(4)


「我が名はザカリエル=グシオン・エメライト! 高潔なる血を元に結ばれた契約により、獣王ベヒーモス・ブリュンヒルデの影を召喚する!!」

 ザカリエルが声高に発した瞬間、床一面に彫られた魔法陣が輝き、青い光を発する。ここは展望台というより儀式の場だったのか、と葵が目を瞠る横で、茉莉が葵の腕を掴んだ。

「葵君、街が……」

「え?」

 言われて、その場からは動かず、首を伸ばして見る。魔法陣から溢れる青い光が、街中にまで広がって行くのが見えた。丁度、王城を中心とした十字の形に。

 以前アレクサンダーに教えられた、『有事の際の通路』だ。青い光はゆっくりと通路を伝い、更には三重の壁も内側から順番に染めて行く。

「魔力の通り道だ。この魔法陣を国全体に拡大させる」

 葵と茉莉の会話を聞いていたのか、ザカリエルが前を向いたまま説明した。

「時間がかかってちょっと面倒だが、俺の召喚獣はデカすぎて、それくらいじゃないと力を発揮出来んからな」

「ベヒーモス……でしたっけ?」

 茉莉の問いにザカリエルが頷いたところで、上空に魔法陣が現れる。国を覆うほどの巨大さで、禍々しい赤で描かかれていた。

「ザカリエルさん!」

 葵が叫ぶまでもなくザカリエルも気付いているだろうが、彼は口角を上げて落ち着いた声を出す。

「恐らく、アレックスが喰らった毒の雨だろう。国を狙うとは『罪人』の野郎、舐めた真似をしやがる」

「ちょっと……!」

 言ってる場合か! と突っ込みそうになったものの、ザカリエルの落ち着き払った態度で、大丈夫なのかも、と一瞬考え直したが。

「こっちの魔法陣の完成と、あっちの魔法陣の発動のどっちが速いかな」

「え――!?」

 茉莉が青褪めて悲鳴を上げた直後、上空の魔法陣が輝く。素人目にも、魔法陣が発動したのだとわかった。

「茉莉ちゃん!」

 咄嗟に茉莉の手を引いて膝を着かせ、彼女の頭を抱えるようにして覆い被さる。魔法で治すことが出来るとしても、館に運び込まれた時のアレクサンダーを思い起こすと、茉莉には一時でもあのような姿にはなって欲しくなかった。

「葵君――」

 腕の中から茉莉が声を上げたが、無視して目を閉じる。

 すぐにでも毒が降り注ぐだろうと歯を食い縛り、その時を待ったのだが。

「ブリュンヒルデ、吼えよ!!」

 ザカリエルの大音声が耳に届き、次いで地響きがした。地下深くから湧いて来たような不吉な音が、床を振動させる。

「わああっ!?」

 思わず悲鳴を上げるがそれも搔き消され、これは地震ではなく、獣の咆哮によって地面が震えているのだと悟った。同時に、頭頂部を抑えつけられた様な重圧を感じ、思わず茉莉から離れて両手をその場に着いた。

「葵君!? 大丈夫!?」

「う、ぐっ……!」

 平気だ、と言いたかったが、無理だ。こめかみから汗が流れ、頬を伝って顔の真下に滴るのが見える。寒気を伴った震えが止まらず、葵は四つん這いの状態でただ呻いた。

「マツリ、案ずることはない。今この国にいる魔術士、魔術士と契約している召喚獣、もしくは魔術士の素質を持つ人間は、全員アオイと似た状態になっている」

 ザカリエルが落ち着きのある声を発し、それに葵が顔を上げる。と、葵を不安げに覗っている茉莉の顔と微動だにしていないザカリエル、それに、魔法陣が消え失せた代わりに灰色に染まった空が見えた。

「暗い……」

 喘ぐように呟き、茉莉の手を借りて立ち上がる。先よりも落ち着いたが、不穏な何かが胸の中から消えてくれない。

 空を仰ぐと、夜が来たのでも雨雲に覆われたのでもなかった。とてつもなく巨大な影が、太陽を隠しているのが分かる。

「これが……ベヒーモス?」

「そうだ。正確に言うと本体はこちらにはなく、あれはベヒーモスの『影』だが」

 葵の震える声にザカリエルが頷き、横目で葵達を見る。口元に笑みを浮かべながら。

「ベヒーモスは、最も巨大な召喚獣だ。世界の半分を占める程の巨躯だと言われているが、その反面、ベヒーモスは魔法を持たない召喚獣でもある」

「それで『影』を……?」

 ザカリエルは頷き、天を、というより召喚獣の『影』を見る。

「こちらに本体を呼べば、それこそ世界を支配出来る力を持つ、強い召喚獣だ。だが、強すぎる。攻撃をさせれば最後、一撃で世界の大半は破壊されるだろう。ブリュンヒルデが大雑把な奴なこともあるが」

 だから、『防衛』に使うことしか許されていないのだ、とザカリエルは苦笑しながら続けた。

 とりあえず最初の危機は去ったと見て、茉莉が安堵の息を吐く。だが、葵は床に着いた掌を拳に変えた。

「大雑把……」

 奇しくも、ザカリエルが何気なく発した単語で思い出した。

 ――俺の使う魔法は結構大雑把だから。

 アレクサンダーは確かにそう言った。召喚獣の力を、完全には使えていないのだと。

 では何故、アレクサンダーはあの時。

「もしかして……」

 ずっと胸に刺さっていた何かが、すっと抜けた。

「葵君? 大丈夫?」

 葵の表情の変化を見て取った茉莉が、不安げに首を傾げる。そんな茉莉に顔を向け、頷いてから立ち上がった。

「ザカリエルさん、茉莉ちゃんを頼みます」

「葵君!?」

 驚く茉莉だが、ザカリエルは意外にも葵に顔を向け、淡々と言う。葵の意図を正しく察した表情だ。

「今は緊急事態中だから、連絡通路は使えない。各門も通ることは許されていない。勿論、俺の権限で通すことも出来ない。君の我儘の為に他の誰かを危険に晒す行為を、防衛を担う俺が許可したとなると面倒になるからな。……それをわかってるなら、行け」

「――はい」

 即座に頷き、身を翻して階段を目指す。

「葵君!」

 茉莉が叫んだので一旦足を止め、振り返った。葵の目的地がどこなのかが分かったのか、彼女は青褪めていた。

 だが。

「茉莉ちゃん、大丈夫だよ」

 葵はにこりと笑い、また前を向いて走った。


 アレクサンダーの元へ行かなくては。


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