(6)


「アレックスのところへ行きたいなら勝手にしろ。だが手は貸さん(要約)」

 と言われてしまったが、葵は少なからず状況を楽観視していた。王城から外に出た瞬間から、それを思い知らされる。

 騎士や魔術士の類は出払ったのか、王城の敷地内は時折伝令と思わしき誰かが走っているのを見るだけで、特に慌ただしいようには見受けられない。

 しかし、一歩外に出ると葵は立ち竦んだ。鎧や甲冑を着込んだ騎士が忙しなく移動し、通りには荷物を積んだ馬車がひしめいている。その隙間を、富裕層に仕える立場の一般市民が走り回っていた。

「アオイ!?」

 名を呼ばれたので見ると、男子寮で暮らしていた際に見た顔が数人、葵に手を振っていた。馬車に轢かれないよう、気を付けながら移動し彼らに駆け寄ると、問い質す。

「外に行きたい! どう行けばいい!?」

「は!?」

 開口一番の質問は驚かせるに値したらしく、見習い騎士は一瞬顔を見合わせてから、眦を下げる。

「外どころか、内側の門二つも閉鎖されてるぞ。通り抜けは無理だし、直通路も施錠されてる。無理だ」

「第三地区の一部に魔獣が出たって伝令もある。魔獣がこっちに流れて来るのを防ぐ為でもあるから、どういう理由があろうと通されないぞ」

 第三地区とは、アレクサンダーの館がある区域だろう。閉鎖の理由が単純でないことも理解出来たが、葵は爪を噛んで数秒考えてから、顔を上げた。有事の際の出入り口の封鎖は分かるが、状況が流動的である以上、移動してしまったら終わり、となるのは流石に有り得ない。

「じゃあ、防衛にあたってる人達はどうやって区画間を移動してるんだ!? 魔獣について伝令が来たってことは――」

 そこまで言ったところで、地鳴りがした。

「う……わあっ!?」

 轟音が響き渡り、思わず耳を塞いで身を屈める。そして、少し前にも感じた恐怖が湧いたので震えると、見習い騎士達が背中に手を当てて来る。

「アオイ、大丈夫か!?」

獣王ベヒーモスの防衛行動だ。攻撃じゃないから、気を確かに持て!」

「ベヒーモス……」

 ザカリエルにも説明されたことだが、葵は顔を上げてやんわりと見習い騎士の手を引かせた。どうやら茉莉と同じく、彼らにも影響がないらしい。

 色々疑問はあるが、何はなくとも移動だ。一刻も早く、アレクサンダーの元へ行かなくては。

「……魔獣について伝令が来たってことは、連絡手段は残されてるんだろ!? どうしてるんだ!?」

 先刻の問いの続きを口にすると、見習い騎士達の顔に迷いが浮かんだ。知っているが、葵に教えることを躊躇っている。

 ここで一般市民の葵に教えろと言うのは、それこそ無謀だろう。課せられた約束事の遵守、それが騎士の第一のルールだ。それを破れとは言えない。

 じゃあどうすれば、と焦燥から顔を背ける。馬の嘶きや人の怒鳴り声、馬車の車輪の音で騒々しい街を見渡し――気付いた。一般市民以外だと、甲冑や鎧を着込んだ騎士が多く見られるが、逆に特定の役職の人間が見当たらない。

「……魔術……召喚?」

 よくよく考えてみれば、そうだ。

 封じられているのは物理的な手段だけで、魔術が使えなくなっている訳ではない。正確に言えば、ベヒーモスによって敵味方関係なく魔術が無効化されるとしても、それは召喚獣が吼えている間だけだ。

「アオイ?」

「――ルキウス・ツィアーノ枢機卿は、今どこにいる!?」

 名を呼んで来た見習い騎士に叫ぶと、気圧されたのか素直に答えてくれた。

「この時間帯なら、王城にある方じゃない教会だろう。避難していなければだけど……」

「わかった。ありがとう」

 手短に場所を聞いてから、葵は駆け出した。


 教会の場所は、幸い避難する市民や貴族達の向かう先とは異なっていたので、街を抜けると移動がスムーズになる。

 それでもずっと走ったので息切れし、こじんまりとした教会が見えた頃には、葵は汗だくだった。

「誰か……いませんか……」

 声を途切れさせながら両開きの扉をノックし、返答がないので勝手に開けて中に入る。本来は誰かがいるのだろうが、入れ違いで避難されてしまったのかもしれない。

「誰かいませんか!? ルキウス・ツィアーノ枢機卿の居場所を――」

 結婚式場で見るような祭壇を前に声を上げたところで、奥にある小さな扉から、見覚えのある禿頭の老人が姿を現した。

「アオイ殿?」

「枢機卿……」

 よろめきながら駆け寄り、目的の人物を前に深呼吸をする。

「今この国は、魔法士の攻撃に晒されています。あなたも避難をしませんと……」

 あくまでも柔らかく告げて来る枢機卿に、葵は眦を上げた。

「召喚術でアレックスの元に、僕を送って下さい」

「は?」

「出来ますよね?」

「……何か誤解があるようですが、私は召喚術士です。召喚術は転移術では……」

 言いかける枢機卿の襟元を、葵は掴んで黙らせた。

「いいえ、出来るはずです。むしろ、異世界から僕を喚んだ召喚術よりも、簡単に出来るはずです。異世界とこっちの世界を繋げて、人一人……二人を強制的に移動させる術と比べて、人間一人を移動させるだけなのだから、出来ない方がおかしい」

 勘だったし、単純な思い付きだった。だが、理屈で言えば葵の言う通りだろう。

 更に言えば、魔術士の中には転移の術が使える者がいるに違いないというのも、直感だった。

 でなければ、門を閉じて各区画を遮断してしまうなど、出来る訳がない。最悪の場合、区画のどこかを見捨てる事態に陥るし、見た限りではザカリエルはそのような人間ではない。

 だから、どこかに必ず移動手段は残されている。物理が駄目なら魔術で。シンプルな図式だった。

 葵が口を閉じて枢機卿を睨むと、彼は諦めたようにそっと息を吐き、苦笑した。

「困ったお方だ。機密にあたる情報だから、一般市民には秘匿されていることだというのに……」

「他言はしません。その代わり……」

「『執行人』アレクサンダーの元へ、ですね」

 本来知ってはならない『秘密』を知ったという告白は、最悪の場合死を呼びかねない。相手が聖職者だろうと、脅しは背水の陣だった。

 だが、枢機卿はやんわりと笑い、葵の手をそっと取って襟から離させ、肩を竦めた。

 そして、問うて来る。

「アレクサンダーの元へ行って、あなたが助けになるという確証でも?」

「はい」

 即答すると、枢機卿は僅かに目を瞠った。葵がじっと彼を見つめると、軽い嘆息が返される。

「転移術も、無条件に出来る訳ではありません。現在この国は、獣王ベヒーモスの結界によって守られています。流石に、この『壁』を越えての転移は不可能です」

「じゃあ……」

「外周の壁にほど近い、第三地区まで。そこまでは、転移術であなたをお送りしましょう。ですがそこから先は、術を介さず自力で外に出るしかありません」

「分かりました。お願いします」

 躊躇なく頷くと、枢機卿が葵の手を取った。口中で何かを呟くと、足元に黄金色の魔法陣が現れる。

「第三地区には、魔獣が出現しているという情報があります。多くの騎士が討伐にあたっているでしょうが、油断しないように」

「はい。……ありがとうございます」

 枢機卿の言葉に、頷いて礼を言う。それには枢機卿は笑みを返し、葵の手を離してからゆっくりと魔法陣の外に出た。

 そして、そっと笑って来る。

「アオイ殿……私のア――ス――を――願いし――」

 枢機卿が何かを小声で言って来ていたが、聞き取れなかった。


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