第2話 クロエの力は「癒し」だそうで

教会に拾われた赤子は添えられた紙の通り「クロエ」と名付けられ育てられた。

身体が丈夫な彼女は、特に大きなトラブルに見舞われる事無く、すくすくと大きく育っていく。


やがてクロエが13歳になる頃、村に大きな台風がやって来た。

古い教会とは言え、村の中で一番強固な建物である。

嵐の夜に備え、村人たちは教会の礼拝堂へ集まった。


「怖いわねぇ」

「風の音が凄いさね」

「近頃は教会が綺麗になったからね、こんな大きな嵐でも大丈夫だろう」

「あぁ、領主様が急に優しくなったもんな」

「なんせ、領主の坊ちゃんのお気に入りの教会だしな」


ガヤガヤと騒めく声に耳を傾けるのはシスターマリィ。

彼女は天井近くにあるステンドグラスに見を向けると、小さくガタガタと震えていた。

ほんの数週間前まで、その場所に嵌まっていたガラスは、ひび割れで枠から落ちそうになっていた。


「貧乏教会ですが補修が出来たのは幸いでしたね。お陰で嵐の被害にあわずに済みそうです…」


シスターマリィはぴったりと収まったステンドグラスを感慨深そうに見つめる。

すっかり白髪頭になった司祭は、部屋の隅の子供達に目を向けた。


「クロエのお陰か」


毛布に包まり静かな寝息を立てている子供たち。

その中でも特に目立つ黒い髪の少女クロエに司祭は小さく呟いた。




*****




教会の改修がする運びになったのは、つい三か月ほど前の出来事に遡る。

その日はこの地を治める領主が教会へ視察に来る日だった。


領主と共にやって来たのは、数名の護衛と補佐をする者。それに8歳になる領主の嫡男だ。

その8つになる領主の息子は、少々やんちゃな所があり、教会の孤児達をぞんざいに扱った事で子供たちから直ぐに嫌われた。


それでも一緒に外で遊んで来なさいと言った領主の言いつけを守り、中庭で遊ぶ子供達の所にやって来た領主の息子。

すると子供たちは敷地内にある一番大きな木の上に登り、彼を無視する事にしたのだ。

けれど負けん気の強い彼は負けじと同じ木に登り、「登ったぞ」と、そこでも偉そうに振る舞った。


そんな彼の言動にうんざりした子供たちは、次から次へと木から降りていく。

そして最後に一人残されたのは領主の息子。

どういう訳か彼はなかなか降りてこない。


「あいつ降りてこないぞ」

「こっちに来~い」

「はは、いい気味だ!」


木の下から子供たちが囃し立てると、彼らは気が済んだのか、領主の息子を残し離れて行った。

領主の息子は悪態をつきながらも、離れていく子供たちを恨めしそうに睨みつける。

それでも次第に自分の置かれた現状を目の当たりにすれば、8歳の子供にしては高すぎる木の上にいる事に気が付いた。


(どうしよう…)


強気な彼も現実の恐ろしさで動揺したのだろう。自力で降りる事も出来ず、どうすれば良いのか分からず、べそをかき始めた。

そんな時である。


「ちょっと、降りて来なさいよ!」

「っ!!」


領主の息子が声の主に目を向けると、自分の足元に居たのは、黒い髪の少女…クロエだった。

領主の息子からすれば、名前も知らない身分の低い少女である。

自分の事を呼んでいるようだが、顎を上げ、やや訝し気な視線でこちらを見上げる様子は、幾分偉そうにも見える。舐められてたまるかと、彼は瞬時に虚勢を張った。

そして小さなプライドを持ち出して気丈に振るまった。


「まだ降りない!」

「早く降りてきてよ。おやつの用意が出来たのよ」

「…っ!いま、降りてやる!あっち行け!」


領主の息子は幹にしがみついたままで、シッシッと追い払うような仕草をした。

まさか一人で降りる事が出来ないとは、口が裂けても言うまい。


「はぁ、ちゃんとお連れするように、シスターマリィに言われてるのよ」


クロエの方もシスターマリィに頼まれたのだ。はいそうですかと言ってここを去る訳にはいかない。


「だから、あっちに行けと言ってる!」

「…」

「あっちに行けよ!」


よく見れば、べそをかいたのだろう。目や鼻が少し赤いようにも見える。

クロエは確信を持って聞いた。


「もしかして自分で降りれない…?」


もし彼が降りる事が出来ないと言えば、梯子を持って来るか、シスターマリィに助けを頼もうと考えた。けれど木の上にいる領主の息子は、クロエの予想を超えて強行突破に出た。


「うぅぅ!くそ!降りてやる!降りてやるからな!」


半ば投げやり…むしろヤケクソ気味になった領主の息子は、大きな幹にしがみついたままズズズーっと降りてきた。


「わぁぁぁっつつ…」

「あちゃ~」


木の下で尻もちをつく領主の息子に駆けよれば、綺麗な顔は擦り傷だらけになっている。手の平を見ればずるずると皮が剥けて、他も確認すると、太ももの内側や膝もすり傷だらけで、皮膚がグズグズに捲れている。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ~ん」


無事に木から降りる事が出来た安堵からだろうか。それとも傷の痛みの両方だろうか。8歳の男の子にしては盛大に泣き出した。


「はぁ、また派手にやったわね。これは痛そうだわ」


大きな声でわんわんと泣きめく領主の息子の傷を見たクロエは、その傷に自分の手のひらを当てて「痛いの飛んでけ~」と声をかけた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ~ん」

「はいはい、痛い。痛い。でも痛いの飛ばしてるから、ちょっと我慢してね」

「うぇぇぇん、痛いよぉ」

「はいはい、痛いの飛んでけ~!もうちょっだけ我慢してね」




******




暫く手のひらをあてていたクロエは、怪我の具合を見て「これで良し」と大きく頷いた。

そしてぐずぐずと涙のおさまらない領主の息子の頭を、ポンポンと優しく撫で声を掛ける。


「もう痛くないでしょ?」


クロエの声に気が付いた領主の息子は、ハッと息を飲んで自分の手のひらを見た。


「…あれ?…治ってる??」

「そうね」

「…なんで?」

「痛いのを飛ばしたから」

「だからなんで!!」


彼は元通りの綺麗な手のひらと、痛みの無くなった足を確認する。

信じられない状況に目を丸くして驚きの顔を見せた。


「なんで治ってるの!!」

「う~ん?痛いのが飛んだから?」

「まさか!お前、治癒神官か?」


驚き固まるとはまさにこの事。

領主の息子はクロエの顔をまじまじと見上げた。

こうしてみると、年相応の可愛らしい子供である。


「あはは、それは無い」

「だったらなんで!!」

「う~ん…」


曇りなき眼で好奇心いっぱいの領主の息子。

そんな純真な瞳に気圧されながら、クロエは気を逸らそうと考える。


「あぁぁ!そうだ!おやつ!おやつが出来たから応接間へ行きましょう」

「えぇぇ?そんな事より…」

「さぁ、おやつ!おやつですよ!」


クロエは半ば強引に領主の息子の手を掴んで、教会の建物へ歩き始める。

彼は手を引かれながらも、綺麗になった左の掌をじぃっと見た。


「…あの」

「ん?」

「…ありがとう」


振り向いたクロエの顔も見ずに、俯いたままで礼を言う。

すこしすぼんだ口と、赤くて丸い頬が可愛らしい。


「あはは、どういたしまして」

「それで…」

「ん?」

「僕は、ディナスだ」

「うん、知ってる」

「だから!」


クロエの手を引っ張り呼び止めるディナス。

真っ赤な顔をして睨みつける彼にクロエは笑みを零し、ゆっくりと手を解いた。


「あ…」


少し残念そうな表情をしたのは、拒絶されたと思ったのだろう。

沈んだ表情でクロエを見つめるディナスに、クロエはスカートの裾をつまんで拙いカーテシーを見せる。


「初めましてディナス様。わたしの名前はクロエです」

「クロエ…」

「えぇ、クロエです。さぁおやつですよ」


先ほどの粛々とした様子とは打って変わって、クロエはディナスの手を掴んで再び歩き出した。

一方のディナスは、ぼんやりと「クロエ」と呟き、聞いた名前を確かめているようだった。

そんなディナスにクロエは仕方が無いなと小さく息を吐いて話しかける。


「ディナス様はちゃとお礼が言えるいい子なんですね」

「…いい子…」

「そうね」

「…そうか」

「えぇ」


根は素直だけど、少々負けん気が強いのね…。

そんなお姉さん風を吹かせるクロエをよそに、ディナスは自分の胸の中に浮かんだ、ぼんやりとした何かが芽生えた事を感じていた。


それはまだ形にも言葉にも成らないものだけれど、心の中に確かに『在る』と分かる温かな気持ち。

そしてこの気持ちは、自分にとって、とても大切なものに成るのだと確信していた。


「…クロエ」

「はい、なんですか?」


ディナスは、手を引かれながらも、黒い髪の…ちょっぴり年上の少女の微笑む顔を眩しそうに見上げていた。














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