(3)


 この世界において、召喚獣と同じく魔獣は珍しい存在ではない。ただ、そこらにいる野生の獣とは明らかに性質から異なる生物として、どこからどうやって生まれたのかは不明とされている。

 召喚獣と同じく異次元から喚ばれたと言われているし、魔法士が喚んだ召喚獣から生まれたとも言われている。または、祖が召喚獣の出来損ないで、それが子を産み魔獣となったという説もある。

 一言で『魔獣』と言っても種類は多岐に渡り、四足獣型がいれば鳥型もいたり、爬虫類型もいる。アレクサンダーとて全てを確認したことはないが、動物とは明らかに異なる異常性が共通してあるという。

 ともあれ、分析をしている場合ではないので、アレクサンダーは自分を取り囲む五体の魔獣を見据えた。全て黒の毛皮と鋭い爪と牙を持つ、赤い瞳の四足獣だ。動物に例えるなら、たてがみを持つ狼だろうか。

 魔法士の背後に控えている水蛇ヒュドラは、よくよく見れば前回見た時とサイズが変わっていない。地上に出た状態の、縮んだ姿だ。恐らく、そうでなければ毒雨の魔法は使えないのだろう。

 ルデノーデリア王国の上空に出た魔法陣に思いを馳せ、アレクサンダーは唇を噛んだ。

 魔獣の動きを追いながらも、視界の端で確認すると、魔法陣を国一つ覆うサイズにしたせいか、幸い発動にはまだ時間がありそうだ。『罪人』の出現は既に把握されているだろうから、ザカリエルが上手くやれば、あちらを気にする必要はない。賭けだが、祈るしかないのだ。

「頼むぞ、ザック……」

 呟きながら腕を動かし、僅かに腰を落とした。剣の柄から片手を離し、そっと腰のプッシュダガーを一本引き抜く。そして、間髪入れずにそれを魔法士に投擲した。

 同時に、地面を蹴って魔獣から距離を取る方向へ走る。投げたダガーは、ヒュドラの尾によって弾かれるのが見えた。

 魔獣が咆哮を上げてアレクサンダーに向かって突進し、それも的確にアレクサンダーの隙を無くす陣形を取って襲って来る。

 アレクサンダーが真っ直ぐではなく軌道を読まれぬようにジグザグに走るも、魔獣の一匹が跳躍して飛び掛かって来る。咄嗟に足を止めて踏ん張り、こちらに牙を剝いた魔獣の口蓋目掛けて、剣先を突き出した。

 魔獣から突き刺さりに来たように、切っ先は魔獣の喉奥に刺さり、更には貫く。どす黒い血が噴き出てアレクサンダーの頬にかかり、同時に熱を感じた。

「!?」

 危機感から魔獣を突き刺したまま腕を振り、次いで飛び掛かって来ていた魔獣に対し、剣を棍棒のように振って、一匹目の魔獣の死体を横殴りにぶつける。流石にそれだけで殺せはしないが、二匹目は悲鳴を上げて吹っ飛んだ。

「ヘルミルダ、切り裂け!!」

 即座に地面の転がった魔獣に魔法を放ち、二匹目も絶命させてから、一匹目を地面に落として足で踏み、剣を引き抜く。異臭と煙が立ち昇った。血臭とは違う。

「酸……!!」

 頬をそっと触ると、グローブ越しにも違和を感じる。血がかかった頬の部分が僅かに爛れ、痛みを発している。頬肉まではいかないが、皮膚は完全に溶けた。

 舌打ちをし、再度走りながら剣をざっと検分する。突き刺すのは可能だが、斬るのはもう無理だろう。それどころか、魔獣への物理攻撃は危険だ。

「ルタザール」

 使い慣れた剣だったが気持ちを切り替えて、相棒の名を小さく呼びながら足を止める。好機と見てか、飛び掛かって来た魔獣を僅差で避け、魔獣の腹に剣を深々と突き刺した。

 次の瞬間、剣身に描いていた魔法陣が発動し、魔獣が燃え上がる。悲鳴すら上げられずに血液ごと炭と化し、その場に崩れ落ちた。

 それを見届けながらまた走り、小指にぶら下げていたラペルナイフを指先に挟み、小さな刃に魔法陣を描く。そして、ラペルナイフを投げようとしたところで、迫るものを肌に感じて、地面に這いつくばるようにして身体を倒し、水鉄砲を避けた。

 轟音を上げながら水の槍が頭上を通り過ぎ、アレクサンダーの髪をひと房宙に散らす。魔法士を睨み、静かだったのはフェイントの機会を覗っていたからか、と悟る。

 そこで後方から咆哮が聞こえたので肩越しに見ると、魔獣が飛び掛かって来ていた。

「――っ!!」

 即座に仰向けになって背中を地面に着け、腕一本を駄目にする覚悟で左腕を掲げる。アレクサンダーに覆い被さった魔獣が腕に喰らいつき、肉に牙を立てた。

「ぐううっ……!!」

 魔獣の唾液が滴り、それが触れた箇所からぶすぶすと煙が立ち昇った。肉が溶ける臭いに吐き気を覚えながら、もう片方のラペルナイフを持つ手を動かす。

 暗殺用の小さな刃物なので、敵から寄って来てくれてある意味助かった。その皮肉に思わず笑いながら、刃を魔獣の眼窩に突き立てる。

「ギャッ!!」

 魔獣が堪らずアレクサンダーの腕を離し、更にはアレクサンダーの上から一歩引く。その瞬間、ラペルナイフの刃が火を噴いた。魔獣の目玉から、ナイフと共に埋め込まれた魔法陣だ。

 魔獣の首から上が炎に包まれ、直ぐに消失する。残った首から下は、数秒間だけ立ったままだったが、やがてばたりと横倒しに倒れた。

 残り二匹となった魔獣も、流石に警戒し始めたらしい。ぐるぐると唸りながらも遠巻きにアレクサンダーを見ている魔獣を注視しつつ、立ち上がって腕を見る。皮膚の状態はともかく、肉部分は穴が開いただけで持って行かれずに済んだ。

 長剣が無事だったとしても、この腕では到底持つことは出来ないだろう。アレクサンダーは息を吐き、背中に差している短刀を抜いた。手の中でくるりと回転させてから、剣より格段に軽い武器の柄を握る。

 敵は減ったが、こちらも無事ではない。

 魔法士とヒュドラが意外に大人しいのを不思議に思っていたが、ヒュドラは魔法陣を待機させている状態だからだとしても、魔法士は魔獣を召喚した後は、一度しかちょっかいをかけて来ていない。魔法陣に力を割かれているのもあるだろうが、恐らくはアレクサンダーの消耗を待っているのだろう。

 もしくは、アレクサンダーを一撃で葬り去る機会を見定めているか。

 短刀の刃を顔の前で垂直に立てるようにして構えながら、腿のナイフを抜いた。長剣と短刀の威力の差を、何かで埋めなければならない。魔法であれば魔獣の命を絶つのは容易いが、素早く動く魔獣の動きをまず止めなければ、無駄撃ちをするだけだ。

 アレクサンダーがじっとその場に留まり、ヒュドラと魔法士、魔獣二匹に順番に視線を移動させていると、魔獣が揃って動いた。アレクサンダーから見て左右に分かれ、鏡に映したような左右対称の動きで、じりじりと距離を詰める。

 一匹ずつではアレクサンダーに負けると見て、同時に来ることにしたらしい。

 アレクサンダーも重心を移していつでも動けるように構えつつ、僅かに腰を落とした。

 ――と、魔獣が同時に走り出し、真っ直ぐではなく曲線を描くようにしてアレクサンダーに向かって来る。更には、後方にいた魔法士が宙に魔法陣を描いた。

 水鉄砲か、とアレクサンダーが跳躍しようとしたところで、背後から赤い光が差した。

「!?」

 振り返ると、ずっと動きのなかった魔法陣が不気味な光を放っている。

 あの毒の雨が、国全体に降り注ごうとしている。危機的状況だったが、アレクサンダーははっとして前を向いた。そして、上体を僅かに傾けたところで、こめかみのすぐ横を水の槍が通り過ぎる。

「あっ……!」

 皮膚を僅かに削っただけだったが、強烈な衝撃波が脳を揺らし、アレクサンダーの視界が揺れた。眩暈に耐え切れず膝を着いたところに、魔獣が二匹襲い掛かる。

「お――あああっ!!」

 ほとんど本能で短刀を振ると、その刃を魔獣が牙で受け止める。もう一匹がアレクサンダーの腿に喰らい付き、食い千切らんばかりに牙を埋めた。

「ぐうううっ……!!」

 視界が瞬き、悲鳴になる寸前の呻きを上げる。腿を齧っている魔獣の背にナイフを突き立てたが、牙が緩まない。

「クソがっ……!!」

 ナイフを魔獣から抜いて、再度刺す。飛び散る魔獣の血が傷口に散り、塩どころか酸が擦り込まれる激痛で、目の前に光が散った。

 意識が白くなり、一瞬何をしていたか忘れかけ、自分が気絶しかけていると悟る。そうなったら待っているのは死だ。

 脳裏にアオイの顔が浮かび、次いで見たこともない神に祈ったところで、獣の咆哮が聞こえた。

 アレクサンダーの後方、ルデノーデリア王国のある方向から、大地が割れたのかと思える程の声が、大気を揺らしながら轟く。

「う、ぐ……っ!!」

 途端、アレクサンダーの心臓が激しく鳴り、身体が硬直する。吐き気と共に鳥肌が立ち、全身の毛穴から汗が噴き出ると、とてつもない絶望感に見舞われた。恐怖による状態変化だが、恐れているのはアレクサンダーではなく、アンフィスバエナだ。

 アレクサンダーだけではなく、魔獣二匹も全身の毛を逆立て、戦闘中だということを忘れたかのように、アレクサンダーから牙を引いてその場に伏せる。

 顔を上げて魔法士を見ると、今のアレクサンダーのように膝を着き、ヒュドラまでが身を縮めていた。

 信じられない光景だが、心当たりが一つある。肩越しに見ると、ルデノーデリア王国の上空にあった魔法陣は消え失せ、巨大な影が天を覆っていた。見渡す限り空が黒くなり、青い部分が隠れている。

獣王ベヒーモス……ブリュンヒルデ……」

 思わず口元が緩み、痛みも消えた気がして立ち上がる。王国のことは、もう案じることはない。

「ヘルミルダ。切り裂け」

 アレクサンダーの髪が銀色に染まり、震えていた魔獣が二匹同時に胴部分で分断された。


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