(2)
王城に行って殿下に会うとなると、平民服よりは見栄え重視の服装が良いだろうと、襟元にフリルのあるブラウスに黒のズボンを履く。上にはイエロー・オーカーの布地にダークブラウンの刺繍が入った、少し短めの丈のジャケットを羽織ると。アレクサンダーから預かった封書を小ぶりなショルダーバッグに入れ、葵はそれを斜め掛けにした。
「よし」
姿見で身形を確認して頷くと、葵は部屋の外に出た。偶然ファビーナに会ったので、アレクサンダーのお使いで外出を伝えておいた。
アレクサンダーが言った通り馬車が準備されていたので、見送りしてくれたファビーナに手を振って、葵は出発した。
生憎空は快晴ではなく、雨が降るか嵐が来るかとファビーナがぼやいていたのを聞いたが、灰色の雲が目視出来る速さで、生温かい風に流されて行く。
窓から空を見るのを止め、葵は大きな息を吐いた。
今朝から何故か、胸が苦しい気がする。痛みがある訳ではないが、息苦しいのだ。定期的に来る生理かと思ったが、そういうのとも違う。
「……早く用事を済ませて、帰ろう」
声に出して言うと、何故か不吉な響きを感じた。
馬車に紋章が入っていることと、葵に託された封書の封蝋印があるので、二つの門では特に止められることなく、スムーズに通過出来る。そう時間をかけずに王城のあるエリアに到着すると、女子寮の前で馬車が止まった。
「少し待ってて下さい」
御者に告げて自ら女子寮の玄関に行き、茉莉を呼び出して貰う。
素早く出て来た茉莉に事情を説明すると、彼女もそのままの格好ではまずいと思ったらしく、「十分待って!」と叫んでから女子寮に引き返した。
実際は十五分後に彼女は姿を現したが、急な呼び出しだったのだから仕方ない。
茉莉はアクセサリーは着けていないものの化粧をしっかりとし、ポニーテールにはコサージュを添え、襟元にフリルのある白いブラウスと、それに深い赤のブレザーとロングスカートのセットアップを合わせ、それなりに華やかな服を選んでいた。
「お待たせ!」
「大丈夫だよ」
謝る茉莉に笑いながら首を振ると、今度は二人で馬車に乗り込んだ。
「葵君に一人でお使いなんて、珍しいね。アレックス、忙しかったの?」
「そうみたいだ」
茉莉も違和感を抱いたようで、葵に小首を傾げて問うて来たので頷くと、茉莉がふと窓の外を見て眉を顰めた。
「……なんか騎士の人達が走り回ってる」
「え?」
「今の時間帯だと、見習いの人達は寮にいないことの方が多いから気付かなかったけど、何かあったのかな?」
茉莉とは向かい合って座っていたので、葵も同じ側の窓を覗く。茉莉の言った通り、騎士が三名から四名ずつ固まって方々へ走っており、厳しい表情は訓練には見えない。
茉莉と顔を見合わせたところで王城前に到着したので、葵と茉莉はなんとなく急いで馬車を降りた。両扉の前の騎士が誰何して来たので、葵が封書を見せて告げる。
「『執行人』アレクサンダーの代理で、ザカリエル殿下にこれを持って参りました。お目通り願えますか? 『葵と茉莉が来た』と言えば、殿下はわかります」
『ザカリエルに直接渡せと頼まれた』と強調すると、騎士達はあっさりと扉を開けてくれた。
中に入ると、てっきりベネディクトがいるかと思いきや、初見の騎士が案内役として現れたので、特に会話もなく連いて行くと、謁見の間やザカリエルの私室ではなく、階段をどんどんと昇って行く。
「あ、あの……どこへ?」
建物で言うと四階分を裕に昇ってから案内の騎士に問うと、
「ザカリエル殿下がいるところだ」
とだけ言われた。
エレベーターなどないので徒歩で更に昇ると、そう大きくはない両扉の前に到着する。
「案内はここまでだ。入れ」
案内の騎士はそう言って、扉を開けてそこで止まってしまう。
茉莉と顔を見合わせて、しかし即座に頷き合って歩を進めると、冷たい風が頬を撫でた。
「外……?」
一瞬テラスかと思ったが、微妙に違う。扉の先も両側が白い壁となっている短い階段で、その先には灰色の空が見える。
意識せずに足早になって先に進むと、開けた場所に出た。
「うわ……」
「高い……」
茉莉と共に感嘆とも呻きとも言えない声を上げ、見渡す。恐らくは王城の中で、そして国の中で最も高い場所にある、天井すらない円形の展望台だ。申し訳程度の柵だけがあり、靴底に違和感を抱いて下を見ると。
「……魔法陣?」
白い床全体に魔法陣の模様の溝が彫られており、それ自体が装飾のようだ。その中心と思しき場所に、見覚えのある青のマントが見えた。
「ザカリエルさん!」
「ああ、君達か」
白金の髪を項で一つに纏め、銀色の鎧に身を包んだザカリエルが、顔だけを葵達に向ける。予期していたのか、驚いた様子はない。
「アレックスから言われて来たんだろう」
「えっ」
葵がザカリエルに駆け寄って、封書を差し出そうとしたところで言われ、足を止める。茉莉がその隣に並んだ。
よく見るとザカリエルは鞘から抜いた状態の剣を持っており、剣先は床に突き立てられている。そこも丁度、魔法陣の中心だ。
ザカリエルは葵達から目を逸らし、眼下に広がる城下町から遥か先を見据えながら、言う。
「その手紙は、君達が読め。俺が許可する」
「………………」
先日見せた快活さは全くなく、厳しさしか感じられない声色に逆らい難いものを感じ、言われるまま封を開けて紙片を取り出す。そして、丁寧な字で書かれた文章を読んだ。
「……親愛なるザックへ。既に把握していることと思われるが、例の『罪人』が現れた。俺は準備を済ませ次第、討伐に向かう。危険な魔法を使う敵なので、巻き添えを避ける為に一人で行く。アオイを安全な場所で保護してくれ。俺に――」
そこで手紙を持つ手が震え、声が喉で詰まった。が、何とか絞り出すようにして、最後まで言い切る。
「……万一のことがあった場合、この世界で暮らせるようになるまで、面倒を見てやってくれ」
葵が読み終わると、茉莉も慌ててもう一通を開封する。紙片に認められた文章をざっと読み、青くなった顔を上げた。
「こっちも全く同じ。ただ、葵君の名前の部分が、私の名前になってる……」
「やはりな」
ザカリエルは肩を竦め、ふ、と笑った。呆れたように。
「こういう時だけ、良いように使いやがる」
そう言ってから、徐に右手の指先で遠くを指さし、端的に言う。
「あそこに、アレックスがいる。既に『罪人』との戦闘が始まったようだ」
「え……!?」
思わず手の中の手紙を握り潰し、ザカリエルの脇を擦り抜けて走る。展望台の端まで行くと、ザカリエルが差した先、国を囲む壁から離れた場所に、時折赤い何かが見えた。アンフィスバエナの炎だろうか。
「アレックス――」
「奴の望みだ。君達はここにいろ。既に門は閉じられた。事が終わるまで、誰も出ることも入ることも出来ない」
「でも……」
ザカリエルの冷えた声に、思わず振り返って声を出す。が、返されたのは声同様に冷たい視線だった。
「『執行人』の特権を利用した、特別扱いが気に食わないか? だが、君達は受けるしかない」
「でも……!」
尚も声を発すると、ザカリエルはとうとう声を荒らげる。
「君達に僅かでも危険が及ぶ可能性がある場にいると、アレックスが思うように戦えないということがわからないのか!? アレックスと共に戦う力がない者は、大人しく守られていろ!! それが今の君達に出来る、唯一の支援だ!!」
「……っ!!」
返す言葉もなく、拳を握って歯を食いしばる。
正論だった。例えば葵と茉莉がアレクサンダーの元へ駆けつけても、足手纏いにしかならない。そういうことだろう。
俯いた葵に茉莉が駆け寄り、そっと肩を抱いて来る。
「葵君」
「……大丈夫」
葵の顔を覗って来る茉莉になんとか笑みを返したところで、ザカリエルが言った。
「アオイ、マツリ、俺の後ろに。そこが最も安全な場所だ」
「……はい」
頷き、茉莉と共に言われた場所へ移動する。それを確認してから、ザカリエルが凛とした声を上げた。
「我が名はザカリエル=グシオン・エメライト! 高潔なる血を元に結ばれた契約により、
次の瞬間、床に彫られた魔法陣が輝き、次いで眩く青い光を放った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます