(12)


「もしかしたらずっと、疑問に思ってたのかもしれません」

 アレクサンダーはそう切り出し、僅かに目を伏せた。だが、直ぐ様顔を上げ、枢機卿を真っ直ぐに見る。

 今まで目を逸らし続けていた。気付いていないふりをしていた。知りたくない事実に直面する恐怖から、ずっと逃げていた。

 だが、もう終わりだ。

「猊下、あなたが俺を『執行人』に選んだ時、言いましたね。『双頭の蛇アンフィスバエナと波長の合う人間でなくてはならない』と」

「ええ、確かに言いました」

 十年以上前から変わらない柔和な笑みを浮かべ、枢機卿が頷く。その微笑みに鋭い視線を投げ、アレクサンダーは続けた。

「何故、アンフィスバエナだったのですか?」

「………………」

 枢機卿の笑みが、凍ったように見えた。

「よくよく考えれば、おかしな話です。猊下は少し前、俺の伴侶を召喚する術を行使されましたが、召喚されるのは波長の合う人間。俺だけじゃなく、他の人間の場合でもそうです。ここにいるベネディクトも、違いなくそうだったと聞いています。波長の合う人間。……なのに何故、アンフィスバエナの場合だけ、この世界にいる俺ではなく、次元の異なる世界に住むアンフィスバエナに、波長を合わせなければならなかったのか。……いや、そもそも異次元に住むはずのアンフィスバエナの波長を、どうやって知ることが出来たのか。波長の合う人間の選別から不可能だったはず」

 そこで言葉を止めたのは、枢機卿が何かを言ってくれないかと期待したからだ。だが、数秒待ってもその時は訪れず、沈黙が満ちる。

 その重圧に負け、アレクサンダーは観念して口を開いた。

「答えは一つ。――アンフィスバエナは既に、この世界に喚ばれていたから。それ以外に、『執行人』を作り上げる為の召喚獣が理由がない」

 アレクサンダーが言い切ると、背後のザカリエルとベネディクトが緊張した気配がした。

 当然だろう。目の前にいる枢機卿に、お前は魔法士だと伝えたも同然なのだから。

 アレクサンダーの背後の二人を、枢機卿は当然見ているだろうに、ただ微笑を浮かべて見つめているだけだ。視線の先には、アレクサンダーしかいない。

 後ろめたいことなど何もない、とでも言うように。

 アレクサンダーは拳を握り、しかし剣には手をかけずに言う。

「恐らく猊下がアンフィスバエナを召喚したのは、俺が『執行人』になるよりもずっと前だったはず。先日俺が討伐した『罪人』は、戦闘中に突然水蛇ヒュドラを出現させました。転移術を駆使して隠していたのだろうと思いますが、それを同じ手を猊下は使ったんでしょう」

 人間の数倍の体躯を持つ召喚獣であろうと、その気になれば自然の中に身を隠す手段はある。山の中、森の中、湖の中、海の中、人の手が及んでいない自然は、この世界にいくらでもある。

「……アオイ殿から聞いたのですか」

「ええ」

 やっと声を発した枢機卿に、頷く。

「召喚術と転移術は同じ術、ただ繋げる先の世界が変わるだけで、召喚術は転移術の応用にすぎないと。……アオイがあなたに転移術をかけられた時、召喚術によってこの世界に来た時と、寸分変わりない感覚だったそうです」

 短期間にどちらも経験したアオイだからこそ、気付いた。そして、今まで見聞きした『執行人』についてのあれこれを思い返し、違和感を抱いた。

「猊下」

 アレクサンダーが声を押さえて呼ぶと、枢機卿はようやく顔から笑みを消した。

「あなたがアオイとマツリの二人を召喚したのは、決して術の失敗などではなかったのでしょう。あの時行った召喚術は、俺の伴侶と成り得るマツリを召喚すると共に、もう一人の『器』であるアオイを喚ぶ為のものだった。一人ではなく二人が召喚されたのは、最初からそのつもりだったから。……そうですね」

 どう名付ければいいのかもわからない感情が渦巻く中、アレクサンダーが問うと、枢機卿は頷き、そして自主的に語り始めた。

「私がアンフィスバエナを召喚したのは、もう三十年以上前のことです。その頃には既に召喚獣をこの世界に喚ぶことは禁止事項となっており、危険性も周知されておりました。私はその時駆け出しの魔術士で、アンフィスバエナとは契約関係にあったのです」

 そこまで言われて、なんとなく察した。自身にも覚えがあったからだ。

「では、わざわざ危険を犯して召喚したのは……会いたくなったからですか」

「そうです」

 アレクサンダーの問いかけに頷き、枢機卿は頬を緩めた。

「他の者からは、どう見えていたのかはわかりません。恐らく大半の魔術士がそうであるように、私の使う『道具』のような存在だったでしょう。ですが私にとっては、言葉を交わせなくとも力を貸してくれる友人、相棒……片腕でした」

「では何故、そのままにしておかなかった? 気付かれるリスクを無視して、誰かの魂と紐付ける術を発明したなどと言い出した? 長く隠し果せていたのなら、ずっと続ければよかっただけの話だ」

 アレクサンダーの後方からザカリエルが口を挟み、身を乗り出す。黙っていられなくなったらしいが、アレクサンダーの疑問でもあるので、制さずに枢機卿に回答を視線で促す。

 枢機卿は一度瞑目すると、僅かに俯いた。

「私もそのつもりでした。危険なことはさせない。人里に降りさせず、可能な限り人目につかない場所で暮らさせればいい。アンフィスバエナは魔法の強さに反し穏やかな性格で、決して私の命令に背いたりはしなかったのだから。だが……しばらく経ってから、そうはいかない事態が起きた。――アンフィスバエナが、徐々に弱り始めたからです」

「………………」

 アレクサンダーが息を呑むと、枢機卿は淡々と続けた。

「考えれば、当然のことでした。人が住む世界から人が住む世界へ転移させたのならともかく、召喚獣が住まう世界とこちらの世界が同じはずがない。何もかも違う。それに気付いた私は、慌ててアンフィスバエナの送還を試みました。彼らと共に過ごす時は貴重でしたが、命より重い訳ではない。……ですが、無理だった。召喚獣の世界から喚ぶことは可能でも、逆は不可能だったのです。アンフィスバエナを誰よりも大切に思っていた私が、彼らの帰るべき場所を奪ってしまった」

「だから……人間を『器』としてアンフィスバエナを『保護』する手に出たのですか」

「ええ。……ええ、そうです」

 成程、と思った。

 アンフィスバエナに残された時間が少なくなっているとなれば、『執行人』を作るしかなく、そしてザカリエルが提案したように複数人作る案は受けられなかった。勿論リスクも理由の一つだっただろうが、枢機卿が立案した方法は当初から考えていたものではなく、必要に迫られた緊急措置だったのだ。

 今度はベネディクトが一歩踏み出し、枢機卿に問う。

「猊下。それでは何故、自身の魂との紐付けを行わなかったのですか。アンフィスバエナが貴方にとって大切な存在なら、誰かに……アレックスに託すなど考えられなかったのではないですか。契約が出来たのなら、貴方も『器』に成り得たはず」

「勿論、真っ先に考えました。私が喚んだ召喚獣です。私の身の内に隠せるのなら、例え一生秘密を抱え続けることになろうとも、本望でした。ですが……出来なかった」

「どうして」

 アレクサンダーが口を挟んだが、その声は僅かに掠れていた。それに気付いたのか、枢機卿は首を振る。

「老衰か病か……もしくは事故かわかりませんが、私が命を全うした時、アンフィスバエナがどうなるかもわからなかったからです。『器』の命が尽きた時、アンフィスバエナの命も同時に消える可能性があるのなら、私よりも少しでも若く、少しでも強い誰かを選ぶしかなかったのです。延命の為の術だというのに、その時が早まっては本末転倒です。だからアレクサンダー、私は貴方を選んだ」

 枢機卿がアレクサンダーをひたりと見据え、歯を見せる。

「王族に仕える高貴な血を持ち、将来が有望な若者。強く純粋で、正義感に溢れ……そして愚かなヴォルフ家の子供」

「っ……!」

 アレクサンダーが歯を食い縛ると、枢機卿は続ける。まるで聖書を読んでいるかのような、平坦な声で。

「あなたは『器』として申し分なかった。私が見抜いた通り、アンフィスバエナを道具扱いはせず、血肉の通った相棒として認め、尊重する性質を持っていた」

 枢機卿はそこで一旦言葉を切り、口元を歪ませる。アレクサンダーを見る目に、僅かな軽蔑が混じっていた。

「唯一の誤算は、あなたがアンフィスバエナの力を完全に引き出せなかったことだ。自身の生命にも関係して来るとはいえ、アンフィスバエナもあなたの身を慮って力を押さえていたのでしょう。私には、それが許せなかった。私の召喚獣、私のアンフィスバエナ。最強でなくてはならない。だから……」

「だから、不名誉になり得る術の失敗という体で、アオイを……」

「ええ、そうです。私から働きかければ悟られる恐れがある。あなたが伴侶の召喚を望むまで、じっと待っていたんですよ。……もうお分かりでしょうが、アオイ殿はあなたと波長が合うのではなく、波長が合う人間なのです」

 待った甲斐があった、と枢機卿は笑う。一点の曇りもない、晴れやかな顔で。

 時計の長針が真上を指したことを示す、聖堂の鐘が鳴った。長く重厚で清廉な音が、静かになった屋内の隅々まで響く。

 枢機卿が語っただけでも伝わって来る、アンフィスバエナへの執着。もしかすると、以前マツリが誘拐されたのも、覚醒を促そうとした枢機卿の策略だったのかもしれない。

 アオイがいる場でアレクサンダーがアンフィスバエナの力を使えば、アオイが『二人目』だと気付くだろうと。

 実際その通りになったのだが、今となってはどうでもいいことであり、感謝出来る筈もない。

「ルキウス・ツィアーノ」

 鐘の音が止まり、余韻までが引いて静寂が戻ると、アレクサンダーは腰に手をやり、長剣を引き抜いた。

「あなたはもう枢機卿ではない。召喚術士でも魔術士でもない。……ただの『罪人』だ」

 言って、剣先を『罪人』に向ける。

 ――『執行人』となり、継いで来たヴォルフ家の髪と瞳の色が消え失せたことで、両親から捨てられたも同然のアレクサンダーを支えてくれた、親のような存在だった。

 いや、幼いアレクサンダーは、親のように思っていた。慈愛の視線が向けられていたのはアレクサンダーではなく、アンフィスバエナだったとも気付かず。

 アレクサンダーの頬を涙が流れたが、構わずに言った。

「刑を執行する」

 告げると、枢機卿は微笑んで言って来た。恐らくは、アオイにも投げた台詞を。

「アレックス。……私のアンフィスバエナをお願いします」



■最終章/断罪:終

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