第3話 クロエの将来は「神官」だそうで
「なぁクロエ、クロエってば。なんであの窓は割れたままなのだ?」
「あぁ、割れているというか、ちょっとヒビが入っているだけですよ」
「だめだ!クロエがケガをしてはいけない!早く直すように言おう」
「クロエ、ねぇクロエ。ここがお前たちの部屋なのか?…それにこれで寝るのは寒いのではないのか?」
「まぁ孤児院ならこんなものですよ、本当に寒い時は子供同士で抱き合って寝ます」
「っ!!だめだ!!そんな!クロエは女の子だぞ!!もっと温かい毛布を使うように言っておく」
「クロエ、クロエ。お前は腕が細すぎる」
「そうですか?まぁ庶民平民はこんなものですよ」
「だめだ、だめだ。もっと食べて…そうだ、おやつも食べるようにしよう」
「クロエ、クロエ…」
「はいはい。なんですか?ディナス様」
*****
木から落ちた際に出来た怪我をクロエに治してもらった領主の息子のディナスは、その日からすっかりクロエに懐いてしまった。彼はクロエの傍にから離れず、まるで親鳥を見つけたひなの様について回った。
そして具合の悪そうな所を見つけては、父である領主に頼み、クロエ達が安全に教会で暮らせるよう、修繕や改善をお願いするのだった。
「クロエはずっとここで暮らすのか?」
「と言いますと?」
「明日…家に帰るのだ」
「そうですか」
教会内にある、あの大きな木の下にクロエとディナスは居た。
今日は視察の最終日。
次に来るのは来年か、はたまた数年後か。
ディナスはそれを知っているのだろう。仲良くなった人と離れるのは大人でも子供でも寂しいものだ。
「…クロエが寂しいなら、僕の家に付いてきてもよいのだぞ!」
「う~ん?」
「な?クロエ、北にある町はもっと人が多くて、お店もいっぱいあるのだ!きっと行けば楽しいぞ!」
ディナスは身振り手振りを交えて、自分の住む町が、どれだけ魅力的な街なのかをクロエに伝えた。けれど彼女は首を横に振り、やんわりとその申し出を断った。
そんなクロエの様子に、ディナスは悲しそうな表情を浮かべる。
「…ディナス様…」
「なんだ?」
「私、孤児なんですよね…。ちょっとした癒しの力…?があるとは言え、平民の私が貴族であるディナス様の家で暮らすのは、ちょっと難しいんじゃないですか?」
「なっ!!だっ、だったら、僕の妻になれば良いだろう!!」
勢いよく立ち上がれば、8つの男の子とは言え、その目はクロエの頭上よりもはるか上にある。その真剣な瞳はクロエの黒い瞳を熱く見下ろしている。
ディナスの真剣な眼差しを受けたクロエは、小さく息を吐き、膝立ちになって彼の目線と合わせた。
そして彼の目を真っすぐに見つめ、言い聞かせるように静かに言い聞かせる。
「良いでしょう。なら条件があります」
「…条件…?」
「えぇ」
「それはなんだ?」
ディナスは期待に胸を膨らませる。彼は自分の立場をそれなりに自覚していた。
きっと父に頼めば大抵の事は叶うだろうと、そんな浅はかな考えを持っていた。
「一つ目、ディナス様がうんと勉強して、誰よりも立派な領主様になる事」
「うん」
「二つ目は、鍛錬もキッチリして、騎士様のように体を鍛える事」
「わかった」
「それから…」
「それから、なんだ?早く言え!」
「ふふ、私達孤児にも優しくできる、愛情深い人になる事」
「わかった」
「四つ目は…」
「まだあるのか!」
「はい、これが一番大切なのです」
「それはなんだ?」
「ディナス様が平民でも妻に出来るように、周りに理解してもらう事」
「なんだ、そんな事か」
「いいえ、無理やりではダメなのですよ、ちゃんと分かって貰う事が大切ですよ」
「よし、全部で四つだな!覚えたぞ!」
「はい、頑張ってくださいね」
ふふっと笑ってクロエはディナスの頭をそっと撫でた。
まるで願いが叶う道筋を見つけたディナスは、嬉しそうに目を細める。
そんな彼の素直さに、ちょっぴり罪悪感を抱いたのは、クロエがこれからも
自分を拾ってくれた司祭様も随分とお年をめされた。
シスターマリィもいつまでも子供たちの世話をするのは難しいだろう。
それに傷を癒す程度でもこの力はきっと村の役に立つ。
だとしたら、恩返しとまでは言わないけれど、私はこの教会に居た方が良い。
このまま17歳を迎え成人になれば、教会のシスター見習いとして働かせてもらおうと考えていた。
それに…。
小さな男の子の恋心とも言えない、小さな思い…寂しさから来る執着のようなものも、やがて成長と共に消えてしまう一過性のものだろうと、クロエは安易に考えていたのである。
******
ディナスがクロエに拙い求婚を伝えている頃、教会の応接室で司祭は冷や汗をかきながら、向かいの席に座る領主の話を静かに聞いていた。
「…司祭殿…息子が急に素直になりましてな」
「はぁ…」
「
「左様で…」
領主はカチャリと音を立ててカップを皿に戻すと、司祭を静かに見つめ話を続けた。その音に司祭は肩を揺らす。
「クロエ…と言ったかな?」
「…」
「まぁそう、硬くなるな。それよりも…クロエとやらは稀な力を持っているようだ。司祭殿も彼女が神殿へ赴くのが良いとは思わないか?聡明な彼女が俗世で生きるのは勿体ない話だ」
領主の言う「稀な力」とは、クロエの傷を治す、癒しの力の事だろう。
いつの頃からか、教会の子供たちの怪我が少なくなり、子供たちに話を聞くとクロエに治してもらったと言う。
司祭もシスターマリィも、実際に目の前でケガが治る様を見た訳では無い。
それにもし、癒しの力…治癒の魔力があるならば、領主の言う通りで、教会では無く神殿付きの神官への道が好ましい。
「息子は可愛いが、辺境の地とは言え、腐っても領主の嫡男だ。これからは厳しくしてやらんとな」
それはディナスがクロエは身分が違う事を忘れるなと言う事だ。
「ふふ。私もクロエ嬢には感謝しているのだよ」
「はい」
「とは言え…叶うなら、もう少しの間だけ、あの子を真っすぐに導いて、癒して欲しいとも思う」
「…」
「実を言えば、私はそれだけでも十分なのだ…」
領主の言い分は最もだった。それに父としての愛も垣間見える言葉だった。
曲がりなりにも辺境の地の領主である。彼もまた聡明な人物なのだ。
ディナスもそうだが、クロエもディナスの口利きで教会の待遇が良くなったと信じていたが、実際はこのような背景があった。
言葉は悪いが、クロエの将来は領主によって買われたのだ。
そしてクロエのあずかり知らぬ所で、彼女の未来が決められていたのである。
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