(10)
今いる場所からベネディクトの家は少し距離があるらしく、セオドアは角から先を覗いながらも言って来た。
「魔獣はほとんど討伐されたと見て良いが、余計な知恵がある魔獣なら油断を誘う為に隠れている場合もあるし、新たに喚ばれたりしないとも限らない。魔獣を喚んだのがアレクサンダー様が戦っている『罪人』なら、だが」
「一般市民に被害は……?」
葵がやや青褪めながら問うと、セオドアは横目で葵を見て小さく頷いた。
「そりゃあったさ。だが、ザカリエル殿下の召喚獣『
「良かった……」
葵がほっと息を吐くと、セオドアが顔を向けた。そして、じっと見つめて来る。
「な、何ですか?」
「お前さ、アレクサンダー様の何?」
「ゆ、友人です」
ここで『伴侶です』と言える訳もない。ややこしくなりそうだからだ。だが、幸いセオドアは納得してくれたらしい。
「友人にしては過保護だが、アレクサンダー様はお優しい方だからな。ヴォルフ団長も気を遣ったんだろう」
そう言って、葵を促して路地を出る。
やや広い通りに進んでから足を止め、耳を澄ますセオドアに、葵も周囲をなんとなく覗った。静かではあるが、建物の中から人の気配を感じられる。警戒の視線が自分にも向けられているような気がして、思わず肩を窄めたところで、セオドアが歩を進めた。葵も小走りに後を追う。
何かがあると一時忘れてしまうが、重苦しい不安がまた全身を支配し始めたので、葵は小声でセオドアに声をかける。
「あの……やっぱり『執行人』の友人程度で保護するのは、普通はないことですかね」
「そんなこと気にしてるのか」
セオドアが左右を確認し、そして後方を確認するついでに振り返る。上空は召喚獣の影に覆われているというのに、セオドアの髪と瞳は僅かな光源さえ反射しているかのように、宝石のように煌めいて見える。
とまれ、セオドアは剣の柄に手を置き、もう片方の手は腰に当て、嘆息した。
「俺が余計なことを言ったからか? ……友人だろうとなんだろうと、どれだけ大切にしているかなんて、外様が決められるもんじゃないだろ。アレクサンダー様がお前に価値を見出しているなら、その事実だけを認めておけ」
「………………」
「なんだ、何が気になってる?」
葵が目を伏せると、セオドアが小首を傾げる。元々世話焼きなのかもしれないが、葵は顔を上げて問うた。
「僕は最初、王城に行かされたんです。そこが安全な場所だからって。けど、アレックスが『執行人』だとしても、僕がアレックスにとって大切でも、そんな待遇をされるのが不公平な気がして……」
「馬鹿じゃね? お前」
意を決して言ったというのに一蹴され、葵は口中で唸った。そんな葵に、セオドアは渋面で続ける。
「『騎士を含め、命を張る職務に就く人間に近しい者は、有事の際に優先的に守護されるべし』――十年ほど前に、ザカリエル殿下が制定された内容だ」
「え……」
思いもよらない方向からザカリエルの名が出て来たので、顔を上げる。セオドアは真剣な表情で、ルビー色の髪を軽く掻いた。
「最悪死ぬ仕事なんだから、それくらいの旨味がないとやってられないだろ? ――ってのが理由だが、身近な者の安全を気にしながら戦われると、集中出来ず全力も出せない、結果死が近くなるってことだろ。具体的には、住処の地下か近くに防空壕を作るとか、逃げ道を用意しておくとか……まあそれは人それぞれだが、とにかく公的にそう決められたんだ。だから、お前が後ろめたく思うことはない」
真っ直ぐに見つめられ、そしてきっぱりと言われ、葵は反射的に反論が出そうになった口を閉じる。何を言おうと言い負かせられる内容ではないと悟ったこともあるが、セオドアの背後に魔獣を見たからだ。
「テディさん!」
咄嗟に言い易い方の名前を言ってしまったが、察したセオドアが振り向き様に抜剣し、飛び掛かって来た魔獣の首を一閃で絶つ。続けて魔獣を蹴り飛ばして、体液が降りかかるのを避けた。
「お前、それで呼ぶなって――」
「また来ます!」
「!」
葵の警告に、セオドアが長剣を持つ手はそのままに、空いている方の手に短剣を持つ。そして今度は自ら前進して魔獣へ――ではなく、魔獣の近くに置いてある樽を目指して跳躍し、樽の上部を足掛かりにして跳んだ。そして更に手近な建物の壁を蹴る。
セオドアは軽々と魔獣の牙が届かない場所へ行くと、身を捻りながら短剣を魔獣へと投げる。それは魔獣の腰に刺さり、悲鳴を上げる魔獣の背中の中心に、今度は着地しながら長剣を深々と刺した。
葵よりはがっしりとした体躯だが、それでもベネディクトよりは小柄なセオドアなので、体重をかけて攻撃の威力を増幅させたのだろう。セオドアの剣の刃は、鍔の部分まで魔獣に埋まるどころか、剣先が石畳にめり込んでいた。
華麗な動きで魔獣を沈黙させる様に、騎士というよりは軽業師だと葵が思っていると、セオドアが葵を見て目を瞠った。
「チビ!」
「えっ」
実際小柄でも少々ショックを受けたが、即座に意図を理解する。ほぼ勘で横を見ると、葵に飛び掛かって来る魔獣の口蓋が見えた。
「わっ……!」
どうすべきかも思いつかず、頭を抱えそうになったところで、強い力で突き飛ばされる。
「うあっ!?」
悲鳴を上げながら一メートルは石畳の上を転がり、しかしそれで身体の強張りが溶けたので即座に起き上がる。
葵を突き飛ばしたセオドアが、魔獣に圧し掛かられていた。先の魔獣から剣を抜く間もなかったらしく、片腕に魔獣の牙を喰い込ませている。
「テディさん!」
「チビ、行け!!」
「は!?」
間髪入れずに返されて呆気に取られていると、セオドアは片足を振り上げて魔獣の腹に押し当てつつ、顔を葵に向ける。
「団長の家は、南に下った先の赤い屋根の一軒家だ! 外からオリヴィア様を呼べば、戸を開けてくれる! 走れ!!」
「そんな……」
呻きながらも、迷ったのは一瞬だ。身を翻して先刻セオドアが仕留めた魔獣に駆け寄り、未だ刺さったままの剣の柄を握り締める。
「ん……!」
あっさりとは行かなかったが、非力な葵でもなんとか剣を引き抜き、それをセオドアに渡そうとし――目を瞠る。鍔から先、魔獣に刺さっていた刃の部分が、ぼろぼろと崩れ落ちたからだ。
「嘘だろ……」
魔獣の体液の所為だが、呆然とする。そこにセオドアが怒声を上げた。
「行けっつったろ! 馬鹿が!!」
「でも――」
葵が半泣きでセオドアを振り返ったところで、セオドアの背中の下、石畳にエメラルド色の魔法陣が現れた。セオドアが描いたものなのか、彼が魔獣を睨んで声を張り上げる。
「
そこで、咆哮が響いた。セオドアの魔術ではなく、ザカリエルの
「しまった!!」
魔獣も一瞬身を強張らせたが、セオドアの魔法陣を見て身構えていたのだろう、十秒と経たない内に力を取り戻す。葵も膝が砕けて座り込んでしまったが、自身を叱咤して震えながらも立ち上がった。
ふと、誰もいない店先の隅に、防火用の水が入った木製のバケツが目に入る。それに駆け寄って手に取り、急いで元の場所に戻った。
「――えいっ!!」
掛声と共に水を魔獣に――ついでにセオドアに――ぶっかけると、魔獣が一瞬だけ怯む。動物らしく、少しは水が苦手らしい。
「テディさん、そいつを引き剥がして下さい!」
叫びながら、腰の後ろに着けていたスタンガンを手に取る。セオドアは葵の声を聞くと魔獣を睨み、足の膝を伸ばして魔獣を蹴り飛ばした。それで魔獣が倒れることは勿論なく、しかし態勢を整え四肢を踏ん張った瞬間、葵はスタンガンを最大威力にしてスイッチを押し、魔獣に向かって投げた。
スタンガンが魔獣に接触した一瞬後、薄暗い中でも輝く白光が魔獣を包み、葵が思わず眉を顰めて目を細める前で、魔獣が痙攣して倒れ伏す。
「テディさん、まだ死んでません! とどめを!!」
「お、おう!!」
葵の声に呆気に取られていたセオドアが即座に起き上がり、武器もなしに魔獣に駆け寄ったかと思えば、魔獣の背に乗るような体勢から獣の首に両腕を回し、
「おらあぁっ!!」
力技で魔獣の首をへし折った。ゴキリ、という鈍い音が響く。
「うわっ……」
「何引いてるんだよ。仕方ねーだろ、剣がなくなったし」
青褪める葵にセオドアは唇を尖らせ、しかし立ち上がって葵に歩み寄り、髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜて来た。
「お前スゲーな! 雷の魔術を使えるのか!!」
「ちょっと違いますが、もう使えないので早く移動しましょう」
「そうだな」
セオドアは周囲を一旦見渡し、魔獣はもういないことを確認すると、葵の背を叩いて促した。
幸いにもそこからは魔獣に遭遇せず、セオドアが言っていた通りの一軒家に到着する。
正面玄関ではなく裏口に回ってセオドアがノックすると、そう待たずに扉が静かに開いた。隙間から、赤毛の女性が姿を現す。
「オリヴィア様。お久しぶりです、セオドア=ヴァレリア・コンスタンティンです。『通路』を使います」
オリヴィアと呼ばれた赤毛の女性は、無言で頷いて扉を大きく開ける。
「急いで入って」
「は、はい」
促されるままセオドアと共に屋内に入ると、挨拶も説明すらそこそこに、オリヴィアがさっさと歩いて行く。急いでいる葵にも有難かった。
「こっちへ」
オリヴィアがランプを手に扉を開けると、石造りの狭い階段が現れ、そこから先もオリヴィアが先導する。
階段はそう長くはなく、程なく小さな部屋に到着した。ぱっと見て小さなテーブルと椅子があるだけの部屋だったが、隅にあるクローゼットをオリヴィアが開けると、そこには最低限の武器とマントが収納されている。
「外に行くのは二人?」
「いいえ、このちっこいのだけです」
オリヴィアの質問にセオドアが首を振り、葵の頭頂部をポンポンと叩く。オリヴィアは頷き、マントを一枚手にしてからセオドアに言った。
「テディはここで待ってて」
「セオドアって……いやなんでもないです。待ってます」
セオドアは半眼になりながらも、諦めたらしく素直に頷いた。
小さな扉の先の暗い通路を、オリヴィアの先導でまた歩いた。ここを使うのは緊急事態の時だけだとわかっているからか、オリヴィアは特に何も聞いて来ることなく、ただ黙々と歩を進める。
やがて、前方に青い光が見えた。床に青い光で線が描かれており、オリヴィアはそこを跨いでから数歩進んだ場所で足を止める。
「ここが、
「……はい」
つまり、この真上が外壁なのだろう。葵も青い線を越えると、オリヴィアがマントを手渡して来る。
「強くはないけど、視線を惑わせる魔術をかけてある。これを被って、もし外で魔獣に会ったら、立ち止まって身を屈めてやり過ごして。声を上げては駄目よ」
「はい。……ありがとうございます」
礼を言いながら受取り、マントを即座に纏う。マントはやや大きめに作られていたのか、葵が着ると爪先程度しか見えなくなる。
「ここからは転移術を使って、あなたを送るわ。行先は、どこ?」
「『執行人』アレクサンダーのいる場所へ、お願いします」
葵が即座に返すと、オリヴィアが一瞬目を瞠り、そして頬を緩ませた。
「あなたが、アレックスの大切な人ね」
「えっと……」
葵が思わず赤面すると、オリヴィアがランプを足元に置く。そして葵の両肩に手を置いて、口中で何かを呟いた。葵の足元に、先刻も見た覚えのある魔法陣が現れる。
「アレックスをお願いね」
オリヴィアの言葉に躊躇なく頷いたが、その時には既に国の外にいた。
葵がこの国に喚ばれたのは貰い事故のようなものだったが、茉莉と同じく葵も、アレクサンダーと波長の合う人間であったことは間違いない。
アレクサンダーが
アレクサンダーがアンフィスバエナの力を全て引き出せないのは、アレクサンダーが『器』として未完成だから、もしくは不完全だからという理由であれば、召喚獣の力を使いこなすには、『器』を足せばいい。
そんな単純な計算だったが、それは正解だという確信があった。
アレクサンダーが魔法陣を描かずに炎の魔法を使ったのも、瀕死のアレクサンダーが力を取り戻したのも、どちらも葵が傍にいる時だった。
だから、葵は満身創痍のアレクサンダーの頭を抱き寄せ、言った。
「アレックス……ヘルミルダは僕が引き受ける。ルタザールは頼む」
大元となる契約は、既にアレクサンダーが終えている。後は、葵の意思と召喚獣への働きかけだ。
アレクサンダーにすら聞こえないような小さな声で、アレクサンダーの中のアンフィスバエナに告げる。
「ヘルミルダ。僕が二人目の契約者だ。君の魔法を使わせてくれ」
腕の中のアレクサンダーの頭が動き、葵の顔を見上げて来る。左右で異なる色だったアレクサンダーの瞳は、双眼ともが深紅になっていた。
そして、その瞳に移っている葵の目が透明な碧に、髪も銀色へと変化している。
同様に、アレクサンダーの髪も赤く染まったところで、アレクサンダーと葵の周囲に風が起きた。
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