第5話 クロエの所属は「魔王討伐隊」だそうで
おとぎ話に見た煌びやかな白亜の宮殿とは、この場所の事だろうか?
高い天井に向けて多くの白い柱が並び、その中央には赤い毛足の長い絨毯が敷かれている。
広間の中央まで進むとクロエは静かに頭を下げた。
頭を下げたままの状態で、いくばか時間が過ぎる。いい加減に首が痛くなってきた。
クロエが我慢の限界が来る!と思ったその時、ずりりと重い布を引くような音のがして、その後、静まり返った広間の空気がピンと張りつめたものに変わった。
「それで、聖女クロエとはそなたの事か」
クロエの正面。
はるか頭上にある高い段の上で、年老いた『風の国の王』は面白そうに問うた。
「はい。クロエは魔物に食われた騎士の左腕を、元通りに治してみせたのです」
答えたのは、クロエの住む村の東に発生した瘴気を沈めた、封鎖隊の班長だった男だ。
クロエは謁見の前に説明を受けていた。
『頭は下げたまま。声も出さぬよう、発言の許可を得るまで待つように…』と。
だから言われていた通りにクロエは頭を下げ、ひたすら自分のつま先を見つめていた。
「なるほど…再生とな。まさに聖女のもたらす癒しの力といっても、過言ではないな…」
年老いた王は自分の傍にいた自身の二番目の息子に目を向け、コクリと頷いた。
「では。聖女クロエ。そなたは第二王子ノトスと共に、魔王の討伐へ向かうのだ。その力をもってノトスを無事にこの国へ連れ帰るように命ずる」
「…」
一方的に命令を伝えた年老いた王は、謁見の間から静かに出て行った。
*****
「こんな事になってすまないね、クロエ嬢」
「はぁ…いえ…」
少しは気の毒に思っているのだろう、先ほどの謁見の間の態度とは打って変わって、班長はクロエに謝罪の言葉を向けた。
これから第二王子との面談が続く。
案内された室内は簡素ながらも飾られた花が美しく良い香りが漂っていた。
程なく、がちゃりとドアが開いて第二王子、その後にクロエと共にやってきたのは、共に王都までやって来た拾い親代わりの司祭様だった。
程なく王子の護衛だろうか。数名の身なりの良い騎士たちも入って来た。
「あぁ、クロエ嬢、そのまま楽にして構わない。初めまして、この国の第二王子ノトスだ」
「クロエ…です…」
「それで…まぁ言いたい事や聞きたい事があるだろう。私の話をする前に、君の話を先に聞いておこうか」
「…はぁ」
どうやら先ほどの王様とは違って、王子様とやらは、クロエの話を聞いてくれるらしい。
*****
クロエがこの王宮へと連れてこられたのは、今から2か月程前の事である。
東の森の瘴気沼の騒ぎの翌日には、調査隊の班長に連れられ、司祭様と一緒に村を出発していた。
そこから2か月かけて、年老いた司祭様に癒しの力を使いながら、何とか王都までやって来た…と言う次第だ。
クロエが旅の途中で聞いた話によると、「1300年ぶりに魔王が復活する」と、水の国の神殿に魔王復活の神託が下ったのが今から半年前。
つまりこれが年初めのご神託だったとか。
そこで各々の国から精鋭を選び、魔王の討伐隊が組まれる事となったそうだ。
討伐隊のメンバーは、次の通り。
土の国から、第一王子「アルス」と副神官の「ウガヤ」
火の国から、第一皇女「リスティアーゼ」と近衛騎士の「ゴズ」
そしてこの風の国からは、目の前で完璧な笑みでクロエを見る第二王子の「ノトス」と、聖女と呼ばれる少女「クロエ」…そう、自分の事だ。
ところが、このメンバーはよく考えると、重要な人物だけが欠けている。
そう、言わずもがな魔王討伐の要である勇者が居ないのである。
おとぎ話にも1300年前の逸話にも、魔王と対する勇者の存在は欠かせない。
なのに今回の魔王復活を告げた神託の中に、勇者の話題は一切出なかったそうだ。
怪しい…怪しいが過ぎる。
各国の王子、王女、貴族をメンバーに選びながら、勇者が不在で魔王を倒せとはこれ如何に。
クロエは自身の回想をこの辺りで切り上げて、真っ先に言わねばならない事を告げる事にした。
「えぇと。まず私の事ですが…」
「うん。クロエ嬢が何か?」
「私、聖女じゃありませんから!」
ありませんからぁ…ありませんからぁ…と広くない室内にクロエのセリフのリフレインがこだまする。
やがて音が静かにおさまり、ひんやりと冷えた空気の中、第二王子ノトスが「ん?」っと声を出した。
「だから、私、聖女じゃありませんから!」
「ク、クロエ…」
青い顔をした司祭様が冷や汗をだらだらと流しながらクロエの腕を引く。
「だって司祭様もご存じですよね?癒しの力があるとは言え、万人に…いえ、全く効果が無い人も居たでしょう?」
「いや…まぁ。確かに大けがは治らなかったが…」
「結局、傷だけは何とかふさがった形にして、そこから治癒院へ運んだでしょう?」
目の前で若い女の子と、年老いた司祭がギャアギャアと言い合っている。
そんな二人をぼんやりと見ていた第二王子をよそに、一人冷静な班長は大きな咳ばらいで、二人の会話を諫めた。
「クロエ嬢…それは一体どういう事だろうか?」
困惑の表情を浮かべ、第二王子ノトスはクロエに真意を問うた。
*****
「なるほど。まずは、見ず知らずの旅人が崖から落ち、足があらぬ方へ曲がった状態でクロエ嬢の元へ運ばれたと」
「はい」
「それで、いつものように、『元へ戻る様』と、願をかけて治癒の力を使った」
「そうです」
「しかしながら、元には戻らず…つまり全快する事は叶わず、かろうじて出血だけは止める事が出来たと」
「はい。皮膚の再生?ですかね。傷口がふさがっただけですね」
「う~ん」
顎に手をあてて、ノトス王子は思案に暮れる。
「クロエ嬢、その…最初に治癒に力に気が付いた時の状況は?」
「最初に…ですか?」
「あぁ」
「そうですねぇ…」
クロエは目を閉じて遠い記憶を探る。
「そうですね、最初の頃は教会にいた同じ年頃の子供たち…のすり傷を治していたかと思います」
「なるほど…。どんな具合に?」
「傷の痛いのが治るように…と言うよりは痛いのがどこかへ飛んでいけ…と言う具合だったかと」
この時は、怪我を治すと言うより、まじないの様に使っていた。
これはどんな人でも一度は耳したり経験したりする、気休めのようなものだ。
「それで?」
「その頃は治癒の力とかの意識は無くて、ただひたすらに痛いのが無くなりますようにという感じが強かったと思います」
「他には?」
クロエは天井へ視線を向け、ぼんやりと当時の事を思い出す。
「それからは…。泣いてる友達が気の毒だなぁって。早く元の笑顔に戻ればいいのにだとか、早く元通りに治って欲しいだとか…そんな感じで早く治ればいいのにと思うと治りが早いような気がしたのも覚えています」
ノトス王子が班長の方へ目を向ける。
「…聞く限りでは、普通の治癒とは少し違うようだね」
王子の言葉に班長は大きく頷いた。
「では、まじないから、今はどのように使っているのだ?」
「今は、ただひたすらに元通りになって欲しい…その人の望む日常の生活が元に戻りますように…という感じですね。その人の思いが強いほど治りが良いと言いますか、早いと言いますか」
「だけど治らない人も居る…つまりその人の願いの強さのようなものも関係ある?と?」
「はい。私はそのように思っています。なので治癒の力があるとはいえ、聖女と呼ばれる方のような治癒の力では無いと思います」
少し口を細めて王子に口を聞くクロエ。
その様子はいい加減にして欲しいと言った、拒絶も含まれているようだ。
「はぁ、それであなたは『聖女じゃありません』と…」
調査隊の班長は頭を抱えながら、ため息交じりで声を挟んだ。
「だけどね、クロエ嬢」
「はい」
班長とは違って、ノトスは真剣な眼差しでクロエの目を見つめる。
「魔物に食われた欠損は治癒の力では治せない」
「…っ!そ、そんな話は聞いた事がありません!」
「だよね、マルコフ」
「…その通りです」
マルコフと呼ばれた司祭様は、クロエの横で項垂れた様子を見せた。
二人の関係性にクロエが戸惑いから声を掛ける。
「司祭様…?」
「クロエ…ノトス王子は私の教え子なのだ」
「えっ?」
「ずっと小さい頃だけどね。私がマルコフから習った話では、魔物の身体の中は限りなく魔界の…瘴気そのものに近い。だから食われた肉は瘴気そのものに近いものとなる」
「そんな…」
クロエにしても誰にしても、瘴気の話や魔物の仕組みなど、ごく一部の人を除いて誰も知りはしない。
ただ危ないから近づいてはいけない。特に小さな子供は喰われてしまうのだと。
そんな程度の知識だけあれば十分だからだ。
「クロエは知っておろう。瘴気に作用する治癒の力は反転し瘴気そのものを消滅する。つまり魔物が食った肉が元の肉体の一部へと元に戻るのはあり得ないんじゃ」
治癒は再生とは根本的に解釈が異なる。
例えば腕を切断などで失った場合、切断された腕そのものがすぐ傍にあれば戻す事は可能である。人はこれを治癒と呼ぶ。
もし腕そのものが失われた場合…つまり肉が腐りきった状態や、失ってから年月の経った場合は元通りに治す事は出来ない。
「じゃあ…ザサさんのケガが治ったのは?」
「治癒の力とは言えないの…」
断言する司祭の言葉にクロエは肩を揺らす。
「私も目の前の出来事が信じられませんでしたから」
「クロエ嬢、君の力は聖女の奇跡としか言いようが無いんだ」
班長も王子も、クロエの力は治癒では無いと認めたようだ。
「そ、そんな…」
自分はこのまま教会のシスターになるつもりだった。
まさかこの力が治癒では無く、もっと別の力で、魔王の討伐に向かえだなんて、話の展開が早すぎる。
纏まらない考えで頭がいっぱいになる頃、司祭は急にがばりとソファーから立ち上がり、クロエの両腕を取って懇願した。
「クロエ、お前のどんな傷も元通りになると言うその力を、ノトス王子の為にどうか!」
「クロエ嬢、私からもどうか頼む」
「クロエ殿、その奇跡の御力をどうかこの国の為にも」
「むぅぅっ!」
クロエは眉間にしわを寄せて絆されてはいけないと踏ん張る。
だけど、王子や班長の事はともかく、目の前で必死に頼みごとをする司祭様を見れば心が大きく動く。
(悲痛な顔で神父様に懇願されては、断りようが無いじゃないですか!!)
クロエは大きなため息を吐いて。こう答えるしか道が無い事を悟った。
「分かりました。で、どうすればよろしいので…?」
そんなクロエの言葉に、彼女以外の全員がホッと胸をなでおろした。
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