勇者はいませんが、魔王討伐に向かいます
さんがつ
クロエは強かな少女です
第1話 捨て子の名前は「クロエ」だそうで
今から16年前。
教会の木々がオレンジ色へと変わる頃。
小さなゆりかごの中で、黒髪の赤ん坊がスヤスヤと穏やかな寝息を立てていた。
朝の畑仕事がひと段落ついたシスターマリィと子供達は、教会へ戻る途中の門扉の脇に見慣れぬ小さなゆりかごを見つけた。
「シスターマリィ!赤ん坊だ!」
「捨て子…?かしら…?」
赤ん坊が教会に置かれる事はそんなに珍しい話では無い。
とは言えここは辺境の小さな田舎の村である。
この村でも、近隣の村でも、赤ん坊が生まれたと言う話は聞いた事が無い。
だとしらた他所から来た可能性が高いが、見慣れない人物が来たとなれば噂にもなるはず…。
怪訝そうな顔のシスターマリィは、思い当たる節を推測をするが、どうもそれらしき筋道が見えて来ない。
そんな彼女をよそに、子供達はゆりかごの周りに集まり、赤ん坊の様子をのぞき込んだ。
「わぁ寝てるねぇ…」
「小さくてかわいいね」
「ん?…これは?」
シスターマリィは赤ん坊の脇に小さな紙きれを見つけ拾い上げる。
「マリィ、なんて書いてあるの?」
「えっと…クロ…エ?」
「ええ!!赤ちゃんの名前?」
「女の子なの?」
わぁ、わぁ、と子供達が囃し立てる。
「こら、勝手に赤ちゃんに触らない!まずは司祭様へご報告いたします」
「なら僕が持つ」
「私も持ちたい!」
ゆりかごの持ち手に、子供達の手が伸びる。
産まれて間もない様子もみられる赤ん坊だが、大人い子供らしく周囲の喧騒にものともせず、スヤスヤと眠っている。
「あっ!こら!まだ首も座って無いのですよ!私が持ちます!」
「「えぇ~」」
「「ずるい!」」
「ずるくありません!」
ガヤガヤと騒ぎ出す子供たちを静止させ、シスターマリィはゆりかごをそっと抱き上げる。
秋の気配を感じるにはまだ早い時期。
少しだけ爽やかな風が吹く教会の入り口で、シスターマリィは穏やかな寝息を立てている赤ん坊を見つめ、「はぁ…」と大きなため息を吐いた。
*****
教会の執務室…と聞こえはいいが、実際は司祭の寝室に続く小さな私室を使っている。
古い教会に馴染む年季の入った机の上で、司祭は小さな紙きれを眺めていた。
「それでシスターマリィ。赤子の様子はどうでした?」
この数年で白髪が混じりだしたヒゲを撫でながら、司祭は拾われた赤ん坊の様子を尋ねた。
「はい。黒髪の赤子で、生まれて1か月は経っているかと思いますが…まぁ元気そうです」
「うむ。で、名があるとか」
「えぇ。そちらの切端ですね」
シスターマリィは司祭の持っている小さな紙の切れ端に視線を向ける。
「…本当に紙だな…しかもかなりの上質だ」
「私達が目にする紙とは違うようですね…」
それなりに教養のあるシスターマリィでも、紙の質のことまでは分からない。ただ、どうして切れ端なのか…とは思う。
「透かしは…無いか。これはもっと大きな紙を小さく切ったもののように思う。
共用語。癖の無い綺麗な文字。インクの質も粗末なものでは無さそうだ」
何処かの名探偵のように、じっくりと紙を調べ出す司祭の様子に、「またか」とシスターマリィは呆れる。
「…神父様…私は今のあなたの方が怪しく思います…」
「…ぐぅ、うぉっほんっ!うぉっほん!」
「はぁ…神父様の言う、すいりものまにあ?しゃーろきあん?とやらは置いといて…」
「うむ…クロエ…と書いてある」
「はい。恐らく名前だと思いますが」
「そうだな…」
そう。それはシスターマリィも目にした。
そして…。
「それでどうされますか?」
腕を組み、うーんと言いながら司祭は小さな紙に目を向ける。
『この子を頼みます』
名前の下に綴られた美しい文字に、司祭は粗末な天井を見上げ考える。
シスターマリィは小さく息を吐いて口を開く。
「まぁうちは貧乏教会ですけど…女の子が一人増えても大丈夫じゃないですか?」
「冬までは山羊の乳で…そこから離乳食。…まぁ大丈夫そうか」
「えぇ、ギリギリですが問題ないかと」
「それに大きな町へ連れて行くには、まだ小さすぎる」
クロエが捨て置かれたのは、風の国の南端にある小さな田舎の村の古い教会。
ここから北へ行けば大きな町もあるが、馬車に乗っても一カ月はかかる。
連れて行くにしても、小さな赤子を連れての旅はあまりにも過酷すぎる道のりだ。
それに数か月もすれば冬が来る。南端の村とは言えそんなに温暖な国では無い。
それにこの村に乳が出る女性はいない。乳母が見込めない以上、彼女は食べ物が必要で色々な事を考えてもここで育てるしか道は無い。
他に道が無いとは、逆に言えば、偶然にしては良く出来過ぎている…と言う事だ。
そうなると「クロエ」は一体どこから来たのか?
生まれてすぐに北の街から来たのか?それとも臨月の妊婦が馬車に乗って移動して来たと言うのだろうか?どれも当てはまらないように思える。
それと彼女はどうしてこの地に捨て置かれたのか…。
これがただの偶然か、意図されたものか誰にも分からない。
「面倒事にならなければ良いが…」
「面倒事にならなければ良いのですが……」
推理モノマニアの司祭と、彼に少なからず感化されたシスターマリィは同じ考えにたどり着いた。
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