。

つまり大地はあるけど、だれも踏み入る事が出来ない場所となっている。


ノトスの話だと、風の国から水の国へ向かう。

そこから各国を回りながら他国の討伐メンバーと合流し、旅の途中で魔物の発生があれば封鎖や討伐をしながら実戦訓練を行うそうだ。


魔物の発生は魔王の復活云々とは関係なく、今までも度々起こっているので丁度良いだろうとの事。


そして2年ほどで周辺国を回り、風の国へと戻る。

風の国で準備が整い次第、東に広がる樹海を抜けて魔界へ向かう…。

そんな段取りになっているらしい。


どうやらおとぎ話のような魔王の討伐は多国間での国家事業で、何年もかけて準備を行うものらしい。

因みに話の壮大さに、クロエがうんざりとした気分で聞いていたのは秘密である。


そう言えば、とクロエは思い出す。

今は司祭様にしっかり教えを乞う時間なのだと。


「そう言えば、聖水作りのお手伝いはありましたから、治癒の基本的な知識は、みんな知ってますよ?」

「みんな?とな?まさか…マリィ…自分が楽をする為にではあるまいな…?」


クロエの些細な言葉に、司祭は不穏な空気を漂わせる。

クロエはあえて聞こえないふりをし、話題がそれるにはどうすれば良いか?と頭を回転させていた。


「あ、ところで…ノトス様が司祭様を名前で呼んでらっしゃいましたよね?」

「あ?あぁ、そうじゃなぁ」

「教え子?とか」

「ほっほっほっ、気になるか?」

「ワー、スゴクキニナルナァ!」

「ではちょっとだけだゾ…」


少し得意そうな笑みを浮かべた司祭に、小さく息を吐き、良かったと安堵するクロエであった。




*****




図らずのも、クロエの当初の人生計画の通りになったのかも知れない。

クロエが成人を迎える頃には、治癒神官や修道者の何たるかの基本を学ぶ事になっていた。


そして実地訓練として、実際に治癒の力を使ったり、瘴気を除いたりする運びとなった。といっても実際に瘴気の沼を探す訳では無い。

これは研究用に用意された、幾重にも結界が施された瘴気の沼から、ほんのちょっぴりの瘴気を取り出し、活用している通常の訓練の一環だそうだ。


そしてそんな毎日を過ごすうちに、ノトスが朝いちばんにクロエの部屋をやって来るようになった。


とは言え、色気のある話では無い。

お茶を軽く飲みながら、まるで上官のように一日の予定を勝手に告げるのだ。


「クロエ嬢。朝の間は近衛兵の訓練に立ち会ってもらう。それで訓練の合間に、ケガをした者や、体調を崩した者がいたら治療にあたってくれ」

「はい、承知しました」

「彼らの昼休憩も、疲労回復を希望する者がいるようなら施してもらおうか」

「はい」

「それから…そうだな。14時から我々も昼休憩…15時から瘴気の除去訓練。20時から夜の瘴気について直に見てもらおう。その際、魔力余剰があれば、除去も行ってくれ」

「…カシコマリマシタ」


この強か腹黒王子、結構人使いが荒いなぁ…と、クロエがノトスのニックネームを「鬼畜王子」と変更したのは、誰にも秘密である。




*****




詰に詰められた予定をこなす、クロエの一日が無事に終わる。


「ふぁぁ、疲れたぁ…」


クロエは部屋に戻るなりベッドにダイブし、ごろりと仰向けに転がる。

手足をぐぅーっと伸ばし、う~んと身体も伸ばして、大の字に広がった。


「クロエ様、お疲れ様でございます」


良い香りの漂うお盆を運びながら、女官がサイドテーブルにそっと煎れたお茶を差し出した。


「いつもありがとうございます」

「いえいえ、今日は随分とお疲れのご様子ですね」

「ははは、あのキチ…うっほん、うっほん、キレイなお顔のノトス様のご指導について行くのが精一杯なものですから、おほほほほ」

「クロエ様は真面目ですから」

「おほほほほ…」


飛び出しそうになった悪口を誤魔化し、クロエは小さく息を吐いてベッドの端に座った。口にすればいくら聖女でも首が飛びかねない。

女官の煎れたお茶の香りをゆっく楽しんだ後、ふぅふぅと冷ましながらお茶を汲口にする。


「あ~、おいしい…」


行儀は悪いが眠る前にベッドの縁に座ってお茶を飲むのもいつもの通り。

良い香りの温かさが全身に染みわたる頃、女官が口を開いた。


「…暫く同じスケジュールだそうで」


女官の発言にクロエは「ひぇっ」と声を出した。

お茶をふき出さずに済んだのは、女官が口を開いたタイミング絶妙だったからである。




*****




そんなこんなで、鬼畜王子のハードスケジュールを10日程をこなした夜。

クロエの客間のドアがノックされ、対応した女官が呼ぶのでドアに向かうと、そこには良い笑顔を装備したノトスが立っていた。


「クロエ嬢、良いかな?」

「ノトス様…こんな夜更けに女子の部屋へ何の御用ですかね?」

「ふふふ。クロエ嬢に会いたいの思いが溢れて、思わずドアを叩いてしまったのだよ」

「…左様で…」


女官が黙って部屋に通せば、ドアを抜け、スマートにクロエの肩を抱いて部屋の一角の応接用のテーブルの席へ連れて行く。

クロエをそのまま座らせると、どかっとソファに座り、まるでこの部屋の主のように女官にお茶の催促をするノトス。


(鬼畜王子め)


そんなクロエの射ぬく視線をものともせず、当たり前のようにお茶を飲んでいる。


少し前の噴水の夜の事を思えば、あの笑顔が遠い記憶の彼方に薄れそうだとクロエは呆れていた。

そう言えばこの数日のノトスは、遠慮が無いと言うか…クロエの扱いが雑になった。

つまり「もう猫をかぶるのは止めた」という事なんだろう。


「はぁ、実は疲れちゃって。クロエ嬢に疲れを癒してもらおうかと」

「はぁ…」

「もうソファから全然動けないかも」


まるで疲れていない顔でクロエの方へチラッと視線を送るノトス。


「はぁ…申し訳無いのですが、この所の実地訓練が続いてまして」

「そうだねぇ」

「夜は魔力が殆ど残らないのです」

「だろうねぇ」


まるでクロエを様子を気にしないノトスは、疲れていると言ったくせに涼しい顔でお茶を飲んでいる。


「ですから」と断りをの文句を続けようかと思ったクロエの言葉を遮り、ノトスは口を開く。


「クロエに嬢、魔力ってどこから湧くと思う?」

「ふへぇ?」


完全に気を抜いていたクロエは素っ頓狂な声が漏れた。

ノトスは楽しそうに喉を鳴らして笑う。


「クロエ嬢は魔力が殆ど残っていないと言った。なら、殆ど無いが分かるなら、沢山ある時は何処にあるのかが分かっているのかな?」

「…え、体内?」

「の、どこ?」

「…の、どこ…?え…お腹?の辺りでしょうか?」


言われてみるとその通りで、一体どこに在るのだろうか。

クロエは自分のへその辺りに掌を当てる。


「では、使う時はその場所からどうするの?」

「使う時…」

「ゆっくりと思い出して」

「使う時、使う、時…」


クロエは呟きながら、朝の傷を癒していた時の事や、昼間の瘴気を消した時の事を、ゆっくりと思い出していた。


「お腹…と言うより…逆に全身?から集める…?感じ」

「うん」

「それを手の先を…」


クロエは自分の考えを一つに纏めていく。

それは今まであまり意識せずに使っていた、力の根源を探り、通り道を探る様な作業に思える。


「手の、身体の中じゃなくて、手のひらの上と言うか、外と言うか…」

「良いね。じゃぁどんな形のイメージ?」

「あっ、玉です」


クロエが合点が言ったとばかりにノトスを見れば、ノトスは良い笑顔を浮かべていた。


「良く出来ました」

「あれ?」

「ね、まだあるでしょ、魔力」

「…有りますね」

「じゃぁそれを使って自分に癒しの力を使って疲れを取ってね」

「あ…」


騙されたわけでは無いが、何だか騙された気がする。

とは言え、とても気にかけてくれたような気もするし、クロエは何と言って良いか、わからなくなった。

そんな何も言えない微妙な表情を浮かべたクロエに、ノトスは目を細めた。


その柔らかな小さな笑みは、今までの貼り付けたような笑みとは違う、何か温かい気持ちがあるようなものだった。


「兄弟子からのアドバイスだよ」

「兄弟子?」

「マルコフ先生」

「あ…そっか…ありがとうございます」

「ん」


鬼畜王子も良い所があるのかも知れない。

そんな風に思えば王子への好感度を上方に修正するクロエ。


「出来れば日常的に…」

「ん?」

「日常と言うか、いつでも、無意識でも、そんな力の使い方が出来るように」


「はぁ?」と言って慌てて口を手で塞ぐクロエ。

そこにはクロエが想像する魔王よりも意地悪な笑みを携えるノトスが居た。


何の事は無い。彼はやはりただの鬼畜な王子…いや、ドの付くド鬼畜の方だったと、改めて自分の認識を上方へ修正するクロエだった。

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