エピローグ

(1)


 鉛が詰まったように重い身体を引きずり、なんとか館まで戻った。

 出迎えたレイモンドに剣を剣帯ごと渡して手入れを頼み、館には入らず建物を迂回して裏庭へと回る。少し前にアオイとマツリと並んで座った場所に腰を降ろし、少し冷えた風に当たった。

 昔と色は変わってしまったが、親譲りの波打つ髪が靡き、視界の端に散らばって見える。アレクサンダーが大きく息を吐いて俯いたところで、

「あ――――!!」

 大声が聞こえたので驚いて顔を向けると、例によってメイド服のアオイがアレクサンダーを見て、口を開けていた。

「な、何だ?」

 汗を流して問うアレクサンダーに、アオイは歩み寄りながら眉間に皺を寄せる。

「帰ったなら言ってくれよ! 待ってたのに!!」

「あ……うん」

 曖昧に頷くと、アオイはアレクサンダーの隣に腰を降ろし、顔を覗って来る。

「おかえり。……大丈夫か?」

 アレクサンダーが今日、何の為に城に行ったのかを漠然と察している。そして、アレクサンダーが何をして来たのかも。

 それでもアオイは恐れも軽蔑も浮かべたりはせず、アレクサンダーを気遣っている。そのアオイの髪を軽く撫でてから、アレクサンダーは口元を緩めて言った。

「大丈夫。……大丈夫だ」


 


 『罪人』の亡骸の処理はベネディクトと他の騎士に任せ、アレクサンダーはザカリエルと共に聖堂を出た。

 外に出ると雲の流れは速いが見える空は青く、太陽はまだ高い位置にある。血糊の着いた剣が未だ手にあることに気付き、アレクサンダーは足元に生えている雑草の葉を一枚千切り、それで剣を拭った。

 剣を鞘に納めると、アレクサンダーに背を向けていたザカリエルが振り向き、問うて来る。

「……大丈夫か?」

「大丈夫だ」

 既に頬は乾き、表情には無しかないと分かる。むしろ、どう思えば良いのかを教えて欲しいくらいだった。

 アレクサンダーの返答にザカリエルが苦笑したので、今度はこちらから言う。視線は自然と、ザカリエルから逸れた。

「猊……あの人が語ったことについて、今後どうするか決めないとな」

「どうするって、何を?」

「何って……」

 アレクサンダーの質問の意味は分かっているだろうに、首を傾げるザカリエルに呆れる。しかしザカリエルは、肩を竦めた。

「ルキウス・ツィアーノは枢機卿という地位を利用し、法に背く行為を行った『罪人』だった。……それ以外に何がある」

「とぼけるな」

 ザカリエルを睨み、声を上げる。

「『執行人』の責務は、『罪人』と『罪人』の喚んだ召喚獣の討伐。『罪人』はもう罰した。次は、召喚獣であるアンフィスバエナだ。……俺の処遇を考えるべきだろう」

「お前、死にたいのか?」

 やはり惚けたことを言うザカリエルに、今度はただ視線だけを送ると、ザカリエルは首を振った。

「経緯はどうあれ、お前は『執行人』としての仕事をこなして来た。誰も文句が言えないくらい、完璧に。お前は今や畏怖と同時、敬意を抱かれる存在になっている。下手なことをすれば、お前のファンに俺が寝首を掻かれる」

 ザカリエルの台詞の中に、一部気になる単語もあったが、そこは敢えて無視した。顎を引き、ザカリエルを見据えて問う。

「……今日判明した事実を、黙っているつもりか?」

「俺は誰にも話さない。ベネディクトも口止め……は必要ないだろうな。後はお前が口を閉じてろ、永遠に」

「………………」

 知っている者にはアオイも含まれるのだが、彼女はザカリエルにとっての人物なのだろう。それを喜ぶべきか、怒るべきか。

 アレクサンダーが無言でいると、ザカリエルは少し長い間アレクサンダーを見つめ、そしてぽつりと言って来た。

「俺の親父だが……」

「は?」

「聞けよ」

 眉を顰めるアレクサンダーに、ザカリエルは口元を緩めた。

「十五年ほど前だが、本気で他国への侵略を考え始めててな。当時、俺にしか言ってなかったことだが」

「……それで?」

 繋がりがさっぱり分からなかったが、一応促してみる。と、ザカリエルは紫水晶の瞳を細めた。

「防衛を担う獣王ベヒーモスだけでは満足出来ず、最強最悪の召喚獣と名高い暴君リヴァイアサンとの契約を視野に入れてた」

「それは……」

「馬鹿が思い付く所業?」

「あ、いや……」

 アレクサンダーが口籠ったのを見、ザカリエルが声を上げて笑う。思わず目を逸らしたが、大体合っているから質が悪い。

 リヴァイアサンは、ベヒーモスと対になると囁かれている召喚獣だ。

 ベヒーモスと同じく世界の半分を覆うほどの巨体、堅牢な肉体は如何なる攻撃も通らないと言われている。もはや伝説級の存在だが、同等の召喚獣であるベヒーモスとの契約を果たした人間がこの国にいる以上、夢物語ではない。

 なので、リヴァイアサンも探して契約を、と思うのは理解出来るが、最強の矛と盾を揃えてしまえば、戦争などという生易しいもので終わらないのは分かりきっている。行われるのは『侵略』ではなく『蹂躙』もしくは『殺戮』だ。

「……それがどう関係あるんだ?」

「お前が思ったのと同じく、俺も馬鹿げた野望だと思ったよ。親父に何度も進言した。ベヒーモスは、防衛専用だからこそ他国の牽制になっているんだ。その気になれば攻撃に転じることも出来なくはないし、それを近隣諸国は恐れているから、不可侵の堅牢な壁として機能している」

 ザカリエルは常にない厳しさを瞳に宿し、僅かに俯いた。

「そこに、リヴァイアサンを持ち込んだらどうなる。文字通り、あらゆる国が手を組んで、死に物狂いで戦いを挑んで来るだろう。我が国対世界の全面戦争だ。こちらが勝つとしても、草木も生えず、生物すら育たない焦土、人っ子一人いない大地を欲しいと思うか?」

「地獄だな」

「そうだ。だから俺は、親父に毒を盛った」

 一瞬だけひと際強い風が吹き、空が鳴る。だからアレクサンダーは、最初それを幻聴だと思った。

 が、ザカリエルの真面目な顔を見て冗談ではないと悟る。

「……何だって? 毒?」

 否定を望みながら、アレクサンダーが曖昧な笑みを浮かべて聞き返すと、ザカリエルは頷く。

「即死するようなものじゃない。毎日少量ずつ飲ませれば、ゆっくりと身体の隅々まで浸透し、徐々に思うように動けなくなる。思考も淀み、夢現の中で暮らすような状態になる。そこまで来たら、もう戻れない。……例え毒の摂取を止めても、誤魔化し程度に喋ることが出来るくらいにしか回復しない」

「…………どうして」

「理由はさっき言っただろ。親父も流石にやばいと思ったのか、俺に自主的にベヒーモスとの契約を渡してくれたよ」

「違う!」

 アレクサンダーが発した掠れた声に即答されたが、それに対して首を振って叫ぶ。

「だから何だ!! それを俺に言ってどうする!? 俺に告発でもして欲しいのか!? 斬り捨てて欲しいのか!? ――いい加減にしてくれ!!」

 一気に怒鳴って、ザカリエルが無遠慮に投げて来た秘密を遠くに放るように腕を振ると、ザカリエルはただ微笑んだ。

 それに気圧されて口を閉じると、ザカリエルはアレクサンダーから目を逸らす。

「……このくらいの年になれば、誰だって一つや二つ、秘密を持つもんだ。それが言いたかっただけだ」

「………………」

 アレクサンダーが返す言葉もなく黙り込むと、ザカリエルは小さく笑った。

「俺だけがお前の秘密を知ってるってのは、不公平だろ。俺はお前の秘密を、誰にも明かさず墓場まで持って行く。だから、お前もそうしろ」

「一つ、聞いていいか?」

 アレクサンダーが目を伏せながら言うと、ザカリエルは沈黙で促して来た。なので、問う。

「お前がそこまで、俺を気にかける理由がわからない」

「単純な話だ。お前みたいな馬鹿正直な男は、一人くらいはいてもいい。……お前が賢しくなった世界は、さぞかしくだらんもんだろうよ」

 即答されて顔を上げると、歯を見せて笑うザカリエルが見えた。


 

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