(9)


 ヴォルフ家は高潔な騎士の家系でありながら、とかく『残忍な一族』と言われて来た。

 厳しくもあるが優しい父親、同様に常に凛とした母親の元で育ったアレクサンダーにはその理由がわからなかったが、十歳の誕生日を迎えたその日に、それまでは父親が立ち入り禁止にしていた武器庫への入室を許可したことで、理解した。

 武器庫には騎士の携えるべき剣だけではなく、様々な武器が手入れされた状態で揃っている。スタンダードな長剣や短剣に始まり、短刀や小刀、爪の先ほどの大きさの刃物、小針まで。

「暗器と呼ばれるものだ。主に暗殺者が使う」

 物々しい雰囲気に怯えを見せたアレクサンダーに、父はあっさりと言った。

「我がヴォルフ家は、皇族に連なるお方の御身の守護だけではなく、影で国敵を抹殺する任も遂行して来た。汚れ仕事と忌み嫌う者もいるが、まつりごとは正義のみで出来るものではない。わかるか?」

「はい」

 頷いてから、言葉を選んで続ける。

「国の大義の元に人命を奪うことは同じ、正面から刺せば血が噴き出さない訳ではありません。どのような手段であろうと意義と誇りを失なわず戦うことこそが、ヴォルフ家の騎士として為すべきことだと思います」

「その通りだ」

 父はそこで僅かに頬を緩め、アレクサンダーの金の髪を軽く撫でた。


 ヴォルフ家では代々、金の髪と碧の目の色が重視されて来た。正確には、髪と目の色を『継がせる』ことだが。家名と共に『色』を伝えることで、『戦地で敵の目に留まるだけで名を脳裏に浮かべ、畏怖を与えられる』という、ある意味古臭い考えから来ている、とは聞いた。

 父も母も輝く金糸の髪に深い碧の瞳だったので、色を保つ為に近親婚を重ねていると揶揄されることもある。ただ、それはヴォルフ家に限らず、血を受け継ぐことを重く見る貴族は勿論、最強の召喚獣『獣王ベヒーモス』を操る皇族のエメライト家、『宝玉の血族』と呼ばれる騎士と魔術士の家系コンスタンティン家、他にも名の知られた、しかも実力でのし上がって来た血族にも適用される悪評だったので、表立って何かを言われることはない。下手すれば――国王陛下の耳に入りでもしたら――不敬罪で首を括ることになるからだ。

 とまれ、そういう伝統を当たり前のように空気で感じながら育ったので、アレクサンダーも将来伴侶を迎えるとしたら、その女性は金髪碧眼だろうと思っていた。

 しかし、

「それは古い考えだ。戦争のない時代だというのに、髪と目の色で相手を決めるなんて、時代錯誤すぎるだろ。俺は決めた相手が継いで来たものとは異なる色を持っていても、その女性と結婚する」

 とベネディクトは言い、

「どこの耄碌ジジイだお前は。例え配偶者の色を基準に結婚して子供を生したとしても、子供が親の持つそのままの色を継ぐとは限らない。お前の子供がそう生まれて来たらどうする? 首を絞めるか?」

 とザカリエルは言った。ちなみに、ザカリエルは皇太子殿下だ。

 好奇心から、ベネディクトが普段から可愛がっている、コンスタンティン家の騎士にも聞いてみたことがあるが、彼は苦笑して頬を掻いた。

「俺……私の場合は髪や瞳の色よりも、妻の素養が重要になって来ますので、あまり参考にはならないかと」

「素養?」

「コンスタンティン家に嫁ぐ女性は、召喚獣『鉄鎖グレイプニル』と契約出来る魔術士でなくてはならない、という掟がありますので」

 それはそれで色々と大変そうだな、と思った。


 召喚獣『双頭の蛇アンフィスバエナ』を迎える器となって欲しい、と国王陛下から打診されたのは、十四歳の時だ。

 この世界に喚ぶことが許されていない異次元の獣を喚び寄せ、悪行を重ねる『罪人』を処罰する為の『執行人』を作り上げるのが目的らしい。

 アレクサンダー本人の了承というよりも、アレクサンダーの父の意思が優先されたものの、アレクサンダー自身も断る理由はなかったので、問われる前から心は決まっていたのだが、唯一反対したのは、アレクサンダーよりも二歳年上のザカリエルだった。

「俺は反対だ。危険すぎる」

 国王陛下とその息子ザカリエル、ルキウス枢機卿にアレクサンダーの父とアレクサンダー、五名に加えて書記だけの静かな会議の中で、ザカリエルの尖った声が響いた。アメジストの瞳が枢機卿に向く。

「猊下。『罪人』の対抗手段を講じるのは悪くない。が、前例のない術を行使した結果、将来有望な騎士の命に関わる結果となったら、どう責任を取る? ましてやアレクサンダーは、ヴォルフ卿の一粒種。長年国に貢献して来た騎士から、唯一の愛息を奪う可能性についても考えたのか? 身を切らせ血を吐かせるどころか、血涙を流させることになるぞ」

 普段は軽い言動や態度ばかりが目に付くザカリエルが、本気で怒っている。アレクサンダーが内心で驚いていると、枢機卿は小さく息を吐いてから返した。

「召喚獣と魂の紐付けは、召喚術の応用で行われます。発明したばかりの術ですが、波長さえ合えば成功するものですので、少なくとも命を失う危険はございません」

「ほう」

 淡々と述べられた返答に、ザカリエルは面白がるように目を細める。

「アンフィスバエナと波長の合う人間、それがアレクサンダーだと言うなら、一応筋は通っているな」

 その台詞に枢機卿が頷いた直後に、ザカリエルは口元に浮かべていた笑みを消した。

「では、『執行人』を複数人用意しないのは何故だ? 『罪人』は一人とは限らない。どうせなら一人なんてケチなことを言わず、召喚獣をわんさか喚んで、十人ほど用意すればいい。『安全な』術なんだろう?」

 椅子から腰を上げ、片手をテーブルの天板に着き、身を乗り出して顔を近づけ、そんなことを言う。歯軋りが聞こえて来そうな声色だった。

 弱冠十六歳ながら、彼は既に召喚獣『獣王ベヒーモス』との契約を継いでおり、少し前から置物と化した父親に代わり、ほぼ全ての仕事を引き受けていた。なので、ザカリエルの言葉は王の進言と変わりない。

 それでも、枢機卿は首を振った。

「殿下の憂慮は理解しております。『罪人』を裁くという重責を、若者一人に負わせるのは酷だと仰りたいのでしょう」

「分かってるなら――」

「ですが殿下、私は『安全な術』とは言っておりません。初の試みで危険が全くないものなどありませんし、少なくとも年単位で様子を見る必要がございます。そして、万一のことを考えれば、人数は少ない方が良い」

「要するに、アレクサンダーは生贄か」

「私は『斥候』と考えております」

 間髪入れずに返した枢機卿を、ザカリエルは鼻で笑った。

「俺は、そういう言葉遊びは嫌いだ」

「殿下の好みは関係ございません」

「いいや、関係あるね」

 身を起こしたザカリエルが、腰の剣の柄に手をかける。が、アレクサンダーの隣に座っている父も、大仰な仕草で――ザカリエルに見えるように――同様に剣に指先を触れさせたので、ザカリエルはにやりと笑って手を離す。そして、おどけるように両手を上に挙げた。

 この有様では、明日の朝になっても議論は続くだろう。アレクサンダーはこそりと息を吐いてから、腰を上げて言った。

「ザカリエル殿下、私の身を案じてのお言葉、痛み入ります。ですがこのアレクサンダー、国の為、陛下の為、殿下の為、そして、このルデノーデリア王国の血肉と言える国民の為に、小さき身を捧げる覚悟は出来ております。どのような試練であろうと、草花に落ちた朝露を払うように往なせなくては、ダクマルガ・ヴォルフの名を継ぐに値しない騎士と成り果てます。どうか、私めに名誉を賜る機会をお与え下さい」

「それを覚えるまで、台本を何回読み返した?」

「………………」

 ザカリエルの冷めた視線と台詞に、アレクサンダーは汗を流した。皮肉だとはわかっていたが。


 結局、アレクサンダー本人の意思も堅いとなると、議論の余地はない。

 会議が終了した後、ザカリエルに『散歩』に誘われたので父と別れると、アレクサンダーは庭園をザカリエルと歩いた。

「もう止めたりはしねぇが、何かあればすぐに言えよ。出来る限り手を貸す」

「……ありがとうございます」

 ぼそりと言ったザカリエルにアレクサンダーが返すと、ザカリエルは小さく舌打ちをした。

 荒いやり方だろうと、ザカリエルの意図は分かっている。唯々諾々と従うのではなく、あらゆる視点からの意見を聞いてから決めろ、ということだったのだろう。

 アレクサンダーも軽い気持ちでいた訳ではないのだが、ザカリエルと枢機卿のやり取りを見て、考えるべき点が見えたのも確かだ。

「殿下、大丈夫です。……きっと大丈夫です」

 アレクサンダーが言うと、ザカリエルはまた舌打ちをしてから手を伸ばし、アレクサンダーの金髪をぐしゃりと掻き回した。



「アレックス、覚えてる? 僕が怪我をした時……」

 自分の頭を抱えるアオイに囁かれ、それは自分がずっと考えていたことだと思う。忘れる訳がない。

 アオイがボウガンの矢に撃たれ、血を流しながら倒れるのを見た。

 その時だけ何故か、魔法陣を描く必要もなく、目の前の敵を灼くことが出来た。息をするように自然に、何かを考えた訳でもなく、アンフィスバエナとの意思の疎通さえ介さずに。

 あの後何度試そうとも、同じことは出来なかった。

 ずっと何かが引っ掛かっているとアオイは言っていたが、アレクサンダーと同じだったということか。

 アレクサンダーが呆然としていると、アオイが微笑んでからそっと唇を重ねて来る。途端、アレクサンダーの髪が漆黒へと戻った。

「な……」

 片手と片足を失った痛み、出血による貧血もある。だが、腹の底から活力が湧いた。

 驚くアレクサンダーに、声を出すなと言わんばかりにアオイが腕に力を籠める。そう離れていない場所に『罪人』がおり、アレクサンダー達を見ているはずだが、恐らく意図的にアオイの身とマントでアレクサンダーを隠すようにしているからか、アレクサンダーの変化への反応は伺えなかった。

「アレックス……ヘルミルダは僕が引き受ける。ルタザールは頼む」

 また耳元で囁かれ、その内容に思わず顔を上げると。

 マントのフードの下に、澄んだ碧の瞳が見えた。

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