第7話 クロエの手紙は「訳アリ」だそうで

―ディナス様が健やかでありますように クロエ-


「って!何なの!何なのこれ!!」


クロエの手紙を受け取ったディナスは、その文の内容を読むと荒れに荒れた。

いや、正確に言えば、文を受け取る前から荒れに荒れていたと言っても良い。


調査隊のメンバー達は少年の憤りを微笑ましいような、若いっていいな…なんて思いながら生暖かい目で見ていた。

けれどディナスの傍に使える護衛騎士達…特にザサはディナスの行き場の無い憤りを真っすぐに受け止めていた。


「くそっ!くそっ!」


鍛錬と言う名の行き場の無い思いの発散の場で、息を荒くしながら地面に横たわる少年に、ザサは黙って汗を拭う布を差し出した。


「あぁ、くっそ!」


受け取った布で顔を隠すと、ぐぅっと小さな嗚咽が漏れた。


「…ディナス様…もっと強くなりましょう」

「……っ」

「……ついて行きますよ」

「……」

「ディナス様が望むなら、どこまでもついて行きますよ」


ディナスは顔を覆う布をぐっと握りしめると、ぱっとそれを取り払う。

その目はいつにも増して美しく、濁りの無い真っすぐな瞳だった。


「約束した」

「ディナス様?」

「クロエと約束した」

「約束ですか?」

「あぁ、3年前だ。クロエを妻にする約束だ」


ザサはディナスが10歳を迎えた日から仕えるようになった。

3年前なら小さな主人は7つか8つ。

それはもしかすると、小さな子供に言い聞かせるような、そんな約束だったかも知れない…。ザサはその可能性が高い事を瞬時に悟った。


「あぁ、くっそ。何も変わってない。あれから何も変わってない」


歯を食いしばるように、言葉をすりつぶす声。

そんな悔しさをにじませる主人の言葉にザサは肩が揺れる。

自分も腕を無くした時にそれを感じたのだ…。

例え主人が子供でも、彼の純真を思えば、それは大人も子供も差異は無いのかも知れない。


「遠い…」


小さな主人は横たわった鍛錬場の広場でごろりと転がると、手足を広げ大の字になった。


「遠い…ですか?」

「うん、遠い…クロエはずっと遠いままだ」


手を伸ばしても、掴む事の出来ない茜色の空。

ディナスの涙で滲んだ瞳は、夕焼け色の空の向こうにクロエの姿を描いていた。




*****




風の国の王都にそびえる宮殿の中。

多くの居室を構えるその一つに、街並みが見渡せる展望の広間がある。

案内されたクロエはその煌びやかと、そこに並ぶ食事の豪華さに恐れおののいた。


座席に案内されると、クロエの向かいの席には既にノトス王子が座っていた。


「クロエ嬢なんだかスッキリした顔をしてるね」


座席に着くなりノトスに問いかけられる。


「そうですか?」

「うん、手紙を出したらすっきりした?」

「まぁ、そうですね…」

「なら良かった」


今日は昼からノトス王子との面談の場がありますと聞いてみれば、これだ。

かれこれ王宮へ迎えられて一週間が過ぎだろうか。

そろそろ今後の事について教えてもらわないと、どうにも気持ちの行き場が無いが、こんな場で生臭い話など出来やしない。


相変わらずこの王子は腹が黒いのか、計算が高いのか、強かなのか…と思い、クロエはきっと全部なのだろうと、勝手に納得をしていた。


「あ、そうだ。手紙の事…女官の方に聞いたのですが…」

「ん?」

「なんでも早く届く便で出して頂いたそうで…お気遣いありがとうございます」

「君が気にすることは無いよ、些細な事さ」


確かにクロエが気にする事でも無いが、礼は伝えておくに越したことは無いだろう。

でも早く届くと言うのは少し気になる話だ。


「早く届く便があると言うのは?」

「軍事秘密」

「ぅぁ、すみません…」

「いや、そんな大層な話じゃないよ」


まさかの軍事関係だった…。クロエは質問した事を後悔したが、それも後の祭り。

血の気の引いた顔で冷や汗を流すクロエの表情を見たノトスは、クククッと面白そうに喉を鳴らした。


「いやぁ、本当に気にしないで」

「…」

「ただの定期連絡の便に乗せただけだから」

「…」

「あのね、民と同じ便で王族貴族が手紙を出すとは思ってないでしょ?」

「はっ!」

「あはは、そういう事。だから本当に気にしないで」


顔を青くしたり、急に驚いたり。

表情がくるくると変わるクロエの事を微笑ましく思いながら、ノトスは優雅な所作でこくりとお茶を飲んだ。


「それで君の気になる事は取り除けたのかな?」


ノトスの問いにクロエの肩が揺れる。

そう、手紙を出す事を決めたクロエ。

けれど手紙出す事でまた新しい悩みが生まれた。それがディナスへ送る手紙の内容であった。


-黙って出てごめんね―

は違う。


―心配しないで―

も違う。


―戻るまで待っててね-

は絶対に違う。


クロエの中ではどんな言葉もディナスの負担になるような気がしたのだ。

クロエは荷が重過ぎる荷を背負わされた。

もちろんそんな責任を担うつもりは無いが、自分の未来がままならないのは、今までの比では無い事を理解していた。


だから、自分の思いを伝えるに留めたのだ。

ディナスが、健やかでありますように…と。




*****




クロエが手紙の回想にふけている間、ノトスは数日前の事を思い出していた。

それはクロエの手紙が書きあがった頃の話である。


「クロエ嬢は何と?」

「こちらでございます」

「うん」


クロエが手紙を出したいと申し出ると、用意されたのは数枚の便せんとペンだった。

封筒は無いのかしら?と疑問に思ったが、ここは王宮内。

庶民の常識とは違う。専用の封筒だとか、あて先を書く専用の係がいるのだろうかと、あまり深くは考えず、ただひたすらに文をしたためた。


「クロエ嬢は封筒の用意が無い事さえ、疑わないのだね」


やや呆れながらも、ノトスはクロエのしたためた文の内容を一枚一枚確認していった。


クロエの手紙は、司祭は少し腰が痛いだけで元気ですだとか、王宮内のお茶は、良い香りですだとか、蒸しパンの作り方などがしたためられている。

そして文の最後の一文に目をやるノトス。


「あぁ、これは大変彼女らしい文言だ」


そこには、「いつになるか分かりませんが、教会には戻りますので心配しないで下さい」と書いてあった。


「いかにもって感じだ。最後の一枚は…ディナス様…あぁ、これが例の領主の倅へあてた文か」


ノトスはその短い手紙の、数文字しかない一文をそっと指でなぞる。

それがディナスが受け取った短い文の事である。


―ディナス様が健やかでありますように クロエ-


「よしこの内容なら問題はなさそうだ。このまま出してくれ」


こうしてクロエの手紙はディナスの元へ届いたのである。




*****




ノトスは目の前で食後のデザートを頬張るクロエの様子を伺いながら、静かにお茶を飲んでいた。


(手紙の内容を把握されるだなんて、思いもしないのだろうな、クロエ嬢は…)


一方クロエの方はと言えば、自分の中での回想を終えると、スッキリとした表情で「もう大丈夫です」ときっぱりと言いのけた。


それは憂いはもう無くなったのだと言ったのと同意である。

そしてその言葉通りなのだろう。クロエは話は終わったとばかりにデザートに手を伸ばしていたのだ。


年若い少女が珍しいお菓子を堪能する姿は、微笑ましいものがある。

ノトスは面白半分、興味半分…と聞こえはいいが、珍獣を見るような気持ちでクロエの様子を眺めていた。

暫くしてクロエのデザートタイムが終わる頃、ノトスが口を開いた。


「じゃあ、今後の話だけれど…」

「はい」

「2年後、王が譲位される」

「え?」


それは国家秘密ではないのか?とクロエが突っ込みを入れそうになるが、そもそも王政の話や、行先など庶民が知る由も無い。

きっと政治は計画的な要素もあるのだろうと、クロエ事情を整理した。


「第一王子…私の兄になるのだけれど、彼が王位を継ぐ。その後、私達は魔界へと向かう」

「はぁ」

「とは言え、2年もの間、私達は遊んで暮らすわけにはいかない」

「まぁそうでしょうね」


どうやら魔王の討伐は今から2年後…になるのだろうか。

それに他の国も風の国の事情に合わせてくれるらしい。

やはり庶民には細かい事は分からない。


「なので、冬が来る前に水の国の神殿へ神託の確認に向かう」


ノトスの口ぶりでは、2年の間は準備期間のようなものらしい。

確かに、いきなり行けと言われても、何処に行っていいのやら見当もつかない話だ。


「それは魔王復活のご神託の確認…でしょうか」

「そうなるね。それと君の資質の確認も行う予定だ」

「でも、聖女じゃないと思うんですが…」

「それでも別に構わないさ」

「えっ?」


驚くクロエをよそに、ノトスが側仕えを呼ぶ。

彼はノトスの前に古い書を差し出した。


「これね、魔導書。上級治癒神官の教科書ってとこかな」

「マドウショ、ジョウキュウチユシンカン」

「だって、魔王の討伐に行くって噓っぽい話でしょ?」


確かに誰が効いても胡散臭い話である。

水の国が言うから、信ぴょう性があるだけで、内容自体は神話とかおとぎ話の域を出ない。


「だいたい魔王って、復活してどうなの?って思うでしょ?魔王に勇者に聖女って…物語の主人公じゃあるまいし」

「マァ、ソウデスヨネ」


ただそれを今ここで持ち出されても、クロエには答えようがないし、貴方がそれをいいますか?と、突っ込むことさえ出来ない。


「だからね、君には上級治癒神官と同じ治癒の力も学んでもらおうと思う。

あぁ安心して、もう既に水の国には了承をとってあるから。

それに、もちろん『聖女の為によろしく』としたためたので、全く問題はないよ」


一気にまくしたてるノトスの言葉に、やはり彼は強かな人だと再認識した。

どうやら彼は無理やりにでもクロエを聖女に祭り上げるつもりらしい。


「左様で…」


クロエは小さな声で一言だけ返すのが精一杯であった。
















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