(11)


 アンフィスバエナへの指示もなく、魔法陣すら描かず、アレクサンダーとアオイの周囲に風が起こり、そよ風程度の強さだったそれが、徐々に暴風へと変わる。

 アレクサンダー達を包むようなそれに近付けず、『罪人』が一歩後退するのが見えた。しかし、風によってアオイの身に着けているマントが翻り、フードが捲れてアオイの銀髪と碧眼が見えた途端、何が起きたかを悟ったのだろう、『罪人』が掌をアオイに向ける。

 アオイが水槍に晒される、と考えた瞬間、目の前に炎が湧いた。まるで間欠泉が噴き出るように、しかし至近距離でも熱気すらなく、息をするように自然に。

「!? ……!?」

 アレクサンダーが混乱しているのを横目に、アオイがアレックスから片手を離し、その指先を優雅に『罪人』に向けた。

 たったそれだけで風が収まったかと思うと、次は無秩序に燃え盛っていた炎が調教された蛇のように動き、『罪人』に襲い掛かる。アレクサンダーがしたのではなく、アオイの風によって炎が操られたのだと悟った時には、『罪人』は炎に包まれていた。

「ぎゃあああっ……!!」

 悲鳴を上げながら地面を転がり、しかし自身が発生させた水で即座に消火する。

「アレックス、炎を出し続けて。手を休めずに」

 アオイが冷静に指示を出したので、思わず息を呑んで彼女の顔を見る。普段は欠片も伺えない冷徹さが、アオイの青く透明な瞳に見えた。

 しかし、逆らえる訳もない。アレクサンダーは頷いて炎による攻撃を念じる。『罪人』が火だるまになり、消火され、また火炎に覆われる。

 まるで拷問のようだったが、アオイの意図はそれではなかった。彼女はアレクサンダーに残っている暗器を一つ取り、自身が身に着けていたマントの端を細く裂く。そして、それでアレクサンダーの切断された腕と足の断面を丁寧に巻いた。応急措置の為の時間が欲しかったらしい。

「大丈夫?」

「あ、ああ」

 『罪人』の悲鳴が聞こえていないかのように問うて来るアオイに、なんとなく背筋を寒くしながら頷くと、アオイはにこりと笑ってアレクサンダーの肩に触れた。

「もういいよ」

 炎を収めろ、ということだろう。アレクサンダーが頷いて言われた通りにすると、流石に疲弊したらしく、『罪人』がぼろぼろの状態で這いつくばっている。

 アオイがまた指先を『罪人』に向け、ぼそりと言った。

「後は僕がやる」

 次の瞬間、『罪人』の片手と片足が中程で分断された。

「え? あ……ああっ!!」

 風の魔法による攻撃だろうが、『罪人』が一拍遅れて事態を把握し、そこから更に遅れて痛みを感知したのか、悲鳴を上げた。そして、切断されたのはアレクサンダーが失った部位と全く同じだと気付くと、アオイを睨んで片手を向ける。

「アオイ!」

 アオイの指示に背くとはわかっていたが、それでも脳裏に浮かべただけで炎が出現し、アオイを害しようとした毒の雨を蒸発させる。

 アオイがそれを確認し、アレクサンダーににこりと笑うと、そっと立ち上がる。アレクサンダーがつられるようにしてゆっくりと立ち上がると、片足のアレクサンダーにアオイが肩を貸してくれた。

 アオイは『罪人』が青褪め震えている姿をちらりと見やり、それからアレクサンダーに顔を向ける。そして断固とした声色で、言って来た。

「僕だって、アレックスを支えられる」

「………………」

 その瞬間沸き上がった感情を、何と呼ぶのだろう。

 アオイがアレクサンダーと共に、命を絶たれる覚悟をしていると知った時にも感じた。感動とは異なり、感謝でもない。それらが全て混ざり合い、心臓の奥を叩いたのは、『歓喜』だろうか。

 思わず口元に笑みが浮かび、しかし再度『罪人』に指先を向けたアオイを制する。正確には、細い指先を軽く掴んだのだが、アレクサンダーを見たアオイに言った。

「アオイ一人に、押し付けるつもりはない」

「……うん」

 アオイが頷いたので、それにアレクサンダーも頷き、そして、申し合わせたように揃って『罪人』に掌を向けた。

 アレクサンダーの炎をアオイの風が増幅させ、それに晒された『罪人』が一瞬で絶命する。

 それでも、水蛇ヒュドラの哀しげな末期まつごの悲鳴が聞こえたような気がした。



 目を覚ますと、館のアレクサンダーの部屋だった。

 流石に体力と気力の限界だったらしく、『罪人』を始末した直後に気絶してしまったようだ。記憶が飛んでいる。

 ふと、天井を眺めたまま手足に軽く力を入れると、重みと違和感はあるが思うように動く。

 治癒魔術によって手足は繋がれたが、神経が元通りになるまでは少し時間がかかるのだろう。それに、大怪我だったので完全復調には時間がかかりそうだ。

 頭を巡らせて、室内に使用人がいないかを確認したが、アレクサンダーの覚醒を伝えられる誰かが、今はいないらしい。

 声を上げるべきか、と思ったところで、サイドボードの上にあるものに目が留まった。

 アオイの眼鏡だ。

「………………」

 それを十秒近く眺めてから、視線を自分の爪先を見るように移動させた。

 先から感じられる重みと違和感は、そういえばアレクサンダーの左の脇腹辺りにあるように思える。そして、その部分のシーツが盛り上がっている。

 そっと自身にかけられてるシーツを持ち上げると、見覚えのある、というか見覚えがありすぎる丸い後頭部と黒髪が見えた。

「アオイ?」

「んー」

 アオイが呻きながらもぞりと動き、顔を上げてアレクサンダーを見る。そして頬を僅かに染めたので、夜這いをしに来た訳ではないらしい、と察した。

「えっと、触れてた方が回復早いからって……」

「ああ……うん、そういえばそうだったな……」

 なんとなくがっかりしながら身体を動かし、アオイを軽く抱き締める姿勢になる。意外と難なく身体が動いたので、問うた。

「あれから何日経った……?」

「十日以上経ってるよ」

「そんなにか……」

 そこまで寝ていれば、全て回復してから目が覚めていてもおかしくない。眠っている間に体力は落ちただろうが、筋力の衰えを憂慮するほどの長期間ではないだろう。

 起き上がって部屋の外にいるであろうレイモンド、もしくは使用人の誰かに声をかけるべきなのだろうが、アレクサンダーはアオイの髪に鼻先を埋めた。華奢な腰に回した手にも、力を籠める。

「アオイ、助けてくれてありがとう。……だが、あんな無茶は二度としないでくれ」

「やだね。無茶させたくなかったら、アレックスが無茶しないで」

「………………」

 アオイに無茶をさせたのはアレクサンダーなので、口を噤むしかない。なので、藪蛇になる会話は避けて、違うことを言った。

「しかし……アンフィスバエナと波長が合うということが、良くわかったな……」

「ああ、それは……」

 アレクサンダーの疑問にアオイは答えてくれたが、それでも危険な賭けだっただろう。アレクサンダーはしばし考えてから、質問を重ねた。

「アオイ、君が『二人目』だということを、誰かに言ったか?」

「まだ言ってない。……茉莉ちゃんもそうである可能性があるなら、アレックスに言ってからと思って……」

「そうだな……」

 いずれは明かさねばならないとしても、その後どうなるのかを考えると、教える相手から考えるべきだろう。軽々しく明かした結果、アオイやマツリが望まぬことをさせられる流れになったりすれば、それはアレクサンダーの本意ではない。今回はアオイの機転で助かったが、この先もずっと続けて欲しいとは思えなかった。

「アレックス。……話しておきたいことがある」

 物思いに沈みかけていたアレクサンダーを、アオイの堅い声が引き戻した。

「……どうした?」

 問うと、アオイがゆっくりと身を起こし、何かを耐えるような表情でアレクサンダーを見下ろす。

 思わずアレクサンダーも上体を起こし、アオイと向かい合ったのだが。

「アレックス、今から僕が言うことを、よく聞いて」

「アオイ……?」

「勘違いかもしれない。僕の思い過ごしかも。でも……君が寝てる間に、ザカリエルさんやベネディクトさんからも色々と話を聞いた。だから、ここから先は……アレックスが判断してくれ」



 アレクサンダーが完全に動けるようになり、そして、ザカリエルに信書を送って様々な算段を付け終えたのは、覚醒から更に一週間後だった。

 切断された手足は、起きた当初はやはりぎこちない動きになったが、繋げられた神経が馴染めば以前と同じように動かせる。

 アレクサンダーは漆黒の正装を身に着け、腰には剣も下げて馬に乗り、解放された扉を使って壁を越え、王城へと向かった。

 両開きの扉を開けると、神妙な顔をしたベネディクトがおり、その傍らには既にザカリエルがいる。ベネディクトは銀の鎧、ザカリエルは白の正装だ。どちらもアレクサンダーと同じく、剣を下げている。

「……行こう」

 アレクサンダーが言葉少なに言うと、ベネディクトとザカリエルは頷き、その二人を先導するように、アレクサンダーが先を歩く。

 普段であればアレクサンダーが導かれる側だが、今ばかりはそうではなかった。


 聖堂の扉を開けると、荘厳なステンドグラスに囲まれた内陣へ進み、最奥の祭壇へと進む。信徒が呼びに行ったのか、奥から枢機卿が姿を現した。

「ザカリエル殿下、『執行人』アレクサンダー、ヴォルフ騎士団長……どうされましたか?」

「お久しぶりです、猊下」

 アレクサンダーが膝を着かずに軽く頭を下げると、枢機卿は僅かに首を傾げる。普段とは異なる何かを感じたらしいが、それを指摘する気にはならなかったらしい。

 むしろ喜びを面に出し、弾むような声で言って来る。

「『罪人』討伐を完遂したと聞いています。双頭の蛇アンフィスバエナはやはり最強の召喚獣。そしてアレクサンダー、あなたはその器に相応しい戦士です」

 器。

 少し前にも聞いた単語だ。

 それに軽く唇を噛んでから、アレクサンダーは顔を上げた。

「『器』……やはり、そうなのですね……」

「アレクサンダー?」

 呻くように発せられたアレクサンダーの声に、枢機卿が眉を顰めた。それには構わず、続ける。

「俺を選んだのは、アンフィスバエナじゃない……猊下、あなただった」

「………………」

 しん、と聖堂に静寂が満ちる。

 太陽が遮られたのか、一瞬だけステンドグラスを通して差し込む光が暗くなり、また一瞬後に眩く輝く。

 その光をアレクサンダーの瞳が捉え、紅と碧が煌めいた。枢機卿はそれを見て目を細め、微笑む。

「続けなさい、『執行人』アレクサンダー」

 それを聞き、アレクサンダーの背後にいるベネディクトが、腰の剣に手を伸ばす気配がする。ザカリエルもだ。だが、アレクサンダーが手で制した。

 背後の二人は立会人でしかない。アレクサンダーの独断でなく、陛下と殿下の許しの元の『告発』だと知らしめる為だ。

 だから、他の誰でもない、アレクサンダーが行わなければならない。


 『執行人』アレクサンダーは、小さく息を吐き、声を発した。


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