第6話 クロエの憂いは「私が全て取り払ってやる」だそうで

「クロエ嬢…その…王命は覆せないが、君は自分の気持ちを整理する時間が必要かもしれない…」


最後にノトス王子がそう言えば、面談の場は程なく終了となった。


半ば司祭様の『おじいちゃんのお願いパワー』に絆されたクロエ。

そんな彼女に王命をチラつかせるあたり、この王子は結構したたかな性格かも…と冷静に判断を下したクロエの内情は秘密である。


王子との会談が終わったクロエは、担当の女官に案内され、暫く滞在する部屋へと案内された。


「必要なものや用事がございましたら、こちらの呼び鈴で女官をお呼びください。それと外へ出たい場合は、部屋の外に護衛の騎士がおりますのでそちらへ。ただ、王宮から外へは出れませんので、それに関してはご容赦ください」


冷えた声の女官が静かに部屋を去ると、大きな客間にポツンと取り残されたクロエ。

彼女は広すぎる部屋を見回すと、大きなため息を吐いて、ふかふかのベッドに飛び込んだ。




*****




その日の夜の事。

落ち着かない気持ちに決着をつけるべく、クロエはベットの上で右へ左へとゴロゴロと転がりながら、自身の中の引っかかりのある何かを知ろうと葛藤していた。


(だめだなぁ、一体何が気になっているだろう…?

王様の命令は…これは仕方が無い、うん、行くしかない)


些細な治癒の力では及ばないと踏んでいた期待は大きく外れ、クロエは魔王の討伐に選ばれてしまった。

そして平民のクロエには『ノトスを無事にこの国へ連れ帰るように命ずる』とは、これまた荷が重すぎる王命だ。

だけどクロエにすれば、そんな責任を負うつもりは全くない。

どうせ平民の身分。良くも悪くも自分の身を一つ守るだけで生きていけるのだ。


(聖女の力?…これも司祭様がそう言うなら、そうだとしか思えない…)


クロエは自分の力を治癒の能力だと思っていたが、そうでは無いと突き付けられた。

他に知識も無い自分の足りぬ頭の事を思えば、聡明な司祭の言う通りだと思いなおす。


(討伐隊のメンバーの事?…平民の私が上手くやって行けるか…いやいや、そんな繊細な私じゃない。

そもそも魔王って何者?勇者が居ない?…いやいや、そもそも考えても仕方のない事は考えないタイプだわ)


自分の性格は自分が一番知っている。

身分やクラスが違っても、自分はそもそも孤児で、世界にたった一人なのだと産まれた時から知っている。

そして知らぬ世界にたった一人。一人の理由を考えても仕方が無い事を、クロエは産まれた時から背負っているのだ。


(だったら何が…?……)


自分の心の憂いの原因が分からない。一体何が腑に落ちないのだろうか。


「だめだ。ちょっと外の空気でも吸って気分を変えよう」


クロエはドアの外の護衛に声を掛け、少し空気を吸いたいのだと伝えた。




*****




「外の空気を吸いたい?ですか?」

「はい…出来れば…で良いんですが。部屋の中でジッとしてるのが少し窮屈と言いますか…」

「はぁ、なるほど。…わかりました、許可を取ってきますので暫く部屋でお待ち頂けますか?」

「はい、よろしくお願いします…」


部屋の扉が閉じられて、護衛の話し声が聞こえだした。

どうやら先ほどの護衛は誰かに事付けたようだ。


クロエは外出用のストールを肩にかけ、膝を抱えながらソファで大人しく待つ事にした。

暫くするとクロエの耳に控えめなノック音が入り、その後、昼間に聞いた男性の声がした。


「クロエ嬢、ノトスだ。良ければ私が夜の庭を案内しよう」




*****




思いもよらない人物の誘いを断る訳にもいかず、クロエはノトスの案内で夜の王宮の廊下を歩いた。


「何だかすみません…」

「いや、構わないさ」


ノトスに手を引かれやって来たのは、王宮の回廊にほど近い中庭のような場所だった。


「王宮内とは言え、夜に王子様が平民と一緒に庭を歩くだなんて…外聞が悪くならないか心配です」

「あはは、クロエ嬢は変な所に気を使うね」

「そうですか?それに恋人さんにも申し訳ない気分ですよ」


ハァとクロエはため息を吐く。


「恋人ねぇ…それならクロエ嬢の恋人に恨まれるのは私の方だろう」

「はぁ…いませんよ、そんな方」

「へぇ」

「まぁ、ご存じでしょうけど、私は孤児で素性の良く分からない人間なんですよ。この髪色だって結構…まぁ私は気に入ってますけどね、この辺りでは見ない珍しい色ですよね」


クロエは軽く結って肩の横に流した自分の髪に触れる。

クロエの髪の毛はこの国では珍しい黒い色をしている。

ノトスの髪はオレンジのように明るい金色だ。

そう言えば、謁見した王の髪も金色なのだろうか。


「名前だって『クロエ』です。こんな黒い髪の色の子供に『クロエ』と名付ける親だか何だが知らないですが、ちょっと変ですよ」

「確かに君の髪の色と正反対のようなイメージの名前だけど何となく君に合っている気がする。素敵な名だと思うよ?」


ノトスはにっこりと微笑んでクロエを見つめた。

王子の微笑みに意味は無く、社交辞令だとは思うものの、彼は一国の王子で顔もかなり整っている。

そんな人に傍で微笑まれれば、誰だって、いたたまれない気持ちになるだろう。

クロエは、何と返せばいいか分からず、そのまま黙り込んだ。


芝を踏む静かな音を立てて、二人は中庭の小道を進んで行く。

やがて二人の目の前に立派な石造りの白い噴水が現れた。


静かな夜の何とも言えない空気の中だ。

クロエの耳に入る、ザァーザァーと流れる水の音は心地がよい。


「冷たい…」


クロエは噴水の水にそっと手を伸ばし、冷たさに小さな声をこぼした。


「何が気になる?」


腕を組んだ姿勢のノトスが、クロエから少し離れた問いかける。

なぜクロエに憂いがあるを知っているのか…。

そう思うも、こんな大層な話に戸惑わない平民は居ないかと思い直す。


「…分からないんです」

「分からない?」

「えぇ…」


そう。クロエは自分でも何が気にかかるのか分からない。


「…何がわからないのかな?」

「…何が気になっているのか?が…わからないんです…」


クロエは噴水の水をそっと撫で、濡れた手を見つめながら自分の気持ちを素直に伝えた。

二人の耳にザァーザァーと流れる噴水の音が静かに響く。


「…そのような場合は、残して来た人物への思い…つまり人間の気持ちが気になる事が多いのではなかろうか」

「…?と言いますと?」

「騎士も…兵もそうだが…故郷の親や兄弟、妻や子供、恋人への思いというのは、糧にもなるし…重荷にもなる」

「…重荷…ですか?」

「まぁ、この場合は予期せぬ別れ…だろうか」


なるほどノトスの言う通りだとクロエは思った。

では私が残して来た人やら思いとやらは一体誰に向けての何だろうか。


ザクッザクッと芝生を踏みしめ、ノトスはクロエに近づいた。

そして手を伸ばすと、クロエの頭をポンポンと撫でて、幼い子供に言い聞かせるように伝える。


「君が気に病むことは無い。気になる事があるなら何でも言ってくれ。もし気になる事が分かったのなら、私が全て取り払ってやる。安心して?」


夜の闇の中、穏やかに輝く月明かりに照らされた王子の微笑んだ顔は、少女の憧れの物語の王子様のようでとても美しいものだった。


(ノトス王子…破壊力が抜群です…)


再びいたたまれない気持ちになったクロエは、黙ってそのまま俯いてしまった。

そしてやや困った様子の表情を浮かべていた事を、ノトスは気付きもしなかった。




*****




ノトス王子と夜の噴水散歩に出かけた翌朝、クロエはスッキリした気持ちで目が覚めた。

そして妙案が浮かんだのである。


「そうか、手紙を書けばいいんだ」


昨夜の散歩で気分が変わったのか、心地よいベッドで熟睡が出来たからであろうか、今日のクロエは何だか気持ちが軽い。


(そうね、瘴気のごちゃごちゃから、そのまま何となく…いえ、無理やり…という感じだもんね。シスターマリィにも、無事に到着した事を伝えた方が良いわ。

それからあの子達と約束した、蒸しパンの作り方を教えるってのも、そのまま流れそうだし…)


「それに…」


(…ディナス様は、大丈夫かしら?)


思い返せば、ザサのケガが治った翌日にクロエは村を離れた。

封印隊の撤収に合わせて村を立った訳だが、封印隊の一部はそのまま村に残っている。

残った封印隊は、ディナスの調査隊と共に事後処理や、領主への報告など、雑務に追われるだろうとの話だった。


だから…という訳では無いが、翌日の早朝、ザサの体調や、まだ少年であるディナスの疲労も考慮し、起こすのは躊躇われ、彼とは顔も合わせないまま村を出たのだ。


「目の覚めたディナス様が、私が王都に向かった…なんて聞いたら…多分、拗ねた上で大暴れしているかも…?」


クロエはその光景を思い浮かべ、小さく笑みを零した。だがザサを思うディナスの泣き顔の事を思い出すと、そうはならないで欲しいと心が痛むのだった。




*****




クロエは朝食の後片付けをしている女官に手紙を出したいのだと告げた。


「手紙…でございますか?」

「はい、村を出る時に、ろくにお別れもせずに、出たもので…」

「それは…」


別れの挨拶も出来ぬまま急いで村を出たのだと、クロエの置かれた事情を簡単に話すと、女官は気の毒そうな表情を浮かべ、食後のお茶を差し出した。


「簡単な、切れ端でも何でも良いんですが…」

「あぁ、いえ、クロエ様のお気持ち…よくわかります」

「すみません」


急に現れた聖女と名乗る女の子だと聞いていたが、どうやらそうでは無いらしい。

確かに身元は保証されているから不信な人物では無いのは承知していたけれど、聞いていた話とは真逆で、彼女はそう名乗るしかない状況に置かれただけのようだ。


国や王家の権力にそうするしか仕方が無かった…と言うのは誰にでも起こりうる話で、同情はするけれど、諦めるしかない話で、これもよくある事だった。


恐縮するクロエの表情に、女官は小さく笑みを零した。

ならば出来る範囲で自由にさせてもらうと切り替えるのは、聡明な判断である。


「よろしいと思います。それにノトス殿下からクロエ様の希望は全て聞くようにと言付かっておりますから」

「あ、左様で…」


女官の微笑みに何とも言えない温度を感じたクロエは、少しそっけない返事を返すのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る